あぼーん
あぼーん
あぼーん
文楽劇場の初日に行ってきました。
開演前の鏡開きでは、黒門市場から縁起物のにらみ鯛が贈られて晴れやかでした。
例年、人間国宝が揃って挨拶なさるんですが、今年は玉男師匠は欠席。
玉男師匠の「こうして正月に挨拶が出来るのも、今年が最後・・・(観客笑う)
来年も元気にお会いしましょう」という、お決まりの挨拶が聞けなかったのは残念。
ですが、舞台では「良弁杉由来」の良弁を立派に遣ってらっしゃいました。
東大寺の別当という高貴な役柄に相応しい、抑制のきいた演技で、神々しささえ
感じました。
住大夫師匠が挨拶で「夜の部はお客様の入りが薄いので、是非お越しください」と
仰ってました。確かに今日も昼の部は補助席まででる盛況振りでしたが、夜の部は
若干の空席もありました。
夜の部だったら当日券でも良席が取れるかも。
義太夫は確かにわかりにくい。生理的な作用なしで情報だけ伝達すると言うふうに読めますね。
しかしうろ覚えでそんなハイブロウ(笑)な事言ってもしょうがないですから、
言いたいところは簡単に言葉の問題で、
「義太夫」は他の邦楽と違ってある進化の結果からセキシュツされる概念であるし、
それに謡曲ほどじゃないけどやはり比喩が含まれてる、くらいの事です。
進化するのが「義太夫という実体でない」、についても、
進化論の情報理論的な側面で、理論がメディアに依存してないって事です。
要はリボ核酸でもフロッピーでもいいんです。
そういえば義太夫による
非天然アミノ酸なんかが脳に作られているとか(いないとか)。
どこかの海底にわれわれとはまったくちがう基底物質でできた生命なんてのもいるかもしれません。
ところで1さんは結局、普通に文楽にご関心あるんでしょうか?
もしでしたら、専門分野以外ならかっこつけないで面白い啓蒙書たくさん読む
(というのは理系の方には常識なのかもしれませんが)のがいいですよね。
たとえばブンケイで脳とか認知科学に興味あるのに
養老先生みたいな思想っぽいのとかデネットとかから読んじゃうのは
なんか違うと個人的に思います。デカルトからとか。
「文楽」は当時の義太夫自身も自分のいわんとしてることを誤解してたようなフシがありますので
これから読む必要はないと思いますが、T木氏なんか読まないですか?
東京だとああいうの意外とないですよね。
もちろん全否定する人はいないでしょうし、
諸宗教の神罰、天罰の概念の分析としてほとんど正当なものだと思います。
実はストーリー仕立てにしてくださいとお願いしようとしてたとこなんですよ。
自分の意見はそれがごく一般的に起こりうる事だというだけです。
とどのつまりはT木氏以外の書いた最近の文楽義太夫書籍は間違いだらけだから
すべて排除されたい。
124 :
重要無名文化財:05/02/18 23:46:33
関西在住で東京で観た事あるけど、東京では盛況だねぇ。
こぞって着物きておめかしてるよ。おばちゃんだけど。