『演劇界』で連載していた榎そのさんの漫談・漫文について語るスレ
【お約束】
・基本、sage進行で(E-mail欄に半角英数で「sage」と入れる) 。
・煽り・荒らしは完全スルー!荒らしを構う人も荒らしになります。
・妄想&萌え発言は程々に。
【ゆる募】
お気に入りの漫談・漫文を抜粋して貼ってくださいませ。
【楽屋めぐり歩き4 尾上松緑さん左近さん】昭和59年6月号
[略]ああ、端午の節句にいい思いをしたなアと、部屋に戻ると、クマをとって衣裳もつけて、
松緑熊谷のミニチュアのような左近君が、松四郎さんに何かねだっています。
「ボクはボクのファンなの。だから押隈とって、ボクがボクに上げたいの」
なんて可愛いことを──すぐほだされる松緑さん、じゃア僕も押隈取るよ、ということになったので
私は押隈取り見物です。
遠見の左近クンのお師匠さん、銀之助さんが、
「今日の出来は押隈とるほど良くありませんよ。もっと元気よく見得きらなきゃ」
「……」
そのせいか一枚目はずれてやり直し。松四郎さんが汗だくで
「坊チャン、口むすんで、動いちゃいけませんよ。お鼻はどこかな、あったあった」
よってたかって大騒動です。
「羽二重より絵絹のほうがシワにならないし、よくとれるよ。そのまま表装できるでしょ」
松緑お祖父ちゃまは、マサさんが絵絹の上を持つだけ。心もち顔をあおむけて、
ちょいと抑えてタオルでパパパッ。ハイ、出来上がり!背中からワッと汗が噴き出します。
好きな芝居を気持ちよく演じて、楽しげな松緑さんの楽屋に、藤の花が香っていました。
昭和五十六年十月号 『奥さまコンニチハS 海老蔵夫人』
顔見世?に呼ばれた孝俊クン(四歳)と智英子ちゃん(二歳)は、とんだりはねたり
座卓の下にもぐったりしてママハイマ一バン子供ニ手ガカカル時期デアルことを証明してくれました。
「上の子はお芝居をじっと見ているンですけど先日『瀧の白糸』のとき、相手のひとだアれって
聞きますので玉三郎さんよって云ったら、どうして女のヒトなのって云うンです。難しい質問ですよネ。
客席はシーンとしてるし、子供の声って通りますでしょ。出てきちゃいました」
創価死ね
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2ちゃんって基本的に自慢厨多いじゃないですか、だからじゃないかな。