【悲願の】京王相模原線総合スレ【橋本特急】

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668名無し野電車区
駅開設までの経緯(ウィキより抜粋)

京王帝都電鉄は、当初、京王多摩センター駅〜橋本駅間の延伸に際し、
由木平駅(現・南大沢駅)のみを設置することにしていた。
しかし、由木平駅〜橋本駅間に線路を通す際、900m程度、町田市を通ることから、
町田市は、「町田市内駅」設置を要望し、1983年1月14日、京王帝都と町田市の話し合いが行われた。

 この席上で、京王帝都は、「延伸時、中間駅は由木平駅のみ設置する。
トンネル(現・南大沢トンネル)を出たところに、盛土部分があるが、
この区域は、事業認可未了区域であり、この地に駅を設置すると、
ニュータウンのための線路建設という性格から外れることから、京王帝都が350億円も支出しなければならない。」
「開発区域となれば、駅舎建設費15億円ですむことから、
小山駅(多摩境駅のことを指す)の開設の可能性はある。」と表明し、場合によっては駅開設も有り得るとした。

 これに対し、町田市は、1983年5月の町田市議会にて、「鉄道事業者(京王帝都)の責任において小山駅を設置すること。
相模原線開業と同時に小山駅を開設すること。」という決議をするなどし、1985年5月30日、東京都南多摩開発計画会議において、駅開設が決定した。
なお、町田市議会の決議では、路線開業と同時に駅開設となっていたが、駅開設は、南大沢駅〜橋本駅間延伸の翌年となっている。
これは、京王帝都は、相模原線をニュータウン新線として建設しており、ニュータウン鉄道等整備事業費補助では、
建設費の補助対象がニュータウン事業区域から出て1駅目までに限られていたため、
多摩境駅を設置した場合、多摩境駅〜橋本駅間を補助金なしで建設しなければならなくなってしまうことから、
多摩境駅をあえて設置せず、橋本駅まで一気に建設・開業させたからである。

 …とことんケチくせぇ。