【江戸期の六浦津周辺】
http://www.city.yokohama.jp/me/kanazawa/hiroshige.html 作:歌川広重(代表作、東海道五十三次絵)
鎌倉幕府崩壊後、南北朝、室町、戦国と時代が下っても、その文化性は失われず、江戸期には、この地域そのものが金沢八景として、絵画や文芸等の芸術表現の対象となった。
そして美しい自然と歴史環境のある観光地として改めて脚光を浴び花開くのである。
その為再整備され
そして再び明治の世になってその環境が大日本帝国憲法創案の地として生かされる事になった。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~bnatnsvu/event8.htm 【江戸末期〜明治初期の六浦津】
コンプレックスがあると、反べみたいに女性と話ができなかったりするものだけど、
どうも、幕府本体とは違って、ハマの庶民はもっとフレンドリーだったようだよ。
翌 6月10日、ペリーは早朝から江戸湾内の測量を命じたが、
うち 3隻の測量用ボートが平潟湾(←六浦津)に漕ぎ入れてきた。
このときの様子を「ペリー提督・日本遠征記」は次のように記している。
「ボートが進むにつれて、村人たちは異国人を珍らしがって岸いっぱいに群がってきた。」
「身振り手ぶりで歓迎する人もいるし、飲み水やうまそうな桃を呉れたものもいる。」
「そのうち互に煙草の火を吸いつけ合うほど親しくなった。」
「愛想のいい歓迎のお礼に、ピストルを発射して見せたところ、彼等は驚きもしたが大変に面白がってもいた。」
「乗組員たちは日本人の親しみある気質や、絵のように美しい風景がすっかり気に入った…」と。
このほほえましい情景こそ、「日米親善の事始め」と私は思っている。
http://www1.seaple.icc.ne.jp/kusuyama/3burakana/13/13.htm