1 :
愛蔵版名無しさん:
新漫画党総裁。愛称は「寺さん」「テラさん」
伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で
特に藤子不二雄Aの自伝漫画「まんが道」で
頼もしくて理想的な先輩として描かれた
背番号ぬるぽ
「まんが道」で原稿サボった藤子にテラさんが一喝するシーンは最高だな
4 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/25(土) 21:32:59 ID:7VtbJo82
堕落していく漫画業界を嘆いて筆を折ったのはこの人だっけ?
ウィキとか見てたら晩年は可哀想…
暗闇五段を忘れるな
やっぱり「まんが道」のイメージが強いからウィキ見ると晩年の病み具合が・・・、
8 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/26(日) 07:09:30 ID:36EsSbGC
テラさんが藤子に一喝したとき、バサバサバサーッて鳥が一斉に飛び立つシーンが好きだw
まんが道の続編みたいな藤子Aの漫画があるみたいだけど、晩年のテラさんの様子も描いてるのかな?
10 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/26(日) 15:50:46 ID:36EsSbGC
>>9 「愛…しりそめし頃に…」だね。
出てる。
テラさんが結婚する話とかある。
>永田竹丸氏の名前を聞いてピンとこない人が多いと思うが
>藤子不二雄A氏と森安なおや氏とで遊び人三羽烏だった漫画家だ
>50年代に大活躍し、スクリーントーンを漫画に導入した人でも知られている
>少し私がビックリしたのは、トキワ荘の同窓会的な特集本で
>公然とテラさん批判をやっていたことだった
>藤子不二雄A氏が少年時代からトキワ荘時代までを描いた伝記
>漫画「まんが道」では和気藹々とした楽しい日々のようだったが
>人間関係でいろいろ摩擦もあったのだろう。難しいものだ
テラさんトキワ荘でリーダー的な役割を担い
皆んなに気配りし色々面倒みてあげていたけど
それを疎ましいと感じている者も居たって事かな?
そんなこんなで人間不信になっちゃって
刺激を求める漫画が増えてきちゃって
児童漫画を貫きたいテラさんは時代の流れに乗れず
筆を折ったと…
12 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/26(日) 22:46:37 ID:8zgHcuNY
結局、トキワ荘を出た漫画家で成功組は、ある意味寺田ヒロヲの説いた
良心的漫画だとか朗らかで愉快な楽しいなどといった戦前臭のある官憲好み
のような漫画を離れて、ブラック怪奇物だとか、残虐物だとか、成人物だとか
そういった要素を劇画同様に取り入れて読者に迎合した商業主義の産物として
生き残ったわけで。そうでない側は田河水泡同様の時代遅れの漫画家として
忘れ去られて行き、連載を留められて舞台から退場していったわけで。
13 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/26(日) 22:53:20 ID:??? BE:662911834-BRZ(10601)
あ
藤子や石森なんかは、正面突破で新しい漫画を切り開いたと思う。
テラさんが描いていたような純児童向け漫画も当時人気あったわけだし、そういった作品を礎にしてどんどん新しい漫画が出て来たわけだからねえ。
テラさんがいたからその後の野球漫画もあったんだし。
でもテラさん自身は変われなかったし変わりたくもなかった。
人間は保守的なものだね。
15 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/26(日) 23:08:22 ID:4XYBzcTy
スポ金は教条主義的だったし、
絵が古臭かったから、目を通すだけだったな
マンガの力を知ってるがゆえに自ら縁を切ったテラさんの信念は尊いが、プロはそれを曲げて飯食ってく現実もあるからなー
まんが道みたいな自伝マンガで、小林まこと氏のマガジンから出た自伝的マンガがおもしろかった、
でも交友関係で出てくる他の作家さんの名前の中には、今も連載を持ち、名前を見掛ける作家もいれば、(自分は)まったく見掛けない作家もいる、
まんが道の年代の作家の中で、テラさんはどちらかというと後者なのかなと思った。
18 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/27(月) 06:57:23 ID:Icoh4iWW
テラさんは漫画少年で連載してるあいだはかなり人気あったみたい。
漫画少年はたくさんの才能ある新人漫画家を輩出した雑誌だったし、彼らのいい手本かつ踏み台になったんだね
藤子に家賃かしてあげたりしたらしいし
寺さんのすごいところは
時代に取り残されて
売れなくなってから引退したんじゃなくて
まだ後輩たちより売れてる時点で
時代の方向性が気に食わないときっぱり辞めたところだな
手塚以前の時代のマンガに殉じた作家だ
トキワ荘伝説ばかりがひとり歩きして
寺さんの作品そのものにはふれる機会が限られていたが
マンガショップの全集で実作が手軽に読めるようになったわけだけど
はじめて読む若い読者にはやっぱり古臭いマンガと感じられるんだろうな
のらくろみたいな戦前マンガに近いような
そういう意味では、
日本の漫画は手塚以前・手塚以後に分かれるが、その境目に巻き込まれたのがテラさんなんだね。
手塚治虫の部屋と、廊下をはさんで前の部屋で書いてたとか胸が熱くなる
今現在であれば、テラさんはコロコロコミックや
小学館の学年誌等で、自分が理想とする漫画を描けると思う
しかし当時は限られた土俵上で転機を迫られた状況だしな
小学館の学年誌は大正から発行されてはいるけど
1960年代までは娯楽性よりも学習誌としてのスタンスを重視していた
らしいし、漫画の枠は極限られていただろう
極端に言えば、ヤングジャンプにおいて児童漫画で挑め!
みたいな圧迫感をテラさんは感じていたのではないだろうか?
尊敬してたイガグリくんの作者が長生きしてればまた感じ方が変わったかもしれないなあ
マンガ界全体も違ったムーブメントが来たかもしれないし
テラさんと入れ替わるようにして出てきた
梶原一騎などのスポ根物ブームなんかをどう思っていたんだろう
友情や根性などをアナクロで大時代的なセンスで泥臭く描いていく
スポ根マンガをいみじくも米沢嘉博は「手塚治虫のいない風景」と呼んだが
モダンでハイセンスなトキワ荘一派の作風よりもこちらの世界の方が
テラさんの理想とは親和性があったようにも思えるのだが
>>24 梶原一騎などのスポ根物はテラさんに合わないかもだけど
井上一雄のバットくんみたいな児童漫画への拘りを捨てて
もう少し年齢層を高めに意識した少年スポーツ漫画を描けば
(ちばあきおのキャプテンやプレイボールみたいな作品)
テラさんは転換期を乗越えられたかも知れないな
>>24 スポ根ブームの火付け役がその「イガグリくん」「赤胴鈴乃助(初期)」の福井英一だという説があるよね
今の感覚だと信じられないが、福井絶頂期はその頃の若き手塚治虫より人気があったそうだ
漫画少年史や復刻監修など晩年はますます
「漫画少年」へのこだわりをあらわにしていたわけだけど
その復刻版を実際に読んでみるととてもじゃないが
1980年代初頭の「マガジン」「ジャンプ」などの雑誌に
拮抗できるような内容ではないことがわかる
1980年代初頭にこのような戦前の児童雑誌とさしてかわらない内容の
雑誌が受け入れられるとはテラさん自身も思ってはいなかったんじゃないかな
最後まで勝てない戦と知りながらあえて戦ったところがテラさんらしいね
「戦後野球マンガ史」なら俺も読んだ
それだけ巨人の星のインパクトは凄かったってことだな
自分の描きたいものと読者が求めるもののギャップが大きくなっていった
てか漫画少年は1950年代に描かれたものなのに(後に寺田がそれを編纂しただけ)
何で無理やり1980年代のものと比較するんだ?意味不明
>>28 説明不足すまん。
テラさんが「漫画少年史」を書いて「復刻版漫画少年」を、
監修発行したのが1980年初頭。
それらの仕事でテラさんが発していたメッセージは、
「今(1980年初頭)は、こんな素晴らしい雑誌(漫画少年)はないが、
なんとか復刻して、できれば雑誌として正式復刊して今の子供たちに読ませてやりたい」
といった趣旨のものだった。
しかし万一正式復刊されたとしても1980年初頭の子供たちには
受け入れられなかっただろうな、ということをいいたかった。
訂正 1980年初頭×→1980年代初頭〇
31 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/28(火) 23:57:24 ID:LbdAy/L6
宴会の翌日のお礼の電話もとらなかったってエピソード悲しすぎる
33 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/29(水) 07:34:31 ID:1WTzxuUk
復刻版漫画少年といっても、ほんの一部だけだったが。
漫画少年史を編纂した動機は、国立国会図書館にも現物がごく一部
しか収蔵されていないことを知ってからのことだった。
資料を編纂するにあたって、全国のファンから現存する漫画少年誌を
送って貰って、万が一にも火災等で亡くしては申し訳ないからといって
ストーブもつけずに作業をしてから返したということだったような。
今ならデジカメとか専用のスキャナーで誌面をキャプチャーして
ということができるのかもしれないが。。。
まあ、ああいう形での記録を残すのもよいけど、できることならAみたいに漫画で漫画少年史を残して欲しかったな。
社会人野球の選手が何で漫画家なんかになったのか、どうもよくわからんし興味あるし。
テラさん側からの「まんが道」って見てえなぁ〜!!
結構ダークな回想がありそうだが。
>>24 「野球」というのが要素で共通してるだけでそれほど意識するとは思えないが
背番号0は横町で起きた日常の出来事を驚きや喜びを交えて淡々と描いてる
ゼロくんやその周辺も純粋でよいこばかりなど道徳的
野球がメインではなく舞台設定の一つにすぎない
その点飛雄馬は野球ひとすじ命をかけて
成長とライバルとの対決が物語の主題でもある
(一応野球は楽しむものという考えの人もいて
自分の歩む道はこれでいいのかと悩む描写もあるが)
高校卒業後、新発田警察署に就職(事務)
その後野球の才能を見込まれ新発田電々に転職
もし一旗上げれるか分からない漫画の道は諦め
警察かNTTで安定の将来を選び歩んでいたとしたら
テラさんは凄く穏やかな晩年を過ごしていただろうなぁ…
むかし「えすとりあ」という雑誌がテラさん特集やって
ロングインタビューが出てたけど
トキワ荘時代の話題はかなりシニカルだったな
「だいたい僕にはトキワ荘時代の楽しい思い出や面白い事件なんてほとんどないですよ」
「不安とか焦りとか困った事や恥ずかしかった事などがいっぱいあってどちらかといえば憂鬱な暮らしでしたね」
手塚藤子石森赤塚にとってはトキワ荘は、東京での漫画家生活の栄光への一ページだったが、テラさんには苦悩の日々だったんだな
ここは意外と良スレの予感…
かなりの識者が集っているとみえる
>>38 まんが道だけ読んでると、野球でノンプロまで進んだ
良い意味で体育会な頼れる兄貴って感じだけど
実際は明るく振舞って兄貴を務め続けるのは辛かったとの事
親友の棚下照生に悩みを打ち明けていたらしい
>>42 つげ義春と棚下照生はトキワ荘を訪れたが
仲間になろうとは思わなかったらしい
特に棚下照生は漫画少年史に寄せた文で
>少年(棚下照生)は場違いの自分を感じていた
>(俺のいる所ではない)
>破滅型の性格を持つ少年は、寺田とその仲間に溶けこめず
>また酒を呑み、描き、酒を呑む生活に戻る
と語っている
トキワ荘の青春にはつげ義春役と棚下照生役も出演してるし
そういった部分も描写されているのかな?
トキワ荘の青春は誰が誰やらよくわからない映画だった
トキワ荘は本人出したほうが非常にわかりやすい、という稀有な梁山泊だからね
NHK放送 ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」
>編集者が、漫画家に、パンチがあって、大人も読める漫画を描くように依頼するシーンがありました。
>漫画家は、バカヤロウ!と言って、その依頼を断ります。
>少年サンデーは子供が安心して読めるものだったはずだ、みたいな理由を述べて。
>の漫画家は、ドラマ中では、土屋先生と呼ばれていますが、寺田ヒロオっぽいですよね・・・
少年サンデーに手塚と藤子と共に看板待遇で創刊から連載を任された
漫画は転換期を向かえスリリングな作品やバイオレンスな作品も増え
多種多様なジャンルの漫画が生まれて来る
そんな中テラさんはあくまでも漫画少年のノリでスポーツマン金太郎や
暗闇五段を描くもあんまり人気が出ず、担当に色々言われるが聞き入れない
やがて少年サンデーから姿を消す…
そのつげ義春や棚下照生とどうして友達になったのかね?
彼の嫌いな漫画をたくさん描いていたように思うのだが・・・。
また、何で親しいAに紹介しなかったんだろう?
したけどAが波長が合わなかったのかな?
寺さんを追ってる漫画家がいたと思うが、彼あたりにドキュメンタリータッチで伝記漫画
でも描いて貰えよ出版者は。
エロ規制に反対する前にやるべきことが山ほどあるはずだ。
あまりにも重い葛藤があるよなあ
暗闇五段は人気が無いとか言うけど、一応ドラマにもなってるよ。
50 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/29(水) 23:59:27 ID:1WTzxuUk
テラさんは人格者でありすぎたためにと、
自分の最終的に選んだ職業である漫画を世間に認知されて後ろ指
さされないものにしたい思いたい心に縛られていた。
そのため、先輩としてまだ売れていない境遇の後進漫画家を金銭面などで
見返りもあまり考えずに支援したり、作品の勝負で良識派を打ち出し
過ぎて自己規制をしすぎてまた商業主義の強い週刊誌編集部と対立して
自分を追い込んで自滅していった。
結局、悪書追放運動の嵐が去ったときに、手塚治虫方式の漫画とか
テレビアニメに載れなかった作家たちは滅びた。
藤子たちや赤塚なども、もしもテレビアニメで大衆に知名度を得て
いなければ、実際よりもずっと早く廃業に追い込まれていた可能性は
高いと思う。手塚治虫ですら、もしも虫プロを起こしてテレビアニメ
で名前を売って広い認知を得ていなければ、もしかすると昭和40年代
のうちにも廃業だったかもしれない。歴史にIFは無いけれども。
>>47 つげ義春をトキワ荘に呼んだのは赤塚でテラさんは親交無いよ
棚下照生とは誌面で知り合い交流を持ち
東京への上京を薦めてくれた縁で親しくなり
トキワ荘で兄貴を演じるストレスを聞いてくれる心の拠り所だった
10代からすでにプロとして仕事をしていた棚下は
テラさんの生活費の面倒をすべてみるつもりで上京をすすめたそうだね。
のちにテラさんの漫画家生活が軌道に乗り
逆に無頼派の棚下が放蕩し生活に困窮するようになると
今度はテラさんが棚下に金を送り続けたらしい。
トキワ荘グループでの狂騒的な人間関係とはまったくちがった絆が
二人のあいだにはあったみたいだ。
どうやらトキワ荘仲間との生活と
棚下照生との交流は意識的に分けていたフシがあるな
トキワ荘は会社や職場みたいなもので
棚下とのつきあいはプライベートみたいな
いっその事、棚下もトキワ荘に呼べばよかったのにな。
そうすればAを呼び込まなくても心強かったと思うのだが。。。
しかし、そんな親友の作品を裏で批判するというのは、どうも人間性がよく分からんね。
>>54 テラさんは棚下照生をトキワ荘に呼んだみたいだけど
棚下照生はトキワ荘に加わらなかったみたいだよ
>>43 >少年(棚下照生)は場違いの自分を感じていた
>(俺のいる所ではない)
>破滅型の性格を持つ少年は、寺田とその仲間に溶けこめず
>また酒を呑み、描き、酒を呑む生活に戻る
Aたちもテラさんの紹介で棚下には会ってるんだよね
苦労人の棚下には、能天気で背徳的な雰囲気がまったくない
トキワ荘グループはかなり違和感があったみたいだね
メンバーの第一印象を、
ジャガイモ(石森)、ヘチマとナスビ(藤子「何のことはない二人で一人前か」)
握りメシ(赤塚)、カボチャ、ガンモドキ、乾いたウンコ、お玉杓子、消防ポンプ
と、さんざんに書いている
>>56 棚下は16歳で上京し、戦後の焼け崩れた公衆便所で寝泊り
新聞配達で生活費を稼ぎつつ、生きていくには漫画しかない!
との決意で必死に漫画を勉強して描き続けたらしい
泥水すすりながら一匹狼で描き続けてきた棚下にすれば
トキワ荘の和気藹々とした集団風景は眩し過ぎて違和感だったんだろうな
まんが道情報のテラさんしか知らない俺にとってはここの数々のレスはスゴい新鮮だよ!
たしかに。こういうのに限って自分でよく調べないまま
他で知ったかして書いてしまうんだよな
まんが道読んでると、トキワ荘を訪れた藤子に対して手塚が
何でも分からない事があれば、この寺田君に聞けば良いよ
と振っちゃったもんだし、尊敬する手塚の言葉だから已む無く
その後、藤子を初めとしたトキワ住民の面倒をみるリーダーとなった
でも本当はトキワ荘で1人のんびり漫画描きたかったんだろうな
絵はすごくうまいよね。まさに児童漫画のお手本って感じ。
スポ金が代表作だろうけど、
いちばんテラさんらしい作品というと、
やっぱり「背番号0」になるのかな。
自分は「暗闇五段」が大好きだけど、
どこか全体的にため息まじりの無常観・諦念感が漂ってるんだよね。
正義は必ず勝つ。勝つと思いたい。いや、勝ってほしい。
いやいや正義が負ける時代に、それでもあえて正義を貫いてほしい。
…という、テラさんの悲痛な叫びが聞こえてくるような作品だ。
テラさんは生粋の体育会系だからディープオタク集団だったトキワ荘の連中の
マニアックな知識情報量にいつも劣等感をいだいていたらしい
とくに映画嫌いのテラさんは他のメンバーのマニアックな映画の話についていけず
こりゃいかんと勉強のために無理して映画を見に行って頭が痛くなったこともあったらしい
>>49 伊賀の影丸やおそ松くんやオバケのQ太郎等の
斬新なヒット作が次々と生まれ来る中で
テラさんの作品は良質だけども
サンデー誌面では時代遅れになっちゃったんだと思う
昭和39年に暗闇五段が終了しサンデーと離れて
再び昭和43年にノンキ先生まんがノートでサンデーに連載するけど
僅か8週で打ち切りになってしまう…
担当者がこうしたら人気出ますよみたいな助言をするも
漫画少年で培ってきた健全な児童漫画に拘り続けたらしい
>>64 テラさんかわいいなw
Aが上京してきたときに一週間語り合ったと言うが、どんな事を語り合ったのだろう?
映画も観てない手塚も読んでないじゃ話が合わないような気も。
>>65 ノンキ先生まんがノートについて
中島梓が自著マンガ青春記の中で
『時代の流れについていけない老大家のグチマンガ』
と語っているらしい、中島何様だって感じだけど
長谷邦夫のブログより
ぼくがかつて、新宿の酒場で、
初めて棚下照生と出会ったときに
「寺田ヒロオをあんなことにしてしまったのは
お前達トキワ荘の連中だろう!」とからまれたことを紹介した
寺田の親友だった棚下は
寺田がなぜか断筆し自宅から出ることがなくなってしまった
ことを怒っていたのだ
しかし、あまりにも根拠の無い言いがかりに
ぼくは反論したのだった
もっとも心配し、何とか復帰させようと
『「漫画少年」史』の出版記念会を開催し
かつての投稿家たちを多数集め
パーティを開いたのは、ぼくたちである
>>67 中島梓はそういう人間だから
北朝鮮に拉致された人を幸せだといい
戦争体験がないと言われると、わたしたちには交通戦争があっったとかいった
人間のくず
ん??
長谷って赤塚の腰ぎんちゃくだろ?
テラさんとそこまで深い付き合いなんか無いんじゃないか?
>>70 トキワ荘の主要メンバーではなかったけど
なんかトキワ荘についての御意見番気取ってるふしがある
>>68の内容を、わざわざ講師を務める大垣女子短期大学の授業で話し
そしてそれを自慢気にブログにアップしている
棚下照生は既に亡くなっているし、最悪作り話の可能性もある
長谷って昭和の大物漫画家のスレでは必ず話題に上がるよな
ここ数日Aさんのスレでもさんざん言われてたよ
ほんとうに評判が悪いな、このおっさん
トキワ荘の近くに紫雲荘というのがあって、そこの大家さんによると赤塚は
そこを仕事場にして長谷なんかが出入りしていたみたいだよ。
で、トキワ荘の方は住居で赤塚のお母さんが住んでご飯とか作っていたらしい。
中島梓(栗本薫)の漫画評論本は目も当てられなかったな
ミーハーな視点だった
あとグインサーガ完結させてから死ぬべきだった
75 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/31(金) 09:22:58 ID:VKgtgKzW
トキワ荘には女性漫画家も住民としていたはずなのに、なぜか
多くのトキワ荘の物語では、話題として避けられているのはなぜか?
水野英子だね。日本の少女漫画文化の創始者のひとりだ。
本も出てるしいろいろ語られてるよ
トキワ荘に住んでたのは短かく、そのあと通いになった
>>68 何だかおかしな話だな。
テラさんが断筆したのはトキワ荘と出てしばらくしてからだし、棚下はトキワ荘メンバー以上の親友名わけだから、
テラさんと顔見知り程度の長谷に八つ当たりなんかするかね?
そもそも、長谷なんか棚下は顔すら知らない可能性もあるし。。。
「ぼくたち」ではなく「赤塚たちは」なら、まだ納得できる話ではあるけどね。
>>68 >>77 ここでも長谷は赤塚と自分をすりかえているんだろうな
たぶん「寺田ヒロオを…」のやり取りは棚下と赤塚のもので
長谷は取り巻きの一人として赤塚のとなりで飲んでいただけだろう
当事者でもないのに「トキワ荘伝説の生き証人」を気取って
あちこちでご意見番役を務めてるのはいかがなものか
79 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/31(金) 11:48:34 ID:4ud6rtHl
水野は石森・赤塚コンビとの付き合いしかないし、新漫画党員でも無いからねえ・・・。
長谷ねえ。なんか固そうな表情の漫画の似顔絵は覚えてる
よく出てくる名前だね
81 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/31(金) 14:38:25 ID:PHCq85Aa
>>81 ここに映ってる人たちほとんど若くして亡くなってしまったんだな
漫画家がいかにハードな仕事かよくわかるね
せめてA先生には長生きしてもらいたい
>>78 こないだ長谷さんの本読んだばかりだから抜き書きしてみると
・NHKがトキワ荘の同窓会みたいな,トキワ荘での宴会を撮影しにくる
(NHKアーカイブで有名なあのキャバ先生とかもいる動画)
・テラさんだけが来ていないのをみんな不思議がり,「酒浸りらしいよ」と
話して心配し合う。
・それから2か月後,テラさんからトキワ荘時代の面々に「『漫画少年』史」が届く。
長谷さん,「誰とも会わず酒浸りと聞いていたが,こんな本を作っていたのか」と
胸熱になり,赤塚先生名義と自分名義で書評を公表する。
・我孫子(A)先生が,赤塚先生に「テラさんの出版記念パーティーをひらこう」と
連絡し,赤塚氏から長谷氏に電話。長谷氏「藤子コンビからの誘いならテラさんも来るだろう」
と言うが,「アビちゃんが電話したら,テラさん『自分の出版記念なら出たくない。
漫画少年の投稿家の会なら考える』そうだ」とのこと。
・長谷氏がそれを受けて,テラさんに連絡し,投稿家の住所リストを教えてもらい
出席者名簿を作る役目を引き受けた。(←ほかのトキワ荘の面々もそれぞれ役を受け持ったような感じ)
84 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/31(金) 19:03:44 ID:VKgtgKzW
あと、トキワ荘関係の漫画には、漫画家の親が同居していたとかいうような
話が意図的に消されていると思う。真実が歪められているのだ。
85 :
愛蔵版名無しさん:2010/12/31(金) 20:57:20 ID:4ud6rtHl
歪められているったって、別にドキュメンタリー漫画じゃないんだからw
親まで描いていたら大変だし話も散漫になるので省略しただけでしょ。
しかし・・・「漫画少年史」に赤塚は寄稿していなかったかな?軽いコメント的なものを・
発売当時に一度読んだだけなので記憶があいまいだがw
>>86 >そんな情緒不安定な私をなんの疑いもなく
>助けてくださった人が「寺田ヒロオ」先生でした。
>若く、怖いものなしの自分は手紙を書きました、
>「そんな今だからこそ、いいマンガを必要としているはずです!
>私もマンガ家になってかならず子供たちに夢を与えるいいマンガを描きます!
>先生も描いて下さい」と、今思えばはずかしいの一言です。もちろん返事はきませんでした。
>それなのに大人になって、弱気になって、助けを求める手紙を寺田先生に書いたのです。
>当時、会社の社宅にその「親展」と書かれた手紙が一通届きました。
>内容は現実の厳しさ、私への心配の言葉がありました。
>そして数日後には私は寺田先生のお宅にうかがったのです。
>「あの手紙に返事を出す必要はないと思ったので・・・」
>その言葉にびっくりしました、数年前の私の書いた手紙の事を言われたのです。
>その後色々な事をお話しました、今でも思い出すと胸が熱くなります。
>目の前にいた人はまさに「テラさん」でした。
>私が食に困っていると思って、たくさんのサンドイッチを並べてくれました。
>緊張して一口も手を付けない私を見て、寺田先生は言いました。
>「さぁ、私も食べるから、君も一緒に食べよう」
>その時、確信しました。この人は本当に「まんが道」に出てくる「テラさん」なんだ。
>最後に私はこう質問しました、「どうして誰ともわからない僕を助けてくれたのですか」
>「別に君を助けたわけじゃないよ、こうすれば今度、
>君のところに君のような人がきたら同じように相談にのってあげるだろ?その子のためにだよ」
>そして最後に握手していただいた手は本当に大きかった事を今も忘れません。
>そう、何もかも大きかったのです。
助けを求める漫画家志望の若者には直接会ってアドバイスをする事もしばしば
だったらしいけど、86もテラさんに救われた1人だったんだな
88 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/01(土) 17:00:49 ID:iTD6laYl
棚下照生さんてある時期からぴったり、消息がなくなったんですが
晩年はどうされたのですか?
女優の松山容子さんと結婚されたりして
かなり気になる人だったのですが・・・
漫画はいまいち好きではなかったです
>>88 22歳でヒマラヤ天兵が大ヒットしてテレビドラマ化
めくらのお市も大ヒットしテレビドラマ化
他にもめくらのお市を始めに6作品が映画化
コミックの印税も入って来るし
若い時に苦労してきた分、金が入ってからは
豪遊して飲みまくっていたらしい
で松山容子との結婚後は豪遊は控えて
漫画も食うに困らない程度に描いて
松山容子との結婚生活を楽しんでいたんじゃないかな?
>>86 絵を見る限り、全くテラさんの延長線上にあるようには見えないのだが・・・。
>>90 いま連載しているラルルは確かに違和感有るけど
大空へペダルを踏んでを見てると
70年代のコロコロコミックにでも載ってそうな絵柄で
内容も健全だし、テラさんが読んでも真っ当な
児童漫画だと評価してくれそう
だったらそのテラさんとのエピソードを漫画にしてくれ。
さすがに大人が今の子供漫画見て面白いかどうかなんて言えないよ。
93 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/02(日) 02:31:04 ID:zPD8Re98
>>89 ありがとうございます
そういえば、「めくらのお市」って確か松山容子さん主演でやっていたような
なんか不思議な夫婦でしたね
松山さんは世が世なら、ライトカルチャーの大売れっ子だったのに
どさ演劇出身のせいかあまり騒がれもせずに、知名度の低い漫画家と結婚
するし、いつまでもボンカレーのCMには出ているし
大塚製薬の社長を含め何か裏のつながりがあると思っているのですが
ここでは言及しない・・・と
寺田ヒロオのスレなのにもはや他人のスレみたいだな
いや、棚下照生はトキワ荘コネクション以外のテラさんを語る上での
最重要キーパーソン。ここで語る価値はあると思うよ。
ボンカレーのCMソングって、誰が作曲してたっけ?
>>94 あんたは多面的なものの見方というのができんのかね?
近視眼じゃ深い考察は無理だおw
竹宮恵子との対談が載ってる本が有るのだが
トキワ荘のこととかも話題に上ったのだろうか?
テラさんフェードアウト中なのによく依頼に応じたな
竹宮恵子「テラへ…」
ああ、そういうことかw
あほくさw
テラさんはこんな顔じゃないよ。
今で言えば小泉さんみたいな顔。
103 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/05(水) 20:04:09 ID:amxAOft0
>>101 このキャラはたしか・・柔道が強い(名前は猪熊?)
下駄警部の配下とか、バンパイアの村人とかに
出てきて最初にやられる、損な脇役
悪役はしないけど、重要な役はもらわないよ
むしろゲタ警部のほうがテラさんに似ている気がする
105 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/05(水) 22:54:40 ID:XaZDc37z
一つの原則をここで明らかにしておこう。
連載を極少数、たとえば1本などとしてそれが大人気であったとする。
しかしいずれ流行が変わったり、同じものを続けていると読者の嗜好が
変化したときに飽きられてしまう。それで連載が終わったとする。
次に同じ雑誌あるいは別の雑誌で同じような傾向の新連載をしようとしても
同じ理由で人気が出ない。では違う傾向の作品で連載をと思って、
その作家の前作で1本きりの大人気だった作品のイメージが
読者や編集者には強くあるために、どうも編集からは敬遠されたりする。
つまり自分の大成功が次の不成功を招いているということになりがちなのだ。
ほぼ一本きりで大人気をとっていたら、その連載が切れたとたんに
仕事が無くなるリスクを避けるためにも連載を分散する。特定の雑誌だけ
に仕事を集めないようにする。
例として、ちばてつやと「あしたのジョー」、
川崎のぼると「巨人の星」、をあげることができるだろう。
大成功の後の落ち込みが激しかった(他にも思いつくだろう)。
大成功の後の不遇の時期を避けるには、同時連載の作品の種類を
大目にして、それぞれがなるべく異なるジャンルのものにする。
そうして、人気が続くからといってあまり長期に渡って連載を
しないように、なるべく適当なところで惜しまれて連載を終えて、
また傾向の違う作品を描く、そして読者の傾向に常に気を払って
感覚を新しく保つこと。成功の罠にはまって自分が時代遅れ、
流行おくれになりつつあるのではないかという意識をもって
外部から自分を眺める能力。
基本的に漫画は人気商売なので、良いものを描いているのに
売れないのはおかしいという作り手側の論理では成り立たない。
で、そうやって大成功をしている人って例えば誰?
早く答えなよ。
頭でっかちちゃんw
恥ずかしい奴だなwその両者は共通の原作者と組んだ作品が特大の一発で
それ以外の作品でもテーマを変え、アニメ化や漫画賞を受賞してるなど成果はある
例として出すのはおかしい。いかに彼らについて無知かわかる。
貶めるために列挙したのなら今後相手にはしないが
漫画評論家でも目指している坊やが知った様な事を書いていい気分になりたかったんじゃないの?
自分では漫画は描けないけど、評論なら上から目線でものを言えて、しかも文化人として尊敬されるからねw
ちばも川崎も、別に落ち込んでもいないしな。
嘘八百と無知が悪い方向に出た文章だ。
>>105 ねぇねぇ、バカやっちゃったけど
今どんな気持ち?
∩___∩ ∩___∩
♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶|
/ (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 今、どんな気持ち?
| ( _●_) ミ :/ :::::i:. ミ (_●_ ) | ねぇ、どんな気持ち?
___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____
ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/
/ /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶
/ /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶
/ / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶
(_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_)
| /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ /
し )). ::i `.-‐" J´((
ソ トントン ソ トントン
112 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/08(土) 22:13:50 ID:zfAl+JnR
>>104 目が似てるよね
僕が寺田ヒロオの映像を見たのはNHKの番組
トキワ荘の売れなかった人をもう一度売り出そうとするドキュメントだった
まあ、絵が古臭すぎて(ゼロ戦はやとみたいな、宇宙エースみたいな、
いがぐりくんみたいな・・)ダメだったんだけど、そのとき映った寺田さんの
鎌倉のおうちが古い庭付き住宅だったので、経済的にはゆったりした人だった
かと・・・
手塚さんがいいところの坊ちゃんで、同じような気質だからこそ、トキワ荘で
浮いちゃったのかなと思った
>>111を見て思ったが、絵柄がS30年代のたどん目なんだよね
誌面で見なくなってからの世代だが、絵柄も時代には合わなかったんじゃないかな
>>112 テラさんの実家が資産家かどうかはわからないけど、
奥さんは「上を向いて歩こう」の世界的大ヒット曲をもつ
作曲家中村八大の妹さんなんだよね。
テラさん自身も絶頂期は過ぎたとはいえ、
まだまだ第一線の人気作家だったときに筆を折っているから、
結婚当初は、かなり資産もあり裕福だったはず。
鎌倉の家は、訪ねた旧友たちが声をそろえて「邸宅」といっているくらいで、
かなり立派な家だったみたいだね。
ただ休筆後ほとんど仕事せずに、何十年も暮らしていけるほどの、
財産があったとも思えず、
旧作が版を重ねているわけではないから印税も入らないだろうし、
どうやって生活していたのか不思議だな。
生活が経済的に困窮していたという話も聞かないしねぇ…
116 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/09(日) 16:24:47 ID:/keFXa2p
せめてテレビアニメ化される作品が1本でもあればね。
藤子、石森等はスタジオゼロをやっていなければ、
大衆に大うけせずに、10年で消えた漫画家になったかも
しれないと思うときがある。
藤子Aが消えてまんが道が描かれなかったらテラさんは完全に忘れられてたろw
多分まんが道がなきゃ俺はテラさんの存在すら知らなかったと思う
A先生グッジョブ
119 :
114:2011/01/09(日) 17:32:30 ID:???
>>115 いいかげんな事書いてすまん、茅ヶ崎でした、ごめんなさい
いま梶井純の「トキワ荘の時代」をちらっと読み返してみたら
奥さんの実家が茅ヶ崎という事なので
家を建てる際に中村家からなんらかの支援があったのかもしれないね
>>24 別な編集者の回想によると
寺田が批判していたのは『おそ松くん』
意地悪なキャラや何でもありのナンセンスギャグに対して
子供には良いものを与え、守るべきだという主張があったようだ
ちなみに梶原のその頃の作品は『チャンピオン太』だぞ(まだスポ根ブーム以前)
野球漫画は(福本和也とちばによる)ちかいの魔球
ほどなく『スポーツマン金太郎』・『暗闇五段』をサンデー誌上で終えると
学年誌に移行してしまう
121 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/09(日) 20:21:16 ID:PV+VMavV
>>115 関西の人間には鎌倉も茅ヶ崎も実はようわからんのですまん
ところでみんな暗闇五段って言ってるけど
あれ連載時は暗闇無段といわなかったっけ?
今晩の寝酒のつまみはチューダーパーティーの不動の3品より
サケの中骨水煮缶、程よい塩味で骨まで柔らく食べられて良い
100円と安上がりでカルシウム補給になる
>>116 アニメじゃないけどいちおう暗闇五段はTVドラマ化されてるんだよね
主演は千葉真一で原作とはかけ離れたアクション物だったみたいだけど
もしもスポ金がアニメ化されてればもしかしたら
国民的な人気キャラになっていたかもしれないと思うね
スタジオゼロでは寺田作品のアニメ化は
ぜんぜん企画に上がらなかったんだろうか
自分たちの夢を実現させるためのスタジオだからね。
他人の作品の企画しても意味が無い。
当時のアニメ事情を知らなさすぎ。
そもそもスタジオ・ゼロには週一で30分番組を制作するノウハウも体力もなかった
アニメ黎明期の作品はアトムやエイトマン、鉄人28号などSFものが好まれた
日常ギャグを取り入れたオバQのアニメ化は1965年
>>125 そんなの誰でも知ってる。
企画の話をしてるんだよ。
スタジオゼロはオバQをはじめ、
おそ松くん、パーマン、佐武と市、怪物くんなど
メンバー原作のアニメを多数制作したけど、
基本的にはどれも作画中心の下請け会社的な参加のしかたで、
自発的な企画立案はほとんどしていないね。
企画段階から主導権を握って制作できたのは、
「レインボー戦隊」ぐらいのものだろう。
もっとスタジオゼロに企画段階からの仕事依頼があったら、
テラさんの作品のアニメ化も検討されたかもしれないな。
>>127 元々はアニメ企画会社として発足したんだよ。
しかもアニメ経験者は鈴木と石森のみ。
作画なんてショートフィルム位しか考えていなかったろ。
テラ作品に関しては、アニメ化なんて発想すらしなかったんじゃないかと。
漫画「愛知りそめし」の劇中では、満賀(A)はテラ作品の思想と決別しているし。
アニメ化が企画されても当時のテラさんなら断ったと思われ
鬱病?
ずいぶんと過大評価してる人がいる
仮になったとしてもNHKアニメのような立ち位置だな
野球といっても淡々と実況をしてる内容だから、実はアニメーション向きでもない
トキワ荘の兄貴分だったとか漫画業界に失望して閉じこもったとか
その生き様についてはよく語られてるけど、作品については殆ど触れられないな
純粋に漫画家としての評価はどんなもん?
>>132 スポーツマン金太郎は講談社児童まんが賞(現講談社漫画賞児童部門)
を受賞しているから、当時の人気と評価は高かったんだと思う
因みに昨年の講談社漫画賞児童部門はイナズマイレブンが受賞している
まあ時代の生ものだな。
今読むとかったるくて読破出来ない。
イナズマイレブンもいずれそうなるだろうw
甘口はちょっとなぁ・・・。
まぁ甘口辛口は置いておくとして
テラさんの妹さん菊水酒造会長と同姓だし
嫁がれたんだね
>>132 古臭い、小学低学年向け、道徳的、おとなしい…
しかしなぜか心に引っかかるのがテラさんの作品
児童漫画としての完成度は高いと思う
だけどもそれ以上の「なにか」がある作品だとおもうね
その「なにか」は「作家性」という言葉に置き換えてもいい
>>132 自分で一通り作品を読んでみた?
他人の評論ばかり気にしてもしょうがないと思うよ。
>>132 >作品については殆ど触れられない
これが現実。つまり話題にならないということだよ
こいつの漫画は当時でも下の下
スタゼロでアニメ化とかありえねーしw
藤子や石森、赤塚も内心は
こいつのこと見下してたろうよ
それは言い過ぎ。
でも内心複雑な心境ではあったろう。
寺田に否定された漫画で大人気になったわけだからね。
そして赤塚はやがて
「小林よしのりよゴーマンかますのは辞めて日常へもどれキリッ」
と後輩逹の漫画の可能性を新に拓く努力を
スポイルする愚行を続けましたとさ。チャンチャン
?
井上一夫の生涯はどんなんだったの?
晩年近いインタビューで、漫画界全体がテラさんの理想とかけ離れて
荒れていった事についてたずねられたとき
「トキワ荘メンバーの作品はまだマシな方だ」と答えていたね
幼年誌に行きゃよかったのに。
トキワ荘メンバーだと森安氏が一番テラさんの理想に適った漫画描いてたんじゃないか
彼も漫画界からは消えてしまったが
それにしてもマンショは前谷とか堀江とか、商売になるのかねぇ?
まあ有意義な出版活動だとは思うが・・。
よく地下鉄の駅構内で屋台出してマンショのゾッキ本売ってるね
1冊500円ぐらいなのでそのときまとめて買ってるよ
テラさんはちょっと極端だと思うけど、現代の漫画界にも
こういう子供向けの良質な作品を作ることに対して真剣になれる漫画家いても良いと思う
いないだろうねえ。
商業誌じゃ無理だろう。
>こういう子供向けの良質な作品
何を持って子供向けの良質な作品なの?
160 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/14(金) 21:29:41 ID:mhNVbfhm
打てなかった金太郎をクマさんが慰めるのも
けけけ、うひょほとかいって、六つ子をだましにいくのも
漫画としては、同じ値打ちだと思う
時代の流れに対応できなかった
正直もの足りない作品だよな
164 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/18(火) 19:33:05 ID:jz7xtD1b
うまく説明できるかどうかは・・別として。
イヤミもチビタも実はすごくいい人なんだよね
こういうエピソードがあって
あるときチビタとおそ松が服を交換した
チビタが「みんないい子になれと言うけど無理だよな」
と独白するシーンのあと
六つ子はそれをひっちゃぶいて、返したけどチビタのは洗ってあった
ここで教訓めいた展開にならずにバトルが始まるところに
赤塚漫画の人気があったんじゃないだろうか
変に偽善めいたこと書くよりこういうののほうが記憶に残るよね
実際スポ金は子供心に頑張ってるなとは思ったけど
教条主義的なシーンになると、あ〜あとしらけた
時代がまだまだ戦後を引きずっていて、「三馬鹿大将」「ちびっ子ギャング」
がアメリカから日本のテレビに放逐されたころだけど、そんなのの方が
面白かったもん
寺田ヒロオの世界に書いてあったサンデーの暴力漫画って何よ
まあ、これも一種の暴力漫画かなあ。
サンデーは関係ないが。
168 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/20(木) 11:15:45 ID:aOlyZTtW
そういえば、「海の王子」の後、藤子はメルヴィルの白鯨なんか漫画化
していたけど、あれは寺田さんの影響なんだろうか?
なぜ何でも寺田と結びつけるん?馬鹿なの?
170 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/20(木) 21:04:28 ID:aOlyZTtW
>>169 だって、普通漫画にしないだろ?
あんなの。
昭和31年おもしろブックで山川惣治が白鯨を連載したことはある
「白鯨」 メルヴィル著 脚色・梶原一騎/漫画・影丸譲也 1966年・少年マガジン
余談だがこの頃マガジンでは多数の文芸作品を漫画化している
「ハつ墓村」「黒部の太陽」「偉大なる王」「パピヨン」
劇画的タッチのほうが小説の漫画化には合う
いくら寺さんのことでも根拠なくごじつけされると(゚Д゚)ハア?となるわ
少しは調べてからものを言えよ
>>172 横溝ブームに繋がったんだよな
やなせたかしのアンパンマンはいかにもおじいさんが孫のために描いたような
旧態依然としたこどもまんがだけどいつまでも人気があるよね
テラさんが理想としたのはアンパンマンみたいなまんがだったのかな?
>>174 そうだと思う。
しかし、現実は漫画界の作風の流れがテラさんの望んでた方向と真逆になっていった。
その流れを変えようと、色々な出版社の編集者を説得したり自費出版で雑誌作ったりと努力を重ねた。
しかし結果は思わしく無く、自分が頑張った所で変えられないんだと思い知らされたのが引退の本当の理由らしい。
そういう流れに構わずに自分の漫画を描こうと思わず、漫画界の根本から戻すというか変えようと努力していたというのがテラさんらしい気がする。
アンパンマンは切った張ったの物語りだし、そもそも漫画ではないよ。
アンパンマン、絵本だけじゃなくてやなせたかしの描いた漫画もあるよ。
そもそも、やなせたかしは漫画家。
80年代にもいちごくらぶとかに漫画かいてた。
>アンパンマンは〜〜そもそも漫画ではないよ。
これ勘違いしてる人が多いね
やなせたかしは絵本作家でも童話作家でもなく
出自はれっきとした漫画家だよ
老齢の現役漫画家は水木しげるが有名だけど
やなせたかしは水木よりもさらに年上なんだよね
ほう。マンガのもあるの?
でも、元々は絵本だよ。>あんぱんまん
また、漫画家というよりは絵本やイラストレーターの仕事の方がメイン。
元々はデザイナーだしね。
180 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/26(水) 07:31:06 ID:XCdj9PyB
SPAって雑誌の投稿漫画コーナーのタイトル絵がテラさんだよね
181 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/29(土) 14:56:32 ID:PJhZaPGc
漫画弾圧運動が盛んになったときに、もしも弾圧するための検閲機関が
作られたならば、そこの事務局長にでも就任して、大活躍できただろうにね。
出版社の編集を呼びつけて、この内容はなんだ。あなた達は子供の健全な
育成を阻害しようとしているのかとか、暴力的な漫画はこどもをやくざに
仕立てるとか、いいたい放題言えてスカッとできたろうに。
そうして、狐やウサギやカバが登場するようなほのぼの漫画で誌面を
埋めさせてニコニコ満足していられたろう。もちろん手塚君も真剣に
漫画を描いたのはジャングル大帝ぐらいであとは商業主義に流されて
でたらめなSF漫画などを乱発したとして糾弾する。
テラさんが主張していたのは漫画の道徳的配慮ということ以上に
漫画の質の低下のことだろうな。
たしかに一概に「上質な漫画」といっても
なにをもって「上質」とするかは問題なんだけど。
週刊漫画誌の台頭当時の激烈な部数合戦は
いまやいくつものルポ本などで詳細に明かされているように
それこそイケイケドンドンで
漫画家は漫画製造機としてムチャな量産を余儀なくされた。
テラさんはそうした漫画出版界の方向性に疑問を投げかけたんだと思うよ。
エロチックである意味暴力的でもある
青年コミックの先駆者・棚下照生の作品などは
ちゃんと高く評価していたわけだし。
183 :
愛蔵版名無しさん:2011/01/30(日) 15:50:36 ID:RcBbuxmJ
まあ、月刊で数本連載するのが精一杯なのに、それを週間で数本だなんて
むちゃくちゃなスケジュールであって、アイディアを練るどころか、
作品の構想やアイディアを得るために本を読んだり、映画を観たり、
観劇したり、テレビを観たりする暇が無いのは自明の理だった。
結局、いやがおうでも、プロダクション制度でアシスタントを揃えて
分業で絵を描き、ストーリーも誰かが作るみたいなことになり、
個人で漫画を描くという行為は商業にはのらなくなってしまっていく
ことは明らかだったろう。もはやトキワ荘のような四畳半のアパートで
一人で漫画を描くのでは成り立たない時代に入ったのだった。
永島慎二の漫画家残酷物語で何度も提示される
「いいまんがが描きたい!」という叫びが
テラさんの心情に近いんじゃないかな
無頼派漫画のカリスマ永島慎二も
一時期は少年誌で商業的な成功をおさめたけど
その後は自ら半隠遁生活に入り
寡作な児童漫画家として
民話調の作品をマイペースで描き続けた
>>184 連載を途中で放り出すようなのと一緒にするな
テラさんは原稿落とした藤子コンビをたしなめていたもんな
187 :
愛蔵版名無しさん:2011/02/02(水) 00:00:23 ID:2JMdCxkO
そういいながら、自分は連載を引き上げてしまうという身勝手さ。
188 :
愛蔵版名無しさん:2011/03/03(木) 17:59:59.94 ID:S4HxdGIi
マンショのおかげでよめたけど、もうれつ先生とスポーツマン佐助はかなり面白かった。お奨めです。
189 :
愛蔵版名無しさん:2011/03/07(月) 01:59:13.70 ID:pewHSKmD
漫画少年完全復刻でないかな、でもまた10万円の単位の値段がするのだろうな。
190 :
愛蔵版名無しさん:2011/04/01(金) 01:38:31.19 ID:o3MZICVG
良スレage
>>186 NHKドラマ版では故・河島英吾氏が演じていた
河島英五のテラさんはよかったと思う
演技はド下手だけどまあ役者じゃないししょうがない
河島英五って見た目は兄貴分ぽいけど何か神経質そうな人だろうなって感じだったし
少なくともモッくんよりずっといい。モッくんが後輩の漫画家連中にあれだけ慕われるのは説得力がないわ
ほしゅ
「花さか天使テンテンくん」の小栗かずまた先生がテンテンくん最終巻の方で、「寺口アキオ」と言う漫画家が出て来る話を描いてたが、これもしかして寺田先生オマージュなのかな?
195 :
愛蔵版名無しさん:2011/07/06(水) 20:49:26.65 ID:/6uIyRdJ
ほしゅあげ
196 :
愛蔵版名無しさん:2011/07/08(金) 21:51:14.35 ID:SK7nOWUK
ほしゅ 大山君
江口寿だけは許さない
198 :
sage:2011/08/01(月) 23:12:49.05 ID:o23enwwv
マンガショップの全集現在29巻刊行中。
みんなで読もう!!
ロボット兄弟・背番号ゼロ(少年サンデー)・ホープくん・等々
続刊希望をマンガショップに送ろう。
野球マンガの人と思ってたらロボット兄弟なんてのも描いてたの
テラさんのBEST5
@背番号0(学年誌版)A五九郎さんBノンキ先生まんがノート
Cもうれつ先生Dカメラマン金太郎
A読んでない人、読んでみて
202 :
愛蔵版名無しさん:2011/09/21(水) 01:51:09.74 ID:+eDbrjNq
まあ、寺田ヒロオも、せめて1本でも作品がテレビアニメ化されていれば、
少しはよかったのだろうが。スタジオゼロにでも関わっておけばあるいは
そういうチャンスもあっただろうに。
203 :
愛蔵版名無しさん:2011/09/24(土) 02:54:09.49 ID:4ccFL7+Q
「ヤダモン」のような漫画や「おんぶお化け」、「ロボットロボタン」が
テレビアニメになっていたわけなんだから、背番号0とかもアニメに
なっていたとしても変ではないな。
>>203 野球場面が技術的に難しかったせいで
アニメ化は難しかったと思われる
背番号0って試合のシーンはあまりないんじゃなかったっけ。
金太郎は結構多い印象があるが。
棚下さんとの電話口で泣いてみたり会いたいといったりしたらしいけど
棚下さんはどこに住んでいたのかな
まさかかみさんの田舎の松山に引っ込んでたわけでもあるまい
しかし松山容子と棚下の結婚は驚いたな子供だったけど
カーブ君みたいな小柄な少年が主人公で、背の高い少年が、あらわれ
チームが強くなり、不良中学生のチームと試合。
監督が、おまわりさん。
この作品名が、ナンバーワンちゃんかしら?
ワカメちゃんを見ると、キミコちゃんを思い出す。
209 :
sage:2012/04/12(木) 21:16:06.85 ID:KAGsBhef
保守
寺田ヒロオの漫画は保守的で良かった。
211 :
愛蔵版名無しさん:2012/04/16(月) 16:00:05.43 ID:PpUnMxjC
裕福な家の人を奥さんにしたので、ハングリー精神がなくなったのだと思う
こともある。もしも仕事がなければ、飢え死にする他ない状況なら、嫌でも
しかたなく職業として描いたかもしれない。あるいは潔く首吊りかな。
212 :
愛蔵版名無しさん:2012/05/24(木) 16:45:33.41 ID:7MsOyqpO
少しスレ違いなのかも知れんが、
まんが道で福井英一氏に助けてもらって握手して別れるシーンが有ったけれど
そこで氏をほめながらも方向性は違ったってナレーションが入ってて、
そのシーン全体が後のテラさんとの関係を暗示しているように思えた。
214 :
愛蔵版名無しさん:2012/08/28(火) 21:32:11.28 ID:/jVFs9ZV
ところで、
月刊漫画誌全盛期の1950年代において、漫画少年って、売上はどの程度だったの?
215 :
五関敏之:2012/08/30(木) 10:14:10.20 ID:???
せやね
保守 大山君
217 :
愛蔵版名無しさん:
スポーツマン金太郎で巨人の金太郎と南海か西鉄の桃太郎が日本シリーズで
戦うんだが、巨人の監督が長島、パリーグチームの監督が王。
これが実現した時は、あのマンガを思い出しましたよ。