【シビけるところが】広沢虎造(二代目)2【コマツ村】

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773重要無名文化財
満州事変以後、軍造兵廠や一部の各機関の研究者は拵えだけでなく刀身においても兵士の装備としての可能性を追求した。
例えば満州の厳寒に対応した「振武刀」や海軍が使用したステンレス鋼の日本刀(「耐錆刀」)など、各種の軍刀が研究された。
日本刀の材料・製法を一部変更したものから、日本刀の形態を模した工業刀に至るまで、様々な刀身が試作・量産された。
これら特殊軍刀々身は「昭和刀」「新村田刀」「新日本刀」などと呼称され、物によっては従来の日本刀よりも
(俗に名刀と呼ばれる刀であっても)武器としての資質において勝るものも数多くあったという。
悪品だったという俗説も未だ根強いが、これらはあくまで悪徳業者の販売した粗悪刀等で、一部を除き
(初期や末期には粗悪品が見られる)妥当な評価ではない。鋳造説、造兵廠製刀身は粗悪品説に至っては論外である。
これらは将校准士官(軍刀初め軍装品類は私物として自費購入であった)には安価で惜しげなく使える刀身として重宝され、
下士官兵には官給軍刀(九五式軍刀等)として支給され、大量に実戦投入された。
本来の「戦いの武器としての日本刀」という観点では、各特殊軍刀々身は近代技術を取り入れられて完成された日本刀となり、
肝心の実用性に於いては究められたものの、見た目の美的要素は皆無な物が多く(関の半鍛錬昭和刀の様に
双方を兼ね備えた物もある)、今日では製造方法の上からも、日本刀の範疇には含まれない事にはなっている。
しかし最近になり、刀剣界では今まで見向きもされなかったこれらの軍刀にも人気が出てきており、同時に研究家や
収集家の新たな発見や偏った俗説の否定等、再評価の声が高くなっている(軍刀#刀身・軍刀についても参照)。