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名無し野電車区:
これほどの劣等感を感じたのは生まれて初めてでした。私は何もかもが嫌になり、
気分転換も兼ね、休暇を取って、実家のある沼津へ帰省することにしました。
帰省には毎回車を使っていましたが、無性に電車で帰ってみたくなり、品川駅の構内に入ると、
以前は毎時あったはずの「沼津行」が消えてなくなっていたのです。
仕方なく「熱海行アクティー」に乗り、終点の熱海で乗り換えようとすると、
「熱海駅を越えて三島・沼津方面へは乗り越せません」とのポスターが目に入りました。
「熱海・伊東は関東であり、沼津とは別格」と言わんばかりの内容で、さらなる劣等感に襲われました。
歯を食い縛りながら飛び乗った3両編成ロングシート沼津行。
列車が長い長い丹那トンネルを抜けて函南に停車した瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ出し、
思わず「オレ、せめて丹那の東側の熱海に生まれたかったよ、お母さん」と叫んでしまいました。
周囲の乗客は私の奇声に驚いていましたが、山地の壁を自覚せずにはいられなかったのです。
その日から、私は「東海人」として生きていくことを誓い、職場を変え、現在実家から静岡市の零細会社に勤務しています。
当初は東京への未練もありましたが、今では、これでよかった、これが沼津に生まれた自分の
最良の生き方だと 思えるようになり、充実した日々を送っています。
東京人は箱根や丹那の西を異国の地と考えているということを私は身をもって知りましたが、
私と同じような思いをする人が一人でも少なくなるよう、この経験を多くの同郷たちに伝えていきたいです。