【落合尚之】 『罪と罰 』 A Falsified Romance
もう、そうやって基地外を刺激するな。
頭イカれてるのか、この句読点君は
そういえば基地外の
>>171の文には句読点が無いなw
使い方を知らないんだろう(おかげで見分けやすい)
WOWOWドラマ版をDVDで鑑賞中
高良健吾のミロクはホントにその辺にいるコミュ障くんって感じ出してるな
整った顔立ちなのに全くイケメンに見えない
上着と前髪で顔を隠してうつむく佇まいからは犯罪臭しかしない
リアリティ出しすぎ(いい意味で)
WOWOWドラマ版を見終えたが…高良健吾のミロクは最後までコミュ障モードの演技なのな
話が進むとともにミロクが成長していってるって感じがまるでしない
つーかドラマの構成メチャクチャだよ
結構重要なエピソードをいくつも端折ってるし、回想シーンと現在との継ぎ目が極めてわかりにくい
6話構成で全体が短いってのはわかるが、その割に序盤に尺を取り過ぎだし終盤は漫画版以上の駆け足で
漫画版の構成バランスの悪さをフォローどころか増幅してる
「聖なる娼婦」ことエチカの参戦も唐突すぎて、そもそも何の仕事してる人なのかからわかりにくい
原作を知らずに話についていくのは無理だと思う
それにセリフ回しや言葉選びが文語調なので劇だとすごい違和感なんだよな
これは原作のせいだけど、漫画だとセリフは活字だからまだ見れるんだよ
脚色するんならそういう所に手を入れてくれよ
つまり、全体として原作漫画とドラマ脚色双方の悪いとこ取りしてる感じ
それでも伊武雅刀の五位や田中哲司の首藤はいい味出してた
役者はいいんだよ役者は…(水川あさみと萬田久子は除く)
雰囲気もいいのにもったいなすぎるわ
…って長文失礼
どうせやるなら フジテレビのカラマーゾフの兄弟をやっていた枠とかでやってくれれば良かったのな
あるいはやはり長編になるが映画で。
ドラマ版では矢住がらみのエピソードをバッサリ端折ってるので
自首前のミロクが矢住を訪ねて頼み事をするのが極めて不自然
エンディング中に流れるダイジェストでは
ミロクの母や姉も含めみんな何事もなかったように日常に戻ってるし
出来の悪い2時間ドラマみたい
原典の小説のラストをおざなりになぞった原作漫画をさらにおざなりになぞったって感じ
ドラマスタッフ仕事しろよマジで
あと、水川あさみって民放ドラマでもよく見るけど
傾向として「等身大の、普通の女性」を演じることの多い女優だよな?
歳も結構いってるハズなのになんであれがエチカなの
萬田久子がミロクの母役なんだが、無知無学で盲目的な母親というキャラ像が
ちょっとしっかり者に見えてしまって逆効果
そういう改変いらないから
これはホリプロのゴリ押しってやつなのか
197 :
愛蔵版名無しさん:2013/10/27(日) 01:59:30.42 ID:nr8Ocdat
罪と罰の小説って、若い頃は英雄気取りで政治運動とかバカもやったが
その後改心して成長した(と本人は思っていたのであろう)ドストエフスキーが、
現在の自分を脇役キャラに仮託して、イキっていた若い頃の自分(主人公)にちょっかいを出す、
という構造を持っていると思うのね。
だからポルフィーリィもスヴィドリガイロフもマルメラードフもみんな
主人公ロージャの可能性に期待してその成長を見守るという目線を持っている。
この構造はなにも罪と罰に限ったことじゃなく、男の成長物語の基本なのだと思う。
でも落合尚之って、五位でも首藤でもなく主人公ミロクの人生を現在進行形で歩んでいる人なんだよねきっと。
だからミロクを導く大人たちは、作者から見ても「見上げる存在」として描かれてる印象。
五位はなんだか先生みたいだし、首藤のキャラ造形は「オトコの憧れ」と作者自身が告白するくらい。
それはそれでいいんだけど、ミロクがなんで首藤と決別してエチカを選んだのか
作中でミロクが色々言ってても今一つピンと来ないのは、
作者自身が答えというかミロク改心後のロールモデルを持ってないんじゃなかろうかと思える。
自分から見て原作小説と落合版漫画を読み比べた時の最大の違和感はそこなんだと最近気づいた。
エチカに大きな違和感あったな。
ソーニャの場合は聖痴愚みたいなところはあったけど、自分に売春を強いた
義母の死には心から泣いたり、父親を密かに嫌って葬式にでないという
一面がある。それでも父を憎み切ることが出来ない。
そしてリザヴェータと友人同士で、リザヴェータの分身みたいな所が
あるんだよね。ラスコーリニコフからリザヴェータについてモノローグがないのは
ソーニャにダブらせている一面がある。
よく聖なる娼婦といわれるけど、親を嫌ったり、家族を思ったりする人間として
生きたキャラなんだよな。
エチカは内面がわからない。作者がエチカの内面を全部把握しているようだけど、
だったら、飴屋に対する感情や、義母への感情をどう抱いているのか見せて欲しかったわ。
飴屋を無私の奉仕という真綿で締め上げるような真似をするんだったら、その中にあるのは
共依存なのか怒りによる復讐なのかはっきりして欲しかった。連載当時リアルタイムで
追いかけていたのはエチカの動機が知りたかったけど、はぐらかされた感じだ。
飴屋に対する怒りをぶちまけてもいいのに、燻らせているようなそんな陰湿なキャラかと思った。
ラスコーリニコフはソーニャと出会って、実際に生きる弱者のリアリズムに触れ、
頭でっかちから脱出して現実の中で生きることを選択するけど、エチカがミロクを
どう変えたのかわからないんだよな。
あれは共依存でも怒りでもなく慈愛だろう、等価交換ではない
見返りの無い愛を目の当たりにするからこそ
人は心を打たれるのでは?
>>199 それで飴屋が苦しんでいるのは?
いくら無償の愛と言っても、飴屋は毎日真綿で首を絞められる思いで
生活しているのはどうなのよ?大体飴屋が輪姦のきっかけ作って、
自分が先にレイプしたのに、グダグダのまま終わるってどういうこと?
レイプした相手とまともに暮らせるのかね?エチカ死んだ飴屋を殴って
怒りむき出しにしていたし。
それくらいだったら、飴屋やDQN高校生を刑事告発して飴屋の場合は
エチカが情状酌量求める証言をして飴屋の服役中は生活保護受けさせて
バイトで援助するでも良かったと思うわ。
それ、なんだか子供っぽい考え方だなぁ
原作小説を読み返しているがマルメラードフのクズっぷりはキクオ以上だな
作者じゃないが飲み代に消えるとわかりきった小銭をダメ親父にくれてやるのが無償の愛か?
無償の愛とは相手への見返りを期待しない親愛の情だもん
汝疑うことなかれ
汝試すことなかれ
だしさw
>>201 だったらどう解決したほうがいいわけ?
エチカは鬱積した怒りを抱えたまま無償の愛の名目でじわじわ真綿で首を絞めるように
飴屋に接していたと思うが。
ソーニャはあれは聖痴愚(聖なるおバカさん)なところあるから、小銭を渡すようなうっかりさんだと思っている。
小銭を渡すような些細なことよりも、父親の葬式ミサに出なかったり、自分に身を売るよう強要した義母の死に
号泣する辺りに注目した方がいいと思う。
付け足すけど、ドストエフスキーは聖痴愚(聖なるおバカさん)キャラが好きなのよ。
白痴のムイシュキン伯爵、カラマーゾフのアリョーシャ、悪霊のマリヤなど、聖なるおバカさんキャラが結構出ている。
父親の葬式ミサに出ないほど嫌っているけど、それでも小銭を渡しちゃったり、自分に売春を強要する義母を
それでも愛する聖なるおバカさんじゃないと、ラスコーリニコフが人殺しでも無償の愛を捧げるというドラマが
展開しない。聖なるおバカだから、打算が通じず理屈でなく人を愛するドラマが成り立ち、それがラスコーリニコフを
自然と救うドラマにつながるんだよね。
北斗の拳でいう「哀しみを知る瞳」みたいなもんか
考えてみれば罪と罰も帝政ロシア末期の救世主伝説に違いない
しかしその単なるおバカさんにソフィア{叡智}という名前をつけたのは何の含意なんだろうな
単なるおバカではなく「聖なる」おバカであることがやはり重要。
あらゆる打算や理屈を越えて神に近づく(神の無償の愛に近づく)という思考がある。
そこがキリスト教圏たる当時のロシア的な思考だね。
カラマーゾフの兄弟でゾシマ(神の愛)とイワン(知性)が対立して、結局イワンは
悪魔の幻覚を見て廃人になるんだけど、悪魔が言うには善も悪も包括しているのが
世界で、テーマはその世界を包括した神の愛にイワンの理論が屈したということになる。
大審問官の行為を復活したイエスが見逃したように、神の愛は善も悪も含んだ世界
そのものを包括するというドストエフスキーの思考がある。
アリョーシャはまだ悪を見ていないから、まだ不十分な聖性。
善も悪も見た上ですべてを包括する聖性があって、そこへ近づくには理屈はいらない。
それが「ソフィア(神の愛=叡智)」ということ。
漫画はそのドストエフスキーの宗教観をオミットした結果、ソーニャのマルメドーラフに
小銭を渡しちゃったりする行動が理解できないようになっちゃうんだよな。
ドストエフスキーのと、コレは、元ネタではあるが、まんま原作通りに作ってるのではなく
現代風リメイクみたいなものだし、そのへんが色々違うのは仕方ない
同じ展開でなおかつ漫画がいいなら「漫画で読む名作」シリーズのほうがいいかもよ。
>>270 原作小説を現代日本に移植した時点で聖書を下敷きにすることはできないし
現代日本は19世紀ロシアのような世紀末でもないんだから
登場人物たちの苦悩も社会問題の反映というより個人的なものになるのは当然
だいたいお前は「神の無償の愛に近づく」とかいうお題目に感動したわけ?
今更ながら読んだ
原作は名前と大まかなあらすじしか知らなかったけど
なんか惜しい感じがした作品だと思った
213 :
愛蔵版名無しさん:2013/11/24(日) 22:52:41.10 ID:CSmY9Ntm
今初めて落合のブログ見た
ふーんって感じだな
やはり弥勒は無期懲役だったのかなぁ
214 :
【大吉】 :2014/01/01(水) 10:41:04.08 ID:???
テスト
手塚治虫版よりは良い出来^^
この作品すげーな
文学とか興味ないけどかなり面白かった
絵知香可愛い
>>215 手塚版ではスヴィドリガイロフが気合の入ったレベジャートニコフみたいなキャラになってるんだよね。
発表された昭和28年当時の日本では、原作通りの悪徳高等遊民・スヴィドリガイロフより社会主義活動家の方がリアリティがあったんだろう。
でも手塚治虫は罪と罰からただならぬインスパイアを受けていることを公言していたし、「ペーター・キュルテンの記録」とか「鉄の旋律」とかは手塚版罪と罰より罪と罰っぽいと思った。
落合版は…原作をなぞっているように見えてその実良くも悪くも落合漫画なんだよな。
アダルトチルドレン(落合)によるアダルトチルドレン(弥勒)の話って意味では味わい深いんだけど。
キモい
何で弥勒最後打ち明けたんだろ
検事が死刑か無期懲役が妥当 みたいなこと言ってたし本人も分かってたのにいろいろ理由つけて自首したけど普通そんなことしないわ
いくらエチカとかの影響で自首する気になっても死刑、無期懲役じゃ元も子もないし
せめて15年以上程度の懲役が良かったんじゃないかな…
原作知らんから原作に言うべきなのかわからんが。
原作は現地の当時の法のとおりに、流刑になり流刑地での変化(と変化していない部分)も描写されてる
舞台を現代の日本にした時点で適用される法律も変わっちゃうからなぁ
ミロク
最後の方だけリメイクしてほしい
ミロクって死刑くらったの?
そこは描かれてはいない、でもまぁ2人殺していて、その状況が(たとえ自ら名乗り出ていることを考慮しても)悪質として
裁判員裁判も、その上級審も死刑宣告になる判例だと思うよ、すごく情状酌量されても変わらなさそう。
死刑だったらエチカがミロクからの手紙持って微笑んでるのはおかしい
良くて無期懲役じゃないの
まあ現代の無期懲役は十数年すれば出られるとからしいけど
十年ほど前までならば、殺人での無期懲役でも模範囚でなら17〜18年ぐらいを目処に出所できたけど
殺人での収監対象には今はそんなに緩くはないよ。
>>226おかしくはないぞ、判決前ならば(制限や、できる対象者も有る程度限られるが)手紙のやりとりは出来るし
感情面でも、文章ででもやりとりが出来て、真摯な対話が出来る喜びの笑みなら理解できる。
好きに解釈するしかない^^
230 :
愛蔵版名無しさん:2014/08/17(日) 03:34:00.02 ID:XPLNTvNq
弥勒って童貞だったの??
首藤さんかっこいい
首藤こそ主役級だった。次の漫画に活かしてほしい。
改心したりどうでもよくなるには首藤はまだ若すぎる。首藤は生かしといて外伝やらないと
あげ
234 :
愛蔵版名無しさん:2014/10/21(火) 04:03:45.75 ID:bKBVtUcH
首藤がかっこよくなりすぎたせいでエチカ(ソーニャ)の存在が思いっきり矮小化されてしまったから
原作信者が火病起こしまくってしまったんじゃないか
首藤がかっこよくなりすぎた(笑)
子供には、そう見えるのかw
もう少しダークな方向に書き直し