赤毛のアン 第31章「不運な白百合姫」

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761名無しか・・・何もかも皆懐かしい
どう思おうと読み手の感覚、考え方しだいだが、作家としては
まずいことをやったと思うわけなんだ。
以下は、759、760が原作のせめて完訳版を読んだことがあると想定して
言うよ。
アンを読んで、モンゴメリが陶酔的だと思わないならそれでいいし、
個人のその感覚を否定はしない。
ただ、読者に陶酔だと思われることにより、作者が狙ったとおりの
「アン=素晴らしい人格者」(この類の主人公称賛は地の文で
たんまりと出てくる)という設定は、崩れてしまう。
アンにだって欠点はたくさんあるはずなのに、原作者はそれを表す
以上に、ほめちぎっている。主人公を立派な存在にしたいなら、ただ
その言動を描き示し、判断は読者にゆだねればいい。作者が
「ね、ね、アンって素敵でしょ」なんて言う必要はない。
そんなことをすれば、読者は、クソガキ自慢をする親ばかを見るような
気持ちになる。
実際、続編のアンがなぜ人格者扱いされるのか、またギルがなぜあんなにも
ホレ抜くのか、それすら読者にはわからない始末だ。ギルの気持ちがほとんど描かれていないんだからな。 この辺が、
恋愛心情の表現が下手、ただの自己満足的少女趣味と言われるゆえん。
つまり、人物の行動や心理に説得力がないんだよ。
これは作家の欠点と言われてもしかたがない。
アンが世に認められているのは、現在ではもっぱらアニメのおかげだろう。
昔の子供、ことに女の子はあの原作の描き方でも満足したかもしれないが、
現代はどうだろう。あの書き方では満足を得ないだろう。
この物語は、アニメのおかげで名声を得たと言ってもいいぐらいだ。

>自分の願望を追求するのも良しで、 物語作りの方法はいろいろある。

その通り。しかし、作家としての筆力が劣っていれば、作品の価値も下がる。作品が日本でアニメ化されたモンゴメリは
幸運だねと思う。