地元民と鉄ヲタ以外にはわからないであろう鉄道知識

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280名無し野電車区
東海道新幹線、新富士駅誕生の経緯。
昭和30年代、当時の国鉄は新幹線の駅を富士駅に作りたいと自治体に交渉。(山梨県民が身延線で大阪方面に行きやすくなる利便性も考えて)

しかし当時の市長などの有権者から『新幹線の音に驚いて牛が乳を出さなくなる』などの明治や大正時代ばりの都市伝説が波紋を呼び反対運動が起こる。
東京オリンピック開催に間に合わせたい国鉄は新幹線富士駅を断念、迂回ルートで静岡に通す。


時は流れ昭和50年代末期、新幹線停車駅の都市が栄え繁栄している事に今更富士市民は気づく。
国鉄に富士市内に新駅設置を要望するも『なにをいまさら』感まるだしで相手にされなかったらしい。
ただひとつの条件として駅建設費用を100%地元負担なら造ってもいいよ的な事だった。(今は珍しくもないが当時は異例)

富士市民ひとりあたり三万円も(全住民の働いている人対象)いきなり税金が上がる。

数年後駅設置。

今の60以上の年寄りは記憶に残って入るはず

しかし当時の三万円って今のいくらぐらいの価値なんだろ?