ジョオ・マーチという黒髪の少女はインドから英国へと向かう豪華客船の一等船室の
船上の人でした。瞳はエメラルドの様な深い緑色を湛えて長い睫毛は女性としては
大変魅力的なものです。
しかも、ただ可愛いだけでなく、どことなく気品に溢れ凛としている様は美少女
というより淑女の片鱗を覗かせていて、見る者に溜息をつかせたものです。
素肌は透き通るように白く、その美しさは七歳の少女にとって未来に光輝く原石
といえるものでした。
その物言いもどこか達観していて、余裕ある者には微笑ましくもあり可愛いものです。
しかしジョオはまだ子供で世間の荒波にもまれて生きる術など知るはずもなく、
またその必要などないほど裕福だったのです。
「おとうさま、まだまだ英国は遠いのでしょうか?」
デッキに出て白い手摺を掴んでいたセーラがクルー大尉の顔を見上げて尋ねます。
「ジョオは私といっしょにいることに飽きたのかい?」
フレデリック大尉はしゃがみ込んでジョオに語りかけます。とても意地悪な質問です。
案の定セーラは白い頬を薔薇色に染めて俯いてしまいました。
「そ、そんなことはありません。おとうさまのことは大好きです」
この時の事を思うと(愛しています)という言葉の本質を知らなかった自分を
後々までも後悔するなどとは思ってもみませんでした。
ジョオはインドの大邸宅で、いつも日課にしていたことがありました。大きな階段の
踊り場に掲げられた母の肖像画を眺めることです。セーラには母の思い出など
ありません。端から見れば人形を抱きかかえた美少女が肖像画の母と語らう
その姿は大変涙を誘うものと誰の目にも映ります。
セーラにとっても確かに母と自分を繋ぐ唯一の行為でしたが、本当は母の
やわらかな微笑みを湛えるその眼差しの先にあるものを小さな躰いっぱいで
感じ取っていたのでした。その肖像画を見た者であれば誰でもそう感じたこと
でしょう。セーラがまだお腹のなかにいて、しあわせに溢れ満ち足りた日々
を送っていた女性の生きた証だったからです。
セーラは思います。私もお母さまに負けないくらいの眼差しをもっておとうさまを
見つめてさしあげたい。