同志社大内部進学失敗の記憶から逃れるように
京都を離れ大阪府高槻市に転居した麻厨は、
2年の浪人を経て平成9年、近畿大学商経学部に入学した。
しかしここでも生来の知能の低さは彼を悩ませ、
結果彼は卒業論文の無い法学部に転部するが、
そこでも履修教科の大半の成績「可」または「良」に留まったにも拘らず
単位が足らず留年する事になる。
卒業後も彼の人生は平坦ではなかった。
法学部を留年する時点で彼の法律知識の無さは明白であったが
それでも虚栄心と「先生」願望を満足させる為に
彼は司法試験・司法書士・公認会計士・法科大学院の試験を受験した。
結果が当然不合格であった事は言うまでも無い。
国家公務員2種や地方上級等の公務員試験も受からず、
既に心労の余り早世した母親に代わり、
見かねた父親の影日向に渡るコネの甲斐もあってか、
なんとか手にした幾つかの職も、
麻厨本人の堪え性の無さも手伝って、いずれも長続きしなかった(続)
その後今日に至るまで麻厨は2ちゃんでの自演を止められずにいる。
彼にとって人生は市議選落選と共に終わったのだ。
今や衣食住のみ辛うじて保障され有り余る暇を持て余す麻厨にとって、
毎日の楽しみは安酒を呷り単調な食事をすること、
既に型落ちになった古いゲームに耽溺すること、
御ひいき議員と共にカメラの被写体に収まることぐらいである。
手の届かない旅行や飲食の妄想に浸り、妄想上の日々の出来事を
恰も今その場で体験してるかの如く、あらゆるハンドル名を使い
ネット上に書き散らす日々を送る麻厨。
時には女性(麻厨はその体温も肌触りも香りも知らない)を装い、
アスキーアート(AA)を添えた女言葉の『養護レス』をIDを変えて
書き綴る。
おそらくそれは今後も変わることなく、麻厨がインターネットとの
接続を断ち切られる日まで続くだろう。