阪急電車の窓枠については、こんな説もあるようですよ。
『阪急電車 青春物語』 著者 橋本雅夫氏によると、
その南海は、関西でもっとも古い民鉄。
明治18年(1885)12月29日に阪堺鉄道として
難波ー大和川間で蒸気列車の運転を開始した。
阪急が箕面有馬電気軌道として発足したとき、
乗務員の教習でお世話になった先輩会社である。
実は阪急の電車の塗色もこの南海鉄道(旧称)を手本にしている。
南海のかつての緑色と阪急のマルーン色とはまったく異なったでは
ないかと言う方があるかもしれぬが、阪急の窓枠(サッシ)が車体
の色とは別の黄色いニス塗りになっていたのは、南海をモデルに
したからである。
参考までに、阪神をモデルとした京阪および新京阪(現、阪急京都線)
は車体の色そのままを窓枠に塗っていた。
南海と阪急とは地域的に競合しないので、常に協調関係にあった。
戦後の昭和22年に近鉄と分離し、南海電気鉄道として再発足した。
『阪急電車 青春物語』
草思社 1996
橋本雅夫 著(1945年12月 京阪神急行電鉄入社) P162より、引用