//ヾ‖*゚ヮ゚ノl`ラブひな 八浪目(゚ω゚*)

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149愛蔵版名無しさん
城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしは
ソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興(シャオシン)へ行くまでは
ソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていたのであるから!
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は
建てられず、したがって推定二十五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で
暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士がすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじて
すれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を
受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、
土ぼこりにまみれた裸の子供たち、疥癬(かいせん)持ちでかすみ目の大きな犬で、
犬は汚物の中で転げ回ったり、ひなたでまばたきしている。(p58-59)

南山の斜面には簡素で地味な白い木造の日本公使館があり、その下には茶屋、劇場をはじめ
日本人の福利に不可欠なさまざまな施設を備えた、人口ほぼ5000人の日本人居住地がある。
ここでは朝鮮的なものとはきわめて対照的に、あくまで清潔できちょうめんで慎ましい商店街や
家々が見られる。女は顔を隠してないし、着物に下駄履きの人々は日本と同じように
自由に歩き回っている。(p64)

イザベラ・バード『朝鮮紀行 (英国婦人の見た李朝末期)』講談社学術文庫