北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ 第5部

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オホーツクでは様々なところで重要なキーパーソン的な出会いがある。
その中で今回は紋別を現実と照らし合わせて総合的に見てみよう

紋別での有力情報は奥村喜助の存在、高台公演の慰霊碑、紋別の町で聞かれる飯島の過去、そして妻おばば、ニポポはこの場合除外する

奥村の住まいはおそらく町並みの風情、さらに役所が港町であると推測し、その中で計算すると
住所は本町あたりが妥当であろう。  役所が港町だと推測は本編の風景を見れば一目瞭然である。
老夫婦の生活を考えると近くに信金があるのは重要である。 そして喜助が漁師である事も考えると港に近い住まいを望むのは当然である。

そしてその飯島がかつて新聞記者だった事実を元に紋別の情報と照らし合わせその推測からすると
紋別からの距離も含めると士別市、帯広市、そして釧路市の在住新聞社になるわけだが
事件での地名も考えると釧路が有力と思われる。

高台公園に関しては本編で海が見える光景、そして慰霊碑という観点から推測し
紋別に所在する公園を上記の情報から地形も含めて考えるとオムサロ遺跡公園が最も適した場所であると結論できる。

なお奥村喜助の妻おばばは当時すでに高齢である事を考えると間違いなく年金生活者であるはずである。
当時の年金支給額は夫婦でおよそ15あたりであろう。さらに喜助は遭難死であるが生命保険には
入ってあるとは考えにくい。子供がいない事で後に託す意味合いがないからである。

おばばの生活はさほど苦労の度合いが大きかったとは思えずそれなりの生活はできたはずである。
紋別の産地はホタテ貝柱漁獲である。おばばもまた飯塚に憧れを抱いていた老婆も
ホタテを食べ長生きをしていてであろう。