【シビけるところが】広沢虎造(二代目)2【コマツ村】
古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する
出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル
(雄略天皇)に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは
朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、
黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。
7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)や
「七星剣」(しちせいけん)、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)などが知られている
(湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の駒、太刀ならば
呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。
が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、
唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな)
といった国産の剣も現存している。