小松川街道ですが奥戸村誌で名前を確認できました
本一色方面へ直進し千葉街道に突き当たって終わるのが小松川道
分岐して上小松を突っ切り小松川へ至るのが小松川分道とのこと
なぜ小松川へ向かわないほうが本道なのか理由は書いてありません
でしたが千葉街道を経由したほうが総合的には便利だったからでしょう
あるいは千葉街道の中川架橋で主従が逆転したのかもしれません
参考までに二万五千分の一地形図東京首部(大正八年鉄道補入)より
http://i.imgur.com/W9Fxa.jpg >日暮里連絡線
1947年の航空写真を見るとそれっぽい路盤が写ってますね