//ヾ‖*゚ヮ゚ノl`ラブひな 八浪目(゚ω゚*)
きくところによると、朝鮮人は皮膚をなめらかにするため、毎朝小便で顔やからだを洗い、
歯を丈夫にするため、小便でうがいをするとも書いている。銭湯の湯槽は、日本人と朝鮮人とは
別々につくられていたが、朝鮮の女が入浴にきた例はないという。
もっとも驚くべきことは、首都京城に新聞が一つも出ていないことである。
前に『漢城旬報』という旬刊紙が出ていたが、明治十七年十二月、“開国党”の朴泳孝、金玉均らが
暴動を起こしたときにつぶされてしまって、それからは『朝報』という官報が出ているだけである。
しかもこれは一枚ずつ筆写したもので、そのため韓国の宮廷では数百人の筆耕を雇っていた。
以上は、当時の新聞特派員の通信に出ていたもので、かれらの観察や報道にまちがいがなかったとは
いえない。とくに朝鮮人が小便で顔を洗ったりしたことについて、わたくしが調べたところによると、
とくに乳児の小便は清潔だというので、いろいろのことにつかったらしい。
当時の韓国を訪れた外国人は筆をそろえて、いかに不潔だったかに、驚いている。
ビショップ夫人は「ソウルは汚ないことと臭いことでは、世界一である」と書いている。
『25万人の同市民は地上に瓦または藁を並べた一階屋の下に潜り込んで生活している。
いや、不潔な道路に蠢動(しゅんどう)していると形容したほうがよいだろうか。
その道路は広くても二頭の馬が並ぶことができない。狭いところで一人の荷を担いだ者が
往来を塞いだほどである。路傍には悪臭が芬々(ふんぷん)とする溝があり、
路面は埃まみれの半裸体の子供と、獰悪(どうあく)な犬とによって占領せられている』
『市街の中心を西から東へ流れる下水道は、市中の汚水を夜に昼に絶えず城外に
排泄している。そのために下水道の泥は真っ黒で幾世の昔からの濁水によって染められ
悪臭を空中に放散して旅人を悩ましている』
『南山の中腹に日本公使館があるが、木造で白塗りの建物としてはあまり感心できない。
その麓に日本人居留地があり、約五千人の日本人が小さな天地をつくっている。
料理店もあれば、劇場もある。朝鮮人町と反対に清潔でよく整って気持ちがよい』
(「三十年前の朝鮮」バード・ビショップ 1925年)
「醜い韓国人」 朴泰赫 1993年 光文社