横浜線スレ Part44

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208名無し野電車区
>>204
随分と下品な方ですね。
日本語になってませんよ。

やはり省線横浜線沿線には、あなたのような野蛮な方がまだ多いようです。

これは一刻も早く、いっかっさ鉄道との相互直通運転を行って、
あなたのような野蛮な方に、いっかっさ地区の洗練さえた都会的センスを
学んでもらわなければなりませんね。

そのためには、このスレで相互直通運転について、さらなる議論を
盛り上げる必要があります。

わかりますよね?

いっかっさ

209笠岡市旅行記1:2012/10/20(土) 16:50:21.17 ID:5jwDJQyp0
>>208
>>204は井笠(いっかっさ?)地区の生活水準に合わせた物言いをしているだけだと思いますよ。
実際こんな手記も残っています。
日本の首都中山から横浜線で10分、そこから新幹線で3時間、そこから山陽線普通列車で約40分、私は岡山県の笠岡市にやってきた。
岡山といえば四国、山陰への分岐点として知られ、また最近県都岡山岡山市は政令指定都市になったことでも有名だが、それは岡山市だけだった。岡山市外はひどい田舎である。
その中でもひどいのがここ笠岡市である。
(2へ続く)
210笠岡市旅行記2:2012/10/20(土) 17:02:03.13 ID:5jwDJQyp0
私は当然こんなところに観光で来たわけでは無い。
笠岡市を首都横浜のベッドタウンにするため、首都横浜から派遣されてきたのである。
笠岡の駅を降りると藁でできた家が建っていた。
住民は服らしい服を来ていなかった。
男性は股間を、女性は股間と胸を藁で隠しているだけである。
さて、私は喉が渇いたので、住民にどこで水を買えばいいかを質問することにした。
当然日本語は通じないので、笠岡語をあらかじめ勉強しておいたのである。
さて、笠岡語で「どこで水を買えばいいですか」と質問すると、相手は「買う?買うってどういうこと?」と聞いてきた。
私は「買うっていうのはお金をだして品物と交換することですよ。」
と言ったら、「お金ってなんですか?」と聞いてきたのだ。
笠岡市には何と貨幣というものがないのだ。
ということで私は貨幣を笠岡市に伝えることを当面の私の課題とした。
ちなみに、水は海の水を飲めと言われた。
水道も伝える必要がありそうだ。
211笠岡市旅行記3 〜生まれて始めて生肉を食べた〜:2012/10/20(土) 17:16:15.76 ID:5jwDJQyp0
笠岡市では先ほども言ったように、貨幣がないので自給自足の生活である。
笠岡人は野菜など食べないので、基本的に狩りをして食料を確保しているのだ。
と言っても、私は狩りができない。
ということで、笠岡の人間が狩ってきたものを食べることにした。
私はなにか食料を持ってくれば良かったと思った。
一応国内なので、金さえ持ってけばなんか食べられるだろうと思ったが大間違いだった。
スーパーもコンビニも、小さな個人商店も、田舎の象徴ジャスコやイオンも無いのである。
しばらくすると笠岡人が狩りから戻って来た。
すると、笠岡人は私に生肉を渡してきたので、「火は通さないの?」と聞いたら「火?火って何」と聞いてきた。これでは縄文時代よりも文化が進んでいない。
私は人生で始めて生肉を食べた。
味は正直まずかった。私はチーズが嫌いなのだが、チーズの方がまだマシだと思った。
藁でできた家に泊まった。当然風呂などと言うものはない。冬だったので夜は寒かった。
気温を図ると-70℃であった。昼間は50℃くらいあったのに。
1日目だけでも驚かされることがたくさんあり、ある意味で面白い一日だった。
私は早く笠岡が横浜のベッドタウンとして成長するよう願いながら眠りについた。
212笠岡市旅行記4〜衝撃!笠岡の宗教〜:2012/10/20(土) 17:34:17.37 ID:5jwDJQyp0
突然だが、笠岡には、雨傘教という宗教があった。
この宗教には聖なる日というものが定められていて、その日は朝、日の出と同時に住民全員が参加する儀式を始めるのだ。
そして笠岡旅行2日目の今日はその聖なる日であった。
是非儀式を見学したいと住民に頼むと、許可をもらえたので、見学することにした。
まず、笠岡の長老が何かお経のような物を唱えた。
次に、笠岡市民全員がお供え物を供えた。ここまでは理解できる。
しかし、問題はここからだ。
何と、住民がくじ引きを始めたのだ。1本だけはずれくじが入っている。
そのくじを引いた人はなんと、体を拘束され、木でできた棒にくくりつけられた。
そして、藁がかぶせられ、長老がその藁に火をつけたのだ。そう、笠岡でははずれクジを引いた人を生贄にするという野蛮な風習があるのだ。
そのうち、火はその人に燃え移った。かなりの悲鳴をあげるが、その悲鳴は次第に聞こえなくなった。
そして人肉の焼ける嫌な臭いがし始めた。
長老はそれに構わずお経を唱えている。
後には完全に骨だけが残った。
長老はそれを粉々に砕き、水の中に入れた。
それを住民全員で回し飲みしたのだ。
なんと気持ち悪い風習だろうか。
私は1回目の視察を終え、今日横浜新都心に帰るが、こんな因習による犠牲者をもう出さないようにするため、一刻も早く笠岡を開発せねばならないと思った。