【シビけるところが】広沢虎造(二代目)2【コマツ村】
太平洋戦争(大東亜戦争)降伏後、日本刀を武器であると見なした連合国軍最高司令官総司令部により刀狩が行われ、
蛍丸を始めとした数多くの刀が遺棄・散逸の憂き目にあった(熊本県のように、石油をかけて焼かれた後海中投棄された例もある)。
また、「刀があるとGHQが金属探知機で探しに来る」との流言も飛び交い、土中に隠匿して、その結果刀を朽ちさせ駄目にしたり、
回収基準の長さ以下になるように折って小刀としたり、日常生活に使えるよう鍛冶屋に持ち込み鉈や鎌、
その他日常用の刃物に改造したりと日本刀の価値を貶めた例は枚挙に遑がない。GHQに没収された刀の多くは
赤羽にあった米軍の倉庫に保管され、占領の解除と共に日本政府に返還された。
しかし、元の所有者が殆ど不明のため、所有権は政府に移り、刀剣愛好家の間でこれらの刀剣は「赤羽刀」と呼ばれている。