禅に対する見解を教えてくれと
まずそもそも禅は、不立文字、教外別伝で、(XXは)文字の媒介によらないものなんだよ。
禅の体験方法なら、ググれば方法は出てくる。
そういう書き方をすると、文字媒介でなく体験しろではわからないときっと言うよな。
なら仏教のX(XX)をさすXとして、もし分かりやすくそのXを説明するならば、
先にも書いた通り、思念を捨て、心理的時間の排除、Xに在ること。
正受禅師「XX事とは今XXXのこと」、「X部経典」13X経にもあり。
「XXとXという間にXは無く、Xという間にXは過ぎ行く」道歌
たいてい人は(自我は)、思考の産物状態と言っていい。
目先の事、未来の理想と過去の経験に焦点があり続け、状況にしがみつく、
XXXXXにない状態。
自我が外側を欲するが、真の心の平安は、内面の意識の変容にある。
自我は時間の中で生きるので、心理的時間の排除が必要。
自我が外側を欲するとは、人は(欠乏感があり)欲があり(その底流にはXXあり)、
所有物、地位、名誉、快楽、信念体系、恋人、承認賞賛、存在価値、、、
で満たそうとする。しかしこれらは無常で永続的な満たしはない。
とりあえず初歩の話は、この程度まで。貴方の煽りからなんで、
※「X」はあえて隠すことにした。本来これの10倍書く必要ある。