「ゲーム機の外付けオプションって成功しないよね」
よく聞くセリフだ。プレイステーション2のハードディスクやモデムはなかなか買
いづらいし、NINTENDO64の後期にあったランドネットDDも「本体より高い」と言わ
れるし、ドリームキャストのZIPドライブは出たんだっけ、出てないんだっけ…?
というように、確かに苦悩の歴史にまみれている。けれども、僕は過去に流行った
ある「外付けオプション」のハードをいまも後生大事に持っている。ニヤリとした
アナタ、その通り。言わずと知れた、ファミリーコンピュータ・ディスクシステム
である。
ファミコンの機能UPと磁気ディスクによる書き込み&プログラム配信の普及をめ
ざして1986年にディスクシステムは生まれた。どぎつい真紅のボディに、弁当箱よ
ろしくの図体、そして黄色くて小さいフロッピーディスク。なんだか新しいんだか、
古いんだかわからない物体が我が家にやって来たのは、発売当日であった。
僕らにとってはまさに「赤いモノリス」のごとく降臨したディスクシステム、同時
に買った『ゼルダの伝説』と『謎の村雨城』はいまでも語り草になるほどの名作
だった。初めてゼルダを立ち上げ、ファミコンとは異なるFM音源によるオープニン
グメロディを聴いたときの鳥肌SHOCKといったら、おそらくカラーテレビを始めて
見た世代と同じくらいの衝撃だったはずだ。ところがこの衝撃からほどなく、僕は
ある任天堂の企みにさらに仰天する。
「新発売から2ヶ月たったソフトは500円で書き換えができます」
鼻血ブーだ。
1枚3000円のディスクゲームが2カ月待てば500円。以前のROMゲームは5000円も
したから10分の1で楽しめる! これに狂喜乱舞した子供は多いことだろう。僕はそ
れ以後まったく新作を買わず、ひたすら500円でゲームを書き換えていった(←貧
乏性)。
任天堂は、大きなファミコン売り場の脇に"ディスクライター"と呼ばれる自販機
のようなものを置き、そこにディスクを持参することで書き換えてくれるサービス
を作った。僕は横浜の大手デパートのファミコン売り場によく通ったものだ。
いままでならクソゲーで5000円損した!と嘆いて、外に出てダンプにROMカセット
を轢いてもらいたいと思うこともしばしばだったが、これだったら500円だけで済
む。けれども意外や意外、ディスクゲームには恐ろしいほどハズレがなかった。
まず、『ザナック』。こんなにシンプルで激しくて速いスクロールのシューティ
ングがあっただろうか? 『ブリーダー』はロボットを育て対戦させるシミュレー
ション。ヘビのような下半身のロボが弱いけどカッコイイのでよく使ってた。『バ
レーボール』、はっきり言ってこれ以上のバレーボールゲームって記憶にないぞ。
『メトロイド』の主人公サムスが女性だということは全人類の共通認識。『デッド
ゾーン』はみんなキャリーの声に驚いた。『探偵神宮寺』もディスクがなければ生
まれてなかった。最初は『新宿中央公園殺人事件』というタイトルだった。『ファ
ミコン探偵倶楽部』だって『新鬼ケ島』だって『中山美穂のトキメキハイスクール』
だって任天堂作品だけどその芸の幅には感服しするし、あと『プロレス』というズ
バリそのものというタイトルでプロレスゲームも出していて、スターマンという顔
に星がついた四次元殺法の使い手を好んで使っていた。『リンクの冒険』と『パル
テナの鏡』、これは書いておかないと突っ込まれるから書いておこう。ユニークか
つ練りこまれた作品でクオリティも折り紙つき。
どれもこれも楽しいゲームばかりだった。しかし、もっともアツく追っかけてい
たのは実はコナミの作品群だった。『悪魔城ドラキュラ』はグラフィックや音楽、
ステージ構成など究極的に完成していたし、『愛戦士ニコル』の小気味よいアク
ション、かたや『エスパードリーム』のロールプレイング要素の詰め込み方、『グ
リーンベレー』はすぐ死ぬけど渋くてかっこよくて、『アルマナの奇跡』はワイ
ヤーアクションが斬新で、『謎の壁』はアルカノイドだけどいっぱいオマケがあっ
て、『エキサイティングビリヤード』はビリヤード最高峰だと思ったし、『もえろ
ツインビー』はそこはかとなく沙羅曼蛇風味だった。
そんなたくさんのゲームを遊んでいるうちに僕は成長し、大学生になった。何の
因果かいつも書き換えに行っていたデパートのファミコン売り場で偶然アルバイト
することになった。なんとファミコン小僧が店員としてそのファミコン売り場のカ
ウンターに入る…1990年のことだ。ディスクライターはとっくにホコリをかぶって
いたが、たま〜に来るお客さんのために相変わらず残っていた。89年にゲームボー
イが発売されていて、90年11月にスーパーファミコンが発売される、そんな狭間で
ある。スーパーファミコンを買うために並んだお客さんが5階の玩具売り場から地下
2階の入り口まで列を作ったのをいまでも鮮明に憶えている。
その後、あまり経たないうちにディスクライターは売り場から姿を消した。僕は
土日にバイトをしていたため、翌週出勤したら影も形もなくなっていたのだ。「あ
れ、業者の人がひきあげたのよ、邪魔でねぇ」とパートのおばさんがいつもの挨拶
と変わらぬトーンで僕に教えてくれた。
ディスクライターのあった場所は、スーパーファミコンの試遊台と商品棚が占拠
した。けれどもその床面には、5年も6年もの間、鎮座し続けたディスクライターの
足跡ともいうべき傷や汚れだけが残っていた。
後世、誰かがきっとこう言うだろう。
「ファミコンのディスクシステムも失敗だった」と。
僕はそうは思わない。なぜなら、これほどたくさんのゲームを子供たちに安価で
届けてくれ、HAPPYな気分にさせてくれたハードは他にはないし、あれから15年も
経ったいまもそのうちの1人がここでこんな原稿を書いているからだ。
実は、いま手元にあるディスクシステムのAVアダプタを無くしてしまった。
けれどもなんとディスクシステムは単2電池で動くのだ。
なぜ電池を仕掛けたのかはわからないが、
その辺の「ぬかりなさ」が任天堂の凄さだと思う。
なんだったんだ?このスレは。
>>1の情熱は伝わってくるが、レスのしようが無い。
>1
2行目からは読んでないけど
デパートで書き換える所があって
マリオとルイージがディスクを運んでいたのは覚えている。
11 :
NAME OVER:01/12/08 20:09
でも500円はよかった・・・