>>353 帰ってきて日本のいろいろなスーパーマンものを見て触っているうちに、
どうも嘘っぽいと思うのねぇ。アニメしかり、ゲームしかり。
僕はちょっとこれは間違いだと思ったの。
嘘っぽいって。そうじゃないものを描きたいって気持ちはずっとあったんですよ。
そもそもスーパーマンなんかを狭い考えの日本人が版権得て再現を
試みようとしても所詮は猿の日本人にアメリカの心を再現するのは難しいのでしょう。
73年の「あんぱんまん」発表後、やなせは大人向けの「アンパンマン」として、
「怪傑アンパンマン」という作品を発表する。そこでアンパンマンは
殺人未遂で投獄されたりもする。正義は立場によって
悪になるというやなせの考えを反映したものだろう。
正義っていうのは、そうカッコいいもんではないですよ。
要するに、テレビだと例えばスパイダーマンにしろ、何にしろ、
あるいは、日本だと鞍馬天狗とかね、いろいろあるんだけど、カッコ良いんですよね。
しかしね、正義っていうのはそんなカッコいいもんじゃない、本当の正義っていうのは。
つまり我々が求めている正義っていうのは、自分の生活が安定していること、あんまり酷いことは
ないこと、戦争やなんかない、そうして、とにかく食べる心配がない、ということを助けてくれる人が
正義の味方であって、何もミサイルをぶちこんだり悪漢だからそれをやっつけるっていうことはですね、
必ずしも正義の味方の第一義のものではないって僕は思ったわけ。日本人は特に単細胞だし。
弾より速い、鉄より硬いではゲームとして面白くないと解釈するのが
狭い考えを持つ日本人特有の風習なのです。
最近では洋げーが主流になり、日本人もそれに倣ってスーパーマンのような豪快かつ大味な
ゲームを作れるようになりました。けども、いまだにスーパーマンのような豪快さを持った
日本人が現れないのは深刻な問題です。
ソフトは日本人に対して「もっとでかい人間になれよ」と教えているのかも知れませんね