■■■長野電鉄■NAGADEN■長電■パート16■■■
葛飾北斎は晩年に小布施に2回来た事が確認されているだけなのに、北斎ゆかり
の地にすりかわってしまったのは、ある詐欺師がきっかけを作り、地元の役人や
政治家がそれを利用した事が始まりの様です。
小布施の北斎館に至る歴史を調査すると面白い話が出てきました。
昭和40年代初頭に、金子孚水(かねこふすい)(故人)と言う詐欺師が小布施に
やって来ました。
この人物は、浮世絵で有名な贋作事件「春峰庵事件」(昭和9年)で、逮捕、投獄
された詐欺師ですが、事情を知らない小布施の人達は、東京から有名な鑑定家が来
たと大騒ぎしました。
孚水は、町民の無知に付け込んで鑑定料で儲けようと、何でも北斎だとメチャクチャ
な鑑定をもっともらしくしたので、小布施で北斎ブームが始まりました。
この詐欺師、金子孚水をモデルに作家三千雄 久保が 「春峰庵浮世絵贋作事件」と言う
小説を書いています。
更に驚いた事に、その詐欺師の嘘が現在の小布施の北斎館が作られる元々のきっかけを
作つてしまったのです。
面白い事に、北斎館開館時には、金子孚水もテープカットをしている写真が残されてい
るそうで、全く呆れたものです。
真面目に考えると極めて深刻な話しですが、笑い話として続きを読んで欲しい。
金子孚水は北斎についての知識が浸透していなソ連へ贋作もって行き北斎展を行い好評を
得るのですが。
味を占めた孚水が東京で「里帰り展」をしたところ、美術評論家(瀬木慎一氏)等から疑
問の声があがり、嘘が露見したのです。
※瀬木慎一著の、『真贋の世界』(昭和52年新潮社)に、そのいきさつが詳しく書かれて
いる。