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就職戦線異状名無しさん:
勝谷さんは尼崎で代々医師の家に育ちました。
東大と京大に8割前後が現役進学していく「灘校」に入って、早稲田大へ進んだ道程は、
決して優等生ではなかったけれども裕福さは間違いないところ。一方、宮嶋さんは兵庫の
高砂市にある中高一貫校の白陵出身。「生徒をとにかく勉強漬けにして
都会の誘惑を断ち切るため、近辺で最も乗降客の少ない駅を探し、校地を買った」という
逸話を持っていたはず。「灘校に追いつけ!めざせ東大合格!」路線を突っ走る創立40年か
そこらの私学ですから、宮嶋さんは10期生頃の入学生ということになります。
進学をウリにしたい新設の中高一貫校が生徒を集めるためには、結局のところ大学受験で
目を見張るような実績を出すしかありません。そりゃ、スパルタな学校だったと思います。
ひきくらべ30年前の灘は、すでに全国的に知られた私学の1つ、伝統では甲陽・滝川にはかなわないものの、
東大や京大にドカッと生徒が進学していき、それを見て優秀生が集まるという好循環に入っていた頃でしょう。
場所も神戸・住吉。谷崎潤一郎邸がすぐ近くにあるようなお屋敷町に校地を持ってます。
作中で「名門白陵中高」としつこく書いているのは、宮嶋さんの意向か勝谷さんの意向か
よくわかりませんが、誌面構成前のレポートは宮嶋さんによるものです。つまり「名門
私立白陵中高出身 不肖・宮嶋」というフレーズは、宮嶋さん本人の屈折かもしれず、
坊ちゃん育ちの勝谷さんが投げる揶揄かもしれないのです。アウトサイダーとなり果てた
彼らから見た「中高生時代の宮嶋茂樹」像は、読んでいてかなり興味を惹かれましたね。