■ JR静岡 ■ 静岡県の鉄道事情

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171名無し野電車区
山地の西側に生まれて
〜沼津市在住 Aさん(29歳)

 私は高校生のころから東京が好きで、月1回は遊びに出掛けていました。
 当時は沼津駅から東京駅への直通電車が毎時1本運行されており、片道2時間強の道のりも
東京に着いてからのことを想像すれば、あまり苦になりませんでした。
 そんな東京好きの私は、高校卒業後、都内のある大学に進学し、下宿。
 学生生活を満喫した後は、そのまま都内の会社に就職し、そこで横浜生まれ、東京育ちの
B子さんと知り合いました。
 彼女は実に家庭的な女性で、交際を重ねるにつれ、私は次第に将来のことを意識するように
なっていきました。
 そんなある日、彼女の実家に挨拶がてら遊びに行くと、早々、彼女の母に「貴方、出身はどこ?」と聞かれ、
笑顔で「沼津市です」と答えたところ、苦い顔で「沼津市ですか、箱根の西側の…、向こう側の…」と言われました。
私は嫌な予感を感じながらも「そうです。よくご存知で。でも沼津から東京って意外と近いのですよ」と
返しましたが、反応はあまり私に対して好意的なものではありませんでした。
 この日を境に、彼女との距離はどこか遠くなり、1か月後、彼女のほうから別れ話があり、
2人の交際は終わりました。
 私はそれが原因でひどく落ち込み、3か月ほど憂鬱な毎日を過ごしていましたが、ようやく
前向きになろうとしたちょうどそのとき、
B子が熱海在住の男と婚約したとの噂を職場の同僚から聞き、
言葉では言い表せないような、「劣等感」が私の中を駆け巡りました。
172名無し野電車区:2009/06/01(月) 02:13:59 ID:OyYB0yz2O
 これほどの劣等感を感じたのは生まれて初めてでした。私は何もかもが嫌になり、
気分転換も兼ね、休暇を取って、実家のある沼津へ帰省することにしました。
 帰省には毎回車を使っていましたが、無性に電車で帰ってみたくなり、品川駅の構内に入ると、
以前は毎時あったはずの「沼津行」が消えてなくなっていたのです。
 仕方なく「熱海行アクティー」に乗り、終点の熱海で乗り換えようとすると、
 「熱海駅を越えて三島・沼津方面へは乗り越せません」とのポスターが目に入りました。
「熱海・伊東は関東であり、沼津とは別格」と言わんばかりの内容で、さらなる劣等感に襲われました。
 歯を食い縛りながら飛び乗った3両編成ロングシート沼津行。
 列車が長い長い丹那トンネルを抜けて函南に停車した瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ出し、
 思わず「オレ、せめて丹那の東側の熱海に生まれたかったよ、お母さん」と叫んでしまいました。
 周囲の乗客は私の奇声に驚いていましたが、山地の壁を自覚せずにはいられなかったのです。
 その日から、私は「東海人」として生きていくことを誓い、職場を変え、現在実家から静岡市の零細会社に勤務しています。
 当初は東京への未練もありましたが、今では、これでよかった、これが沼津に生まれた自分の
最良の生き方だと 思えるようになり、充実した日々を送っています。
東京人は箱根や丹那の西を異国の地と考えているということを私は身をもって知りましたが、
私と同じような思いをする人が一人でも少なくなるよう、この経験を多くの同郷たちに伝えていきたいです。