【三岐線】三岐鉄道スレPart11【北勢線】

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761名無し野電車区
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001002240003

秩父太平洋 普通セメント生産中止へ
2010年02月24日

◇本社工場 新年度上期中に
 秩父市大野原の秩父太平洋セメント(倉田哲社長)が、2010年度の上期中に本社工場の普通セメントの生産を中止し、生産活動を大幅に縮小することが23日、明らかになった。
 同市と横瀬町の境界にある武甲山(1304メートル)の石灰石採掘事業は継続する方針といい、久喜邦康・秩父市長は「承服できない」と無念さをにじませている。
762名無し野電車区:2010/02/25(木) 22:57:26 ID:/BCLsh8EP
◇石灰石採掘は継続/武甲山
 生産中止は、秩父太平洋セメントの親会社の太平洋セメント(本社・東京)の事業見直しの一環。
 秩父太平洋セメントの本社工場では約28万平方メートルの敷地で、年間に普通セメント60万トン、特殊セメント1万トン、石灰石製品20万トンを生産。
 近年は焼成炉を活用したリサイクル事業にも乗り出していた。
 秩父太平洋セメントによると、上期中に2つある焼成炉の1基を停止し、普通セメントの生産とリサイクル事業を中止。もう1基で特殊セメントなどは生産し、三輪鉱業所と叶山鉱業所での石灰石採掘事業は続ける。
 従業員は161人で、本社工場は93人。
 同社の前身の旧秩父セメントは、1923年に初代の諸井恒平社長が創立。25年に同市大宮に秩父第一工場、56年に第二工場を開設した。
 武甲山の豊富な石灰石を原料とするセメント製造を手がけ、23年の関東大震災後の復旧工事や戦後の首都圏の復興、高度成長期に生産を伸ばした。
 衰退する絹織物に代わる地場産業として秩父の経済を支えてきた。
 同市の計算では、秩父太平洋セメントや同社従業員が1998〜2009年に市に支払った固定資産税や市民税は計45億円で、市内ではトップクラス。運送会社など同社関連会社は14社になる。
 
763名無し野電車区:2010/02/25(木) 23:00:13 ID:/BCLsh8EP
 しかし、セメント事業の低迷により、1999年に秩父第一工場は撤退。
 旧秩父セメントは合併し、94年に秩父小野田セメント、98年には秩父太平洋セメントとなり、2000年には分社して秩父太平洋セメントとなった。
 一方で、原料の石灰石を採掘する武甲山は姿を大きく変えてきた。武甲山は市民にとって「秩父夜祭の神が宿る山」であり、シンボルでもある。
 山の「破壊」を目の当たりにしながらも、雇用や税収増などのセメント事業の「地元への貢献」を理由に、市民は我慢を強いられてきた。
 そうした経緯があるだけに、「普通セメントの生産を停止し、武甲山の採掘は継続」という同社の方針に、久喜市長は「生産停止には到底承服できるものではない」とのコメントを出し、
 「規模の縮小や他社の資本参加などによる生産継続」や「従業員、関連会社への配慮」「武甲山の修景」などを求めた。
 武甲山が削られることに異議を唱えてきた「武甲山植物群保護対策推進協議会」の浅見豊会長(76)は「もうからなければ生産を大幅縮小するというのは、まさに企業の論理だろう。
 地元への貢献は消えて武甲山の破壊は続くわけで、怒りさえ覚える」と話している。
 倉田社長は同日、「(普通セメントの生産中止は)極めて残念。しかし、石灰石採掘や特殊セメント生産は継続の方向で、今後も地元への貢献を果たせるよう努力したい」とのコメントを発表した。