>>397 劉備は民の支持が大きな原動力であると同時に民に縛られてもいる。(作中だと民を大切にしている描写が
あまりないが、そういう設定である。ある程度大きな政治基盤を維持したことないので仕方ないともいえるけど。)
この民に縛られている故、曹操の柔軟かつ速く、冷徹正確な発想の前に歯が立たなかった。民に関係ない気もするが。
孔明は劉備の徳と天下人たる素質に対しては涙を流すほど感激しているし認めている。後に曹操と対峙して
天下への理解不足が露呈するがそれは省略。何だかんだ劉備をいじめているが本当は劉備をものすごく評価しているのだ。
しかし、劉備はこの荊州の時点においてその素質を開花させることができていない。
そこで孔明が仕掛けたのが劉備の天下人たる素質を開花させるために劉備の本質、本能を刺激させること。
劉備が孔明の策を魅力的に感じたのは、他でもない劉備に眠る天下人の本能のためなのだ。
民を想っていたが故に発揮できなかった曹操のような強大な思考力を眠りから覚ませれば曹操に対抗できるはずなのである。
劉備も自分の本質に気づき、その答えが
「民は自分の大きな力だが、それに頼らずとも天下を取れる。自分が生きていさえすれば人は集まる。」
ってこと。いざという時は民を捨てても、生きていれば再び人は集まる。まさに劉備のいるところ、そこが天下である。
民に甘い感情を持つのでなく、戦略的に利用しろ、と孔明は言いたかったのだ。せっかくの民という武器があるのだから
それを使わない手はないでしょってね。民を惜しみつつも民を無情に扱うという曹操的政治に目覚めさせたかったのだ。
もちろんだからといって劉備が曹操になるのでなく、劉備は劉備だ。切り離せないところはあるし、その残った所が
徳(生まれ持ったもの)である。