>「幸や不幸」という「価値」のない人生など「意味」もない
>価値があってこそはじめて意味は生まれると思うんです
>そして「人生」における「価値」とは明らかに「幸や不幸」のことである
この前提がまず間違っています。
いや、あなたの人生に於いてあなたがこの前提に基づき生きていく分には
何の問題もないと思うが、この作品(や、他の人の人生)に相対する上で
自分の前提を押し付けた上で理解しようとする姿勢が間違いです。
幸や不幸はたやすく反転し、「禍福は糾える縄のごとし」というように
互いに互いを生み出し干渉しあいながら人生を彩っていく。
その場の幸(に見えるもの)や不幸(に見えるもの)は単独で存在し得るものではなく、
よって、人生そのものをはかることはできない。
「幸も不幸もない」「幸や不幸ではからない」というのはこういう意味でしょう。
対して、「人生には明らかに意味がある」というのは、
人が生まれ、生きて、死んでいくことそのものの意味です。
これは、前述のように、その場の幸不幸に左右されるものではない。
あなたが家を出て、近くのコンビニまで歩いていくとする。これが人の一生です。
その途中でさまざまなものを見、足が地面を踏み、
最終的に目的地であるコンビニへたどりつく。これが人生の意味です。
その間に、心地よい風が吹いたり、突発的な雨に見舞われたりしたとしても、
それが、あなたの歩いたことそのものに干渉する訳ではない。
「幸や不幸でははかれない」というのはこういうことです。