北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ 第5部

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晴海埠頭に無念にも沈められたその強欲と行動力の賜物の増田文吉の足取りを追って行こう

住まいは釧路市緑ケ岡。妻は多恵。子供はおそらくいないであろう。増田の性格は多恵の証言によると
「他人に恨みをかうような人じゃなかったのに」と言ってる事から家では良き夫であったと考えられる。
また多恵にサラ金で負った借金の存在も隠してあると考えればそれ相応の狡猾な部分もあったと見ていいだろう。

多恵の発言から夫文吉が網走刑務所に拘置されてたのも恐らく本人の希望で
多恵には知らされてないものと思われる。それだけ妻を想うのは多恵しかいない増田の孤独感の裏返しなのか。
拘置されてる事から浦田と同様、窃盗及び傷害罪で拘置されてるものと考えられる。
浦田と同部屋だった増田は浦田の思いから野村の話、そして過去を知り密かに決意を固めてたに違いない。

出所後彼は自宅に帰り下着とタオルをかばんに入れ、そして多恵に借金の存在を知らせないために
催促状のハガキも携えて東京に向かったのであろう。
そして東京についた彼はそのまま阿久津の事務所に向かい
己の欲望のままに浦田の話を聞かせ恐喝をするわけだが、その後彼は新宿高田馬場の旅館で宿を取る。
阿久津の事務所は晴海埠頭のある中央区に所在すると見ていいだろう。
増田が馬場で宿を取ったのはある程度距離をおき用心に備えたのかもしれない。  新宿区ー千代田区ー中央区 

その後増田が栄え通りのルブランで意気揚々とルナを口説き有頂天になってたと思われるがすでに
彼の運命は決まっていたのかもしれない。人ごみの多い栄え通りで増田は拉致されそのまま車に乗せられたと
思われる。そしてそのまま中央区晴海埠頭に沈められたわけだが、その前にすでに絞殺されて増田は死亡してたと見ていい。

死亡当時の衣装は白のシャツにズボン、そして素足。何故素足なのかを推理すれば拉致当時に多少の抵抗を行い
その時に靴が脱げた可能性が高い。恐らく当時はまだ栄え通りに増田の靴が残ってたはずである。
そしてこの事件は増田の格好、そして第一発見者の高野の姿から見て夏場であると考えられる。
たった一人でさほどの準備もなく欲の為に行動をした増田だがその行為が報われることはなかった。
皮肉にもその事件を知った飯島幸雄が謝罪の意で多恵に金を渡したという事だけか