【シビけるところが】広沢虎造(二代目)2【コマツ村】

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814重要無名文化財
平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、
学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀ころ)
従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。
これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。
また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り」(しのぎづくり)の刀剣が造られるようになった
のもこの時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。
以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで
反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工「天国」(あまくに)の作とあるが、
実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。
柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。