6 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/10/29 23:55
なすび前の土佐っ子&なすび土佐っ子にいた
板前風の男前兄ちゃん
何処いったんだろ?
あの人の作るラーメン
旨かったな・・・トホホ
7 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/10/30 00:05
冬の寒い中、色つきのお箸をもたされて並んだのが忘れられません。。。
>>6 俺も思い出していた兄ちゃんはおそらく一致していると思う。
あのずっといた男前の兄ちゃんはどこへ行ったのか?
あの人がいる店なら昔の味出せるんじゃないのか?
自分は、いかにも「ツッパリ・ハイスクール・ロケンロ〜」
時代の香りを残す風貌だった、あの背の低い兄ちゃんを思い出すなぁ…
たぶん、今も「ツッパリ・ハイスクール・ロケンロ〜」なんだろうなぁ…
10 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/10/30 10:38
>9
ああ(藁
「底から混ぜてくださいねー」
ってずっといってた人ね(藁
11 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/04 22:03
侍はどうなんだんだい?
今週は行ってみるけど
土佐っ子なら年取っても食えるけど
もどきはくえんな
12 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/04 22:25
平太周・下頭橋・侍の中で一番うまいのはどこ?
おれは下頭橋は食べるたびに吐き気がしてここ1年行っていないのだが。
13 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/04 22:34
15 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 15:34
test desu.
16 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 16:37
>>1 そうか、やっぱ都市よりだわな・・・
環7の「土佐ッ子」のこと?
環7の「土佐っ子ラーメン」のこと?
18 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 17:16
そうだべ
・土佐っ子->土佐っ子[なすび経営]
->新宿移転->練馬移転名前消滅
&那須支店
出身者組
・元祖土佐っ子->下頭橋
・平太周、てらっちょや(平太周から独立)
・侍はどうなんだろ?練馬移転先だけど
・土佐っ子ラーメン千秋
あとは?
19 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 17:29
タバコくわえながら
チャーシュー切っていた
小男を思い出す
よく流行ってたなぁ
20 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 17:30
>>18 学生の頃、環7をひたすら北上したわ。。その後の変異、ゆっくり教えてちょ!!!
21 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 22:34
千葉県民なんですが、ちょっと教えてください。
松戸市の稔台にも「元祖土佐っ子ら〜めん」という店があるんですが、
下頭橋の「土佐っ子」とは少し違う感じがします。
ところが、店内には次のような掲示があります。
「土佐っ子らーめんは昭和三十八年板橋区の環状七号線沿いに屋台にて、
初代が開業し本店を現在の松戸に移転いたしました。
尚、他の土佐っ子らーめんと当店は一切関係ありません。」
私はラーメン歴(?)がまだ一年と浅いので、「色付きの箸を持って
行列を作っていた」頃のことは先達の話でしか知らないのですが、
「過去に後継者争いか何かのごたごたがあって、それを期に味が落ちた」
という話も聞くし、松戸以外にも「土佐っ子」という店が幾つもあり、
そのすべてが「うちが本物だ」「他の店とは一切関係ない」という
スタンスのようです。
一体、何がどうなっているんでしょうか。
22 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/10 22:50
大学生のころ(S47、48、49頃)、板橋にうまいラーメン屋があるって、聞いて
免許取立てで行ったよ。
駐車場は大型トラックばかりでビックリしたよ。
その頃は、油ギトギトのラーメンという印象だけ。
でも当時は有名だったんだよ。
23 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/12 12:29
age
24 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/12 13:46
あそこ(下頭橋)もう客いないのかと思ったら 土曜の夜は結構いっぱいだね。
味噌専門店と一番の環七路駐ジャマ!!
平太周はすいてるね
25 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/12 14:07
>21
私も知りたいです。
>「色付きの箸を持って行列を作っていた」
この店が、大モトだと思うのですが、
あのギトギトさを思うと、松戸の土佐っ子は
ソフトに感じますが、気のせいかな。
ここからの流れって、どうなってるんでしょう、
今は、そこらじゅうに店があってよくわからない。
26 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/13 00:55
>21
何か、千葉じゃホープ軒のように
成ってんのね知らなかった..
どれが旨いの?
練馬の侍行った人の感想きぼん
27 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/14 01:59
昔、自分で箸を持ってきてドサクサに紛れタダで食った奴がいた。
28 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/14 09:41
>>27 とんでもない極悪人ですね。もっともそれほど混んでいた
ともいえますね。
29 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/15 16:35
店の前の歩道だけ色が違ってたナ(W
しかも、ニュルニュルしてた(W
最近は前を通るだけだが、やっぱりニュルニュルしてるんだろーか?
30 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/15 16:48
下頭橋の油ふりかけるのはかなりすごいね、しかしあのどぶのような腐った匂いはなんなのか・・・
31 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/15 17:46
げとばしって読むんでしたっけ?
32 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/15 17:51
環七の店のこと?
あんなギトギトの油ソバ並んでまで食う奴の気がしれないなあ
33 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/15 17:52
池袋北口のが一番!
34 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/15 18:25
平太周のほうが絶対後の胃にもたれない背脂使って
るとおもうんだけど。どっちも外観的には似てるんだけどね。おまけにすいてるし。どうしてあんな空いてるのか不思議。
35 :
赤いお箸の人:01/11/15 18:39
今から15年ほど前。1晩で1,200食出た事もあるという。朝方の4時半までみっちり人が並んでいた。
途中でなすびに。那須でオーナーの別荘の内装をやっていた料理好きの職人が、那須店を開く。
この人が後の平太周の平山さん(本人から昔聞きました)。
そしてなすびになってから、R17沿いに若手の造反があって
元祖土佐っ子として営業する。つるやの麺を使っていたが、どこかさっぱりし過ぎていた印象。今は無し。(ここから下頭橋が出ていると思うのだが未確認)
なすび亡き後下頭橋となり、その一部は新宿のコマ劇場横で営業。一体何が?という立地でした。この頃から色付の割箸は消滅。食券に。
ちなみに、初期の頃は、カウンターで食べている人の頭越しにあちこちから箸とお金が飛交っていました。
なすびになってから、カウンターの端に並んで会計をしていました。ちなみにその脇にただ1つだけテーブル席があり、たまにヤング一家(オコチャマ付)が座って食べてました。
そして、歌舞伎町が1年足らずでなくなると、同時期に池袋の西口板橋よりの風俗街抜けた所にも土佐っ子ありという噂。
いってみると、中華定食あり餃子ありの中、環七ラーメンとしてメニューにあった。火力の問題か?(後で説明します)
そして、歌舞伎町のメンバー(パンチのお兄ちゃんと眼鏡の背の高いお兄ちゃん)プラス平山さんで練馬の文化センター脇に開店。すごく探しました。
今までの店全て車で遠路いってましたよ。
ここで再び環七にテナントを見つけ出店。何故か名前は平太周。経営も別。まあ平山さんはこの板ですごくいい感じで支援されているようで、
安心しました。しかし、練馬の頃、平山さんのオリジナルおつまみが道楽的で面白かったな。(トンちゃんとか凄かった。すぐメニューから消えていたが)
今もその精神がラーメンに入っているのでしょう。
さて、火力ですが、昔の土佐っ子はプロパンだったらしいです。寸胴も大き目。これのおかげで、スープが背油だらけの割に、スープ自体がさっぱりしている理由だと
平山さんたちはいっていました。どうしてもあの大きなコンロと寸胴でなければ、といってた。
今、各店はどうでしょう。かなり口当りに響くものだとこれまでの土佐っ子遍歴で感じました。
いまは、家元総本家派なんですが・・・・(こちらも15年以上あちこち追いかけていますが)
では。長々とおぢさんになったねぇ。
1982年初版本辛口評論家山本益弘氏の「東京味のグランプリ200」から。
(グルメブームに火を付けた問題作、けなしかたも強烈でした。)
225ページより。全文。
通称環七ラーメンと呼ばれ、深夜遠くから車でやってきた客であふれ、店の前の
通りにはいつでも客の車やタクシーや大型ダンプが列をなして駐車している。
前金性で代金を払うと割り箸をくれる。これが色わけになっていて、12人が一組になっている。
つまり一回にラーメン12杯ずつ作るわけである。
店名からして東京ラーメンの仲間にいれるかどうか思案したが、味に納得させられて
組み入れることにした。
とにかくスープはギトギトで飲めるだろうかと思えるほどだが、これが香りがあって
熱いうちなら脂肪もさほど気にならない。チャーシュー、シナチクもまずまずで、
めんもスープにうまくあっている。とにかく、これほど濃厚なラーメンは、サッポロ、
九州ラーメンをのぞいて、そうそうお目にかかれない。(全文)
このときスープを作っていたのが、現平大周の平山氏である。
37 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/16 15:32
懐かしいな〜
もっと当時の話聞きたい
38 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/16 15:34
花月はここのをパクッたという話だが、どうなのだろう?
当時のガイドブックから
1982年「東京たべあるき」ライフカルチャーシリーズ 講談社 より
86ページ 全文(土佐っ子系ラーメンのうまさ、うまみのルーツをしるしている。)
立ち食いながらタクシーやトラックの運転手が、味の良さで集まる店。
メニューは土佐っ子ラーメン480円とチャーシューめん680円のみで
スープはブタとニワトリのガラとニンニク、干ししいたけでとっているため
スタミナは抜群。
あのうまさの奥義はこれらがあいまって構成されていると思われる。
山本益博氏の本では一杯430円だった。
40 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/18 00:41
90年代は値段いくらだったっけ?
41 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/18 00:52
ラーメンタマゴで650円だったか?
そんな記憶が有るが。
その当時タマゴ50円だったよ
あー喰いて
平太周じゃ補いきれんものが
まったり感と粉胡椒かうー
そのときの山本益博のラーメン第一位は荻窪の丸福だったよね。
春木屋なんてケチョンケチョンだよ。
43 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/19 09:09
丸福のワンタン、市販の袋から取出してた(業務用?)
佐久信も懐かしいな。
「東京味のグランプリ」より
数寄屋橋「次郎」の鮨(お好み)だけで3500円程度と記してある中
丸福370円、大勝軒330円、春木屋400円。
土佐っ子ラーメン430円、チャーシューメン630円でした。
とても高いランクが高揚(中野)の手打ちらーめん700円です。
45 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/19 15:51
お題は、破局にむかう
90年代の値段じゃないか?
46 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/22 23:35
おーい、値段はどうだったの?
47 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/22 23:45
>46
じゃないの?
俺もそんな記憶ある。
48 :
長浜ラーメン人:01/11/22 23:57
ラーメンタマゴ・・・超懐かしい!
僕らは注文して箸をもらうと迷わず胸のポケットへ挿したものでした。
なぜって?
常連であるタクシー運ちゃん達が皆そんなスタイルだったから(笑
49 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/23 00:02
「お次、赤い箸の方〜」
この文句、泣けてくるゼ・・・
あの頃ァ、美味かったよな、土佐ッ子よぉ。。。
50 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/23 01:06
今はないけど、中板橋・環七沿いの土佐っ子、クリスマスイブの日に寄ったら、
並ばずに食えた。
私はコップに水を汲んで、その上に割り箸を載せ、それを人差し指で上から押さえつつ
指の隙間からちゅるちゅる水をすすって待ってました。
>>48
52 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/24 00:28
>>51 いいよ、味がある。
なんか俺もそんな風景がセピア色に思い出してきたぜ。
53 :
ラーメン大好き@名無しさん:01/11/24 02:31
なんでんかんでん川原ひろしが影響を受けた店。
54 :
赤いお箸の人:01/11/27 18:46
昔(10年以上前)はカウンターの端に玉子(生と茹で)がプラスティックのザルに積んであって
お一人さま1個サービスだったような記憶が蘇ってきた。
麺と具を食べ終わって、スープも半分飲んだ頃合を見て、生玉子をスープに割りいれ
よく混ぜて締めくくった。絶品だった。
ザルに茹で上がった麺をすくって、お湯をきる時に、思いっきり上から下へ叩き付けるようにやっていた。
あのくらいピシッと麺の湯切をするラーメン屋、今は見ないな。
55 :
ラーメン大好き@名無しさん:
懐かしい、環7の「土佐っ子渋滞」。みんな路駐してた。最後の頃は見張小屋が歩道に出来て、
深夜取り締りのパトカーが接近すると、「白い箸のみなさん!散って下さい。待ってますから」との号令で
セナラの裏手とかに逃げたものです。
あの頃の同系と認識していたのは、外苑のホープ軒、堀切の弁慶、とにかく背脂ブームだった。