天皇を含む、歴史上の権力者が「暗殺」の影におびえ、ある者は脅迫者に屈し、
ある者は逆らって実際に暗殺された。
そして、この「暗殺者」こそが世界の歴史を作ってきた、という歴史学の考察もある。
226事件で言えば、血塗れの軍刀とを携えた、若手将校が「陛下のおんために」なんて言って、
陸軍の実権を握って皇居に参上、なんて天皇の気持ちになって考えたらそれこそ、
震え上がってしまうだろう。
事実、玉音放送の中止を狙って陸軍が刺客を疎開先に送り、
皇太子(現天皇)は暗殺寸前のところを直前に脱出している。
また、終戦直前にも昭和天皇は、自らの助命嘆願をローマ教皇に
ローマカソリック入信と引き換えに、行っていた。、
結局、権力者と言えども命が惜しいのは同じ。
天皇カルトとGHQが呼んでいたことだけは
覚えておいたがいい。
その天皇カルトをGHQは利用したがね。
只の人間や、只の人間の家系を尊ぶなど
時代錯誤であり、人が人として、この世に生まれさせられた
意味を否定する、迷信でしかない。
そんなものは、ゴミ箱に捨て去り、
人の心の平安は、別次元に求められるべきであるのは
当然のことだ。
天皇という存在が、近代になって
日本人に与えたものは、
「惨禍」でしか無かった筈だ。
取り巻きは別だろうが、
大多数の日本人にとってはね。
大日本帝国は、貴い天皇の支配に入れて貰える幸せwを与えることを植民地支配の肯定理論とした
だから、植民地占領地のどこでもかしこでも、日本語を教え神社を造り天皇崇拝させた
ただのカルト宗教国家でしかなかったのが大日本帝国