>>46に続くモノ
◎国鉄0系新幹線電車寝台車&911形100番台ディーゼル機関車
特記 夜行寝台新幹線
○概説
1986年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で東海道山陽新幹線に寝台列車が一往復でデビュー。
下りは東京を20時45分頃に出発し、新大阪に0時前に到着、8時頃には博多に到着、というダイヤを実現する為に、
上下共に山陽区間を深夜に騒音振動対策でmax.70km/hで走行し、しかも保線の関係上深夜走行区間は実質的単線非電化とした上で
ディーゼル機関車で牽引。
この寝台新幹線用にと0系の寝台専用車と911形100番台DLが製造された。
前者は、既に85年から100系が量産されているのだが、国鉄の厳しい財政状況では未知数の寝台新幹線に新車を投入するのは困難である故に、
車体だけを新造して廃車若しくは余剰となった0系の発生品を再利用する方針となり、0系に属する。
車種は、先頭車の81/82形(Mnc/Mnc')、中間車の85/86(Mn/Mn')、ビュフェ及び障碍者・高齢者用寝台室との合造車95(Mnb)を基本。
一編成10両の全電動車で、車体は100系に類似、先頭の連結器収納部はDL牽引の為に開閉、三編成が製造。
寝台車は全て個室で、障害者・高齢者用を除き一人用で、全編成モノクラス。
定員を増やす為に普通個室は、カプセルホテルに類似し、二段重ねで、便所と洗面台無し。後の在来線のソロの原形となる。
障碍者・高齢者用は介護者用の補助寝台を上段にした二段寝台、各車端に便所と洗面台を設置、95に障碍者対応。
95の車体半分がファストフード店の様なビュフェ兼ロビーで、シャワー室も二つ設置。
後者DLは、911形0番台と違い、DD51の廃車発生品の転用でmax.100km/hに低下、防音対策、電車への給電用発電機の容量強化、計三両。
87年4月にJR東海と西日本に承継。
デビュー直後は不動産バブル好況と重なって在来線の寝台特急よりも高額にも拘わらず切符が取れ難い人気列車に。
が、しかし、バブル崩壊で利用客減少、競合する航空と宿泊施設に価格破壊も起き、斜陽に。
性能上のぞみ増発の高速化に対応出来ず、深夜運行の高コスト対僅かな乗客故の採算性悪化を理由に99年秋のダイヤ改正で寝台新幹線は、
九州ブルートレインよりも先に全廃。0系Yk編成と100系X編成と共に引退、廃車、81/82が保存。
寝台新幹線は伝説(タブー)になった。