JR大和路・万葉まほろば・和歌山・奈良・おおさか東線53

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70名無し野電車区
宗教に限った話ではないですが、主体的(自発的)に情熱を傾けるものと、支配(洗脳)されて従うのもとでは
似て非なるもので、本質的意味も違いますが当事者の言動(行動様式)も違います。
前者では常に自問自答(思考)が伴い行動しますが、後者は「やらされている」のに自分自身自らの行動だと思い込み、
思考停止状態で、疑問(疑念)を持ちません。

また教理・教典に記されているような行動や「おさしづ(教祖の見解)」こそが至高の信仰だと信者が思い込む特性が
天理教にはあって、これこそが諸悪の根源となっているようです。
布教活動を「におひがけ(においがけ)」と称して、苦労して布教し教勢を盛んにさせた「ひながたの道(苦労した前例)」が尊い行動であり、
神様が一粒万倍にして受け取って(返して)くれると信じているから厄介です。
「苦労は身に付く」と先人たちも言いますが、天理教の苦労は身になるどころか、
家庭内で信仰者と反対する者がいた場合は必ずや家庭内は崩壊します。
夫婦ふたりならば、よくて家庭内離婚でしょう。
信者として信仰する者(側)は、反対する者(側)を神様からの自らに課せられた試練であるととらえ、
神様から見ればどちらも「可愛い信者」として理解して(洗脳されて)いるため両者の関係性は亀裂が深まるばかりです。

現代の悪徳新興宗教と呼ばれるものは全てそうでしょうが、上記のような問題が起きるとカネで解決するシステムが構築されています。
それが天理教の場合は誠に洗練されているので油断できません。
筆者も脱会を考える(実質は脱会状態)ようになってから冷静になって考えてみるに、天理教ほどカネを欲しがる宗教は他に存在しないでしょう。
東京の千代田区にある有名なY神社も、一度でも記名寄付をすると例大祭には毎年のように振り込み用紙が送られてきますが、
具体的な金額指定はなく、強制ではありません。他の寺社にしても同じでしょう。
ですが天理教は違います。ことあるごとにカネを要求し解決しようとするシステムは信者の身であると洗脳されていてわかりませんが、
冷静になって考えてみると消費税よろしくまず減ることは無いようにできているのです。