>>949 源氏物語は皇統が変更されているがその政変の記事もない。
何を持ってして矛盾とするか。前坊の去就なんてわからない。
一般的に源氏物語の左右大臣は摂関家と言われているよね。
960 :
959:2010/01/20(水) 23:23:43 ID:???
○二大勢力
>>956 乙
捏造とか自分よがりの解釈でまたまた息巻いている人がいるけど
六条の年齢を考えて政争による前坊廃太子説は根強いよ。
源氏物語の謎ともいうべきいろいろな事件と結びつくように出来ているとかね。
・更衣への帝の偏愛
・右大臣の娘差し置いて有力後見なしの藤壺立后
確かにこの二つはありえんな
>>954 女院の成立と藤原摂関家の権力を示すものだからね
965は「女院が成立したは」です
>>961 紫式部が遊び心で「白氏文集」三巻の「玄宗末歳初選入、入時十六今六十」を参考に
取り入れて、16で入内して今30で内裏を見る〜って六条の心情を書いたんじゃないかって説
を読んだ事ある
>>961 六条の父大臣も生霊となっていたから、恨みを残して死んだと考えられるし
頼る人がいないような六条の生活をみると何かあるかもね
ツッコミに突っ込みを入れてツッコまれている奴がいるなw
創作された物語だから少々あり得ないことが書かれていても
面白ければいいんじゃないの。
ほかにもあり得ないことだらけだと思うよ。
后と密通して不義の子が帝位につくとか、
身分高い父親のいる女の子を拉致して理想の妻に育てるとか、
受領の娘が帝の祖母にまで出世するとか、
伊勢斎宮に母親が同行するとか、
九州育ちの娘が都の憧れの的になるとか
こういうことに比べれば、美しい更衣が寵愛されるってあっても不思議じゃない。
しかし更衣を寵愛するのは自分の御世を捨てたも同じ事だよな
つーか、桐壺更衣が心労で死んだのはそりゃ当然だよ
兵部卿宮ってすごく身分が高かったんだな。
絵ではだめ親父風だからそんな感じしなかったけど。
大臣より下だけどね
兵部卿宮ってなんか微妙だよな
源氏や頭中将が中納言くらいから負けてた感じだし
世間の評価や声望もたいして良くなさそうだし
>>973 >だめ親父風だからそんな感じしなかった
わかるw
帝の妃腹皇子だから誕生時の祝い事なんか盛大だったろうね
だんだん時が経つにつれ権力から遠のいてしまったんだな・・
>977 すごい身分なのに今もよくいる、ヘタレで奥さんに尻に引かれているだめ親父だよね。
こういうキャラ嫌いではないけど、
その甲斐性なしぶりが後の紫の不幸につながると思うと・・・
大和さんは人物像つかんで絵にしているんだね。
他人様の子を養女にして栄華を極める源氏、
かたや自分の娘すら満足に養う事が出来なかった兵部卿宮・・・
女の葵上でさえ縁者でもない身寄りのない女童を引き取って世話しているのに。
親王が親王然としていられたのは飛鳥から平安初期くらいまでだな
平安中期にもなると摂関家の方がはるかに強かった
>>980 特に父帝の代替わりがあると途端に廃れていくよね
息子の代になると本当にさっぱりだよ
親王は天皇になってナンボだからね
その可能性も薄くなれば
世間からはただの財政食いつぶし位にしか見られなくて肩身は狭いだろうな
>>979 源氏の場合は他人の娘を使って自身の栄達を計るほど権勢欲が強いとも言えるが
不義の子をしゃあしゃあを皇位に付けて自身は女院にまでなって
更にその栄華を発展させようと目論んだ藤壷の方が兄よりもよっぽど強かで逞しいな
藤壺の場合は、女は弱しされど母は強し、じゃない?
東宮→帝になれない皇子の微妙さは兄の兵部卿見れば判るだろうしw
出家してまでして不義の子を即位させようとしたまでは母は強しでいいかもしれんが、
その不義の皇統を後の世に継がせようとしていたのは黒過ぎるね
相当な野心家だよ
>>986 でも結局皇統は続かなかったんだよな
子供は3人いるが男皇子は1人で後見のない皇子だったし
あさきでも源氏でも藤壺と紫は芯は相当強くてきついと思う。
作者の紫式部と似ているというか。
3人とも好きだけど。
>>986 藤壺って冷泉系の皇統を残す事まで考えてたっけ?
原作もあさきも読んだことあるけど、詠み方が浅いのかそんな描写覚えてないや。
源氏が冷泉の皇統が続かないのを残念がっている描写は、ふざけんな!と思ったけどw
本当にそれを考えてたなら、朱雀退位後の東宮が朱雀の子である今上になるの阻止したんじゃ?
>>990 冷泉在位中に皇子が出来なかったし
今上が東宮になるのを阻止なんて藤壺にそんな権限は無いよ。
宇治編で玉鬘大君との間に皇子が出来たが後見はいないし
(後見者になるとしたら夕霧、紅梅、薫あたりだろうが)
皇統は既に今上の系列に移ってしまっているのでその価値もない。
きっと親王宣下もされないのではないか。
さすがに不義の子が皇統を継ぐのは許されないだろう。
同腹の姉の女二宮は内親王宣下されているみたいだが
今宮って作中では言われている皇子の方は謎なんだよな
退位する時、帝に次の東宮の指定権があるような感じだよね
あさきみると
藤壷は桐壺帝の前の帝の后腹の内親王で、后腹の兄は即位出来ないまま宮家へと言うのを見てきたから
自分達こそ正統な皇統と言う意識はあったかもしれないね
藤壷に全く野心がないならお后選びに一々首つっこまないと思う
わざわざ年上の秋好だの多産系の弘徽殿入れても寡産だったのは彼女的に誤算だっただろうな
玉鬘大君は女御じゃなかったよね?
母親が女御じゃないとその皇子が帝位に就くのはまず無理だな。
>>994 母方の後ろ盾がないからそんなのとっくに諦めているのでは?
>>993 基本は重臣達の審議によって決まるんだよ
帝が決定を下していたようだけど
>>991 逆に源氏が後見する秋好・内大臣の正室腹の嫡女である弘き殿に男子があれば
たとえ冷泉が不義の子だろうが子は天皇になっただろうね。
今上の母はぱっとしない女御で中宮であった秋好や弘き殿ほど高貴ではなく、
今上は冷泉の後とりあえず即位できてもその東宮には冷泉の皇子がたっただろうし、
明石女御が入内するのもそっちだったかもしれない。
ちなみに玉鬘大君はずいぶん後からこっそり冷泉院の後宮に上がった愛人。
藤壺は冷泉帝が15歳の時に没しているので、
その後冷泉帝の皇統がどうなるかなど予想不可能だったはず。
>>992 玉鬘大君の子は2人とも内親王・親王に宣下された文章はなかったんじゃない?
れっきとした後宮に上がった身のうえでもないのにとんでもないことだということで
冷泉院との仲も裂かれて大君は里に帰ってしまったし、
2人の子は玉鬘の邸でひっそり育てられるのかな?
>>999 次期天皇の指名権は天皇家の内政として天皇家の家父長が握っていた。
摂関全盛期には天皇に絶大な発言力を持つ外戚がちゃちゃ入れていたけれども
基本的には臣下の権限ではない。
摂関家を外戚としない後三条天皇が即位できたのも、
関白藤原頼通に遠慮する後朱雀天皇が言い出しかねているのを
藤原能信(頼通の異母弟)が強く勧めて頼通を呼び返させて
後朱雀天皇が指名したためで、基本的には家父長の権限。
第一皇子の敦康親王を退けて彰子の産んだ第二皇子を次期東宮に指名したのも
父である一条天皇だった。
>>999 実質は天皇が決定するけど、建前は重臣達の審議みたいよ
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