セントラル警備保障(CSP) Part9

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217就職戦線異状名無しさん
>>213
>>215

バブル期は公務員の倍率は低かった。
しかし、地方では仕事がないから公務員は人気で倍率は高い。
俺の友達は青森出身でバブル期にも拘らず倍率は20倍。
だから友達は喜んでいた。
地元で公務員試験に落ちた奴は、態々東京に来て受けていた。
東京だと公務員になりたがる人が少ないから倍率が低いのだ。
(確か4倍とか5倍だったな)
確かに東京などの首都圏では公務員の倍率は低かった。

では、その頃のセントラル警備保障はどうだったかと言うと、
人気の無い公務員以上に人気が無かった。
と言うよりも、鼻にもかけられていなかった。
第一、警備員になろうなんて発想そのものが無かった人が殆どだ。
公務員は能無しと言われていたが、CSPはそれ以上の能無しの
問題外だったのだ。
218217:2006/08/02(水) 10:48:40
では、その頃の綜合警備保障であるALSOKはどうだったかと言うと、
しっかりとバブルの波に乗り社員も美味しい思いが出来ていたらしい。
更に、創業者である村井会長は今の社長と違って儲かったら社員に還元
をしてくれる人だったそうだ。
特にボーナスが良かったとか何とか・・・
バブル前の高度成長期にもALSOKは波に乗っており、会社も社員も
潤っていたらしい。
しかし、当時のCSPは高度成長期の波にも乗れず、昇給額は低かった。
中小企業や零細企業ですら、給料やボーナスが良かったのにだ。
ちなみに、高度成長期にはCSPでも定期昇給が5000円くらいあって
社員たちは歓喜して大騒ぎしたそうだ。
だが、周りの中小零細企業の定期昇給の額を聞いて愕然としたそうだ。
なんと、CSPの10倍の50,000円も上がっていたからだ。
もちろん、CSPにはバブルも関係ない。
周りのサラリーマンがおねーちゃん達と、やれディスコだナンパだ
セックスだ自由恋愛だと浮かれて遊びまくってた時代。
その頃のCSP社員は今ほど激務ではなかったみたいだが、普通の
業種の会社に比べて薄給激務で女にも縁が無く、離職率は今以上。
人材の質は今よりも遥かに劣る最低の連中が多かった。
その残骸が今でも残っていて、幹部社員となり会社を食い物にしている。