【駿豆ワンマン】伊豆箱根鉄道14【大雄山PASMO】

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683名無し野電車区
「熱海」と「修善寺」とでは決定的・本質的に違う。
熱海は非常に古くからの東京の奥座敷であり、明治初期から東京の要人が保養や会談に訪れていた場所。
その証拠に、日本で初めて市外電話が引かれた区間は「熱海・東京間」であり、
熱海が市外電話発祥の地となったのは政府要人たちが保養先の熱海から東京に頻繁に電話をかけていたからである。
東京の奥座敷といえば、東京の人間誰もが熱海を連想する。複数の地を連想する人も決して熱海を漏らすことはない。

一方、修善寺は戦後から東京からそれなりに人が訪れるようになったものの、
熱海とは比べ物にもならす、東京人にとっての重要な保養地でも奥座敷でもなく、
そもそも山の西側である時点で「奥」たりえないし、
明治初期に東京の要人が保養に訪れていたという事実もない。
山を越えた異国の修善寺に「奥」「極点」を感じることはできず、また、そこへ行くまでのプロセスに
悦びを見出すこともできないからだ。