【シビけるところが】広沢虎造(二代目)2【コマツ村】
新々刀初期に、鎌田魚妙という侍が「新刀弁疑」という著書で、名刀の条件に、沸匂深い作を主張し、
大阪新刀の井上真改、津田助廣を褒め称えた。そのため新々刀初期には江戸時代前期の津田助廣が創始した
華麗な涛瀾乱れを焼くのが流行した。しかし本科と比べると、地鉄は無地調で弱く、刃は鎬にかかるほど高く焼き、
そして、茫々とした締まりのない匂い出来で、斑沸つく作が多い。実用刀とはほど遠いと感じた正秀は、
鎌田魚妙の説に疑問を抱き、実用刀剣の復古、即ち鎌倉時代・南北朝時代の刀剣への復古を唱えた。この復古運動は、
後の勤皇思想が盛んになりつつある社会情勢と響きあい、各地の鍛治と交流し(相州伝、備前伝の秘儀を学ぶべく弟子入りした)、
同時に大勢の門弟を育てた。卸し鉄など様々な工夫を凝らし目標とする鎌倉・南北朝期の地鉄作製を試みるも、
たどり着くことはなかった。これは今日でも同様である。