【函南】東海道線静岡口スレ62【二川】

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433禿電厨よ、お礼だwww
 私は高校生のころから名古屋が好きで、月1回は遊びに出掛けていました。
 当時は沼津駅から名古屋駅への直通電車が毎時1本運行されており、片道3時間強の道のりも
名古屋に着いてからのことを想像すれば、あまり苦になりませんでした。
 そんな名古屋好きの私は、高校卒業後、広島大学夜間部に進学し、下宿。
 学生生活を満喫した後は、そのまま名古屋市内の会社に就職し、
そこで桑名生まれ、名古屋育ちのB子さんと知り合いました。
 彼女は実に家庭的な女性で、交際を重ねるにつれ、私は次第に将来のことを意識するようになっていきました。
 そんなある日、彼女の実家に挨拶がてら遊びに行くと、早々、彼女の母に「貴方、出身はどこ?」と聞かれ、
笑顔で「沼津市です」と答えたところ、苦い顔で「沼津市ですか、浜名湖や牧之原の東側の…、向こう側の…」と言われました。
私は嫌な予感を感じながらも「そうです。よくご存知で。でも沼津から名古屋って意外と近いのですよ」と
返しましたが、反応はあまり私に対して好意的なものではありませんでした。
 この日を境に、彼女との距離はどこか遠くなり、1か月後、彼女のほうから別れ話があり、2人の交際は終わりました。
 私はそれが原因でひどく落ち込み、3か月ほど憂鬱な毎日を過ごしていましたが、ようやく前向きになろうとしたちょうどそのとき、
B子が豊橋在住の男と婚約したとの噂を職場の同僚から聞き、言葉では言い表せないような、「劣等感」が私の中を駆け巡りました。

 これほどの劣等感を感じたのは生まれて初めてでした。私は何もかもが嫌になり、
気分転換も兼ね、休暇を取って、実家のある沼津へ帰省することにしました。
 帰省には毎回車を使っていましたが、無性に電車で帰ってみたくなり、 
列車が長い長い浜名湖を抜けて弁天島に停車した瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ出し、
 思わず「オレ、せめて浜名湖の西側の豊橋に生まれたかったよ、お母さん」と叫んでしまいました。
 周囲の乗客は私の奇声に驚いていましたが、巨大な湖の壁を自覚せずにはいられなかったのです。
 その日から、私は「静岡人」として生きていくことを誓い、職場を変え、現在実家から静岡市の零細会社に勤務しています。