昭和16年7月、明治からの願いであった関門トンネル(下り本線)が開通した。
下関が終着駅であった初代富士は、翌昭和17年から長崎・長崎港へ延長となり、
EF10が関門間の牽引にあたった。昭和36年、北九州交流電化が完成すると、
関門トンネル門司側出口付近にあるデッドセクションで交直切替をするため、
初の交直流機EF30が製造された。EF30の増備はしばらく続いたものの、
昭和48年、EF81がその汎用性の高さから、門司機関区に投入されることになった。
関門専用機は運用区間の短さと特殊性から決して華々しい存在ではなかった。
しかし昭和59年2月、下関駅の様子はいつもとは違った。そう、旅人を
九州へ導くEF30とEF81にヘッドマークが掲げられていたのである。
前スレ:寝台特急★富士★はやぶさ★80
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/rail/1233731038/ 富士ぶさスレ@ウィキ(更新乙です。テンプレはこちら)
http://www26.atwiki.jp/fuji_hayabusa/ 富士ぶさスレでよく利用されているアップローダ
http://www.axfc.net/uploader/ 携帯からの画像アップに便利なところ
http://imepita.jp/ 昭和61年11月、民営化後の旅客仕業を担当するため、大分運転所に
6両のEF81が転入して来た。JR九州に継承されたその6両もいまや2両。
出入区を兼ねて大分・下関間の富士や彗星を牽引したことも思い出となった。
残されたEF81 410とEF81 411が、九州へ直通する最後の寝台特急を
関門海峡の底から引き出す日々も残り少ない。