まあ源氏大臣の子の夕霧が、既に18歳で中納言になっていたというのに
兵部卿宮の息子で、髭黒の元北の方の兄はまだ兵衛督だったからなw
妙なアンチ宮家がいるな
花散里は大臣家なの?宮家なの?それとも大納言家?
大納言家の姫君の可能性もあるんだよな
>>916 明石の母である明石の尼君は中務宮の「孫」だから「源?子」だよね
この中務宮は兼明親王に相当するらしい
花散里は姉の麗景殿女御とは別居してるんだっけ?
桐壷の更衣って亡くなった後に三位にされて女御と同等の身分になったよね
この死亡後の母親の身分格上げって、更衣腹の源氏には何の影響もないのかな
>>942 原作のどこにも書かれてないから、花散里の実家は麗景殿女御を女御として入内
させられる身分の家だったとしかわからないよ
>>944 「花散里」という呼称は「花散里」巻から「澪標」巻にかけて
麗景殿女御と花散里の2人を指しているが
花散里を二条東院に迎える「松風」巻では花散里1人を指し
麗景殿女御は「澪標」巻以降に亡くなったらしい。
桐壺院四十九日法要後に麗景殿女御が実家に退出しているので
それまでは源氏の後見を受けながら姉妹が一緒に暮らしていたことに間違いはない。
麗景殿女御と源氏の関係の発端が不明なことから
桐壺帝の依頼で女御と妹が実母の居ない源氏の養育を担ったとする論もあるとの事。
麗景殿女御が源氏にとって単に父の夫人というだけではないことは確からしいよ。
二条東院は源氏と関係を持った身寄りのない人たちを集めながらも
花散里を女主人として迎える為に改築したものであるから
花散里がこの邸を源氏から相続されたんだね
>>942 大納言姫なら更衣。桐壺更衣とか落葉宮母とか。
大納言でも摂関家とかで大臣になる事が確実視されている人の娘だったら
女御になれるじゃなかったっけ?
落葉の母は後見が受領だったから納言クラスじゃなさそうだけど。
>>948 一条天皇の女御藤原義子は父が大納言時代に入内して女御、
花山天皇の女御藤原祇子や藤原姫子も当時父親は大納言だった。
三条天皇妃藤原?子も、立后するときにこそ父親に右大臣が贈られたが
女御になるときには父の生前の官位大納言で何も問題がなかったみたいなので
女御になるには父親が大納言以上という認識で問題ないと思う。
一条御息所の父親は官位が描かれておらず、おそらく大納言ではない(それ以下)。
桐壺更衣は本来なら女御になれるはず〜ということを強調したかったためか。
桐壺巻は宮仕えに出る前の紫式部が描いたとみられていて
本来東宮の后妃の殿舎である桐壺に天皇の寵妃が住んでいたり、
少し史実と異なることがあるらしいね。
興味があったので物語の時代背景が色濃い醍醐朝から一条朝の女御(中宮)で
《女御》となった時点で父親が大臣では無い(無かった)人の父親の官位を調べてみた。
【醍醐天皇】
藤原能子・・・・・中納言
藤原和香子・・・中納言もしくは大納言
【朱雀天皇】
藤原慶子・・・・・大納言
【村上天皇】
藤原安子・・・・・大納言
藤原芳子・・・・・中納言
【冷泉天皇】
藤原懐子・・・・・権中納言→権大納言
藤原超子・・・・・蔵人頭・左近衛中将(非参議)
【花山天皇】
藤原祇子・・・・・大納言
藤原姚子・・・・・権大納言
【一条天皇】
藤原義子・・・・・大納言
この他にも見落としは有るかもしれない。
多分全員、祖父大臣既に薨去とかで養女としては入内していない。
これを見てもわかるように中納言の娘としても名門の家の出であれば女御として入内出来る。
冷泉天皇の女御・藤原超子は父が非参議でも女御となった。
>>952 まあ、わざわざ「この物語では」とうたってあるからね
けど頭中将の娘の弘キ殿も父が納言時代に女御として入内してるよ
更なる箔付けの為に祖父である摂政の養女格として入内だけど
それに紅梅大納言の娘だって女御だろうしな
>>953 頭中将の父は太政大臣だよ
冷泉帝の外祖父でもないし摂政にはなっていない
太政大臣の養女なら女御で立后狙いも頷ける
紅梅大納言の娘はまだ東宮妃なので女御宣下は受けていない
東宮が即位する頃には紅梅は大臣になっていると思う
>>954 頭中将の父は摂政になっているから摂政太政大臣だよ
>>952 桐壺帝は女御は多かったから納言の娘の女御もいたと思うし
朱雀に入内した右大臣息子の藤大納言娘も麗景殿女御だよ
天皇の皇子で臣籍降下した
源融は51歳、源高明は54歳、源兼明(兼明親王)は58歳でようやく大臣に。
天皇の子でも藤原氏に圧されたこのご時世では
長生きをしなければ大臣になれないのが実情。
光源氏の常軌を逸した異常な昇進には桐壺帝も笑いが止まらないだろう。
>>956 そういえば居たね
賢木の河内本原文が「れいけいてんの女御」、青表紙系その他が「麗景殿」,
注釈の「妹の麗景殿の女御」
じゃあやっぱり、身分が皇女・宮家・大臣家・大納言家の姫=女御 でいいのかな
基本的に三位風情では女御の貢献するなんて、経済的に苦しいもんな
二位以上でないと厳しい
格式は、一品>太政大臣>二品>左右大臣>三品>四品>大納言、太宰帥、八省卿、無品
>>959 左右大臣は従一位に叙せられるから
その論理でいう格式では二品以上だよ
地位・格式は、摂政>関白>准三后>太政大臣 ただし令外官
そういや運営では、kamome〜が飛んだ〜♪と歌ってましたね。
経済的に苦しいのは三位ではなく宮家。
だから入内も躊躇するのです。
大納言や中納言の姫の女御宣下は名門家に限るんだよね?
大納言が極官という家柄では更衣ということだと思う。
あと普通は源氏(光源氏ではない)の納言だったら無理だと。
桐壺更衣が女御になれなかったのは父親が大納言で既になく
それに代わる後見する兄弟もいなかった。
なら父親が生きていたら女御になれたのかというとそうでもないだろう。
その父親と明石入道の父親が兄弟だが政争に巻き込まれたか何かの誤解が生じ
没落していることが書かれている。
出世の見込みがなくなった息子の入道が都の官位を棄てて受領に転じる程。
なので桐壺更衣父が生きていたとしても
官位の昇進も望めず女御としての入内も無理だったであろう。
そうか
朱雀が藤の大納言では女三宮と位がつりあわないと言っているのは
(夕霧は中納言なのによいのか?と疑問だった)
藤の大納言はそれ以上の出世の見込みがないのでだめ
夕霧は大臣まで出世予定なのでオケということか
玉鬘大君は髭黒が薨去ていて後見も薄そうだけど女御なんだよな
当たり前か
更衣入内の時「父親が生きていたら女御さまにもひけをとらないのに」
という台詞があるけどそういうことを言っているのかもね。
本来なら女御になれたという。
>>967 >更衣入内の時「父親が生きていたら女御さまにもひけをとらないのに」
という台詞があるけど
それは多分あさきの創作部分だと思った
ちなみに桐壺更衣の母親は旧家の二流出身みたい
>>966 玉鬘大君は女御じゃないよ
普通は父親が死亡だと入内は難しい
玉鬘大君は召人のような扱いで
内裏を追い出されてしまったはず
>>969 てか既に冷泉は退位しているから女御で入内じゃないと思う
それと妹の中君が今上の尚侍となったのに姉の大君が院の召人ということもないと思うけど
>>970 藤原褒子なども退位後の宇多上皇に入内したが皇子は全員親王。
しかし玉鬘大君の子は親王・内親王となっていない。
玉鬘大君の子が一宮、女二宮などとすら呼ばれていないのは
やはり召人扱いだったからでは?
更衣腹の光源氏ですら臣籍降下する前は二宮と呼ばれていたのに。
>>971 玉鬘大君の子は「女宮」、「男宮」と呼ばれていると思ったけど。
院だから入内ではなくて「参院」
>>972 原作を読み返してみたが玉鬘大君の子が
「女宮」、「男宮」と呼ばれている個所はなかった。
どこのことを言っているの?
唯一、「男御子」とは呼ばれているけど「男のお子様」の意味で
何も皇子じゃなくてもそう呼ばれるからねえ。
例のwikiでは大君(院の女御、御息所)と書いてあるねw
六条院の養女の娘が院の召人って…
玉鬘は頭中将の脇腹の娘(母は身分の低い夕顔)ということもあり
源氏の養女とはいえもともとそれほど重々しい扱いでもなかったよね
玉蔓を冷泉の愛人兼尚侍という名目で源氏の愛妾にしようとしたり
髭黒の正室になれたのも北の方が自発的に出ていき髭黒が厄介払いしたためで
本来は髭黒の側室がいいところだった
そこは同じ養女でも先東宮とその后候補(六条)の娘で
冷泉の中宮になった秋好とは大きく違う
>>976 「女宮」、「今宮」って書いてあるじゃんw
ちなみに既に院となった冷泉への参院だから女御とかではなく御息所。
けっして召人ではないよw
桐壺、明石、六条の父って源氏のような気がする。
それか藤原じゃない氏。
藤原氏との対立感覚がある。
>>971 藤原褒子は醍醐天皇の後宮に女御として入内しようとしていたところ
宇多法皇が横取りして自身の御息所にしたw
玉鬘大君の場合もこれを模しているらしい
wiki見たら御息所の呼び方の意味にいろいろあって驚いた
子供を産んだ女御更衣を御息所と呼ぶのかと思ってたら、
寵愛を受けた女官以外の女性の事も御息所っていうんだね
>>950さん 次スレお願いします
>>982 わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても あはむとぞ思ふ
百人一首にある宇多院の寵妃となった藤原褒子に熱愛した元良親王が詠んだ歌だね
モテモテだな〜って横道逸れ失礼
>>982 藤原褒子は延暦16年に尚侍となって宇多法皇に入侍、
延長2年には従二位には昇進しているから玉鬘大君とはだいぶ違う。
褒子は父が死亡していたとはいえ権門の出身で(父は藤原時平)
宇多法皇は亭子院にいた大勢の妃たちを捨てて
河原院に褒子と2人だけで移り住んでしまうなどやりたい放題だったらしい。
当然、褒子は宮中から追われるなどということもなかった。
>>985 この時は権門出身の基経の娘も高藤の娘もすでに没していて
時平の娘の褒子が一番の扱いでなんら不思議ではないな。
だけど玉鬘大君だって父の髭黒が死亡していたとはいえ権門の出身だけどな。
ま、更なる上の人たちが2人も健在だったから仕方がないが
唯一の男宮を生んでいるのも事実なわけでそれなりの位は貰えそうだと思うけど。
結局、冷泉の血を残しているのは頭中の子孫になる姫君だけだな。
夕霧と雲居雁との子どもたちと血縁が近く関わりが深いね。
後見の弱い玉鬘大君の女宮は、次期中宮候補一番手の
夕霧大君の弟の七郎君あたりと縁付く可能性もあり、
源氏と頭中の混血が広く後の世へ継承されていきそうな予感もする。
>>986 髭黒の一門はぱっとしない大臣家だったといい
藤原時平ほどの権門家ではないだろう。
源氏や左大臣家、右大臣家よりも下の家だった
親は子供を可愛がるべきだよ
ほんとに
子供を虐待した親はいつか復讐される
マジで