1 :
名無し野電車区:
2chでもいくつか立つ京急スレ。でも、ここは余りマニアックに走らず、例えば京急沿線の立ち食いそばや
おいしいお店、気になるお店、情報など貴方が知っていること(鉄道に限らずバスやデパートなどでも構いません)、
そして京急に対して貴方が思っていることなど気ままに書いて下さい。
また、初心者の無粋な質問にも丁寧に親切に答えて頂ける人の参加もお待ちします。
ここは“まったり”行きたい人の京急のスレです。
でも、妙な書込みは京急自慢の120km/hで一瞬のうちに「通過」して下さいね〜。
2 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 12:38:06 ID:JJgLqEKi
_人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;ノ
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
\__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
置いときますね
3 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 14:13:46 ID:HP26M5Mj
品川から快特でスッ飛ばして横須賀中央まで約40分余り。中央を出て22号トンネルを出ると
左手に東京湾が市街の向こうに望める。晴れていれば遠く房総の山々も見えるこの辺りまで来ると、
京急のイメージがガラリと変わってのどかな郊外電車の風景になる。
次の停車駅堀ノ内で乗り換えて終点の浦賀へ。京急本線のレッキとした「終着駅」だけれど、朝の
ラッシュの時間帯を除けば全てが乗換となる実質ローカル線。始発の直通特急・快特が朝だけでも
残っているのが「本線」としてのプライドか。
駅には構内と外からでも利用できる「えきめんや」がある。京急の立ち食いそばで統一された店名
を名乗るが、業者は駅毎に違うようだ。ここ浦賀駅の「えきめんや」は、追浜、横須賀中央、京急
久里浜(改装中)と同じ“昔ながらの”濃い出し汁の懐かしい味。他にカレーや丼もの、コーヒー
やビールもあったりして、一見大衆食堂のよう。常連さんと話が絶えないアットホームな店だ。
駅からは観音崎や久里浜方面にバスが出る。久里浜方面のバスに乗って5分程、深く入り込んだ湾
の入口当たりにTVでもたまに紹介される渡し船がある。紺屋町(こんやちょう)のバス停すぐ傍
が船着場だ。休日の散歩に訪れるにはちょうどいいエリアでもある。
4 :
4番げったー:2006/11/18(土) 14:38:21 ID:ZrS/BZqu
4様
けーきゅー
5 :
有馬:2006/11/18(土) 15:17:26 ID:E4mwMiNm
光音座【日の出町】
男色物しか上映しない映画館。
素敵な出逢いがあるかも…
>>1 こんな感じでよかとですか?
6 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 15:33:25 ID:HP26M5Mj
有名な方の早速のお出まし感謝致します。もちろん、ジャンルは何でも構いませんが、
ここはまったり“大人の雰囲気”でいきたいと思いますので、その点御留意頂ければ結構でございます。
大人の雰囲気とはいえ、18禁でもありませんので、若い方でも構いません。女性でも、“その気”が
ある方でも構いませんが、くれぐれもお騒ぎのないよう宜しくお願い申し上げます。
7 :
有馬:2006/11/18(土) 15:37:05 ID:E4mwMiNm
金沢動物園【金沢文庫】
釜利谷の住宅地と横横道路の間の山地を利用して作られた動物園。
土休日は金沢文庫から急行バスが出るようになりアクセスも充実。
ポニー・羊と触れ合えるエリアがオープンしたのを記念し
明日まで無料開放中。
8 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 15:49:54 ID:1wBMPW3d
るるぶの「京急沿線」版を立ち読みするのをすすめてみる。
9 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 19:05:14 ID:HP26M5Mj
先の堀ノ内から久里浜線に入って行くと京急の車庫や工場を左右に眺めて京急久里浜へ。
駅前は狭いながらもバスターミナルがあって、住宅地や東京湾フェリーのターミナルに向かう
バスが発着している。
そのフェリーターミナルへ向かう途中に教科書にも出て来る「黒船がやってきた」というペリー
の上陸記念碑がある。ペリーといえば「浦賀」に来港したと習ったはずだが、実際に上陸した
場所は久里浜駅が近い。でも、当時はこの辺りも「浦賀」という地名だったので、一般にそう
記されている。今の本線終端駅の「浦賀」の近くではない。今の浦賀の駅の近くにあるのは
「黒船サブレ」のお店である。浦賀にはこの他にペリーが残したという鍋を使って、当時の船
団で食されていたであろうこのシチューを再現するというイベントも行われ、一部ではレトル
トとして販売もされている新しい浦賀の名物だ。
なお、JR横須賀線の久里浜駅はここから歩いて5分程。でも、街の中心は京急側でJR久里
浜駅前は実に閑散としていて目立つお店はない。
10 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 20:45:55 ID:md9+kaDw
B級グルメの故郷!日ノ出町!
11 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 20:51:43 ID:md9+kaDw
@駅構内の立ち食い蕎麦 Aホルモン中華の第一亭 B野毛の餃子山陽 以下、略。
12 :
有馬:2006/11/18(土) 22:23:16 ID:E4mwMiNm
フィールドアスレチック・のびの里は
YRPのびの里に改名したのでしょうか?
最寄駅は屏風浦ですがw
13 :
名無し野電車区:2006/11/18(土) 23:22:10 ID:HP26M5Mj
京急久里浜を過ぎると単線もあって一気にローカルぽく車窓が変わる。三浦海岸は昭和の時代には
毎年夏は多くの海水浴客を迎え、「ミュージックトレイン」という名称の臨時特急も走り、アイド
ルが日替わりで特設ステージに立って賑わった。京急も夏の週末は空いている車両を総動員で海水
浴特急が運転され、多くの海水浴客を運んだのも今は昔。夏の週末といっても今は普段の週末とさ
ほど変わらない風景になってしまった。
その三浦海岸には隣の三浦市に拠点を持つ移動コロッケ屋が店を開けている。軽トラの荷台でコロ
ッケや串カツなどを揚げているのだけれど、素朴な味に惹かれてちょっとしたバスの待ち合わせに
つい手が出てしまう。
終点の三崎口の駅前は開業した当時と余り変わっていない。駅正面の駅名表示も京急昔ながらのネ
オン点灯のスタイルのままで、逆に懐かしささえ覚える。周囲に目立つお店や食堂もあまりなく、
バスターミナルだけがガランとした駅前に広がるだけだ。でも、開業当初は畑ばかりだったこの辺
りも、最近はお洒落なマンションも建ち始めて畑のスペースがめっきり少なくなった。
この先京急は油壺まで延伸する計画もあったけれど、最近その計画も断念してこの先線路が延びる
可能性がなくなった。でも、三浦市の中心街まではバスで15〜20分。ちょっと中途半端な感じが
するのは否めない。しかし、そんなバスに揺られて着く三崎港でマグロ料理を食べに行く価値は十
分ある。
都心や横浜から「三浦半島フリーきっぷ」を使って散歩気分で歩いてみてはいかがだろう。
14 :
名無し野電車区:2006/11/19(日) 14:22:35 ID:AHWnaBD+
age
15 :
名無し野電車区:2006/11/20(月) 14:10:43 ID:waDDuGV2
横須賀線ユーザーだが京急もよさそうだ
16 :
名無し野電車区:2006/11/20(月) 19:06:50 ID:aUCq1As5
横須賀線と京急の三浦半島に延びる2つの路線は、昔からライバルとして何かと比べられている。
双方が交差する場所は全部で4ケ所。その中で1ケ所は交差するのにその両者の姿を見ることが出来ない。
何故なんだろう? その場所は京急なら逸見(へみ)−汐入、横須賀線は横須賀−衣笠の間だ。ここで確
かに交差しているのだけれど、お互いの線路も電車も見えない。
実はここは双方ともトンネルの中なのである。横須賀線の横須賀トンネル(線内では一番長い)の上を京急
の20号トンネルで乗り越している。地下鉄ならともかく、普通の地上線でトンネルの中で交差しているのも
余りないだろう。
京急の「赤い電車に白い帯」と横須賀線の「スカ色帯」。相互に久里浜で見られるが、遠く成田でもこの組
み合わせを見る可能性がある。久里浜−成田を競争させたらどちらが速いのだろう。
17 :
名無し野電車区:2006/11/21(火) 13:30:27 ID:bzyEEhOr
良スレの予感
18 :
名無し野電車区:2006/11/22(水) 18:32:47 ID:D1RC/8aq
カレーと云えば、上大岡は『リオ』!杉田は『バーグ 』!これは沿線の定番
三渓そばはこのスレの管轄外?
20 :
名無し野電車区:2006/11/22(水) 23:10:52 ID:39+oPQPf
「三渓そば」はどこにあるんですか? 三渓園のそば? あ、これ「傍」ね。
そういえば、京急蒲田の「えきめんや」が工事の為なのか閉店したようですね。京急久里浜は
そろそろ工事が終わってリニューアルする頃だと思いましたがどうなんでしょう。
21 :
名無し野電車区:2006/11/24(金) 01:11:19 ID:mMihAsw2
とりあえずage
22 :
笑うけぇきゅぅマン:2006/11/24(金) 16:54:26 ID:/7j3uflV
南太田から上大岡まで歩いたんだがw
市営地下鉄弘明寺えきの近くの商店街はとても活気があってイイッ!!
その前の蒔田の商店街は閑古鳥が鳴いてたけどねw
あと、変な洋食屋ってどこがどうゆうふうに変なの?
23 :
有馬:2006/11/25(土) 21:49:24 ID:4+9lbI5K
アド街放送中…って遅かったかorz
24 :
名無し野電車区:2006/11/25(土) 23:05:40 ID:bseg2ozj
弘明寺駅前『マミー』のたこ焼きがおいしいよ!
大きなタコが入った大きめのたこ焼き6ケ入りで280円。
ぜひぜひいらしてください。
By弘明寺民
25 :
名無し野電車区:2006/11/25(土) 23:19:54 ID:mXO9DI1z
横須賀中央 ヤジマレコード
26 :
名無し野電車区:2006/11/25(土) 23:23:31 ID:ZTlgCWcn
京急久里浜肉天そば(゜д゜)ウマー
27 :
名無し野電車区:2006/11/26(日) 18:41:33 ID:+78s/KLW
京急久里浜に行った。耐震補強工事で夏前から閉鎖された「えきめんや」。そろそろ休業期間が終わる告げられた
時期になって来たので様子を見て来たら、まだ工事が続いていた。そして「えきめんや」があったところの囲いに
は「エレベーター設置工事」と案内が出ていた。ここにエレベーターが出来たらお店のスペースは厳しそうだ。
ただ、改札の脇に新しい工事の囲いが出現していた。何ができるのかは出ていなかったが、雰囲気的にここに「え
きめんや」が出来そうな感じがする。工事の囲いの状況から、改札の内外から利用できるスタイルになりそうだ。
ところで、横須賀中央の「ヤジマレコード」は何かあるのだろうか?
その横須賀中央の駅前の歩道橋を渡った突き当たりのビルの裏にある「さぬきうどん」の店(ちょうどヤジマレコ
ードの真裏になる)はお勧めだ。
ぶっかけ(小)140円〜とリーズナブルな上に各種天ぷらが豊富で混雑時以外は注文を取ってから揚げてくれる揚
げたてがいい。しかも、その大きさたるや十分満足すること保証する! ちょっと分りづらい場所にあるが、探し
てみる価値はある。系列店が横須賀線の衣笠駅横の商店街にもある。
また、駅から海側に100m程歩いた所に有名になった「海軍カレー」の専門店がある。1階が関連のお店、2階が
レストランになっている。値段は若干高めだが、落ち着いた雰囲気で楽しめるお店なので、カップル同士の利用が
お勧めだ。そのお店の角を左に曲がったすぐ前に昔からあるカレー屋さんがある。「海軍カレー」とは違った味だ
が、しっかりした味とバリエーションの豊富さでこれも棄て難い。
28 :
名無し野電車区:2006/11/26(日) 20:32:23 ID:DNjSCUou
久里浜のえきめんや12/22オープンだって。
29 :
名無し野電車区:2006/11/26(日) 21:01:11 ID:+78s/KLW
そうなんですか。場所はやはりあの改札の脇なんでしょうね。
個人的には昔の味が変わらない事を期待したいものです。
30 :
名無し野電車区:2006/11/27(月) 20:24:27 ID:CzNqtDF5
朝9時前後の生麦の改札付近。所在な気に佇む若者が相当数いる。でも、若者だけではない。おばちゃんも
そこそこの年齢のおじさんも同じように人待ち顔で“誰か”を待っている。やがて9時少し前に1人の若者
がやって来た。そして何やらリストを出すと一人一人の名前を呼び出した。
本人確認が済んだ人からある一定のかたまりに分けられ、それぞれ指示された所へと向かい始める。
そう、この生麦は近くに倉庫や流通センターが多くあって、この人たちはそこに勤める派遣の人たちだ。
その日初めて顔を合わせた者同士グループ分けをされ、微妙な、時に戸惑いの表情も見せながら黙って仕事場
へと向かう列が長く続く。その横をパートや職員を乗せた専用送迎バスが何台も追い越して行く。どのバスも
一杯だ。バスは主に横浜市営バス。でも、中には相鉄バスの姿もある。相鉄バスはこの辺りに営業路線を持っ
ていないので、初めて見た時は少なからず驚いた。
次々と倉庫や流通センターに吸い込まれて行く人々の数の多さ。自分の仕事が空いた時、ちょっと小遣い稼ぎ
に初めての体験をしたが、ここに勤める人の多くがこういう派遣やパートの人たちだったのに驚いた。
そういえば今はもう御歳暮の季節。今日も生麦やその周辺の駅では毎朝こんな風景が繰り返されているのだろ
う。
31 :
名無し野電車区:2006/11/27(月) 21:22:08 ID:v+4KBuWR
へ〜ぇ!
32 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 02:05:15 ID:gEtlhM3w
生麦駅の1つ品川寄りに「花月園前」(かげつえんまえ)という駅がある。各駅停車しか停まらない小さな駅だ。
上りホームの裏側をJR東海道線、横須賀線、根岸線に高島貨物線の線路が束になって走っていて、駅近くの小さな
踏切は首都圏でも有数の“開かずの踏切”として有名だ。
この花月園前から生麦を経て子安までは京急とJRのデッドヒートが楽しめる区間でもある。下り電車なら京急鶴見
を通過して高架から一気に地平に駆け下る。120km/hのトップスピードで疾走する高速区間なので、併走するJR
車両をスカッと追い抜いて行く区間でもある。
ところで、この花月園前駅は京急でも珍しい公営ギャンブル「花月園競輪」の最寄駅。他にも平和島競艇、大井競
馬などが沿線にあるが、徒歩5分程で行けるのはここだけである。
昔は開催時には大勢の乗客が乗り降りして、時には人々がホームから狭い駅前道路に溢れるくらい賑わっていた。
改めて見ると、この駅のホームの幅が他の各駅停車しか停まらない駅に比べてやけに広い。言うまでもなく、大勢
の下車、乗車する客を捌く為に“破格の広さ”になった訳だ。競輪の終了後には通常通過の急行電車が「花月園前
臨時停車」をして多くの乗客を乗せた。
しかし、ここも近年そのような乗客をあまり見かけなくなった。この広いホームを埋め尽くした人々も、突発的に
臨時停車した急行電車も、既に過去の語り種になって久しい。
33 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 02:08:11 ID:gEtlhM3w
>>32訂正
×:根岸線 → ○:京浜東北線
失礼!
34 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 12:41:48 ID:gEtlhM3w
「雑色」と書いて『ぞうしき』と読む。京急の難読駅名の第一候補だ。駅前は商店街や住宅が所狭しと
建て込み、まさに駅名通りにゴチャゴチャしている。ここは都会の私鉄の小さな駅にありがちな典型の
ような風景だ。大きなスーパーなどなく、昔ながらのお店が軒を列ね、夕方には買い物客で賑わい、威
勢のいい呼び込みの声が飛び交う。
でも、ここは隣の京急蒲田駅の高架化工事と供に新しく生まれ変わろうとしている。高架になり踏切が
なくなって人の流れもスムーズになるだろう。また、高架になってできたスペースにチェーン展開をす
るファストフードのお店が進出してきたりするかもしれない。そうなると、この辺りの様子も場合によ
っては一変するかも知れない。それがいいことか淋しいことかは分らないが。
1つ横浜寄りの「六郷土手」。雑色とともに各駅停車しか停まらない。その名の通りズバリ多摩川(六
郷川)の東京都側の“土手”にある。ホームの端のすぐ先は多摩川鉄橋のトラスが懸かり、足下は河川
敷に続く。雑色とは対照的に駅の周囲は静かな住宅地の中である。ここに通勤していた友人は、「この
2駅は京急で1番不便な駅だ」と酷評していた。確かに品川方面から来ると、ヘタすれば品川から延々
各駅停車で来なくてはならないし、川崎以南と違って10分毎しか電車が来ない。都会の中にあって取り
残された存在の駅だという。確かに。
でも、トラスが何連も続く新鮮なアングルの中、ぐんぐん近付いて来る上り電車、マックススピードで
目前を突っ切り、遥か向こう岸に輝くオレンジの警戒信号に合わせて急減速して行く下り快特の迫力を
“ナマ”で実感できる隠れたスポットでもあるのだ。
35 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 18:06:49 ID:pkcAaqm/
漏れは利用者ではないが、親戚が「大森町」に住んでたので昔は良く行った。あの辺の風景は今はどうなったのかな?
確か駅前から細い通りの商店街だったような記憶がある。銭湯とアパートもあったなぁ。
36 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 20:12:21 ID:gEtlhM3w
京急川崎から分かれる大師線は京急発祥の地、関東初の電車の開業線という歴史のある線である。
でも、今では京急では一番地味な線になってしまった。電車は全て線内折返しの各駅停車のみで、
4両の旧1000系が朝夕5分、昼間10分間隔で往復するだけだ。本線の高いホームから離れた地平
からひっそりと発車する。
37 :
名無し野電車区:2006/11/28(火) 20:12:51 ID:gEtlhM3w
構内の端に電留線があり、その後ろを急勾配で本線へ続く連絡線が続いている。普段は本線との車
両の送り込みのために設けられていて、ここを通る営業電車はない。しかし、昔は大晦日の終夜運
転時のみ、品川−川崎大師を直通する臨時初詣電車が走っていたことがある。でも、最近はそんな
運転も見られなくなった。
多摩川の土手の下を不自然な急カーブでソロリと進むと港町。そして次の鈴木町と沿線の工場へ通
勤する人たちの利用が多い。次の川崎大師。日本屈指の初詣客で賑わう川崎大師。正月は広く見え
るホームも参拝客で身動きが出来なくなる。普段でも休日は人通りが絶えず、名物のくず餅を並べ
る店が参拝客を待っている。リズミカルに飴を切る包丁の音も心地よい。
この先は住宅より工場や倉庫の建物が目につくようになる。かつては味の素の工場へ貨車を運ぶた
めに3線式のレールも敷かれていた。レールは剥がされているが、車窓を眺めているとその跡が何
となく伺える。また、この辺りの架線柱は電車線の上に高圧送電線を併設した背の高い架線柱が今
でも残っている。昔は横浜を出て川崎へ向かうと、このような背の高い架線柱がずっと続いて京急
の電車線の特異な風景だったのだが、今ではこの辺りでしか見られなくなった。
終点の小島新田は複線の線路が駅手前で合流した単線のみの駅。到着した電車は数分の後に折返し
て行く。小さな改札を抜けると、駅前というには猫の額程のスペースに客待ちのタクシーが数台。
そして常連さんだけで成り立っているような小さな食堂や飲み屋が数軒、狭い道の両側に並んでい
るだけ。そこが“定住地”と決めて動かない猫が数匹、行き交う人を眺めている。手を出しても愛
想を振りまく訳でもなく、ただされるがままにじっとしていた。
駅のそばの細い車道の陸橋に上がれば、目前にJRの貨物ターミナルが広がっている。華やかさはな
いけれど、頻繁に行き交う貨物列車を見ているのも案外面白い。
ひと時眺めて、再び何本か後の折返し電車に乗って帰る。そんな感じが丁度いい終着駅だ。
38 :
名無し野電車区:2006/11/29(水) 22:29:50 ID:UJkgpr5n
age
39 :
名無し野電車区:2006/12/01(金) 13:47:35 ID:Bn3ZqIMQ
京急の三線区間といえば、大師線の他に逗子線の金沢八景と神武寺(じんむじ)の間の上り線にも敷設さ
れている。こちらは御存知のように、金沢八景にある東急車両との新車や入場車の受け渡しに今でも現役
で使用され、神武寺から元米軍接収地だった池子弾薬庫の敷地内を通って横須賀線の逗子駅へと続いてい
る。
真新しい新車が殺風景な有刺鉄線の中にポツンと留置され、引取りに来るDLの到着を待っている、そのミ
スマッチな風景が異様に映っていたのを覚えている。
現在は車両の搬入は主に深夜に行われているが、昔はダイヤ上では昼過ぎに八景発のスジが引かれていた。
八景発の場合上り線を逆走する形になるので、その搬入がある時だけ、通常は10分毎の電車が1往復臨時
運休になっていた。該当電車の時刻に※印で「不定期」と書かれていたのを思い出す。
しかし、土曜日にそれを行うと、神武寺のホームには半日で終わる高校生の帰宅とかち合い、狭いホーム
は人で溢れた。ちっとも来ない電車を「だり〜い!」などとブーたれながら待っていると、八景方の短い
トンネルから東急車両独特の「貨物電車」がゆっくりと顔を出して側線に入って来る。機能本位で無骨な
スタイルの「貨物電車」は、「1」だか「11」だかの番号が付いていたと思うが、メクラの貫通ドア付
き正面に、側面にはコルゲート、台車は昔ながらの何かの流用だろうDT-11だったりして、お世辞にもス
マートとは言えなかった。
そんな電車が数両の貨車や新車の一部(構内が3両程度しか入らない)を連れて来ると、興味津々眺めた
ものである。15時頃になると逗子駅から古くはDD11やDD12が係員の誘導でやって来て入換えを行い、
先の場所にとりあえず留置する。ある程度編成になった所で、深夜逗子まで牽引して行くという具合だっ
た。件の電車は次の作業まで通常はこの神武寺でずっと留置されていたので、いつも汚れているイメージ
しか残っていない。
40 :
名無し野電車区:2006/12/03(日) 17:58:58 ID:JkjQYPkH
港南区笹下「雑色町内会」について。
上大岡発雑色行き
42 :
↑:2006/12/04(月) 21:06:47 ID:DZtnXevr
ドーセなら、雑色から環2より磯子駅前か上永谷〜干菓子戸塚駅なんてね!
>>42 雑色〜上永谷駅〜京急ニュータウン〜(こまわり君本領発揮区間)〜北本郷台〜本郷台駅
44 :
↑↑:2006/12/05(火) 00:37:39 ID:UHKe7brP
有馬先輩!江ノ電スレ掛け持ち乙!
45 :
名無し野電車区:2006/12/05(火) 19:31:39 ID:xhhiqsEh
新馬場(しんばんば)駅と新逗子駅。どちらも共通の話がある。どちらも近接していた2つの駅を統合して誕生
した駅だ。双方とも2つの駅間は数百メートル、京急でも最短と言われる距離で隣接していた。
新馬場駅は北馬場駅と南馬場駅を高架化工事の際に統合されてできた。しかし、新馬場駅は元の両駅の利用者の
利便を図って改札はそのまま利用することにした。そのため、階段は品川方、横浜方に離れたところに設けられ、
元の両駅間分のやたら長いホームが高架上に設けられた。駅間が300メートル程とはいえ、ホームの長さとして
見れば異様に長い。そのホームの中央に4、6両の各駅停車がちょこんと停まる姿が何となくおかしい。しかし、
決して低くない高架のホームに上って、「電車は**m先に停まります」という表示は、正直ちょっと萎える。
一方、新逗子駅は京浜逗子駅と逗子海岸駅を統合して誕生した。確かここは8両運転を開始する際に京浜逗子駅
の前後の踏切がホーム延伸に支障が出るため、この中間に「新逗子駅」として新たな逗子線の終着駅として誕生
した。やはり改札は元の両駅に配慮して両側に設けられているが、ここは新馬場駅のようにホームは長くない。
その分逗子線の距離が若干短縮されている。
昔の逗子海岸駅は一応ホームも2線あったが、片方は夏の海水浴特急の時以外ほとんど使われなかったため、新
逗子駅になって駅手前で合流する単線ホーム1本になってしまった。
双方の駅間も約400m弱。歩いても5分程度だ。子供の頃、この近くの小学校に通っていたが、京浜逗子駅の下
りホーム(逗子海岸行き)から乗る人を見たのは後にも先にもただの1回だけだった。未だにその人がどんな目
的で電車を待っていたのか不明である。
46 :
名無し野電車区:2006/12/06(水) 06:45:48 ID:f6dl+x0V
京急沿線というほどではないが、横浜港山下公園のシンボルだった「マリンタワー」が今月25日限りで
休館になる。横浜開港100周年を記念して建造されてから半世紀近く、今でも世界一高い(確か105m)
燈台(マリンタワーの本来の目的は「燈台」なのだ)としてギネスブックにも載っているそうだ。
老朽化によるリニューアルのための休館ということで、2009年の横浜開港150周年に合わせて新装オー
プンするという。
また、マリンタワーと並んで山下公園のもう1つのシンボルだった「氷川丸」も同日に閉鎖される。
長年親しんで来た身としては、やっぱり寂しい。
47 :
名無し野電車区:2006/12/06(水) 21:59:35 ID:XXuPJiZp
>>46 氷川丸は、リニューアルではなく、完全に閉鎖なのですか?
48 :
名無し野電車区:2006/12/07(木) 20:19:21 ID:yAVBhQ5E
>>47 マリンタワーと氷川丸はここを運営する会社が事業を終了するため、今月25日をもって終了ということです。
当初聞いた時は老朽化と聞いていたのですが、確かめてみると運営会社の運営終了ということでした。
マリンタワーは前述の通りリニューアルオープンが決まっているようですが、氷川丸の方は特にそういう話は
聞いていません。なお、マリンタワーの本来の使命である「燈台」は今後も継続して機能するということです。
25日まで両施設とも通常の半額(マリンタワー350円、氷川丸400円=何れも大人)で利用でき、
16日からはマリンタワーで毎日先着100名に記念品プレゼントもあるそうです。
また、沿線のみなとみらい線横浜駅(東急横浜駅)コンコースで、16日からの10〜14時の間に
記念のみなとみらい線一日乗車券(限定5000枚)も発売されるそうです。
詳しくはHPを見て下さい。
49 :
氷川丸は関連会社の日本郵船へ:2006/12/07(木) 20:26:01 ID:HR2ul/Uy
50 :
名無し野電車区:2006/12/07(木) 20:52:12 ID:yAVBhQ5E
両方とも保存されるそうですね。取りあえずはよかったです。
個人的にもいろいろ思い出深い場所なので、今度休みの日に暖かければ行ってみましょうか。
その後、久しぶりに中華街もいいかもしれない。
そういえば、桜木町から中華街、港の見える丘を通って中村橋、蒔田、保土ヶ谷と走る市営バスも
先日廃止が発表された路線。横浜らしい港の景色を望みつつ、山手の狭いアップダウンの激しい道
を巡って坂を下れば、一変した昔からの商店街や住宅地を走るこのルートは車窓の変化にも富んで
います。30分に1本程度、うち半分が蒔田止まりですが、時間があれば乗ってみても良いかと思い
ます。
また、桜木町から同じく中華街を通ってスカイウォークへ走る市営バスも廃止対象路線になっていま
すが、このバスはベイブリッジを渡る市営バスの貴重な路線。高速道路走行のため、一般より20円
高い230円になっています。
51 :
名無し野電車区:2006/12/08(金) 21:51:13 ID:G/tntCRj
金沢文庫や堀ノ内のホームの途切れた所に妙なものがある。それは小さな踏切警報機。
一般的な踏切警報機と比べ大きさは1/3くらいか。それはまるで模型の警報機のようだ。
でも、電車が近付くと一人前に「チンチン」と音が鳴って赤色燈が交互に点滅する。かなり音は控え目だけれど、
動作自体は一般的なものと全く変わらない。いったいこれは何の為に設けられたのか今ひとつ分りかねる。ただ、
場所を考えると、恐らく回送電車や入換電車の運転の際に構内を横切らなくてはならない乗務員や職員用のための
ものなのだろう。それにしても、他では見られないユニークなものだ。
52 :
100億歳の穴部康雄:2006/12/08(金) 22:28:53 ID:70zmSqN1
くそスレッド覚悟で未来日記
「三崎口駅」を通過して、終点・城ヶ島駅に到着します。
こちらは、かつてバス待合所が駅舎になりました。
駅マニアの横見さんも訪れましたが、ただコンクリート型のバス待合所が
駅舎になったのでつまらなかったとか。
城ヶ島駅の売りはまぐろ丼だが、まぐろの収穫高が激減したので
ついに紛い物の鹿肉丼まで出始めたようだ。
聞けば、北海道などで激増した野生鹿を一部、三浦市に移して
牧場で養殖しているとか。
こうなると、海鮮料理というより新アイヌ料理に近いだろう。
三浦市はしか肉のほか、新たな名物を模索中だとか。
53 :
名無し野電車区:2006/12/09(土) 08:39:30 ID:3UpZ2w0H
54 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 16:48:35 ID:m1M/jE9v
>>51 文庫のは、工事関係の作業員が利用しています。
55 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 18:54:51 ID:f18nTNyx
今日、横須賀市内から京成の青砥まで直通の特急に乗った。たまたま先頭の“かぶりつき席”が空いていたので、
存分に先頭の楽しみを味わえた。こんなに長い距離を乗るのも久しぶりだけど、見ていると運転士の交替が結構あ
るものだ。
金沢文庫、神奈川新町、京急川崎、泉岳寺、押上と5回も運転士が代わる。しかも、都営浅草線内は便乗の職員、
京成線内は見習いと指導運転士の2人乗務で、のべ8人もの運転士が入れ替わった。当然車掌も同じように交替し
ている訳だから、更に6人を加えて14人の乗務員によって青砥までリレーされた訳だ。
単に1本の電車が走るだけでもこれだけ緻密な連携プレイで支えられているのに改めて驚く。
折から今日は京急を始め関連する都営浅草線や京成線などでもダイヤ改正が実施された。真新しい乗務員ダイヤを
1つ1つなぞりながら電車はきっちり走って行く。
56 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 19:05:12 ID:zH0vIdNj
age
57 :
名無し野電車区:2006/12/10(日) 19:53:33 ID:sUgQvCCR
>>34 雑色、
駅前にあるOKストアは、エブリデイ ロー プライスで有名なスーパー
京急沿線に似合うスーパーである
そんなスーパーがあるのに商店街が活発なのは住民の気質に寄るもの
しかし、マンションの増加により住民の気質にも変化の兆しが…
六郷土手、
駅前に道路が横たわり、商店街は道路沿いにある
毎年八月に行われる花火大会の日のみ注目される
駅前の和菓子屋は創業が古いことで有名。味も良し
コーヒーメーカーのカリタが近所にある
住民は、品川方面から帰るときは、川崎を経由する場合がある
復乗がしやすい駅であるが、大っぴらにやる馬鹿な住民は少ないらしい
58 :
名無し野電車区:2006/12/11(月) 16:40:47 ID:44xjHKtr
横須賀は知らないと海上自衛隊や米軍の横須賀基地、東京湾などと、どちらかと言えば「海」のイメージが強いが、
実際には海岸の近くまで三浦半島の丘陵が迫っていて、市内は思いの他平地が少ない。京急も横須賀市内に入ると
次々とトンネルが続くようになる。そんなトンネルに挟まれた横須賀中央駅は、その名が示す通り横須賀市の中心
駅である。
中心の駅といっても、駅の三方を崖で囲まれているため、京急の電車は衣笠へ通じる県道の急坂を跨ぐ僅かな部分
でしか見ることが出来ない。この急坂を平坂と言うが、名に反して相当な急坂で、普通に歩いて登るだけでも息が
切れる。今でこそ性能の良い車やバスはそれ程難無く登って行くが、昔はバスがこの坂を難渋して登って行ったも
のだ。途中で停まってしまって降ろされたこともある。反対に下る時は前につんのめるような感覚になる程の急坂
だ。今は夜になると客待ちのタクシーがこの急坂に列を作って停まっているが、そのライトが電車の窓から3次元
的につながっているように見える。
私の母親が言っている「武勇伝」が、『この坂を布団を積んで自転車でこいであがった』と今でも何かと口に出す
が、昔のギアも電動アシストもない業務用の自転車で上がるなど、正直、誰も信じていない。
でも、この坂を上がり切ると横須賀市街を一望できる中央公園があり、天気が良ければ東京湾、そして房総が一望
できるなかなか良い所だ。中学時代好きだった女の子とよく来ていたのがこの公園。静かで黄昏時はなかなか良い
雰囲気の公園である。
59 :
名無し野電車区:2006/12/12(火) 23:06:27 ID:73Ae6RbY
60 :
名無し野電車区:2006/12/13(水) 19:54:44 ID:k0m8R+3n
横須賀中央駅の正面改札口を出ると、駅正面のロータリーを跨ぐペデストリアンデッキが広がる。
そこはちょっとしたスペースになっていて、時々いろいろなパフォーマンスが行われている。
原潜入港反対の演説は昔から終わることなく続いているが、最近時折目にするのがラテンバンドの
路上ライブ。これが結構本格的で、思わず足を停めて聴き入ってしまうこともある。彼等の素性を
知る由もないが、週末の日中にいることが多いようだ。
ここから左に700〜800m位が横須賀市のメインストリート。大して広くない道路の両側にアーケー
ドが続き、左側は昭和30年代にできた三笠ビル商店街が細長く続く。右手には西友、そして横須賀
に出来た老舗デパート「さいか屋」が今でも元気に営業している。昨今統廃合されて消えて行くデ
パートの多い中で、川崎などと共に今でも正統派の「百貨店」だ。
そしてこのメインストリートが尽きて国道16号線を左に折れると、左手山側が横須賀でも名の知れた
通称「ドブ板通り」だ。国道から道1つ山側に入った小さな通りにアメリカンテイストの雰囲気あふ
れる店が軒を列ねる。昔はその名の通り雑然としたダウンタウンの独特な雰囲気で近寄り難いものが
あったが、今では道もきれいに鋪装され気軽な散歩道になった。でも、昔ながらのお店のスタイルや
愛想よく声をかけて来るアメリカ人の雰囲気は変わっていない。
61 :
名無し野電車区:2006/12/13(水) 23:34:25 ID:OA0s79PK
ここ良スレだねー。
おいらの地元の小田急でもやってほしいけど荒れそうだしなぁ。
やっぱ京急だな。
62 :
名無し野電車区:2006/12/14(木) 21:17:26 ID:w+5P7GaD
先の横須賀のメインストリートを抜けて国道16号線を横切り、案内に従って歩くこと駅から15分程で
三笠公園に着く。ここには日露戦争の日本海海戦で旗艦として活躍した記念艦「三笠」が保存されてい
る記念公園になっていて、夏場は花火大会やミニライブなども開催される市民の憩いの場になっている。
「三笠」の中に入ると日露戦争当時の活躍の様子が紹介され、当時世界最強と言われた艦隊の様子を伺
い知ることができる。建造は1899年ということで、一世紀以上の歴史を重ねて来た船が、今でもこうし
て横須賀市のシンボルとして生きている。「三笠」という船名は実はこの辺りに関係なく、奈良の若草山
の別名「三笠山」から付けられたのだという。
ところで、この三笠公園からは主に週末に、横須賀の沖合い1km程の東京湾に浮かぶ「猿島」へ観光船が
出ている。「猿島」はもともと無人島で、戦争中は東京湾の要塞として使われていた。島に上がると鬱蒼
とした木々に埋もれた砲台跡や防空壕など、戦争中の遺品が至る所に残っている。小さい頃行った時は、
その名の通り野生のサルが多く居たような記憶があるが、今はどうなんだろう。海水浴場としても人気が
あった島だった。
また、三笠公園は横須賀市の非常備蓄倉庫になっていて、この公園の下に災害時の非常食などが貯蔵され
ている。公園の中には「D51」のナンバープレートを付けたSL!も置かれている。が、近寄って見てみ
るとやけにがに股でテンダーの部分がC62並みに大きい! D51とは似ても似つかないハリボテなんだが、
これが何と横須賀市民の非常用水槽になっていて、これが本来の使命なのだ。
63 :
名無し野電車区:2006/12/14(木) 21:32:13 ID:w+5P7GaD
そんな市内のお決まりコースをぶらぶら歩き、国道16号線を横浜方向に行けば、もう1つの横須賀の
象徴であるベ−ス(米軍基地)の正面玄関の前を通ると右手に大きなダイエーがある。今や横須賀とい
うか、三浦半島で一番大きいショッピングセンターで、ここだけ「都会」の雰囲気だ。京急の駅で言っ
たら隣の汐入駅の近くである。ここは昔は大きな繊維工場だったはずで、引込線もこの辺りまで延びて
いた。
そしてそのまま公園として整備された海岸沿いの道を行けばJR横須賀駅。京急横須賀中央駅から歩くと
30分、バスなら10分弱、汐入駅からも歩いて8分程だ。駅前の公園から海を眺めると、海上自衛隊の船
をいくつも見ることができる。ここは中央駅の喧噪とはかけ離れた静かな駅。駅前もバスターミナルと
年季の入った小さなスナックが崖下にへばりついているだけで何もない。駅構内にあるコンビニだけが
今風の唯一の施設という感じである。
64 :
名無し野電車区:2006/12/15(金) 00:16:34 ID:W52VkeN4
おれも書きたいけどこんな文才ないや…
楽しみにしてますよ!
マターリ続けて下さいm(__)m
65 :
名無し野電車区:2006/12/15(金) 04:24:25 ID:jN3ZrikO
良スレage
66 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 00:19:49 ID:zIQjaBT6
金沢文庫の1つ横浜寄りの能見台(のうけんだい)駅。ここは京急の中でも大きく変貌した駅の1つであろう。
昔は「谷津坂」という駅名だった。何ともローカルなイメージの駅名だけれど、記憶にある限りでは、京急でも一番“わ
びしい駅”という印象があった。とにかくホームには申し訳程度の上屋しかなく、雨風のひどい日にはまるで役に立たな
いのではないかと思う程のみすぼらしい駅に映った。
しかし、この駅の周辺で大規模な宅地開発が始まった。それを契機に駅名を「能見台」という“今風”のイメージの駅名
に改称し、駅そのものも堂々とした橋上駅舎に変貌した。多くの新興住宅地と大手大規模スーパーが進出し、辺りの風景
は一変した。京急バスも「能見台営業所」という営業所まで設けるという力の入れようで、この辺りの中心的な存在にな
った。
でも、この駅は昔から変わらないことがある。この辺り一帯の中心であるはずなのに、各駅停車しか停まらない。だから
なのか、増結などのある隣の金沢文庫までわざわざ送ってもらったりして都心へ向かう人が意外に多いのだという。
そして、この能見台の横浜寄りの線路際に横浜高校のグラウンドが見える。横浜高校といえば、高校野球で全国的に名を
知られる強豪校であるが、失礼ながら私の高校時代にはこの学校、余り評判が芳しくなかった。陰で「ヨタ校」と蔑視し、
付近の女子高などは学園祭の案内状をこの高校だけは送らなかったという噂もあるくらい、色々あった学校だった。
しかし、現在は知っての通り、特にスポーツに秀でた高校として全国区になった。中でも野球は激選区の神奈川を制覇し、
甲子園でも全国優勝を何度もするなど、素晴らしい実績を上げる高校になった。とても今なら「ヨタ校」など言えない名
門校である。そして、甲子園で活躍し、さらにはプロ野球へと、多くの選手を輩出している。
その中で、何と言っても今、日本人の多くが羨望と誇りに思う横浜高校の卒業生が、途方もない金額を払ってまで、あの
“大リーグ”がラブコールを送った「松坂」なのである。
67 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 21:15:47 ID:zIQjaBT6
京急が今、一番力を入れている空港線。都心から、横浜方面から直通電車が頻繁に走るようになり、
すっかり羽田空港へのアクセスとして重要な路線になった。たった線路1本の京急蒲田駅の空港線
ホームで、上下、そして都心、横浜方面からの列車を捌く神業的ダイヤは皆の知る所である。ただ、
やはり限界ギリギリの状態は時に混乱を招きかねず、早期の京急蒲田駅周辺の改良、高架化工事の
完成が待たれる所だ。
ところで、ひと昔前の空港線と言えば、実にのどかな支線だった。京急蒲田と旧羽田空港の間を折
返す800系が、古くは京急の名車の誉れ高い230系が3両編成で終日往復運転するだけの路線だっ
た。ごみごみした下町風情の街中をゴトゴト走り、首都高横羽線の下を通れば終着羽田空港である。
目の前を運河が横切り、レールはその手前で終わっていた。
当時の旧羽田空港駅は羽田空港(東京国際空港)の旧ターミナルへのアクセス駅というふれ込みで
案内されていたが、実際は駅前からマイクロバスで5〜6分程揺られて行かなくてはならず、とて
もアクセス鉄道としては使いにくい駅であった。
私もこのルートを何度か使って羽田空港へ行ったことがあるが、乗換が面倒だったり意外に時間が
かかるなど、正直積極的に使えるルートではなかった。それでも、首都高を使うリムジンバスの渋
滞の心配を考えると、まだ時間が読めるだけマシという程度のものだった。
ただ、駅に降りると、特に朝など“それなり”の空港利用者はいた。早めにバス停に並ばないと、
時には小さなマイクロバスでは“積み残し”をされてしまうことがあった。空港関係者の通勤にも
使われていたので朝夕はいつも一杯で、時には普通のバスが充当されたこともあった。
しかし、昼間になるとそれは閑散として、駅から降りる客もそれらしき人はまばらで、バスは数人
を乗せただけで発車して行く。目前の運河ではのんびり釣り糸を垂れる人の姿も望めたりして、妙
に長閑な風景だった。
68 :
名無し野電車区:2006/12/16(土) 21:16:42 ID:zIQjaBT6
手狭になった羽田空港は沖合いに展開することになり、京急の路線も1つ手前の穴守稲荷と羽田空
港の間を暫く運休して地下へと新しいルートを辿ることになった。そして現在のように新しくオー
プンした新ターミナルに乗り入れたのである。以来、のんびりした支線だった空港線は、一躍京急
の重要路線へと大変貌して今日に至っている。
そして、旧羽田空港駅はそのまま路線変更と同時にその歴史を閉じた。旧駅の近くには傍の運河に
懸かっていた橋の名前を取り「天空橋」という駅が設けられた。数多く利用した羽田空港旧ターミ
ナルも今や更地になって面影すらなくなった。旧駅前には以来一度も足を踏み入れたことはないが、
今度時間が出来たら久しぶりに当時の面影を辿ってみようと思う。
69 :
名無し野電車区:2006/12/18(月) 00:08:22 ID:DBXoE6RR
70 :
名無し野電車区:2006/12/18(月) 16:26:14 ID:mu9DFTzx
京急には「○○海岸」という駅がいくつかある。他にも「浦」「汐」「浜」とか“海”を連想させる駅名が多い。
確かに線路は東京湾に沿って走っていて、“海の近く”と言えなくもないが、実際に海が見えるところは前にも書い
たように、横須賀中央を出てトンネルを抜けてからである。そして本当に間近に海が見える所は今はまずない。
“今は”と書いたのは、実は海岸の近くを走っていた…という場所が“過去”にはあった。
本線の終点の1つ手前の馬掘海岸(まぼりかいがん)。ここは私の小さな頃は駅の近くまで「海」だった。駅を降り、
国道を横切るとすぐ前は海水浴場だった。まだ、三浦海岸まで電車が延びていない時代、この辺りは人気の海水浴場
として賑わっていたという。私も記憶に定かではないが、1回くらい行ったような気がする。
しかし、ここも宅地化の波が押し寄せ、いつしか海岸は徐々に埋め立てられて、次第に海は駅から遠ざかっていった。
今では駅から海岸のある防波堤まで歩くと10分近くはかかる。
その途中は整然と区画整理された住宅地が広がっている。でも、この辺りは一戸建ての住宅ばかりでマンションが少
なく、歩いてみると意外に“空が広い”。山の多い横須賀では珍しい風景だ。防波堤の前を走る道路は、市街をバイ
パスしてこの先観音崎へと続く。このバイパス沿いには大型ショッピングセンターがいくつも出店して、新しい横須
賀の中心街を形成している。真新しく広い道路、ちょっとお洒落な街路樹が続き、防波堤にはカラフルなイラストも
絶えない。しかし、その途中には昔ながらの釣舟のお店も営業しているその微妙な関係が面白い。
休みともなれば、この防波堤の上は多くの釣人が竿を垂れる。沖を大型タンカーやコンテナ船がゆっくりと移って行
く風景は、どこか長閑な映画の1シーンのようだ。しかし、その周囲にも数多くの大型船が列をなしているのにも驚
く。さすがにここは東京湾なのである。
馬掘海岸と次の終点浦賀の間のトンネルの上には「防衛大学」がある。時々この両駅から、凛とするような真っ白な
制服の防大生が乗り降りする。以前は「防大生は車内で決して座ってはならない」という決まりがあったと聞いたこ
とがあったが、今は空いている限りではそうでもないようだ。まぁ、これも「時代」なんだろう。
71 :
名無し野電車区:2006/12/18(月) 17:32:31 ID:0uPs/UZO
>>30 亀レスだが・・・
一時期、仲木戸駅前でも朝8時頃に若者の集団が見られた。
多分派遣関係とオモワレ。
そういえば最近見ないな・・・
72 :
名無し野電車区:2006/12/18(月) 18:11:04 ID:mu9DFTzx
>>70訂正します。
「馬掘海岸」→「馬堀海岸」
>>70に関連して…
昔は「大森海岸」の辺りも海水浴場があったそうだ。また、「屏風ケ浦」も比較的駅の近くまでは
海だった。国道の市電通りのすぐ向こうは松林の続く海岸で、根岸線はこの海岸を埋め立てて敷か
れたのである。また、金沢シーサイドラインの走る所も、昔は全て“海”だったところだ。
73 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 00:20:35 ID:+SDSumaz
富岡はバスターミナル辺りまで海岸だったそうですな
全く想像できない…
74 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 08:20:09 ID:bdIjmjJp
名文age
楽しみにしてますよー
75 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 16:41:23 ID:6Im7wPne
上大岡は京急でも快特以下全ての電車が停まるターミナルだ。市営地下鉄をはじめバス路線も四方に伸びている。
駅周辺にはデパートやいろいろなお店が集まる賑やかな繁華街で、横浜南部の商業的中心地でもある。
この上大岡を囲むように連なる丘陵地帯も、昭和40年代頃から宅地開発が進み急激に人口が増えた。横須賀の方
から来た電車も、上大岡で一気に車内が混雑して横浜まで運ばれる。
ところで、上大岡は平仮名で書くと『かみおおおか』である。当たり前であるが、漢字を素直に読んだ表記なのだ
が、昔から京急を利用していたり、沿線にいる人の多くはこれを『かみおおか』と呼ぶ。言うまでもなく、「お」
が3つ続くのは極めて言いづらい。だから自然と「お」を1つ少なくして『かみおおか』と呼んでいる。
昔からそう馴染んでいたので何の疑いも持たなかったのだが、ある日ふと駅名標を見てこの“事実”に気が付いた。
「『お』が3つある!」
そう気付いてしまってからは、車内アナウンス、人の会話、全てが気になって仕方ない。で、やっぱり聞いている
と、「次はかみおおかです。かみおおかを出ますと次は横浜です…」と、やっぱり「お」が2つに“聞こえる”こ
とが多い。たまに“正しく”『かみおおおか』と言われると何か違和感すら感じるのだが、果たして皆さんはどう
なんだろう?
76 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 17:54:00 ID:FdcwUZp/
京急線あこがれますね
東戸塚にすんでるんで南区とか近いのにな
上大岡はこの前行ってびっくりしました。
こんなにぎやかな所だったっけ
>>76 >こんなにぎやかな所だったっけ
そっくりそのまま東戸塚に当てはまると思う香具師は挙手
78 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 18:39:31 ID:HPR7341F
79 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 19:09:36 ID:ts0n4hSX
>>75 上大岡に京急のグッズみたいなの扱っているお店ありましたっけ?
80 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 19:10:33 ID:gC5XD0RP
上大岡と大岡山の区別がつきませ。
81 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 19:11:16 ID:gC5XD0RP
ん。忘れた。
83 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 22:34:39 ID:FdcwUZp/
>>76 デパートが一つ建っただけで全然田舎です。後マンションか。
上大岡はヨドバシカメラ?ビッグだっけ?があってすげえ!と思いました。
あと個人的に神奈川駅が好きです。
外観は何ていうか風情があるし、あとスリリングだし
84 :
名無し野電車区:2006/12/19(火) 22:40:05 ID:FdcwUZp/
間違えました
>>77さんへ
ついでに戸部
掃部山公園とか県立図書館が一応近くにあって
85 :
名無し野電車区:2006/12/20(水) 23:23:46 ID:H8P+M8RF
神奈川駅の話が出ていたが、今の京急の駅の中で、何か一番“地味”な駅という印象がある。
駅は横浜の1つ品川寄りにあり、その駅名は「県名」であり「横浜市神奈川区」と、貫禄は十分あ
るのだが、実際は各駅停車が停まるだけで、快特が目前をフルスピードで駆け抜けて行く。
ホームの片方は切通し、もう片方がJRの線路が間近に迫っている。そのためホームが結構狭い。
それ故通過する電車のスピード感は一際である。また、ホームの上屋は改札口に近い半分程しかな
い。昔から見ているが、変化といえばホームを延伸したくらいで、基本的には昔のままの駅だ。
JRの線路に面したホームの上屋の後ろには以前からJRに向けた広告が掲げられていた。昔は横
須賀、三浦海岸への広告だったが、最近は羽田空港への広告なのだろう。でも、改めて思い出して
みたが、実はどうなのか余り印象がない。結局、私の記憶の中でも印象が薄い駅という訳なんだろ
う。
しかし、外に出ると、駅前は国道1号線がJRと京急を渡って山側から海側に移る「青木橋」が懸
かり、京急に品川から沿うように続いてきた国道15号線(第一京浜)と合流する交通の要衝だ。頭
上にうねる高速道路の柱の隙間から、ランドマークタワーや大観覧車など、みなとみらいの施設や
建物が垣間見える。一日を通じてそれ程乗り降りが多くないようで、それが「風情がある」といえ
ばそう言えなくもない。
86 :
名無し野電車区:2006/12/21(木) 22:36:34 ID:zV6Muygb
今週末はクリスマス。街はきらびやかな灯りとメロディーで華やかな時期となった。世の中のみんなが
浮かれて楽しいのなら言うことがないのだが、この賑わいも空しく、恨めしく思う人もいないわけでも
ない。
自分も彼女がいなかった若い頃、クリスマスに家にまっすぐ帰るのにはずいぶん抵抗があった。
わざと遠回りをしたり、途中下車をしたり、時には旅行に出たりもして極力避けていた頃もあったが、
やっと自分もそういう立場になったら、途端に楽しいイベントになった。恨めしく思えたクリスマスケ
ーキの大きな箱も、今は楽しんで持って帰る。子供と一緒に年甲斐もなくはしゃいで過ごすのが恒例に
なった。でも、その時も働いている人は大勢いる。当たり前だけれど電車は動いている。ご苦労さま。
最近は家の周りを電球やLEDで飾る家が多くなった。私の家の近くにも、隣近所で毎年競うように年々
豪華さがエスカレートしている。京急の車窓からも時々そんな家も目に付くようになった。ほんの一瞬
だけれど、電飾のトナカイとサンタクロースが一瞬すれ違う所もある。
金沢文庫の手前に見えるガソリンスタンド。ここは昔から電車が通ると大きな旗を振っていたのが知ら
れていた。今は止めたようだが、夜はきれいなイルミネーションで飾られている。私のいる横須賀中央
の駅前にもツリーが電飾されとてもきれいだ。最近は青、白の発光ダイオードが幅をきかせているよう
だ。この今までになかった“光”の感覚はとても新鮮に映る。だけれど、その光はひどく冷たいように
も感じる。寒い夜空の中でその光は鋭く、いっそう冷たく映る。やっぱり家のツリーに巻き付けた豆電
球の灯りの方が暖かみがあって私は好きだ。
87 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 12:13:00 ID:hBlWBfv4
良スレage
88 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 14:37:50 ID:tP49avcF
>>85 たしか神奈川の駅100選に選ばれなかったっけ?
89 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 20:38:36 ID:uvZudtHO
平和島駅で下車したら競艇場へと向かう人たちとは逆に西口に出る。
200メートル程歩くと大森2中の交差点、左折して環七を超えて300メートル。
京急ファンならば誰でも知っている大田区立大森第2小学校がある。
昭和36年まで使われていた学校裏の学校こそ、この学校です。
90 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 20:47:10 ID:u+cz/dOI
横浜と言えば…というイメージの1つに「崎陽軒(きようけん)」のシウマイがある。首都圏の人ならまず知らない人はいないだろう。
首都圏の人でなくても、赤い包みの箱に見覚えがある人も多いかも知れない。今では横浜だけではなく、首都圏の主要駅にも店舗を出し、
旅の供、お土産として親しまれている。私も大好きだ。シウマイの数もいろいろ種類があって、6個という少ない数からその時によって
選べるのも嬉しい心遣いだ。特に寝台列車などに乗る時には必ずと言っていい程手頃な数のものを選んで買って乗車する。酒の肴にもよ
し、弁当に+αするおかずとしても十分だ。このシウマイの優れているのは、“冷えていてもウマイ!”ということだ。暖めてももちろ
んウマイが、駅売りでも駅弁のように全くおいしく食べられる。肉が締って後を引く味は何とも言えない。このシウマイが入った「シウ
マイ弁当」は人気の高い駅弁としても知られているところだ。
ところで、このシウマイの中には必ず昔から入っている醤油差しがある。瓢箪形の瀬戸物の容器にマンガチックなイラストが描かれてい
て、これには昔から『シウマイのひょうちゃん』という愛称が付けられている。その絵柄が全部で48種類もあるんだとか。笑っている顔、
泣いている顔、怒っている顔などいろいろユーモラスに描かれている。加えて25日までは『ひょうちゃんクリスマスバージョン』が7種
類入っているそうだ。もちろん、何が入っているかは買ってからのお楽しみという訳である。
一時期、この『ひょうちゃん』が普通のプラの醤油入れになった事があった。それはそれで実用的だったのだけど、やっぱり伝統の瀬戸物
の『ひょうちゃん』が消えたのは寂しいという声が多く、復活して今に至っている。コルクの栓を抜き、パッパッパッと醤油を振りかけて
備え付けの小さなフォークで食す時、これは確かに横浜に根付いた「横浜の味」の1つだと思うのである。
91 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 21:36:10 ID:nRLGlMAS
>>72 大森海岸・・・
かつては都心から一番近い海岸の一つだった。
JTBの京急の駅今昔には500形や230形が行き交う海岸の写真が載ってたキガス。
今はあんな海岸駅は三浦海岸が唯一か・・・
いとむなしき高度経済成長・・・
92 :
名無し野電車区:2006/12/23(土) 23:37:56 ID:u+cz/dOI
「学校裏」に海水浴場のあった「大森海岸」。そして2両だけの電車が精一杯見栄を張って走っていた、
その時代から半世紀…。今のこの状況を誰が予想しただろう。時代の変化は常に劇的だ。
でも、それが面白くもあったり空しくもあったりする。
京急の名車230形で通学していた経験がある。確か最後まで残った1本の「急行」が通学電車だった。
4両で4つパンタを上げて、スパークを飛ばしながら疾走する姿はワクワクした。屏風ケ浦から杉田に
かけての高速区間では、当時の新車の1000形(今で言う旧1000形の原形)は110km/h位は出た。
400形などの旧型電車でも100km/hは出た。しかし、230形は95km/hがやっと。吊り掛けモーターが
悲鳴を上げるようなかん高い音を響かせても、100km/hの大台にはなかなか到達しなかった。
決して路盤の良くなかった当時は、吊り革が網棚に当たってガッシャンガッシャン音を立てていたのを覚
えている。
時は変わって、琴電で再会した時は、60km/h程度でゆったり走る元230形はまさに「隠居生活」のよう
に映ったものである。
93 :
名無し野電車区:2006/12/24(日) 00:22:40 ID:F4xjAhbB
ええ話や〜
継続きぼん
94 :
名無し野電車区:2006/12/24(日) 02:23:10 ID:CCXkRvKC
>>72 京急の大森海岸といえば、トルコ風呂があった。
最初は本番なしで、顔馴染みになったらさせてくれるという堅実な店だった。
しかし、俺は、女に惚れたので1回でさせてくれた。
いい女だったな。
帰りは、JRで帰った。
95 :
名無し野電車区:2006/12/24(日) 21:52:36 ID:iA8/gsAG
今日の電車の中、フライドチキンの匂いが溢れていた。カップルは皆ドレスアップしていたりする。
大きなケーキの箱を持つ家族連れ。笑顔のこぼれる車内はいいものだ。
Merry Christmas!
96 :
名無し野電車区:2006/12/25(月) 20:56:06 ID:RlKfxMoC
京急の「黄金町」といえば、昔から風俗店の多い所ということで名が知られている。最近は取締りが厳しくなったせいで、
ひと頃のようなイメージはすっかり薄れた。昼間歩いても、そのようなお店はほとんど目につかない。
私は小さい頃この黄金町駅が最寄駅だったので、よく親に連れられて利用していた。当時はまだ横浜市電が健在な頃、こ
の駅前は7系統の市電が走っていた。この系統に投入されていたのは常に単車の500形(だったかな?)で、家の近くを
走る他の系統(8、10、13系統)の1000、1300、1500形のボギー車に比べると、ずいぶん差を付けられていた感じ
がした。
その単車の乗り心地はまさに“独特”で、スピードを出すと車体が前後左右に大きく揺れながら走っているのが外目でも
分るくらいすごいものだった。それはそれでかなりワイルドな走りだったと記憶がある。黄金町駅前にある「初音町(は
つねちょう)」の電停から、10分近く走った睦橋(むつみばし)が最寄の電停だった。
もう横浜市電が全面廃止になってかなりの年月が経った。最近、市営バスの車庫になっている滝頭(たきがしら)に行っ
てみた。ここは昔市電の車庫だった所である。バスの車庫の横には「市電記念館」があり、館内には横浜市電の代表形式
が当時の姿で保管されている。どれも綺麗に整備されていて車内にも入ることができるのは嬉しい。緑のゴワゴワした座
席が妙に懐かしかったりする。洗練されたスタイルでお気に入りだった1500形は特に懐かしい。また、最後の形式となっ
た1600形は中央が4枚折ドアで、その斬新さが強烈だったけど、走っている所が違っていたので余り乗る機会はなかった。
一番馴染んだ500形の単車が保存されていなかったのは残念だったが、平日で人の少ない館内で当時をゆっくり懐かしむに
は十分だった。
そういえば、黄金町の駅の下を市電で通り抜ける時、京急のガードには「横須賀⇔横浜⇔品川 ○分!」なんていう大きな
宣伝文句が書かれていたのを今でも覚えている。当時は京急の大きなガードにはどこにもこの宣伝が大書きされていたと思
う。
97 :
名無し野電車区:2006/12/26(火) 22:58:00 ID:tG2wDAho
♪「これっきり これっきり これっきりですか〜」という歌い出しで始まる『横須賀ストーリー』。この後を“ソラ”で歌える
方は、もう“それなりの”おっさん年代だろう。もちろん、私も“ソラ”で歌える! 言うまでもなく、横須賀が生んだ昭和の大
アイドル『山口百恵』の大ヒット曲だ。彼女の歌のイメージをガラリと変えたヒット曲を次々と作ったのが、阿木燿子(作詞)と
宇崎竜童(作曲)夫妻である。宇崎竜童は『ダウンタウンブギヴギバンド』というバンドで『港のヨーコ、ヨコハマヨコスカ』と
いう大ヒットを飛ばしたことでも有名だ。
この夫妻がこの程、来年2月の横須賀市市制100周年のイベントの一環として『よこすかの歌』を制作したそうだ。お披露目は2
月の式典の時のようだが、歌うのは『オメガトライヴ』で活躍した杉山清貴だ。誰でも歌えるスローバラード調の曲で、カジュア
ルなイメージで制作したというそうで、それなりに興味はある。CD2000枚を市内で販売、3000枚を学校や商店などに寄贈する
ということだ。ちなみに、阿木燿子の両親は横須賀市民、杉山清貴は市内の高校の卒業生ということで、それなりにゆかりがある
ようだ。
ところで、この話で初めて知ったのだが、横須賀には昭和42年に制定した『横須賀市歌』が既にあるそうだ。堀口大学作詞、團伊
玖磨作曲だそうだが、全く知らなかった。周りの人間に聞いても誰一人知らない「市歌」だった。團伊玖磨は横須賀出身の有名な
作曲家で、亡くなる直前までテレビ朝日の日曜の長寿番組『題名のない音楽会』の司会をしていたことでも知られている。そうい
えば、三笠公園の一角に團伊玖磨の文字と何かの曲のスコアを刻んだ碑があったのを思い出したのだが、それがこの「市歌」だっ
たのかもしれない。
ちなみに、私は小学校低学年をこの前に書いた横浜の南区で過ごした。その時に横浜開港100周年を記念して制定された『横浜市
歌』を学校で教わったことがあり、未だにその『横浜市歌』を1コーラスくらいだったら“歌える”! マリンタワーも氷川丸も
昨日で長い歴史にピリオドを打ったが、この『横浜市歌』を歌える人っているんだろうか? また、県の歌だったか、『若い力』
も何となく覚えている。あの当時は何かとこういう歌を作って歌わせ、地元に愛着を持ってもらう教育をしていたのかもしれない。
>>95 鉄板でクリスマスを祝福する書き込みにお目にかかれるなんて。・゚・(ノД`)・゚・。
99 :
名無し野電車区:2006/12/26(火) 23:10:18 ID:xixirqi0
山口百恵の唄で京急の駅がいっぱいでてくるのあったよね。
百恵の話題は百レス目にしてくれれば…
102 :
名無し野電車区:2006/12/27(水) 00:57:28 ID:XSTENRmV
我が日の本はホモだらけ
朝日かがよう海に
連なりそばだつ島々なれば
あらゆる国より船こそ通え
さらば地球よ旅立つ船は(後略
>>99 『山口百恵』の歌で京急の駅がいっぱい出て来る歌ってなんだろう? 聞いたことがないのだが、そんな曲があったんだ…。
ちなみに、自分は何を隠そうデビュー曲が一番好きだったりして…。結構昔はミーハーだった。
だからといって“追っかけ”なんかはしなかったけどね。ただ、大学時代からバイトで音楽会社ににいて、
その頃ずいぶんアイドルなんかと仕事をしたことがある。
あと、團伊玖磨はその『題名のない音楽会』によく編曲をしていたように思う。実際そんな仕事にも
関わったこともあった。
ま、スレ違い話はこの辺で。
105 :
名無し野電車区:2006/12/27(水) 12:15:01 ID:e4EmjQ6p
I CAME FROM 横須賀だった>百恵
横須賀・汐入・追浜・金沢八景・金沢文庫・上大岡・井土ヶ谷・日の出町・横浜・鶴見・川崎・品川ってかんじ
作詞はもちろん阿木耀子
106 :
名無し野電車区:2006/12/27(水) 22:55:08 ID:XSTENRmV
今日は鉄の話でも…。
最近の2000形は、付属の4両は増結車として目一杯活躍しているが、8両の編成は朝夕の輸送力列車くらいしか
使われなくなっている。特に土曜・休日はすっかり出番がなく「お休み」状態のようだ。
2000形は京急の伝統だったセミクロスシート車両の旧600形の置換え用として計画された。しかし、2ドアのス
タイルは踏襲するも、シートはセミクロスシートではなく、京急初の固定2人がけシートで登場した。転換シート
は頻度が高く実情に合わないと判断されたのか、向きが固定されたレイアウトになっていた。中央に向い合せの4
人席を設け、その前後にお互いが向き合う姿で固定されたシートが連なる「集団見合い型」というスタイルである。
当時、このようなスタイルは新幹線で採用されていたが、こちらは中央を境にお互いが反対を向く「集団離反型」
というスタイルになっていた。全く相反するスタイルを取り入れたのが面白い。どちらが好まれるかは個人の好き
好きだろうけど、今までにない京急のスタイルは衝撃だった。
2000形は登場以来京急の代表的な車両として快特を中心に活躍して来たが、後進の2100形の登場でその一線を
退き、車両も一般的な3ドアロングシートに改造されている。それに合わせて京急の優等列車に使用されること
を意味する“白の太い帯”が一般的なふつうの“白い帯”に変えられた。そして今では前述のように、補完的役割
に限定されてしまってはいるが、車内に入るとカバーのついた蛍光灯と、横引きカーテン、そして車端の名残りの
クロスシートなど、まだ輝いていた昔の風格が十分残っている。その斬新なデザインも含めて私の好きな京急電車
である。
108 :
名無し野電車区:2006/12/28(木) 23:20:31 ID:JYbZegFW
追浜(おっぱま)も知らなければなかなか読めない駅名だろう。ここはもう横須賀市のエリアで、横浜市との
境は金沢八景との間にある小さな川になっている。追浜は日産の工場などがあるためその通勤客の乗降が多く、
特急も停車する駅になっている。
京急ではよくあるスタイルの橋上駅舎の改札の横には「えきめんや」がある。ここの「えきめんや」は京急昔
ながらの濃い出汁で、横須賀市内の他の「えきめんや」と同じものだ。それと「QBカットハウス」がある。
最近首都圏で勢力を拡げている“カット専門で1000円のみ”というチェーン店だ。京急では他にも弘明寺、
品川に出店していたはずだ。
駅前を国道16号線が横切り、交差点を駅を背中にして真直ぐ行くと日産の工場へと続く。その両側に商店街が
並ぶ。目につくのは駅前の「SEIYU」。これ以外目立つようなものはない。特別賑やかでもないがそんなに寂
しい訳でもなく、ほどほどにまとまっている駅周辺という感じだ。
時折横浜市営バスがこの交差点を折れて行く。この磯子駅−追浜天神橋は、市営バスが唯一横須賀市まで乗り
入れている路線だ。京急バスと共同運行になっている(京急バスは追浜車庫)。
海とは反対に、追浜の山側には逗子市との境に「鷹取山」という山がある。今では団地が開発され、大きく変
貌してしまったが、鷹取山といえば昔はこの岩場が自然のロッククライミングの練習場として、その人たちの
訓練の場として人気があった。今でもそんな場所が残っているのだろうか。
この鷹取山から神武寺の境内を通り、逗子中学校の横に出て京急神武寺駅に続くハイキングコースがあった。
ここは悪ガキだった中学時代の遊び場でもあった。放課後、よくタバコやエロ本持ち込んで悪友と供に遊んだ
場所でもあった。また、大晦日、真っ暗な山道にラジオと懐中電灯を持って、この神武寺の除夜の鐘の1番鐘
を突くため紅白歌合戦を聴きながら並んだものである。そして突いた順番の札をもらって鎌倉八幡宮に初詣と
いうのが中学時代の“恒例行事”だった。
そんな懐かしさをふと思い出しながら電車を待っていたら、青の600形の特急がやって来た。追浜は特急の停
車駅だったことを改めて思い出したのである。
109 :
名無し野電車区:2006/12/29(金) 00:27:53 ID:ukvPe5QV
三崎口に散歩がてらよく行きまつよ
by東急で大晦日の繰り下げ運転さえ行われない路線住民
110 :
名無し野電車区:2006/12/29(金) 22:31:51 ID:sSa0bK5b
今日、横浜に出た帰りに先月開業したYCAT−横須賀西地区の高速バスに乗ってみた。YCAT16時30分発の
横須賀市民病院行きは、成田や羽田へのリムジンバスの発車するホームの端1番乗り場から出発する。ちょっと分
りずらい場所なのに、そこまでの案内が全くなかったのはどうしたことだろう。一応大体の勘があったからいいよ
うなものの、知らないで行先を探していたら皆目見当もつかないだろう。
それでも、発車20分前くらいから列ができ始め、5分前にバスが到着した頃には結構長い列になっていた。そして
乗車が始まれば、車内は補助席を出すまでにはいかなかったが、ほぼ満席。予想以上に乗っている。乗客の多くは
買い物帰りの主婦や家族連れ(会社も休みになったのだろう)が大半だ。
定刻にYCATを出るとみなとみらいを横目に高速に入る。羽田へ向かうベイブリッジを後ろに湾岸線を根岸、磯
子と進む。コンビナートや倉庫、埠頭が続くだけの風情のない左右の車窓に反して、正面には陽の落ちた西の空に
富士山がきれいなシルエットになって浮かぶ。一服の絵のように美しい夕焼けだ。
釜利谷JCTで横浜横須賀道路に合流して横須賀方面へ。もう1つの湘南国際村を通る便はこの先逗葉新道に入る
が、この便はそのまま衣笠ICまで進む。高速道路の走行時間は丁度30分だった。
高速を降りるとこの先主要停留所にこまめに停車して行く。そのどこでも下車客が満遍なくあった。そしてその大
半が往復乗車券を利用しているのを見ると、まだ登場して1ヶ月余りだが、結構固定客がつき始めているようだ。
さらに今月一杯まで開業記念として片道700円、往復1000円の“お試し価格”で乗車できるのも大きいだろう。
高速を降りてから若干渋滞気味だったものの、終点横須賀市民病院に着いたのは時刻通りだった。YCATから56
分で到着した。
この周辺は確かに電車を使って横浜方面に出るには、慢性的な交通渋滞もあって意外に時間がかかる。そういう「空
白地帯」にこのバス路線の利便性は確かに大きいようだ。多少所定の運賃が高い気がするが、回数券などで安く抑え
ることも可能。これだけ利用されているのであれば、早晩増発されそうな気配は十分に感じた。
最後に、後で知ったのだが、このバスの一番前の横1列は「シルバーシート」になっているので念のため。
111 :
名無し野電車区:2006/12/29(金) 23:13:59 ID:WOX7xdjT
良スレだね。
俺は京急好きでただ乗るために乗るが、沿線文化とはほとんど縁がない。
せいぜい、横須賀中央周辺の街をぶらぶらするぐらい。
休日の横須賀は、防大や陸自少年工科学校の学生が制服姿で歩いていて、軍都横須賀っぽいね。
米軍兵士やその家族らしい姿も多いし。
112 :
名無し野電車区:2006/12/30(土) 13:01:35 ID:S5ec7CdK
陸上自衛隊武山駐屯地少年工科学校は、横須賀市民病院の近くにある。相模湾沿いに続く国道134号線と、横須賀中央
から三浦半島を横断する県道との合流点の林ロータリー付近から三崎方面に向かって相模湾に面した広大な敷地に展開
する。国道沿いに約2km余り、延々と続く敷地には工場の形をした作業棟がいくつも続いているだけなのだが、敷地内
に不思議と人影を余り見ない。市民病院側の西端と、三崎寄りの東端にゲートがあるだけで、道路沿いは鉄条網で延々
と包囲されている。
ここの生徒は横須賀中央に出るのだと思っていたが、意外と三崎口駅から出入りしているようだ。確かにこちらの方が
バスも15分程度で着く。宿舎がこちら側に寄っていることもあるのかもしれない。だから三崎口駅ではよくここの学生
がバスを待っているのを見かける。
この工科学校の近くにある長井から相模湾に突き出た荒崎へ向かうバスに乗る。最近では三崎口駅から荒崎に直行する
バスも多く便利になった。
荒崎は磯釣りの名所として昔から知られている。民宿や船宿、そして磯料理を堪能させてくれる旅館もある。相模湾を
挟んで遥か西に富士山を望む展望はここの“ウリ”の1つでもある。
この荒崎の背面の丘陵地帯に「ソレイユの丘」というのがある。名前は聞いたことがあったが、どんなところなのか全
く事前知識もなく、ある日、三崎口駅から直行の急行バスに乗った。日中のみほぼ30分おきに走るバスは、途中長井で
のみ客扱いをするだけでソレイユの丘へ直行する。丘陵地帯へ坂を登り詰めて着いたところは、意外にも「ファミリー
ランド」だった。三浦半島には「湘南国際村」「YRP」とか新しい研究都市ができているだけに、ここもそれかな?
とイメージしていたのだが、全くもって覆された。
経営母体は横須賀市のようで、基本的には入場無料。園内は広大な芝生や池、動物との触合いコーナー、その他いろい
ろな施設が整っていて、文字通り親子連れで結構賑わっていた。
しかし、横須賀にこんな施設があるとは全く知らなかった。でも、このような施設を知っただけでも来た甲斐があった
というものだ。景色も良いので、カップルで来ても十分楽しめる所だと思う。ただ、この時はおっさん同士だったので、
一回り様子を観察しただけで早々に引上げてしまったが…。
113 :
名無し野電車区:2006/12/30(土) 20:05:06 ID:cfaSAj0S
長井といえば、井上成美海軍大将が隠遁した土地だったな。
戦後、長井からはほとんど出なかったというから、井上さんが京急や京急バスに乗ることもなかったのだろう。
114 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 14:28:54 ID:Uk51h1QI
今日から泉岳寺を除く全駅で「お年玉フリーきっぷ」が発売された。1月8日までの任意の1日が
全線乗り放題で1000円というお手頃価格。早速私も3枚(一応1人3枚までの制限付き)購入した。
弘明寺の交通安全祈願の願掛けを済ました木製の“札”というようなきっぷは、京急では初めてでは
ないだろうか。
もともと京急は記念乗車券や近年のパスネットなど、どちらかといえば余り積極的に出さない会社で
ある。私の手許にも京急関連のものは延長開業のものがいくらかあるくらいだ。そして正月にもこの
ような全線フリーきっぷは記憶にない(過去にはあったのかも知れないが、私は知らない)。1000
円で全線を乗り降りできるなら、私の最寄駅から品川を往復するだけでも十分お釣りが来る。私はサ
ラリーマンではないから交通費は当然自腹だ。しかし、取引先がほとんど都内なので必要に応じて出
なくてはならない。8日まで使えるということは、多くの会社の仕事始めに当たる5日も使える訳で、
挨拶回りの往復に、ささやかであるが京急からの“お年玉”というところか。
限定大人15000枚、子供5000枚ということなので、もうこの時間売切れになっている駅もあるかも
知れないが、まだあるようなら1枚でも買ってみて、正月のテレビも見飽きたなら、ふだん通ってい
る通勤区間と逆の方向や、一瞬のうちに通過してしまうだけの駅にフラっと降りてみてはいかがだろ
う。
115 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 14:37:27 ID:Uk51h1QI
>>110訂正:YCATの横須賀西行きバス発車乗り場は「5番」が正当。
「シルバーシート」は「進行左側前から2列4席」が正当。
申し訳ありませんでした。
>泉岳寺を除く
これ意地悪だよね。
泉岳寺は京急本社最寄駅なのにフリーパス類はいつものけものにされるよそ者扱いの駅。
泉岳寺利用者はもちろん都営から京急に乗る人もフリーパス類を使おうとすると
品川発のを買わなくてはならず、初乗り×往復分高くついてしまう。
都営の駅だから売れないというなら泉岳寺で乗車駅証明を出して
品川等で泉岳寺発のフリーパス類を売ってくれればと思う。
それはさておき、泉岳寺と言えばまずは四十七士の墓所だけど
東海道沿いにある大木戸跡の石垣も見所。
江戸の出入口であるここが偶然とは言え都営との境界なのは面白い。
この付近からJRをくぐる低いトンネルが隠れた名所。
側線でふくれた大きな敷地を抜ける間背の高い人は結構な距離を
屈んだまま歩かなくてはならない。車も通る秘密の通路といった趣。
117 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 18:38:17 ID:Uk51h1QI
泉岳寺駅近くのトンネルの話、私も知っている。時々テレビなんかでも紹介されることもあるようだ。
泉岳寺の品川寄りの改札を出たところの坂を上がり、途中の道を再び右に折れると件の“トンネル”が
ある。正確にはトンネルではなく架道橋なんだが、これが恐ろしく“高さがない”道路として知る人ぞ
知る存在になっている。正確な高さは忘れたが、1.5m程ではなかっただろうか。上を山手線、京浜東
北線、東海道線、そして田町電車区のヤードの下をくぐって海側(港南口)へと続いている。高さも
高さだが、長さも200m位はあろうかというまさに“トンネル”だ。
人も頭上を気にしながら歩くが、車はもっと大変! うっかり入ろうものなら、ボロボロになって出て
来る…なんてこともあり得るのだ。もちろん、入口には制限バーも付けられているが、途中には段差が
あったりして、タクシーの上部の飾り灯などがよく引っ掛かるんだとか。
以前一度だけこの道をタクシーで通ったことがあるのだが、運転士さん曰く、会社が港南口にあるので
ここを通る機会が多く、そのためにこのタクシー会社は、上の行灯を通れるように小さめにしたとか言
っていた。それでも、本当にスレスレで通り抜けたのである。
こんな低い道路だけれど、この辺りで山手と港南を結ぶ道は田町駅近くか北品川駅近くの橋しかないの
で、こういう勝手知ったタクシーなどが抜け道として大いに利用されているようである。山手線などに
乗っていても、線路を見ていると、田町とのほぼ中間くらいで一瞬線路の下にオレンジ色の灯りがよぎ
るのが確認できる。
この辺りの田町電車区も移転が決まり再開発されることになった。そして山手線にも新しい駅ができる
という。まだ暫く先の話だが、その時には「泉岳寺」という駅になるのだろうか。そして京急の泉岳寺
駅も装い新たになるのだろうか。
118 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 19:32:22 ID:/AYvYZTw
旧湘南電鉄のルートの候補のひとつに黄金町から下り南太田方向に右折せず、そのまま大岡川に沿って南下する案があったそうだ。
その案でいくと駅は蒔田(花之木町あたり)、弘明寺(観音橋あたり)に作られ、向田橋付近で現ルートに合流していたのだろうか。
大岡川に沿ってあのレトロチックな高架橋が延々と続いていたのかも知れない。蒔田や弘明寺も黄金町みたいな島式ホームだったのか、それとも相対式になったのか、今となっては知る術はない。
この案は横浜市からの要望だったと言われているが、建設費が高くなるという単純明快な理由であっさり却下され、築堤形の現ルートになった。
弘明寺などは鎌倉街道側が本来の門前町で現在の駅の位置はまさにお寺の裏山に鉄道が通っているわけだが、六ッ川方面が開発されてしまったのでなんだか向こう側が表玄関みたいな感じになってしまっている。
119 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 20:03:26 ID:/AYvYZTw
連投スマソ
蒔田といってもピンとこないかも知れないが、明治5年に新橋−横浜間に鉄道が開通した当時、すでに蒔田方面への延長が計画されていた。
つまり蒔田・上大岡経由で大船方面に抜けるルートが東海道本線になっていたかも知れないのだ。結局この計画は実現せず桜木町は長い間ミナト横浜の終着駅としての風情を保つことになる。
この時に用地として確保してあったのがファンの間では有名な日ノ出町−桜木町間の細長い鉄道用地なのだ。
この用地は昭和初期に東京横浜電鉄が開通後、再び注目され今度は東横線を延長させて湘南電鉄と結ぼうとする案が浮上する。しかしこれも結局実現せず、湘南電鉄は京浜電鉄と結ばれる。
しかし五島慶太はまだ諦めず、東横線を標準軌に改軌してまで湘南電鉄と繋げたかったらしい。これは戦争がなかったらひょっとしたら実現していたかも知れない。
蒔田というと今では新興宗教の本部と南区役所くらいしかない場所だが、歴史的には結構重要なポイント地点だったのだ。
120 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 20:55:47 ID:Uk51h1QI
東横線と京急がもし繋がっていたら、今の勢力図はどうなっていたんだろう。快特渋谷行きとなって、
湘南新宿ラインとガチンコ勝負していたかもしれない。しかし、そうなっていたらレールの幅の違う
東京メトロを介して東武などへの延伸はなかっただろうし、標準軌になったことで今のような運転形
態や路線図が展開されていたかどうか。運命の綾というのは面白いものだ。
私は昔の歴史の事はよく分りませんが、貴重なお話を聞かせていただいてありがたく思います。
121 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 23:06:31 ID:zGCQlPnK
歴史を紐解けば、ある時期までは確実に京浜線(現在の京浜東北線)と湘南電鉄線は直通する方向だった。
湘南電鉄線は、地方鉄道であり、最初は狭軌で計画されていたようだ。
>>119さんが書いている桜木町・日ノ出町間の用地はこれで活用されるはずだった。
結局、間東大震災の復興計画を優先するため、京浜線の蒔田方面への延伸がぽしゃり、その後、話がまとまって、湘南電鉄線は京浜電鉄線と直通することになったんだね。
現在の京急線が日ノ出町で極端なカーブを描いているのは、この名残といえる。
結果的に、湘南電鉄線は、地方鉄道でありながら、軌道の京浜電鉄線と直通することになったため、標準軌で建設された。
122 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 23:11:05 ID:Pn8TytA+
京浜も都電との乗り入れで1372mm時代があったり
京浜の600Vと湘南の1500Vなど実にややこしい変遷だね。
いろんな綱引きがあったんだろうか。
123 :
名無し野電車区:2006/12/31(日) 23:19:09 ID:zGCQlPnK
京浜電鉄は、1435→1372→1435と2回改軌しています。
1372ミリ当時は、東京市電が北品川まで乗り入れており、京浜電鉄の電車が自社ターミナルの高輪まで走る際、東京市電の線路を経由していました。
結果論ですが、もし湘南電鉄直通の際、湘南電鉄が1372ミリで建設されておれば、戦後、京成は改軌せずに済んだことになります。
しかし、地方鉄道法では、1372ミリは認められていなかったので、無理なことでした。
湘南と直通の際は、電圧の違いがあったので、600Xの京浜の電車は上大岡まで走り、複電圧対応の湘南の電車が浦賀から品川まで走ったのです。
全線が1500Xに統一されたのは、戦後のことでした。
124 :
名無し野電車区:2007/01/02(火) 00:07:55 ID:nEs+w3lq
年の瀬にいろいろ有意義な話を読ませていただき、ありがとうございました。
さて、新しい年になった。今年は天気もよく、初日の出もいつになく素晴らしかったようだ。
私の居るところは残念ながら終夜運転をしてくれない。今年は横須賀線も逗子から先の運転は
なかった。
でも、今日は“今年の始発”で出かけた。特にそこまで急ぐ訳ではなかったが、どうせならと
少し早く家を出て始発に乗った。まぁ、これは気分の問題だ。
今日は訳あって栃木へ行ったのだが、私にとっての「初日の出」はJR宇都宮線の快速「ラビット」
の車中からだった。丁度尾久の辺りを走行中に、ビルの合間から瞬時に見えた「都会の初日の出」
だった。あっという間のことで、願掛けをする暇もなかったが、「よい1年になりますように」と
願ったつもりである。
ところで、京急には川崎大師や穴守稲荷をはじめ、沿線そこそこに初詣で賑わう神社やお寺がある。
私もずっと元旦に初詣に行っているが、そこで最近特に思うのが「晴れ着の女性が少なくなった」
ということ。今日も栃木のとある場所に初詣に行ったが、晴れ着で来ていた女性はほとんど見なか
った。一昔前なら、もう年越し間近の時間になると、駅やお寺の回りには晴れ着や和服を召した方
(意外と若い人が多い)をチラホラ見かけたものだ。しかしここ暫く、みな普段着のまま、ずいぶ
んカジュアルに初詣を済ます人がほとんどだ。別にそれがどうだという訳ではないが、何故か正月
気分になれないような気がする。
そういえば、街中にもあまり正月の飾りつけを見ることが少なくなってきた。大きな門松なんかも
あまり見かけない。街を歩いても繁華街なら店の多くは開いているし、コンビニもファストフード
の店も開いている。何らふだんの生活と特に変わりがない感じだ。
帰りの夕暮れ、広い田んぼの畦道で凧を上げていた親子連れを列車の窓から見かけた。昔はふつう
の正月の風景だったのだけど、これがすごく新鮮に映った。
でも、夜遅く帰って来て、やっぱりコンビニに足が向く。正月早々…と思いながらも、自分も気が
つくと、すっかり“今の日常”に馴染んでしまっているのだなと思う。
世の中の義理とか付き合いが簡素化される一方で、和服を着るなどの習慣も廃れていくのでしょう。
伝統が生きていることと、自由で気楽な生活は相容れないのでしょうね。
代わって晴れ着を着用する男性が増えつつある今日この頃
127 :
名無し野電車区:2007/01/02(火) 18:43:52 ID:nEs+w3lq
新春恒例の箱根駅伝が今年も始まった。以前は正月三が日は遠出をしていることが多く、余り関心がなかったのだが、
このところ家でまったりしていることが多くなったので、よく観るようになった。これが観てみるとなかなか面白い。
どんでん返しや一気のゴボウ抜き、突然のヒーロー出現など長時間にもかかわらず飽きることがない。今日も東海大の
ぶっちぎりかと思っていたら、順天堂大の登り坂のヒーロー今井の大逆転! 最後まで興奮した。
ところで、この箱根駅伝のコースは御存知の通り、横浜まで京急にほぼ沿って国道15号線(第一京浜)を走る。八ッ山
や鮫洲、立会川、平和島周辺、京急蒲田などはすぐ横を走る選手の姿を見ることもできる。その国道15号線を横切る空
港線の踏切は、この選手が通る時間だけ線路を封鎖して選手を優先させる処置をしているのは有名な話だ。今や空港ア
クセスの要として機能している空港線も、この時だけはしばしの我慢をしていただくということになり、先を急ぐ人に
は迷惑な話だろうが、このくらいの配慮は許されても良いと思う。半月程前から広告などで周知をしていることでもあ
るからだ。
しかし、この間、京急の担当員は情報を逐次受け取りながら電車の運行をできるだけ滞らないように、ダイヤと選手の
走りを見比べながら踏切の開け閉めを手動で行っているのだという。今年は1区で東海大が圧倒的に先行したので、2
位との間に電車を通したそうだ。それでも往時はスタートして間もないため、それほどバラけないで選手が通過するの
で電車を止めるタイミングは少ないだろうが、明日はその差が広がるはずだ。そのため長時間そのタイミングを考えて
開け閉めをしなくてはならない。これは考えている以上に重要で大変な仕事だろう。
でも、そのおかげで選手も余計な心配をせずそれぞれのベストを尽くせる訳で、こういう裏方さんの努力も無視は出き
ない。箱根登山鉄道も昔からこの時ばかりは電車を止めて選手優先で通しており、こうした地元の協力があってこそ素
晴らしい展開に感動できるというものだ。
明日は復路。まだまだ多くのドラマが隠されているはずだ。八ッ山を越えて京急電車が後ろに見えた時、果たして1位
で戻ってくるのはどこの大学だろう。明日も昼過ぎまではテレビにかじり付くことになりそうだ。
128 :
名無し野電車区:2007/01/02(火) 19:21:33 ID:GoTfxHcS
阿藤海氏に来てほしい、ぶらり途中下車の旅、京急編。
太川洋介氏だと弱い。
129 :
名無し野電車区:2007/01/02(火) 23:18:57 ID:nEs+w3lq
>>128 記憶に間違えがなければ、確か1時間番組に延長された最初が京急編だったはず。ただ、一気に
浦賀や三崎口まで“突っ走った”ので、屏風ケ浦、金沢文庫、浦賀などいくつか紹介されただけ
だったような記憶がある。もう少しエリアを絞ってやって欲しかった。
「太川洋介」は「太川陽介」だよね? 先日テレ東の鈍行日本縦断の旅で久しぶりに見たけれど、
ずいぶん“おっさん”になっていたなぁ…。
130 :
名無し野電車区:2007/01/03(水) 16:22:56 ID:nvysvLwC
品川駅は京急の東京側のターミナルとして重要な駅である。ここでJR各線と連絡して都心へと向かう乗客が多く、
都営線へ乗り入れるより多くの電車が品川で折返している。昨今は新幹線の駅の開業と前後して港南口周辺が再開
発され、高層ビルが林立する風景になった。
一方、反対側の昔からある高輪口はここしばらく特に変化がなく、ホテルが目につくくらいだったが、何年か前か
ら京急の高架下を利用して、有名ラーメン店が軒を列ねる「ラーメン村」がオープンして賑わっている。続いて
「丼村」もオープンして、この高架下は一大グルメスポットになった。どこも名の知れた有名店なので、連日賑わ
っていて、食事時は行列を覚悟しなくてはならない。でも、意外に価格がリーズナブルに抑えられているようで、
いわゆる“有名店価格”というものは余り感じない。名物の丼ものでも1000円でお釣りがくるというのも嬉しい。
ただ、ちょっと場所が改札の反対側で、駅から八ッ山方面へ線路に沿う形でそこそこ歩かなくてはならないのと
(案外見た目より歩く感じがする)、混んでいると店の前のスペースが狭いのでゆっくり店の吟味が出来ないこと
が面倒に感じてしまう。でも、平日や時間を外せばゆっくり楽しむことができるので、その辺りを考えて利用すれ
ばいいかなと思う。
131 :
名無し野電車区:2007/01/05(金) 12:39:39 ID:KxvtLCoH
多くの会社は仕事始めが今日のようだ。私の取引先の多くも今日からである。中には連休明けからという
羨ましい会社もあるが、私にとっては正月休みも余り関係がない。
そんな中、今朝は始発で宇都宮から自宅まで戻って来た。通勤客が戻って来た上りのラッシュと反対の下
りの電車の窓から、いつもと違った風景を見るのも新鮮である。ただ、まだそれ程の混雑ではないようで、
本来の通勤地獄が始まるのはやはり連休明けからだろう。
ところで、年末に発売された「全線お年玉フリーきっぷ」が私の最寄駅ではまだ売れ残っている。すぐ売
り切れるかなと思って、わざわざ朝早くから出向いたのだが…。確かに、特に大きなポスターや掲示は余
り見られず、車内広告や駅の掲示板にふつうの広告と同じ大きさでPRされていただけだったので、そん
なに知名度がなかったのかも知れない。それを目ざとく見つけたのは、やはり“ファンの嗅覚”というと
ころか。
でも、だからといって、今日使う予定だった1枚は予定が変わり今日はお休み。残るは3連休中だけれど、
生憎明日、明後日は天気が悪そうだ。そうなると連休最後の日に使うしかない。まだあるからと、余分に
買っても仕方ないので思い留まって正解だった。昨日品川往復に使うつもりでもう1枚に日付を入れたの
に終電に間に合わず、結局片道分だけで額面割れしてしまった。その分、8日は出歩こうかなと思う。そ
れには明日、明後日の天気が悪い連休は大人しく仕事をして終わらそう。
132 :
名無し野電車区:2007/01/05(金) 16:50:36 ID:0Rv9OAMA
>>123 自社ターミナルとありますが、自社ターミナルになったのは、ここ十年の話では… つい近年までJR(旧国鉄)借り受けてたず、油壺延伸が廃止になったため、その資金で品川駅を買い取ったとのこと
133 :
名無し野電車区:2007/01/06(土) 13:09:57 ID:lvDHMjA5
最近の電車は「自動放送」が当たり前である。ドア上の表示とリンクして種別、行先、次の停車駅など自動で行われ、
肉声の案内を聞くことが少なくなった。しかし、京急電車はいまだに自動放送を採用していない。最新の新1000形
でもそれは同様だ。
京急は昔から“こだわり”がある私鉄として有名だ。赤い電車に白い帯、大きな窓に1つライト、方開きドア、先頭
車は必ず電動車、クロスシート車を配置…という話は有名である。それでも最近はさすがにデザイン的な問題と機能
の面からその“伝統”はずいぶん崩れている。塗色や先頭電動車、クロスシート車配置は存続しているが、他の面で
は伝統は崩れている。
しかし、この「自動放送」という面では未だに昔ながらの車掌の肉声である。そういえば、駅の接近案内、通過案内
もブザーだったり、警報チャイムだったりで、余り具体的なものは少ない。大きな駅の案内も、次の列車案内や編成
の説明は繰り返し自動で流れる品川駅の例もあるが、これなどはむしろ例外的だ。もっぱら発車案内などはホームの
監視をする駅員の作業の1つでもある。理由は分らないが、恐らくこれも京急の“こだわり”なのかも知れない。
でも、車掌の持参するワイヤレスマイクを使ってホームのアナウンスをすることを初めて採用したのは京急だと思っ
たし、それは今でも継続されている。そして未だに肉声放送を続けていることは今となっては貴重な存在でもあるが、
考えようによっては、休みなく乗客や電車に対してのケアをすることで一種の「緊張感」を持たせているのも1つの
狙いなのかも知れない。自動放送で済ませてしまえば、車掌の仕事はふだんはドアの開け閉めやターミナルでの乗換
案内のフォローくらいしかない。何もなければ車掌室に籠って特にすることはないので、客室から仕切られた窓の少
ない車両ではなおさら緊張感も薄らぎがちだ。
人によっては聞き取りにくいアナウンスもあるが、やっぱり肉声の方が安心感がある。最近は女性の声が流れてくる
ことも珍しくなくなった。ちょっと頼りな気なところもあるが、殺伐とした雰囲気ではむしろホッとする。こんな伝
統はこの先も続いてほしいものと思っている。
たまに、北品川の放送を新馬場で受信しちゃったりする>ワイヤレスマイク
たしかに、京急で自動放送は何となく似合わないですね。
発車案内は大原さやかですよw
それでも中央では未だに肉声で話していますね。
それも臨機応変に対応できるように、という京急の計らいなんでしょうか。
137 :
名無し野電車区:2007/01/07(日) 18:36:16 ID:Qd70/gok
三浦半島を周遊するのに便利な「三浦半島1DAYきっぷ」「同 2DAYきっぷ」というものがある。
金沢文庫以南の電車線全線、鎌倉以南の京急バスの指定路線に乗れる1日用、2日用のフリーきっぷだ。
私は横須賀市民なので使うこともないと思っていたが、横浜で待ち合わせをして三浦半島を周遊するのに
安いので2回程使ったことがある。
しかし、このきっぷ、京急バスが案内パンフレットに指定された主な路線しか乗車することが出来ない。
「フリーきっぷ」という位だからエリア内全てフリーと思っていたのだが、主なルートから外れると利用
できないのである。もちろん、通常の周遊ルートと思われる所は大体フォローされているので、実質そん
なに影響がないだろうが、“まだ乗っていないルート”を使いたくなる性分、これは意外な落とし穴だっ
た。
でも、実際にこのことを分かっている職員が少なく、バスの運転手に至っては本来使えないはずの路線で
フリーパスだったり、現場でも周知徹底が今一つという感じである。
そもそも素朴な疑問として、どうして「フリーきっぷ」と名打ちながら指定路線に限ってしまうのか、そ
れが今一つ理解できない。ある一定地域は全て乗車できるとした方が分かりやすいし、乗客も現場も混乱
しなくて済むだろう。他社が入っている訳でもない京急バス独占エリアで、何でこんな状態になっている
のかちょっと疑問に思う。まぁ、「お客さま相談室」に言うべきことだとは思うが。
>>136 発車案内は「大原さやか」という話、私は知らないのだが、この人はそういうもの専門の声優なんだろう
か?
>>137 これバスヲタにとっては由々しき問題なんだよね…
ウテシだってこの路線のこの区間には乗れるのか乗れないのか
いちいち暗記して案内するのは面倒だと思うのだが…
乗れる区間で使えないといわれるのなら問題だが、乗れない区間でおkなら、シメシメ。
140 :
名無し野電車区:2007/01/08(月) 13:42:53 ID:lfakpy+p
自動放送は空港乗り入れは導入すべきだと思ふ…
それより逗子の旧600の放置っぷりが気になる。
できれば久里工、せめてカトーのような良い環境で保存してほしい。名車なんだから
誰か600保存の秘話or近況レポよろ
141 :
名無し野電車区:2007/01/08(月) 15:26:02 ID:nhIosdoU
>>140 逗子の池子にある旧600形の保存車は、横須賀線から見えるけど、最近色褪せが目につくようだ。
実は私は小学校〜中学校を、まさに今公園になっているあの辺りに家があった。もう跡形もないが、
あそこは以前は米軍の施設だったところだ。
保存されているのはデハ601だったとは思うが、近くに行っていないので、中に入れるかどうかも
分らないが、特に周りに厳重な柵があるようでもないので、時には公開されているのかなと思う。
確かに京急伝統のセミクロス車として、一時期は颯爽と走った車輌を保存したのはいいが、保存車
は往々にして次第に荒れてしまい、結局は解体になってしまう例は少なくない。
京急の工場内には昔の車輌が今でも美しく保存されていることと比べても、ちょっと残念なことだ。
恐らくあれは逗子市が譲渡を受けて保存したものだろうから、市の手で何とか手入れをして欲しい
ところだが、昨今の財政的な問題はどこも同じはずで、時代が変わって行くにつれ、当初の意義な
ど無力に等しくなってしまう。ましてや“タカが電車”と言われてしまえばそれまでだ。
願わくば京急が引き取って一緒に並べて保存をしてもらいたいところだけど、それも難しいだろう。
結局、誰かが有志でボランティア団体でも構成して、手厚く保存していくしかないのだろうか。
でも、多少姿を変えているとはいえ琴電で未だ現役で走っている訳だ。それすら「奇跡」と思える
ことだ。何せ、間もなく製造後50年に届くという車輌が元気に走っているのを見ると、懐かしさが
込み上げて来る。京急時代のセミクロスはとうに見られないし、顔の造りも変わってしまったが、
大きな窓と台車は確かに「京急の電車」の証でもある。
142 :
名無し野電車区:2007/01/08(月) 17:33:26 ID:knBMjjTF
143 :
名無し野電車区:2007/01/08(月) 18:26:30 ID:nhIosdoU
今日はフリーきっぷの残りの1枚を使ってどこか散歩に行こうと思っていたが、夜なべをして風邪をひいたようで断念した。
持っていても仕方がないので払い戻しに行った。戻って来た790円で風邪薬を買って帰る。何だか損をした感じは否めない。
駅に行くと、ちょうど成人式が終ったのか、晴れ着姿のお嬢さんがたくさん降りて来た。正月には余り見かけなかった晴れ着
を見るのはやっぱりいいものである。傍に付き添う親も今日だけは鼻高々に見えた。でも、当の本人は、慣れない着物に歩き
方もぎこちない。でも、それも何か微笑ましく映る。最近は一部のバカな成人が暴れてニュースネタになることが多いが、で
もそれは本当に一部の人間だけ。大半はしっかりした成人だと思うのだ。
明日からは長い正月休みも終ってふつうの生活に戻る。朝のラッシュも着膨れに正月ボケで一際混むだろう。私のようなフリー
の人間は1月は鬼門である。正月休みでどうしても立ち上げが遅くなるからだ。今年はすぐ連休になって実際に活動を開始す
るのは明日からだ。月の1/3は既に終ってしまったのである。あと2/3で1月分の稼ぎをしなくてはならない。なかなか
頭の痛い月である。従って、朝も早く出て、まだ正月休みボケを引きずっている担当者の目を覚まさせるため、取引先回りに
出るのである。
まぁ、でも一息ついて早めに切りがつけば、どこかの駅にフラッと降りてみようか。
>>142 FF10のルチルに反応してしまった漏れwww
これから品川行く度に、FF10を思い出してしまう・・・
145 :
140:2007/01/09(火) 11:32:18 ID:3JIqPaR7
>>141 サンクス
琴電も廃車候補の朝専用運用となり危なげらしいので是非乗ってみたい
大手私鉄の初期カルダンはこいつと余命僅かな京阪1810&阪急2300くらいだから
沿線ネタ無しスマソ
なんかやっぱり「京急と言えばコレだー!」って言える場所に欠けるんだよね・・・
146 :
名無し野電車区:2007/01/09(火) 22:13:14 ID:eVG563fs
金沢八景は逗子線が分かれる駅である。特急も停車するが、昼間や土・休日は快特主体になった今はちょっと
影が薄くなったように思う。早朝、深夜を除いて逗子線の折返しはなくなり、隣の金沢文庫との間の僅かな複
々線をフルに使った本線直通の各駅停車や、金沢文庫から快特に併結して(解放して)品川や羽田空港へ直通
する電車が主になった。
ところで、この金沢八景は駅そのものの構造や周辺に、昔から余り変化がない。線路配置やホームは折に触れ
て改装されてはいるが、ホームの下をくぐる連絡通路などは昔のままだ。コンクリートむき出しの背の低い通
路は薄暗い。
駅前は車もロクに入れないような狭い道路が国道16号線に抜けている。その100m程の道の両側に商店や喫茶
店が並ぶのだが、結構昔から営業をしているような雰囲気がある。特に商店街という程のものではなく、何か
食べようか…と歩いているうちに国道に出てしまうという感じだ。むしろ、この国道の両側に銀行やファミレ
スなどが並んでいる。でも、この交差点に出ても金沢八景で接続しているはずの「金沢シーサイドライン」の
乗り場が直接見える訳ではない。乗り場はこの交差点を渡り、案内に従って駅から5分程度歩いたところだ。
京急の金沢八景駅に乗り入れなかったのは、この駅前に敷地が確保できなかったからと聞く。今でも延伸の計
画はあるらしいが、駅前一帯を再開発する必要がありなかなか先に進まないのが実情のようだ。
国道を渡って程なく、入り江が見えて来る。昔に比べるとだいぶ後退してしまったが、ここから野島に向けて
昔は干潟だったり、漁船が係留されていたりと潮の香りが漂う場所だった。手頃な釣り場としても知られてい
て、中学時代の釣りの好きな友人はよくこの辺りに出かけていたようだ。
147 :
名無し野電車区:2007/01/09(火) 22:14:11 ID:eVG563fs
一方、線路を挟んで反対の山側は金沢文庫に向けて横浜市立大学、東急車両が広がる。駅の下を反対側に狭い
通路で抜けると、崖の脇に今時珍しい立派な茅葺き屋根の住宅がある。ここは茶道教室として使われているよ
うだが、ここには大きな桜の木があって、春に満開になるとそれはそれは立派な姿を見せてくれる。茅葺き屋
根に桜の大木と、今ではなかなか見ることのできなくなった“日本の風景”そのものだ。駅の上りホームの金
沢文庫寄りの端からそれは正面に眺めることができる。
ただ、近付いてみると茅葺き屋根は遠目で眺めている以上に痛んでいるようで、何かしら手を打たないと…と
いうような状態だ。どこからか「記念物」として指定されていると聞いたような記憶もあるが、それ故なかな
か修復しようにもできないという事情もあるのかもしれない。でも、また桜が満開になる季節がやって来た時、
あの見事な桜と茅葺き屋根を、通過する一瞬の間だけでもいつまでも見ていたいものだ。
148 :
名無し野電車区:2007/01/10(水) 03:10:52 ID:W0UMnX0Z
あら、アラ、阿藤さん。
今日は何処にぶらり旅でぇすかぁ〜?
あらマァ!阿藤さんたらぁ〜、たまごっちスタンプラリーやっていたんですね〜ぇ。
「いゃあ、孫に頼まれちまってねぇ!何だかなぁ〜。」
と、滝口さんのナレが…。
>>146-147 影が薄くなったとはいえ
平日朝夕は高校・大学の学生達で賑わっていますよ
by金沢八景駅利用者
150 :
名無し野電車区:2007/01/10(水) 19:43:53 ID:vwvrp0O4
品川を出た快特は北品川を通過して高架区間に入るとぐんぐんスピードを上げる。比較的高い高架なので
車窓の眺めがいい。そして何気に左の彼方を見ると、時によっては羽田に着陸体勢の飛行機や、これから
彼の地へ向けて高度を上げていく飛行機が見えることがある。特に着陸体勢に入っている飛行機は、機体
を傾け、意外に大きく間近な印象を受ける。それもそのはずで、実際に大井の流通センターの真上を旋回
するように飛んでいるので、意外に近く感じるのも道理だ。しかし、これは年中見られることではなく、
ある一定の条件の時にしか見られない。
通常羽田に着陸するルートは皆さんもよく御存知の通り木更津上空から東京湾に入り、東京湾横断道路に
沿うように高度を下げてそのまま着陸する。しかし、南風が強い場合に限って飛行機は東京湾の北を通り、
ディズニーランドなどを右に見て海岸線に沿うように高度を下げる。そしてお台場の手前から大きく左旋
回を始め、大井の流通ターミナル上空をかなりのバンクを取りながら大きく旋回しつつ着陸する。この時、
京急の窓からその飛行機が見えるという訳だ。
たまたま搭乗していた便がこのルートを取ると、特に右側に座っていると、ディズニーランドからお台場、
フジテレビ上空、東京タワー、大井の新幹線車輌基地などがすぐ下や間近に見えて実に楽しい。特に夜だ
と夜景が素晴らしく、敢えて天気を見て右側の席を指定したくなる時もある。ただ、このルートだと着陸
してからターミナルスポットへ入るまでのタキシング距離が結構長くなってしまうのだが…。
羽田空港駅は地下なので、実際に京急と飛行機の組み合わせを見られるのは、この区間と平和島周辺の高
架区間くらいだろうと思う。
>>149 もちろん、金沢八景駅は昔から学生の多い駅だ。「影が薄い」というのはあくまでも「ダイヤの上で」の
話です。
151 :
名無し野電車区:2007/01/11(木) 19:17:14 ID:uhv9daAb
久里浜線のYRP野比駅。頭にアルファベットが付く駅はJRにはいくつかあるが、私鉄では極めて珍しい。
しかも、「JR」というアルファベットが意味するものは誰でも理解できるが、「YRP」っていったい何だ
よ?と思う方も多いだろう。もちろん、京急ファンの方ならそんなこと当然の知識なんだが、一般の人には残
念ながら余りピンと来ていないようだ。正しく「YOKOSUKA RESEARCH PARK」と言える人は意外に少ない。
この「YRP」とは、三浦半島の山なみの上に切り開かれたNTTをはじめとする各企業の研究施設が集まっ
たエリアで、横須賀市が誘致して出現した。その最寄駅が野比駅だったので、知名度を上げるために「YRP」
を頭に付けたのである。
最寄駅とはいえ、山の上にあるので、かなりの急坂をバスで15分程登らなくてはならない。昔は鬱蒼とした
人跡未踏のような山中だったところを開発したので、きれいな道路ではあるけれど、周囲にはお店すらほとん
どなく、休日は無気味なくらいに静まり返って、大きな研究施設の建物が要塞のように見える。一般車一切乗
入れ禁止のNTT施設の正面玄関に乗り入れるのもここを通るバスの特徴だ。もちろん乗降は自由だが、あく
まで企業施設内なので、不審に歩き回ろうものなら守衛が飛んで来るのは言う間でもない。バスはここを峠に、
横須賀−林を結ぶ県道へと下る。
野比駅は京急で唯一両隣りの駅まで単線になっていて、多くの電車がここで「交換待ち」をする。この京急久
里浜−YRP野比−京急長沢が単線になっているので、運転上のネックになっているのは事実であるが、線増
の気配は一向にない。一応複線用地を多くの部分で確保しているようであるが、そんな気配は全くないようだ。
駅は海岸から少し奥まった所にあり、周辺は坂が多く駅前も狭い。バス乗り場がある他は小さなスーパーと商
店が点在するくらいだ。駅から少し離れてしまえば、山を切り開いて造られた静かな住宅街が広がる。京急電
車が久里浜から野比まで延びた時、まだこの辺りは住宅もまばらな寂しい山の中だったのをかすかに覚えてい
る。
>>151 あそこが単線の理由って確か活断層が原因だっけ?
トンネルの所に活断層があるとか…
話は逸れるが、あの辺りは活断層の真上に住宅地があるそうな
地元の人はそれを知ってか、その真上には住まないそうな
ただ、それを知らない人達は…
…と言うのを前に聞いた事がある
153 :
名無し野電車区:2007/01/11(木) 21:10:02 ID:uhv9daAb
>>152 その話はずいぶん前から言われていたようだ。ただ、それが明らかになったのは比較的最近の話では
なかったかな? 東海沖地震が話題になり始め、本腰で調査をして判明したんじゃなかったかな?
(はっきりは覚えていないが) それでその活断層の真上に病院があることが明らかになって随分問
題になっていたようだ。
京急久里浜−YRP野比にあるそのトンネルは京急では珍しい単線トンネルだけれど、活断層が原因
でトンネルが掘られないという話は知らなかった。確かに、活断層を突切っている訳だが。でも、そ
ういう場所は日本中至る所にあるだろうし、それだけが理由ではないような気もするが。トンネルの
手前まで複線にするプランがあることを聞いた覚えはある。
今日はスレ違いだが、私個人の雑感を書いてみる。
皆さん御存知と思うが、この2chの管理人の人間が再三の賠償命令を無視し続けているため、仮差し押えの手続きが
取られることになったようだ。そのため、この2chの存続が今大きな問題になっている。
2chは匿名性で、誰もが自由に同じ土俵で発言できる貴重な場である。これはうまく使えば画期的な情報交換の場に
なったり、知識を得る場、ものの本質を知る場として素晴らしいものだと思う。しかし、反面、匿名性をいいことに、
愉快犯的に特定の人物や団体、会社、そして発言者に対して容赦ない攻撃をする連中が少なくない…というか、そう
いう場として衆知されてしまったようだ。マナーも糞もない誹謗中傷は折角の機能を殺してしまって、ふざけ半分の
スレが乱立している。
いわゆる「2ちゃんねらー」と言うのか、この勘違いした人たちはとにかく何でもまずは「文句を言い」、言葉尻や
つまらぬ言い掛かりを付けて叩きまくる。そこには言葉遣いなど関係ない。コミュニケーションの基本など糞食らえ、
ここの「常識」が世間一般の「常識」より先行すると公言して横柄にのさばっている。
ここの管理人も結局のところ、「人として当たり前のこと」を忘れた人だったんだろう。「自由にものを言える場」
を提供したのは素晴らしい発想だが、あまりにも無責任過ぎた。おかしな人間の蔓延に何の手立てもせず、むしろそ
れが衆知のことになったことで「ステイタス」と思っているのかも知れない。その延長で自分の責任についても開き
直っているように映る。それが当然、何が悪い?という、どこかホリエモンと似たところを感じるのは私だけではあ
るまい。
155 :
名無し野電車区:2007/01/12(金) 18:49:03 ID:fI/1N777
この先どうなるのかは私は分らない。これだけ巨大化した掲示板が消えるというのも俄に信じ難い。誰かが別の形で
登場させるかも知れない。でも、また同じようなルール無用の野放し掲示板では同じようなことは必ず起こる。極端
に発言を規制しても本来の意味がなくなる。かといって、不用意な発言は時によって、その当人の人生、家庭、会社
をぶち壊すことになる。不用意な発言をした者、それを許した者(つまり管理人)はそれに対して責任を取るのは当
たり前のことだ。それを踏まえた上で、何らかの工夫をして然るべきだ。相反することでなかなか難しいことだが、
それは「両立」しなくてはいけない。それができないなら無責任な掲示板など作るべきではないと思う。
所詮皆2chの一構成員にすぎない。
管理の実態を知っていた人にも知らなかった人にも、
同じペナルティーが課せられる日を待つだけだ。
豪華客船や大軍艦だと思って乗り込んだ人も多いだろうが、
2chは最初から壊れかけた船でしかなかったよ。
157 :
名無し野電車区:2007/01/13(土) 03:47:44 ID:rK6L4cZS
どっちらけですわ
158 :
名無し野電車区:2007/01/13(土) 16:01:46 ID:OIB+KGf1
2chがなくなっても京急はなくならない。
159 :
名無し野電車区:2007/01/13(土) 21:39:03 ID:zRU2EHci
今日は北品川に初めて降りた。ターミナルの品川の1つ先、南に向かっていると思えるのに「北品川」
というのも妙な感じだが、開通した当時はここが「品川」として京浜電気鉄道のターミナルとして機能
していたのである。その後、線路が高輪方面へ延び、今の「品川駅」が開業したことで「北品川」に改
称されたという訳だが、当時の所在地が荏原郡品川町にあり、その北端にあったことから「北品川」と
なったとのことである。今の「品川駅」との相対関係で決められた訳ではないのだ。
このように、それなりの歴史のある駅のようだが、今では各駅停車が10分毎に停車するだけで、その何
倍もの優等列車、そして乗入れ各社の様々な車輌がここを通過して行く。品川寄りは有名な八ツ山の鉄
橋でJRを強引にクロスするが、ここの鉄橋脇の踏切からの写真は京急の「定番」ともいえる撮影地で
ある。ちなみに、この八ツ山鉄橋の品川寄りのカーブは下り線がR=80で、本線では最急のカーブにな
っている。
160 :
名無し野電車区:2007/01/13(土) 21:39:45 ID:zRU2EHci
さて、北品川の改札は平行する国道15号線(下りに向かって右側)に設けられている。駅の近くには女
子高があってここの駅の主な利用客になっている。結構お洒落な制服で人気が高いと聞いた。商店街は
この国道とは反対に踏切を渡った海岸の方へ向かって続く。昔ながらの風情が今も残る雰囲気は決して
悪くはないが、今一つ精彩がないように感じた。
先程の八ツ山鉄橋の横に並ぶ道路は踏切を渡って緩い下り坂になっている。この左側には大きな都営ア
パートが建ち、その後ろに都バスの品川車庫がある。さらに、それよりJR側は以前は新幹線の車輌基
地だった。京急の電車からも新幹線の姿がチラリと見えたが、今では基地は全て大井へ移り、ここは再
開発されて、今や高層ビルが林立する一帯になった。
この品川車庫を見ながら新幹線に沿って歩けば10分足らずで品川駅の港南口に出る。新幹線品川駅開業
と前後して大きく変貌した一帯だ。昔の鄙びた港南口など想像もできない。
ところで、その道を歩いている途中に歩道の端の方に何ケ所か、プレートが規則的に埋め込まれていた
のに気付いた。立ち止まってよく見ると「区境標 港区→」という文字が刻まれ、矢印で示されていた
先には、歩道に沿って線引きをしたようにアスファルトの“塗り”が変わっていた。御存知の方も多い
だろうが、「品川駅」の所在地は「東京都品川区」ではなく「東京都港区高輪」なのだ。つまり「ここ
が港区と品川区の境なんだよ」と示した標識だったのだろう。うっかりすれば気付かないような小さな
ものだったが、ちょっと歩いただけでも思わぬ発見があるものである。
161 :
名無し野電車区:2007/01/14(日) 00:27:22 ID:xB35VVMY
北品川は、俺も平成11年に歩いたことがあります。
この時は、旧東海道やその脇道には、かなり古い建物が残っていました。
あの辺りは戦災を免れたようですので。
いわゆる看板建築ですが、かなり珍しい様式の建物もありました。
今でも残っていればいいのですが。
162 :
名無し野電車区:2007/01/14(日) 17:58:10 ID:uz+I+7QS
大師線の京急川崎から2つ目に「鈴木町(すずきちょう)」という駅がある。歴史の古い大師線であるが、
この駅は当初の道路併用軌道から専用軌道へ切り替えられた後、地元の要望で設けられた駅である。
国内には自分と名字と同じ地名や駅名があるケースが多いが、日本で一番多いと言われる「鈴木」という
名字が入った駅名は、全国でもここがただ1つの駅である。由来はこの駅の側にあり、今でも社員の多く
がこの駅を利用する「味の素」の創始者の名字を取って付けられたという話だ。
駅そのものは幅の狭い対面ホームがあるだけで、未だに改札口のある上りホーム側へは構内の踏切りで渡
る。昔の京急はこういう駅があちこちにあったが、さすがに今では安全上から本線系では全てが橋上改札
に変わり、支線の僅かにその姿を残すだけになっている。
下りホームの川崎寄りには朝のみ開かれる「味の素専用改札口」が設けられているのもこの駅ならではだ。
下り線側一帯はこのような「味の素」の工場敷地になっているが、反対側の駅の前から通じる道路の周辺
も工場や作業場、倉庫が目に付くだけでお店がほとんどない。その道を歩いて比較的広い通りに出ても、
工場の柵沿いに川崎大師の方へ暫く歩かないと、民家など生活の匂いが余りして来ない。工場や倉庫が多
い大師線の典型のような駅が「鈴木町」である。
自分と同じ名字の駅ということで“期待”してくる「鈴木さん」、来てみてちょっとがっかりするかもし
れない。
味の素専用改札口は、自動改札機がないのですが、味の素の通勤客は、定期券の磁気チェック(フェアライドシステムの関係)はどうなっているのかと心配したことがあります。
鈴木町駅は、除外してあるのでしょうか。
164 :
名無し野電車区:2007/01/14(日) 18:53:26 ID:uz+I+7QS
>>163 そうですね、どうなっているんでしょう。普通に考えればソフト的に「除外」してありそうですが、
今はそんな“アバウト”ではないとも思えます。
まさか、味の素の会社内にある「タイムカード」と連動している…なんてことはないでしょうが。
そういえば、港町と鈴木町は京急で最後まで自動改札が入らなかった駅ではなかったかな?
それに何かの発売でも昔は「港町、鈴木町、泉岳寺は除く」という文句はよく見たことがあります。
東門前、鈴木町、泉岳寺は除外してあります。
泉岳寺は地下鉄同士の割引の関係で他社−都営−メトロの定期が発売できず、
定期が地下鉄部分と京急の2枚に別れるためです。
166 :
名無し野電車区:2007/01/15(月) 18:56:07 ID:rrk2Q840
横浜駅を出た快特は次の停車駅の上大岡駅までは比較的距離がある。暫くはカーブも多く思った程スピードが
上がらない。でも、南太田駅を過ぎ、短い4号トンネルを抜けると電車は一気に加速を始める。左手に大きな
高層アパートがいくつも建ち並び、幅の広い道路の上を横切ると井戸ヶ谷駅を通過する。
「井戸ヶ谷」はその名が示す通り、谷地に井戸があった周りに町が形成されていった所からこの地名が付いた
という。その地名を取った何となく古臭い響きの駅名だけれど、辺りは先ほどの大きな高層アパートを始め、
古くからの住宅が密集している人口の多い中にある駅だ。駅前を蒔田−保土ヶ谷を結ぶ幹線道路が走っている
ので交通量が多く人の往き来も多いが、駅周辺には目立つような商店はそれほど多くなく、大きなアパートに
隣接したした大手大規模スーパーに集約されてしまったようだ。
井戸ヶ谷駅はこのように、周囲に高層アパートがあることから、京急ではいち早く直営の託児所をオープンさ
せた。言うまでもなく、この周辺に住む若い共働き夫婦を見越しての開業だったが、既にかなりの年月が経ち、
駅という便利な立地と相まって好評と聞く。
167 :
名無し野電車区:2007/01/15(月) 18:56:49 ID:rrk2Q840
線路の東側にはこのように一面の住宅地が広がるが、反対の西側には緩い丘陵地帯が続く。こちらも住宅がび
っしりだ。京急の線路はこの丘陵地帯と平地との境付近を日ノ出町からずっと走っている。そして井戸ヶ谷駅
を通過すると、この丘陵が迫り出しているのに沿うように線路は大きく左へ、左へとぐんぐん曲がる。90度以
上向きを変えるこの大カーブも京急の名所の1つだ。
このカーブを12両の編成が大きく弧を描き、車体を傾けて築堤上を疾走する姿は見ものである。R=360だと
思ったから結構な急カーブだが、85km/h制限(だと思った)いっぱいにレールを“唸らせながら”走るのも
迫力がある。また、そのカーブの終わり付近では遠くランドマークタワーも望める。
普段は私もこの辺りはだいたい居眠りをしてしまって余り気を止めない所でもあるのだが、歩いてみれば結構
面白そうな駅だと思っている。そういえば、井戸ヶ谷駅は昔は朝の急行が「臨時停車」をしていた。朝方の急
行の「臨時停車」は京急では珍しくなかったが(他にも鶴見市場などいくつかあった)、その最初がこの井戸
ヶ谷駅だったのではないだろうか。しかし、急行廃止と共にそれはなくなった。でも、各駅停車が10分に2本
と倍増しているので、トータルで見れば改善されていると言えるのだろう。
168 :
名無し野電車区:2007/01/15(月) 19:00:41 ID:yA3rhTwQ
井土ヶ谷から弘明寺までの大カーブの途中、小さな山(?)があって、短いトンネルを抜けるところが好きです。
短いトンネルで抜ける、まで読んだ。
>>170 有馬は「抜ける」という下ネタが言いたかったのだろう。そういう香具師だ。
まじめなスレでごめん。
京急好きは鉄道ばかりに目が向く傾向がありますが、京急の沿線の風景、文化も興味深いものです。
沿線がずっと住宅地が続く中、三浦海岸を出ると遠くに山も見えて広い畑が広がるところなんか、いいですね。
172 :
名無し野電車区:2007/01/16(火) 19:07:45 ID:IRsQqG4f
三崎口は以前にも書いたと思うが、駅前は開業当時と余り変わっていない。特に目につく建物や商店もなく、バスターミナル
だけが広がっているくらいだ。それでも以前に比べると周囲に真新しいマンションが建ち始め、次第に長閑な畑の風景も狭ま
りつつある。
ここからバスが三浦市中心部の三崎や油壺マリンパークへはバスで15分程だ。駅周辺は緩やかな台地の上にあり、畑なども結
構目につくのだが、バスが走るに従って次第に道の両側には商店や住宅が多くなる。ふつうであれば駅の周囲が一番賑わって、
バスが走るに連れて長閑な景色になって行くようなものだが、ここでは全く逆である。三崎口駅は三浦市唯一の駅ではあるけ
れど、その名の通り「口」であり、市の外れに設けられたのである。この先油壺までの延伸計画は一旦免許取下げをしたもの
の、再び再開発のもと計画が持ち上がっている。しかし、現実的には環境問題や京急自体が今や羽田空港関連が最優先の事業
計画で、これが具体化するのは果たしていつになるのやら。
油壺マリンパークは三崎口駅前の国道134号線から分かれて5分程だ。そこから更に先に5分程歩く。以前は京急でもCMに
は必ず真っ先に出て来たものだが、今では駅のポスターにも余り目にすることはなくなった。「マリンパ−ク号」なんていう
電車も走っていた時代もあった。
でも、首都圏には今や多くの目新しい特徴を打ち出した水族館や一歩進んだアミューズメントパークが相次いで登場し、ここ
まで足を運ぶ必要もなくなってしまった。確かに、ここまではさすがに“遠い”。
昨年久しぶりに行ってみたけれど、どこか閑散としていて以前のような活気を感じないのが寂しい。
三浦市の代表駅は手前の三浦海岸駅だったはず。
>>173 訂正ありがとう。三浦海岸駅も三浦市ですので、「三崎口駅が三浦市唯一の駅」というのは間違えでした。
失礼しました。
ただ、「代表駅」というとちょっと微妙かも知れませんね。確かに三浦海岸駅の方が駅周辺は賑やかですが、
三浦市の中心になる三崎へは三崎口駅が近い訳で、確かな定義があるのか分りませんが、三崎口駅の方が
三浦市の「代表駅」に思えてしまうのですが…。
175 :
名無し野電車区:2007/01/17(水) 16:51:36 ID:tZ+8usCl
横須賀市民の私が東京へ会社勤めをしている時、やはり最終電車の時間は気になった。横須賀方面となると比較的
終車が早く、時間を気にしながら残業したり二次会をパスして駅へ急いだものである。
それでも、どうしても間に合わずその後の金沢文庫行き最終に乗ったことも何度かあった。でも、当然であるが金
沢文庫で降ろされたところで、その先誰も迎えに来てくれる訳ではないから、仕方なくタクシーで帰ることになる。
ところが、金沢文庫といえば宅地化が進んでいて最終で降りる乗客も多く、タクシーに乗るまでが一苦労だった。
30分程度の待ちぼうけはふつう、週末等1時間も待ってもなかなか乗れないこともあり、磯子や大宮といったよう
な「途中終着駅」の深夜の行列はどこも当たり前のように続いていた。
それを見越して金沢文庫駅には「白タク」が半ば公然的に幅を利かせていた。何せタクシーはちっともやって来ない
し、いつ乗れるかもしれないその客相手に「仕切り屋」が声を上げ、乗客を募ってゆく。「鎌倉、逗子方面」「追浜、
田浦方面」「横須賀、浦賀方面」「衣笠、久里浜方面」と、それぞれのルートに車がスタンバイしている。そして5
〜6人集まると仕切り屋が指示するワゴン車(大体人数の乗れるワゴン車が多かった)へ案内され、そして発車して
行く。お陰で“見る間に”長い客待ちの列が短くなっていく。それでもタクシーはなかなかやって来ないから、皆違
法と知りつつ、お世話になる。私も何回かお世話になった。
乗ってしまえば私の車は周辺の客でだいたい満席で、それぞれの自宅の前若しくは近くまで送ってくれる。いつも私
が一番最後だったので、家の前まで送ってもらった。肝心の料金は当時一律1人3000〜3500円くらいだった。これ
は深夜料金でタクシーで帰って来るのに比べて半分以下だった。それを知ってから、やっぱり並ぶのはイヤになり、
迷いもせず仕切り屋の指図に従っていた。
確かに違法とはいえ、来ないタクシーと高いタクシー、白タクもうまい所を突いてくるものだが、「必要悪」と言っ
てしまえばそれまでのことなんだが…。
今は平日は京急も30分程遅くなった。もとより、そんな遅くに帰る必要もなくなったので今の実態は分らないが、そ
んなこともあったのである。
176 :
名無し野電車区:2007/01/17(水) 23:44:14 ID:8KOShyrD
>>175 へえーー、興味深い話ですね。
初めて知ったのですが、白タクはタクシーよりも安いのですか。知りませんでした。
客の弱みに付け込んでいるので、高いというイメージがありました。
もっとも、相乗りだから安いのかもしれませんが。
>>169 上りに乗ると今まで進行方向右手に見えてたランドマークが
そこのカーブから今度は左手に見えるんだよね
初めて見たとき頭ではわかっててもなんか不思議な感じがしたんだよなぁ
178 :
名無し野電車区:2007/01/18(木) 20:05:28 ID:Wt0VIZ3r
週末の夜、終電に間に合わなくなると都内で夜通し飲み遊び歩いた後、始発の特急で帰ることが時々あった。
その、週末の品川6時前に発車する始発の特急は独特の雰囲気に包まれている。車内に一歩足を踏み入れると、
車内の座席の多くを釣り客が占め、それぞれ皆大きなクーラーボックスにザック、もちろん自慢の釣り竿ケー
スを抱え、皆さん同じような釣り用のジャケットに早くも長靴スタイルの太公望たちが、仲間と今日の釣果を
期待して情報交換、釣り談義に花を咲かせている。さながら「釣り客専用電車」の様相で、片隅で一般客が小
さくなっているという感じだった。
彼等は、途中駅から乗ってくる仲間を加えながらだいたいが堀ノ内までそのままやって来る。堀ノ内で浦賀行
きに乗り換えるのが1/3くらい、残りは久里浜、三浦海岸、三崎口と降りてそれぞれの目的地まで行くよう
だ。磯釣りに加えて船で沖に出る海釣りも多く、久里浜などは海から少し離れているにも関わらず、駅近くを
流れる平作川を遡って船宿があり、駅からそう歩くこともなく船に乗ることができる。平作川にはそんな漁船
が岸に一杯係留されている。
この朝一番の特急から降りた釣り客は予約していた船宿に出向き、人数が揃い次第一斉に河口へと下ってそれ
ぞれの釣り場へ向かうのだ。そして夕方になると、それらの船がまるで船団のごとく一斉に川を遡って帰って
来る。帰る時間が決まっているのか、大して広くもない川を十何隻も列をなして遡ってくるのは結構壮観な風
景だ。中には頭上の橋スレスレの船もあったりして、見ている方が結構スリリングだ。デッキには満足そうな
釣り客の姿が見て取れ、足下に置いたクーラーボックスにはさぞやたくさんの魚が詰まっているのだろう。
そういえば、昔は週末の朝の始発の特急には「銀鱗号」なんていう名前がついていて、ヘッドマークを掲げて
走っていた。今も昔も釣り客の姿で賑わうが、でも一般客からすれば大きなクーラーボックスは“邪魔”であ
るし、横柄に座る姿は決して好ましくは映らず、夜通し遊んできた分際ではあってもウザったく思っていたの
も事実だったが…。
>>178 これも興味深い話ですね。
そのシーンを頭に描いてしまいました。
毎回詳しく書き込んでおられる方は同一人物の方でしょうが、みんな京急の知らなかった側面を語っておられて、毎回楽しませてもらっています。
これからも、我々が知らないような面白いネタをお願いします。
平日夕方の仕事帰り。
普通はみんな一人で電車に乗って家なり、行きつけのお店なりへ向かう。
でも空港線の上りは雰囲気がちょっと違う。
空港から乗ってくるのは全国のいろいろなお土産を持った出張や旅行客。
車内には「白い恋人」「蓬莱のぶたまん」「蒸気屋のかるかん」「ちんすこう」などいろとりどり。
そして天空橋、穴守稲荷、大鳥居から帰宅するサラリーマンたちがグループで乗ってくる。
駅周辺には町工場だけでなく、SEGA、JAL、和民などの企業がたくさんあり、蒲田までの間は車内あちこち数人のグループでにぎやかだ。
帰りの通勤電車でこんなに明るい話し声の聞こえる電車は首都圏でも珍しい。
181 :
名無し野電車区:2007/01/19(金) 18:57:39 ID:OQRYZB3u
京急の“得意技”の1つに「車輌交換」というものがある。良い気持ちで居眠りをしていたり、やっと席にありつけたと
ホッとしたそばから「この電車は次の金沢文庫で車輌交換をさせていただきます」なんていう突然のアナウンスがたまに
ある。“たまに”とはいうが、他の鉄道と比べて比較的“よく起こる”感じがする。つまり、そんなに珍しいことではな
い。理由は様々あるだろうが、これも京急の昔からの“伝統”である。
神奈川新町、金沢文庫、京浜久里浜というような車庫のある駅で行われるのは当然として、普通は反対側のホームに代わ
りの電車が待っていて、交換になる車輌の乗客を乗せるとすぐ発車していく。それは特に珍しい風景でもないのだが、ち
ょっと待て! 神奈川新町や金沢文庫では必ずと言って良い程各駅停車が通常では反対側に退避をしているはずである。
その各駅停車は何処に行った?という疑問が残る。結論から言えば、受けた特急などが発車後、間髪入れずに車庫から各
駅停車が入れ替えてきて普通の乗客を乗せて発車するということが多いようだ。
でも、私が若い頃、こういう車輌交換する特急を神奈川新町、金沢文庫で退避する各駅停車に乗っていた時は面白かった。
まず、各駅停車が退避線に入って下車客を降ろすと、すぐ乗客を乗せたままその先の引上げ線に転線して一時待機する。
そして交換した特急が発車して行った後、再びホームに転線して客扱いの後発車するという手順で行われた。
何が面白いかって、普段は入ることのない引上げ線にソロリソロリと入って停車している電車の車内で暫く待機している
のが、何か“突然のサプライズ”のような感じがしたものだった。
今では各駅停車も金沢文庫止まり、始発というようなパターンで行われるようなので、“乗客を乗せたまま引上げ線で待
機”なんてことはまずないようだが、昔はこんなことも“当たり前”のように行われていたのだ。でも、ふと考えてみれ
ば、今の京急川崎の下り快特では、羽田空港から先行した付属4両が品川方面からの快特をやり過ごすため、京急川崎の
品川方にある引上げ線で乗客を乗せたまま一時待機している。意外な形で“伝統?”が受け継がれているようだ。
>>181 そうですね。
お客を乗せたまま引き上げ線に入ってしまうというのは、京急だけかも。
待避のためにドアを閉めて位置を移動するというのは、地上駅時代の東武北千住でもあったようですが、この場合は、あくまでホームの身欠けになっている待避線に移動しただけのようなので。
京急川崎が京浜川崎で、まだ地上駅だった時代には、朝のラッシュ時に、普通が引き上げ線に引き上げて急行と特急を待避したようですね。
普通・急行・特急の順番で走っていたのが、川崎からは特急・急行・普通の順番にそっくり入れ替わるというやつ。
京急はこの種の話題が欠かない会社です。
>>175 自分の祖父は昔、川崎辺りで働いていたらしいんですが
夜、同僚と飲み歩いてから帰る時は、最寄駅までの終電は最初から諦めて
神奈川新町行きの終電に乗ってそこからタクシーで同僚と
横須賀付近の自宅まで帰ったそうな
ちなみにタクシー代は会社の経費か何かで落ちたらしい
…もう30〜40年近く前の話ですが
ある日、上り特急が故障し、文庫で車両交換になったときは、
待避の普通を京急富岡まで先行させて待避線を空けていた。
通常ダイヤの技巧もさることながら、こういった突発事態にも随時対応出来るのに感心した。
タモリ倶楽部、沿線ファンにとってはガッカリだったね。工場中心で。
こんなんならそれこそ銚子電鉄にでも行けばよかったのに(そのうち行くかも
しれないが)・・
あっちの方に行くとなんか30年の京急っ子である漏れは何故か郷愁を覚える。
言葉が所謂浜言葉で似ているのだ。じゃんけんはもちろん「ちっけ!」
186 :
名無し野電車区:2007/01/20(土) 11:18:07 ID:5nmucYVr
「タモリ倶楽部」はあれでいいと思う。沿線ならスレタイにもなっている「ぶらり途中下車」に任せて。
しかし、いい大人が無邪気にはしゃいで、でも気持ちは十分すぎる程わかる! 久しぶりに見た
「笑える鉄ネタ番組」に思えた。来週は保線関係のようだけど、それはそれでまた面白そうだ。
187 :
名無し野電車区:2007/01/20(土) 21:06:03 ID:5nmucYVr
横須賀中央を出て長めのトンネルを出ると、左手に横須賀の市街とその向こうに東京湾が望める。この辺りまで来ると、
今まで目一杯突走ってきた走りが急にゆったりした走りに感じてしまう風景だ。そして、緩いカーブを曲がり切ったとこ
ろに「県立大学駅」がある。
「県立大学」は2年程前に「京急安浦」から改称された。この海側に開発されたニュータウンの中に開校した県立福祉大
学にちなんだのである。しかし、この駅は開業した当初は「横須賀公郷(よこすかくごう)」と呼ばれ、後に「京浜安浦」
と改称、さらに会社のCIによって「京急安浦」、そして「県立大学」と、3回も改称されているのは恐らく京急ではこ
の駅くらいかもしれない。
駅周辺は昔から下町風情を残す住宅街の中にあり、周囲に商店街らしきものは見当たらない。海側に向かって坂を5〜6
分下ると国道16号線に出る。その辺りにそこそこ昔からの商店がいくつか集まっているくらいだ。そこは繁華街を外れた
のんびりした風景が広がり、小泉前首相の実家もこの近くにある。決して豪華でもない本当に“ふつうの家”で、警備員
がいなければそれが「実家」とは全く分らない(現在は警護もなくなっただろうから、余計分らないかもしれない)。
その更に海側に埋め立てで出現したニュータウンがある。その町名も「平成町」と付けられた新しい街らしく、駅周辺と
は全く違った整然とした並木道と大きな高層マンション、市民公共施設、そして大手量販店がいくつも並び、ファミレス
やファストフ−ドの店も集まっている。ごちゃごちゃした横須賀中央駅前の繁華街とは対照的な横須賀の“新しい街”だ。
その広々としたエリアのシンボルのように県立福祉大学がある。近代的で明るい校舎は、これが大学?と思ってしまうよ
うだ。しかし、ここまで歩けば約15分でちょっと“遠い”。それでも、今までに見ることがなかった学生の姿が目につく
ようになった。
188 :
名無し野電車区:2007/01/20(土) 21:06:48 ID:5nmucYVr
また、開業当初の面影を残すレトロな駅舎内には、「スワン」という障害者支援事業の一環としてオープンした焼立てパ
ンの店があり、前を通ると何とも言えない良い匂いが購買欲をそそる。
最近、駅前に昔からあったモダンで何とも言えない味わいのある医院の建物が消えてしまった。私の母親の実家がここだ
ったので、小さい頃から見覚えのあった唯一の思い出の建物だったのだが、それもとうとう消えてしまったのかと思うと、
自分の年齢を改めて意識してしまうようで複雑な気持ちになった。
安浦は、戦前、海軍の水兵を相手にした遊郭があったそうですが、今はその面影はもうないのでしょうね。
近年稀に見る良スレだな
191 :
名無し野電車区:2007/01/21(日) 11:13:45 ID:ur/7Rlwo
>>189 横須賀中央駅から海の方に向かって程なく、右に折れると昔ながらの古い商店街がある。500m程の商店街の店は私が
まだこの辺りに住んでいた就学前の頃と変わっていない店が今でもいくつか残っていて、看板といい店構えといい、旧
き「昭和」の匂いが一杯だ。
この通りが突き当たると繁華街をバイパスして来た国道16号線に出るが、この角に、昔は怪し気なネオンが幼心に異次
元空間のように光っていたキャバレー(?)だったかがあり、その付近はそんなような店があったのかもしれない。
今はそんな面影はないが、横須賀中央駅の前のビルの裏方には、これまた昔のままの姿の映画館が未だに営業を続けて
いる。ポルノ映画専門なんだが、その建物の風情といい、何とも味のある風格が漂っていて、数少なくなった昭和30年
代の香りを残す映画館だ。
横須賀は、ドブ板通りに代表されるように、昔はいろいろ怪し気なお店はいっぱいあったようだ。でも、最近は「クリ
ーンよこすか」を進めて数多あった風俗店などはほとんど姿を消した。“路地裏のスナック”でさえ他の都市に比べて
少ないように思う。
192 :
名無し野電車区:2007/01/21(日) 22:48:06 ID:ur/7Rlwo
京急は昔から“速い電車”というのが一番の評判である。別に鉄道ファンに限らずこれは一般人でもふつうに知られていることだ。
昔は線路際まで住宅がびっしり建て込んだ平地を、100km/hのスピードで突っ走っていたのでスピード感もひとしおだったから、
一般人もその印象が強く残ったのかもしれない。
今でも京急は高速で目一杯走る電車の“看板”は揺るがないが、それはもちろん安全に裏打ちされた上でのスピードなので安心して
乗っていられる。ところが、昔は“いろいろな運転士”がいた。
私は中学の1年半鶴見市場−神武寺を電車通学していたことがある。両駅とも改札が品川方にあったので、往きは最後尾の運転台後
ろの“マニア的特等席”でメーター類を眺めながら楽しんでいた。もちろん、一番興味があったのは速度計だ。「今日の運転士は最
高速度を何キロ出すか」が一番の関心事だった。言うまでもなく、その区間の最高速度は決まっているのだが、当時は結構これがア
バウトで、運転士の個性が如実に表れていた。運転士の顔を知らなくても何人か特徴のある運転士が乗るとそれはすぐ分かったもの
だ。やたら飛ばす運転士、安全速度で走る運転士、いろいろいた。
逗子線に入り、六浦(むつうら)を出ると横浜市と逗子市の境にあるトンネルに向かって登り坂が続き、トンネルをサミットに神武
寺までは一気に坂を下る。この区間の運転にその“個性”がはっきり表れた。通常であればトンネルの手前でノッチオフをして、あ
とは惰性で転がす。トンネルの出口あたりで60km/hを切るくらいに速度が落ちるものの、下り坂でブレーキをかける頃には80km
/hくらいになっているのがふつうだった。
しかし、“ある運転士”は毎度ここを制限を無視した無謀な運転をしていた。トンネルを出てもノッチを切らず、電流計の針は振れ
たまま、更に下り坂でどんどん加速し、下り切った辺りでは100km/hを越すこともしばしばだった。そしてあとはブレーキ1本、
一気に神武寺のホームにピタリと停めた。ほとんど細かなブレーキ操作もなく! まさにこれはある意味“神業”と言えるものだっ
た。こういう運転士が数人はいた。“数人”というのはそれぞれ微妙にノッチオフのタイミングなどが違っていたので、何人かいる
ようだった。
193 :
名無し野電車区:2007/01/21(日) 22:48:44 ID:ur/7Rlwo
ある日、京急に導入されたばかりの700形に乗った時のことだ。この日も“飛ばし屋”の運転士だった。この車輌は高出力モーター
の威力でやたら加速が良かった。今までの旧型電車に比べると段違いの加速の良さで、既にトンネルを出る頃には90km/hを軽く超
えていた。下り坂に入っても加速が止まることもなくどんどんメーターは上がるばかり。ところが、ここはR=400〜300の急カー
ブで、本来80km/h制限の場所である。電車は大きく外側に振られた。尻が座席から浮いて反対側に飛ばされそうになった。実際飛
ばされた乗客も…。車掌もそこら辺に必死でつかまり、速度計を覗いてただ笑うしかなかった。今にも脱線しそうな大揺れの中、何
とか坂を下り切り、直線にかかったところでようやくノッチオフ! その時、速度計の針は確かに115km/hを差していた! 次の
瞬間、シャーというブレーキ音を響かせぐんぐん減速していき、電車は神武寺のホームに見事にピタリと停まったのである。
そしてこれが“無謀運転の最高スピード記録”になった。
もちろん、今の時代にこんなことが許されるはずもない。構造的にも無茶な運転はできないようになっているから、こういう運転を
したくてもできないだろう。事故が起きなかったから「語り種」として話せるものであるが、昔にはこういう運転士もいたのである。
>>192-193 よく六浦〜新逗子間を利用しますが
あの区間でそんな事があったんですか
今では考えられないことですねぇ…
>>192-193 とても読んでいて面白かったです。
遅いイメージしかない逗子線でそのような運転が行われていたなど、今では考えられませんね。
196 :
名無し野電車区:2007/01/22(月) 17:35:27 ID:SfZIEcQP
ホームで電車を待っていると、目前を轟音を上げて下りの快特がフルスピードで駆け抜けて行く。間髪入れずに今度は
上りの快特が高い金属音のモーターの唸りとともに、これまたフルスピードで駆け抜けて行く。相次ぐ通過列車が巻き
上げた一陣の風にホームの乗客は髪を直したりスカートの裾を気にする女子高生…。こんな快特が1日続くこの駅は杉
田駅。
杉田駅は隣の屏風ケ浦からも京急富岡からも坂を下り切った“底”にある。そして、そのどちらも緩いカーブと直線が
続くので、横浜以南では一番スピードを出せる区間でもあるのだ。上下どちらもトンネルを抜けて下り坂が始まるとと
もにフルノッチでぐんぐん電車はスピードを上げる。旧型電車はそれでも100km/hが精一杯。でも今は制限速度の110
km/hは難無く出てしまい、ここの“加速の楽しみ”はなくなった。どちらかといえば勾配は緩いが長い下り坂の続く
下り線の方がスピードが出た。例の“飛ばし屋”運転士ならまだ屏風ケ浦の手前のトンネルを出る辺りから既にフルノ
ッチを入れて“アタック”するので、後ろの車両は急カーブ(R=400、制限80km/h)の途中だったからここでも大
きく放り出されるくらいの揺れを味あわされた。そして杉田をフルスピードで通過しても、旧型では105km/hを上回
ることはなかった。しかし、新型の1000形(今の旧1000形)は115km/hくらいは出た。反対に上り線は京急富岡を
出てしばらくはカーブが続くが、トンネルを2つ抜けて20‰の下りにかかったカーブから加速を始める。ただ、坂は急
でも距離が足らず、杉田駅を通過して緩い登りにかかると速度の針は力行してもほとんど動かなかった。
この杉田駅付近は未だに線路脇まで民家が密集しているので、駅の前後は走行音や踏切警報機の音などがごっちゃに一
瞬のうちに混ぜ合わされるからか、高速感も一際高かった。昔、窓が開いた時代にはそれこそ、目と“耳”から入る高
速感に興奮したものである。
197 :
名無し野電車区:2007/01/22(月) 17:36:28 ID:SfZIEcQP
さて、その杉田駅であるが、高速で通過する電車が多いことから比較的早くから橋上駅舎になった。改札を出ると、両
側に降りる階段とは別に、駅に隣接したショッピングビルに直結する階段があり、そちらの方が広いので自然とその方
へと誘導されてしまう。入るとそこはいろいろな店舗やファストフードの店、さらには勤め帰りのお父さん目当ての一
杯飲み屋もあったりして、比較的こじんまりしていながらもいろいろなお店が入っている。驚いたのはここに東急スト
アが入っていたこと。京急沿線だからどこも「京急ストア」は当たり前なんだが、杉田駅には京急ではなくて「東急ス
トア」なのが面白い。
外に出ると、狭い道の両側に賑やかな商店街が続く。人通りも多く、それなりに活気づいているようだ。これだけ見る
と、杉田駅が各駅停車しか停まらないというのが不思議な感じがするくらいの駅である。時折小さな市営バスが狭い駅
前に入って来るが、時刻表を見れば2系統とも1時間に1本程度と少ない。しかも、バス停には早くも3月一杯で2系
統とも廃止という「お知らせ」が掲示されていた。暫くは補助を受けながら暫定的に一部ルートを変更して運転される
ようだけれど、小さなバスとはいえ、乗っている人はほんの僅かのようだった。
この商店街を3〜4分歩くと国道16号線に出る。そして根岸線と金沢シーサイドラインの出る新杉田までは歩くと10
分弱だ。手持ちの携帯の「乗換案内」でよく「京急杉田から新杉田まで歩いてください」と表示が出るのだが、はっき
り言ってとても「乗換駅」として相互を使う気にはならない距離である。携帯の「乗換案内」は便利ではあるけれど、
時々非常識な乗継ぎプランを“提案”してくるので、迂闊に真に受けるわけにはいかない。
アンチスレも印象的な建物も模型スレも落ちた今、京急の雑談はこのスレが頼りだな。
関西出身の私が就職活動のため、初めて東京に出てきた頃、合間を見ては東京の私鉄に乗りました。
その中で一番楽しみにしていたのはやはり京急でした(当時はまだ京浜という略称だったかもしれません)。
快速特急に乗って、横浜以南の直線箇所で速度計が約112キロになったのに興奮しました。
今回、
>>196さんの書き込みを読んで、それが杉田前後だったのではないかと思い出した次第です。
当時の京浜急行は、品川・横浜間も地上走行区間が長かったのですが、踏切も自動化されていなくて警手が手動で遮断する踏切が多かったのです。
今となってはどこの箇所かは思い出せないのですが、警手踏切が連続していて、次々と警手の振る白旗がなびく光景を今のことのように思い出します。
余裕の
>>200get!!!
低脳ニートなチンポが臭くて生きてる価値のない可哀相な愚民どもよ、
喪舞らヲナニーばっかりしてイカ臭いザーメン発射させてばっかりいないで今年こそは友達作れよ!それではごきげんよう。
201 :
名無し野電車区:2007/01/22(月) 21:09:31 ID:SfZIEcQP
>>199 そうですね。ありましたよ、そういえば警手がいる踏切が連続していたところ。
思い出してみたんですが、私の記憶にあるのは京浜鶴見駅(当時はまだ「京浜」)の品川寄りの
大きな踏切と、そのさらに1つ品川寄りの踏切がそうでしたね。
当時は鶴見市場より品川の方はほとんど行ったことがなかったので、それ以上は分りませんが、
大きな踏切には警手はいたと思いますので、京浜蒲田周辺はあったかもしれませんね。
そういえば、鶴見市場や八丁畷の駅前踏切も警手がいましたね。書いていて思い出しました。
これも今や懐かしい“昔の風景”ですね。
>>187 >海側に向かって坂を5〜6分下ると国道16号線に出る
途中下車したことない香具師乙
どうせクルマやろw
203 :
名無し野電車区:2007/01/22(月) 21:51:42 ID:ZYDWXrym
200は藤崎和也
>>202 訂正しましょう。「県立大学駅から海側に向かって歩いて3〜4分で国道16号線に出る」と。
まあ国道134号線でもいいのかな? この辺りはいわゆる「二重戸籍」になっているみたいですね。
134号線の起点は「横須賀港」になっていますから。
そういえば、京急好きの俺は電車ばかり乗っていて、ろくに途中下車をしたことがない。
俺が途中下車したのは、梅屋敷と鈴木町ぐらいかも。
それも、梅屋敷は6連のホームはみ出し、踏切塞ぎを見るため、鈴木町は構内踏切を見るためだった。
これからは、いろいろな駅を下車して、ぶらぶらしてみたいと思う。
でも、どうしても電車に乗りたくなるんだなあ、これが。
206 :
名無し野電車区:2007/01/23(火) 21:19:48 ID:M40qiXwr
京急が横須賀市内に入り、追浜を通過すると急に車窓は山がちになる。その山々を、電車は意外に高速でいくつものトンネルで貫く。
私個人的にはここの“走り”も捨て難い。目一杯力行し、100km/h前後のスピードでトンネルに次々と突っ込むその時の風圧が結構
な迫力なのだ。
それにしても、トンネルの合間の深い谷の奥までびっしり住宅が建て込んでいるのは、さすがに「大都会」のベッドタウンという感じ
である。
「逸見(へみ)駅」はそんな谷間の中に設けられた駅で、京急では珍しい“ホームのない通過線”を持つ駅である。このスタイルは他
に鮫州(さめず)しかない。まだ快特が堀ノ内を通過していた時代は、快特に接続する各駅停車はこの逸見で退避をしていた。現在は
ここでの各駅停車の退避は少なく、昼間などはたまに回送電車などが快特を退避しているのを見るくらいだ。
駅周辺は山に囲まれてはいるものの、住宅がここも隙間なく建ち並び、駅前にはそこそこの商店や地元の銀行等もある。意外と知られ
ていないのだが、JR横須賀駅にも案外近く、歩いて行ける距離である。便利さから言えば隣の汐入駅の方が手っ取り早いのだが。
この逸見駅は、退避設備がある以外とりたて駅そのものに特徴的なものはないのだが、この上りホームの品川方に立って進行方向を見
ると面白い。手前の短いトンネルからその先、計4つのトンネルをまるで線路で“串刺し”にしたような形で見ることができる。実は
ここも京急では有名な撮影名所で、京急の紹介写真ではよく目にする場所でもある。カーブの多い京急からはあまりイメージできない
光景だから、一度降り立って眺めるのも一興であろう。もちろん、上りの先頭から“かぶりつき”でもそれは十分楽しめるだろう。
次の汐入に向かって再び入ったトンネルの中で、先程乗り越して来たJR横須賀線と再び交差しているのも案外知られていない事実だ
ろう。
208 :
名無し野電車区:2007/01/24(水) 00:40:26 ID:9sjrGtdE
昔の車両はブレーキを掛けると鉄が焼けた臭いがしてたな。
特に快特の車両。
懐かしい…。
>>207 そうですね。見落としていました。
京急鶴見、生麦、南太田、京急富岡は増発との兼ね合いで比較的最近になって1つ、また1つと退避設備が増えました
が、南太田以外は上り線のみ(京急鶴見、京急富岡)、または下り線のみ(生麦)の退避線というのも特徴的ですね。
>>208 昔はしばらくすると窓の隅とかブレーキによる鉄粉がこびり付いて、赤茶く汚れが目立ったもの。昔は連結面にも窓が
あってそこから覗くのが好きでしたが、連結面の窓を開けて覗いていたりすると、電車が停まった時には鉄粉みたいな
ものが陽の光に反射してキラキラ舞っていました。でも、そんなこと全くお構いなく顔を乗り出していましたけどね。
今の車両は構造が変わったこともあって、そういう「鉄粉」が赤茶くこびりついていることもなく、きれいになったも
のです。私は宇都宮に行くことが多く、最近引退した東武宇都宮線の最後の吊り掛け電車5050系に乗る機会も多かっ
たのですが、やっぱり窓周りに鉄粉がこびりついていて、車体はそんなに古そうに見えなくても、地元の人からは「汚
い電車」と評判は良くなかったのですが、そういう理由でイメージが悪かったのかなと思います。
210 :
名無し野電車区:2007/01/24(水) 17:42:29 ID:bBIlEy1B
京急は長い駅名を「省略」して呼称するのが一般的だ。「新町(→神奈川新町)」「文庫(→金沢文庫)」などをはじめ、
「蒲田(→京急蒲田)」「空港(→羽田空港)」「川崎(→京急川崎)」「八景(→金沢八景)」「逗子(→逗子海岸=当
時)」など運転上のポイントになる駅も、多くの場合略して使われて来た。電車の行先もこのような略した駅名で表示され
ていたので、一般客も何の違和感もなかったと思う。『急行 新町』で十分だった。
しかし、最近は正式名称で呼んだり表記をするようになった。今の電車の方向幕はほとんどの場合、正式名称で「神奈川新
町」「金沢文庫」と表示される。正式名称と表記が違うのは好ましくないとでも“お達し”が出たのであろうか。
でも、私ら長年京急を利用している者にとっては、短くても何の不都合もない。方向幕に「文庫」「新町」で結構だ。むし
ろ、長くなる表記は長体をかけたりして見にくくなった感じがする。さらには側面などローマ字表記も加わったので余計煩
くなった。いろいろ時代の移り変わりで細かなことも変わっていくのは世の常だけれど、旧1000形が表示スペース一杯に
窮屈そうにフルネームで入れているのを見ると、無理しなくても…と感じてしまうのである。
211 :
名無し野電車区:2007/01/24(水) 17:42:59 ID:bBIlEy1B
京急は初期の旧1000形まではすべてホーローの「方向板」だった。スペース的に限られる方向板にできるだけ大きく行き
先を表記したいことから、このような略記が一般化したのだろうと推察するのだが…。
京急に方向幕が取り付けられたのは1131〜の車両で、これを初めて見た時は、今まで当たり前のようにあった大きな方向
板が正面になくなって、何か間が抜けた感じがしたものである。
やがて、それ以前の地下鉄乗入れ用に運用される1049〜、また、快特用の旧600形に上から吊り下げる形で種別表示器と
行先表示器が取り付けられた。更に旧型車両にも更新工事と絡めたりして、230形を除く全ての車両に取り付けられたので
ある。ただその形は、当初からデザインされて組み込まれたものではないので、何か取って付けたような安っぽい感は拭え
なかったが、一応これで“一般的”になったのかなと思った(1000形の2枚窓車や1130までの車両は、後の更新改造時
に埋め込み式の方向幕になった)。
ところで、京急の方向幕は、当初からなぜか他の私鉄に比べて小振りなのが気になる。これは今の新車でもあまり変わって
いない。特にサイドはもう少し大きくてもいいような感じがするのだが、構造上の問題で大きくできないのかもしれない。
また、一時期方向幕が黒地に白抜きのスタイルになった。遠目にはこのスタイルの方が見易く視認性が良いと思うのだが、
ローマ字表記を入れるためか、再び白地に黒文字のスタイルに戻ってしまった。
京急は昼間の視認性に問題のある方向幕のLEDの採用を見送ってきたのだが、ここにきて輝度の高いフルカラーLEDが
実用化されたことで、カラフルな表示の新車がやっと現れるようになった。でも、終着駅でグルグル回る方向幕を眺めるの
は、鉄ちゃんならずとも興味を引かれるシーンだろう。以前には計画のあった「三崎」なんていう行先があったり、滅多に
出さない「上大岡」とかが出てくると、それなりにワクワクして見ていたものである。
ところで、「Wing号」に限っては、行先表示に「Wing」のロゴマーク、種別表示に「久里浜」「三崎口」という行先が表
示されるのも面白い。窮屈なスペースに無理矢理押し込んでいるが、三文字が限界だろうと思われる。
>>210 旧1000形などでたまに「新町」「文庫」の幕を出した電車が走っていると、嬉しいものですね。
このスレを眺めていたら、1日くらい、京浜急行に乗って散歩に行ってもいいかな、って気分になってきた。
214 :
名無し野電車区:2007/01/25(木) 19:08:08 ID:Gr+a0eL+
横須賀中央駅前のペデストリアンデッキを向いに渡り、階段を降りて一番近くのバス停から観音崎行きのバスに乗る。
昔からの商店街を抜けて国道16号線に折れると、横須賀の下町風情を見ながらバスは少しずつ乗客を降ろしながら進ん
でいく。久里浜方面に折れる国道134号線を分かち、広かった道が対面通行に変わると、浦賀へ向かう道を跨ぐ京急の
ガードが見えれば馬堀海岸だ。前にも書いたが、この辺りはこの道路の左側はすぐ海岸だったところだ。今は一戸建て
の住宅が遥か向こうまで建ち並ぶ。
やがて、防衛大学と反対側に折れ、埋め立て地の端っこに造られた広いバイパスと合流すると、ここでようやく車窓に
東京湾が広がる。海まで迫り出した崖を回り込むようにしばらく走ると走水(はしりみず)という小さな町に出る。こ
こは小さな漁港になっていて、港には漁船や釣り人相手の船宿、道に沿うように漁師の家が並ぶ。一見すると、日本の
何処でも見られるような小さな漁港の風景だ。首都圏に居ながらこんなのどかな風景は珍しい感じだけれど、三浦半島
を海岸沿いに車で走ると、意外にこんな小さな漁港が次々と現れる。
走水を過ぎると京急観音崎ホテルの前を通って、前方に観音崎燈台が見えてくれば終点の観音崎に到着だ。ここまで横
須賀中央駅から約30分程のバスの旅。
215 :
名無し野電車区:2007/01/25(木) 19:08:40 ID:Gr+a0eL+
観音崎燈台は御存知のように日本最古の燈台として有名だ。バスの発着するレストハウス(?)を入口として、この燈
台一帯は県立公園として整備されていて、遊歩道やいろいろな施設、砲台など自然や歴史の宝庫になっている。目的に
合わせていくつか散策コースも整備されている。
観音崎燈台はその公園の中の小高い丘の上に聳えている。それ程高さのある燈台ではないが、燈台の燭光台の下の部分
に濃霧時に霧笛を鳴らす大きなスピーカーがいくつか海の方を向いて備わっているのが特徴的だ。
燈台の下に立つと、目の前の東京湾を実に多くの船が行き交っているのが手に取るように分る。そしてその船が実に
“大きい”のに改めて驚く。また、天気が良ければ、特に西陽の当たる夕方の時間がいい。向いの房総半島がくっきり
と夕陽に照らし出され、海の青と房総の山の緑、夕陽のオレンジ、そして色とりどりの船と、とても趣のある風景だ。
来週から向こうの房総にはSLが走るが、その煙も見えるかもしれない。それ程思いの他間近に見えるのである。
今の季節は海風が少々寒いけれど、この景色は今の柔らかい冬の陽射しが一番だと思っている。
観音崎からは浦賀駅までのバスも出ており、小さな峠と港をいくつか越しながら15分程で着く。横須賀、浦賀ともほぼ
20分おきにバスが出ているので、足の便は悪くない。
216 :
快特:2007/01/25(木) 23:23:50 ID:xYvjvZ3m
踏み切りの旗振りですか…懐かしいですね…京急蒲田・大鳥居の踏み切りにいたような^_^;
217 :
名無し野電車区:2007/01/26(金) 21:08:38 ID:ZC/WacxH
京急の立ち食いそばは「えきめんや」というブランドで統一されているが、同じ業者が全駅で営業している
のではなく、昔からのそば屋がそのまま名称だけを統一して営業しているケースが多い。だから同じ「えき
めんや」でも味は昔ながらの味だったり、新しい味だったりいろいろだ。
戸部とか弘明寺とか、まだ降りたことのない駅の「えきめんや」の味は知らないけれど、個人的には前にも
書いたかも知れないが、横須賀市内の追浜、横須賀中央、浦賀にある「えきめんや」が京急の昔からの“味”
で一番馴染む。決して特別おいしいという訳でもないと思うが、濃い汁と、チープな天ぷらの相性がとても
良く、まさに“B級グルメ”の典型という感じなのだ。
「えきめんや」の代表メニューに「肉天」がある。これがとても好きだ。普通の天ぷらより20円程高いけれ
ど、丼からはみ出す程の“大きさ”が何と言っても嬉しい。肝心の肉は、これも特別上質とも思えない豚ロ
ースで、ほんとに薄くスライスされてはいるけれど、ボリュームのある衣にくるまれて存在感は十分だ。だ
いたいおばちゃんが食べやすいようにいくつかに切って載せてくれるけれど、私的には、大きいまま載せて
もらった方が満足感がある。
横浜と最近改装された京急久里浜は同じ業者でメニューも全く同じだが、そば自体はおいしいけれど、特に
冷たいそばの汁の味が“きつい”ので、ちょっと私にはしっくりいかない気がする。量的にも少なめで何か
もの足らない。でも、ここにも「肉天」は健在だ。
そば、汁、天ぷらとうまくバランスが取れて美味しいなと思うのは品川。品川はJRの中にある常盤軒が有
名で私も大ファンだけれど、京急の品川駅の「えきめんや」もイチ押しだと思う。昔は上りホームの、現在
はカットハウスになっている場所にあった。高校時代、品川で乗り換える時間を使ってよく通ったものだ。
天ぷらそばが80円で食べられた時代の話である。
>>214 走水お化けトンネルがスルーされている件
今バスは走ってないかな?
>>218 私もその噂は知っていますが詳しい経緯を知らないのでスルーしました。
知っているようなら是非教えてください。
221 :
名無し野電車区:2007/01/27(土) 13:26:00 ID:N1GmUwSh
小島新田駅に行ってみた。実に味気ないところだった。羽田延伸前の旧羽田空港駅なんかはそれなりにローカルムードが漂っていて好ましかったが、そういう雰囲気でもない。形容のしようのないつまらなさがやけに哀しかった。
これでも朝夕はけっこう利用客があるそうで、近くのバス停からさらに埋立地の先の工場へ通勤しているという。
鶴見・川崎エリアの地図を見ると臨海部はいわゆる京浜工業地帯というやつで元の海岸線なんて夢の夢、直線的な埋立地で区画され鶴見も川崎も区別されることなく一体的な工場地帯を形成している。
しかし昭和30年代中頃の地図を見ると埋め立ては鶴見線の終点のある扇町のあたりまでで、そこから東側、水江町・千鳥町・浮島町はまだなく、多摩川の河口までは埋立て途上の様相で、もとの海岸線に近い感じが読み取れるのだ。
そして京急大師線は小島新田からもとの海岸線に沿うようにまだ先に3km近く線路が伸びているのがわかる。(つづく)
222 :
名無し野電車区:2007/01/27(土) 19:28:05 ID:N1GmUwSh
京急大師線は川崎大師から先は戦時中に延長され最盛期は桜本まで伸びており、営業`も10Km近くある「一線級」の支線だった。
しかし前述の通り末端区間はまだ開発途中で利用客は極端に少なかったという。線路の脇の土手に登ればまだ本格的な埋立て前の川崎の海岸が望めたことだろう。
なぜそんなところに線路を敷いたかというと戦時中の工員輸送のためだという。同様の理由で川崎市電も戦時中に渡田方面から南周りで桜本まで開通している。
両者は同じ1435mm軌間で相互乗り入れも計画されたが実現しなかった。しかも末端の区間は浜川崎からの国鉄の貨物引込み線が3線軌道で乗り入れ、SLが京急や川崎市電と同じ線路を走っていたという実に魅力的な区間だったようだ。
この国鉄の貨物線はその後、埋立ての進展とともに勢力を拡大し、塩浜操車場の建設となり大師線を分断することになるため小島新田から先は廃止となってしまう。それが現在の中途半端な駅の姿に反映されているのだ。
時代の流れといえばそれまでだが40年以上も前のことを想うと何とも胸が締めつけられる。小島新田から先の区間の廃線跡を探索しようと試みたが全くそれらしきものは発見できず、無機質な灰色の工場地帯が続くだけだった。
大師線の歴史をさらに遡るとそこに海岸電気軌道の存在があるのだがそれはまたの機会に…
223 :
名無し野電車区:2007/01/28(日) 19:58:40 ID:XXT/cCrZ
今日は京成の「リバイバル開運号」に行って来た。友人に頼まれ出したハガキが抽選に当たり、行くことにした。
誘った友人は外れたのだが、2枚で申し込んであったので、恨まれることもなく一緒に出かけたのである。
乗車は朝7時からの引換え順ということだったので、始発で出かけた。その甲斐あって余裕で座ることができたが、
座席定員およそ200名に発売枚数500名ということで、半分以上は立ち席覚悟という条件付きだった。でも、直前
に改めて当選者に速達ハガキで衆知徹底を図ったためか、座席のトラブルはなかったようだった。
往きの車内は当選者のほとんどがやって来たようで、ほぼ「定員乗車」。とはいえ、見た目は窓が曇るくらいの結
構な混雑ぶりだ。沿線には多くのファンが集まり、まさにイベント列車の雰囲気である。時々、特急の通過待ちを
繰り返しながらも、後半部分の直線では往年の100km/h運転を見せ、ほぼ時間通りに京成成田へと到着。
帰りはかなりの人が乗車を見送ったようで、ほとんどの人が座ることができたくらいだった。途中3駅で降車も可
能だったので、終始マッタリした雰囲気の車中だった。
ところで、私は「開運号」が“現役”で活躍していた頃を知っている。写真を撮りに行ったこともある。ただ、乗
ったことはなく、京成は今一つ縁のなかった電車だったからそれ程の思い入れはない。当時は京成の電車は余り京
急の線路に乗り入れてくることはなく、どちらかといえば珍しい存在だった。その京成が夏場には「海水浴特急」
としてよく逗子へ乗り入れて来た。京成電車と唯一接点があったのがこの時だった。見慣れない京成の3000形(?)
や都営の5000形が川崎以南に走るこの時期は、時間を合わせてまで乗ったものである。
先に書いた杉田駅付近の高速区間では、他社の車両の“お手並み拝見”という絶好の区間だったのだが、残念なが
ら京成も都営も高速性能は今一つだったように思う。詳しい性能比較は分らないが、感じとして高速の“ノビ”が
なく、京急の旧型電車並に感じ、明らかに1000形の方が勝っていた。そのためかこの電車は遅れ気味で、運転士
は随分苦労していた様子が走りっぷりからも分かったものである。
224 :
名無し野電車区:2007/01/28(日) 19:59:20 ID:XXT/cCrZ
復元された往年の京成カラーは、やっぱり懐かしい。近代化工事で当時の顔とはだいぶ印象が変わってしまったけ
れど、全体的には雰囲気は十分残っている。「ガラガラガラ…」と開け閉めする片開きドアの音やコンプレッサー
の音がまた懐かしい。走行音は意外に大きく、同時期の京急1000形の方が上品で深みのある感じがした。
この京成3200形も3月で引退という。昭和42年の登場以来40年を走り続けて来た訳で、同時期に京急に登場した
1000形、700形は既に京急のレールから姿を消した。都営の5000形などはとうの昔に過去帳入りだ。
今日、この「開運号」に乗っていた乗客で“現役”を知っている人はそんなにいないように見えた。「リバイバル」
という一時のイベントに踊った中に居た訳であるが、自分より若い車両がこうしてまた1つ消えていくのが、何か
素直に喜べなくなってきた、複雑な年代に自分もなって来たという感じである。
県立大学駅前の医院の取り壊しは本当に残念でした。
ご子息が同級生で、
小学生の時によく遊びに行っていたのですよ。
雰囲気のある良い建物でした。
遊びに行くたびにワクワクした記憶があります。
226 :
名無し野電車区:2007/01/29(月) 19:00:46 ID:JZgQS7/u
JR逗子駅前は京急でも整備されたバスターミナルだろう。京急バスが絶え間なく入って来るバスの行き先には、「○○団地」
というような新しい住宅地を結ぶ路線が多く、逗子に住んでいた当時からは想像もできないところばかりだ。
その中で、昔からある「海岸回り葉山行き」というバスに乗る。逗子市の隣の葉山町へ向かうバスは、この「海岸回り」と山側
通る「長柄回り」がある。葉山の先の長井や衣笠方面も長柄回りのルートで、こちらがメインの路線だ。バスは新逗子駅前に立
ち寄り、市内を流れる田越川を渡ると川に沿うように右へ折れ海岸方面に向かう。相模湾に沿って走る国道134号線を突っ切る
と、道は急に狭くなり急峻な山が海岸まで迫り出すその境をくねくねしばらく進んで葉山町に入る。「サザンオールスターズ・
原由子」が気だるい声で歌う『鎌倉物語』に出てくる「日影茶屋」はこのあたりにある。
本格的なリゾート施設としての嚆矢となった葉山マリーナをはじめ、海に面してリゾート施設が建ち並ぶようになった森戸海岸
は昔は海水浴場で有名だった。でも、今やこのようなリゾート施設が多く、お洒落なお店がいくつもある名の知れたデートスポ
ットだ。
しかし、この森戸を通る道は両側に昔からの家や商店がびっしりと建ち並び、時にはバスの行き違いもままならないような狭い
道しかない。このような家と背後に覆い被さるような山が迫るようなこの地形では、とても道路の拡幅工事など望めないのも無
理ないことか。そのため、夏場や週末は慣れないドライバーのために身動きが取れなくなることも珍しくない。でも、この辺り
の人はこのバスが唯一の足。時には逗子まで普段なら15分もあれば行けるところを、倍以上の時間がかかることもあるという。
その森戸を抜けると一色海岸と呼ばれる松並木の美しい海岸が見えてくる。周囲の家並みも少なくなって道幅も広くなり、きれ
いに整備された県立近代美術館を過ぎて、海岸一帯を松林で覆い尽くされたところが葉山御用邸。ここで長柄の方から来た国道
134号線と合流するところが終点の葉山一色となる。逗子駅から30分程度のバスの旅で、この先長井の方へ向かえば、長者ヶ崎
を経て、相模湾の眺めが絶景な国道134号線をしばらく楽しむことができるルートだ。
227 :
名無し野電車区:2007/01/29(月) 20:06:24 ID:ZO092/SX
228 :
名無し野電車区:2007/01/29(月) 21:03:46 ID:JZgQS7/u
>>227 今は「山手回り」と言うようですね。私が逗子にいた当時は「長柄回り」「海岸回り」で区別していました。
その時の感覚でいたのでそう書いたのですが、今はそういう風に言わないようなので、
「山手回り」と訂正しておきましょう。
ちなみに、「長柄」は正確には地図にあるように「長柄橋」というバス停なのですが、
「長柄回り」で通称されていました。先の「文庫」「新町」のように、ここでも“略して”
表記されているのがふつうに通っていたんですね。
229 :
名無し野電車区:2007/01/30(火) 21:46:36 ID:YmdqlOtD
金沢文庫は京急の要の駅だ。隣の金沢八景に続く線路の左側一帯に広がる金沢検車区は、日々走る車両の検査、整備を行う京急の車両基地である。
そのため、金沢文庫を始発、終着とする電車も多く、更に京急のウリの1つであるきめ細かな電車の増結、解放を行う拠点駅にもなっている。こ
うした作業が早朝から深夜まで頻繁に繰り返されることに加え、ここには乗務員の基地もあるので、ほとんどの電車の乗務員はこの駅で交替する
ようになっている。金沢文庫はこのように、電車の運転上のもっとも重要な駅と言ってもいいだろう。
しかし、運転上の要になっていながら駅そのものは意外な程小じんまりしている感じだ。ホームの中央付近に橋上改札口があり、東西の連絡通路
の両側に「えきめんや」や「吉野家」、「ケンタッキーFC」、そして焼き立てパン屋などいくつかのファストフードチェーン店や薬屋などのお店
が固まっている。狭い割には一通りの食事ができる店があるので意外に嬉しい。
ここの「えきめんや」は見る限りここ独特の感じがする。「そば」「うどん」の他「きしめん」がメニューに並び、汁もうどんなら関西風で提供
してくれる。「そば」のレベルも悪くない。天ぷら類は自由なトッピング制で種類は豊富だ。客は好みのものを選んでそして精算という、今流行
りの「讃岐うどん」スタイルというのか、券売機というものがないのがいい。反面、ついつい選んで高くついてしまうのが難点だ。
230 :
名無し野電車区:2007/01/30(火) 21:47:10 ID:YmdqlOtD
さて、海側(東側)に降りれば、こちらが昔からの「駅前」になる。しかし、駅前は窮屈にバス発着場があり、周辺を回るバスが時折発車して行
く。スペースがないので、駅に着いたバスは一旦金沢八景寄りの転回場まで行って「ターンテーブル」に乗って方向を変え、発車場までやって来
る。最終電車が着いた時はこの狭いスペースが件の「白タク」の乗り場と化していた。
駅を出て右に小さな商店街が続く。さして長くもない商店街だけれど、それなりに賑わっているようだ。ただ、駅のイメージから想像すると意外
に思う程小さな商店街だ。その商店街を右に見て50m程行けば国道16号線に出る。対面通行の広くない道路の両側には昔ながらの家が続いている。
でも、駅前といえばこんな程度だ。先に書いた杉田駅前の方が余程賑わっている。
一方、西側の階段を降りると、一転してそれなりにバスターミナルが作られ、全体的にゆったりしたスペースに銀行やらファストフード、飲み屋
などが展開している。頭上を広い道路が跨いでいるが、これができる前はいわゆる「開かずの踏切」だった道路だ。ここも入換え車が頻繁に通る
ので、最後の方まで警手さんが旗を振っていた踏切だった。
今はこのバスターミナルから能見台、京急富岡、釜利谷方面にバスが頻発しているけれど、ここが開発されたのは比較的最近である。昔は夜は灯
りも少なく、少し奥に入ればそれこそ辺り一帯鬱蒼とした森だった。それが宅地開発ブームであっという間に一変した。今ではかなり山奥という
ような風景であっても住宅が途切れることはない。道がやたら広いのが比較的最近開発されたことを象徴するようである。
昔からほとんど変わらない東側と対照的に、こちらの西側はここ20年で一変したのが金沢文庫である。
ところで、増結や始発の多い金沢文庫駅。朝の通勤ラッシュの「整列乗車」の統制のとれた行動には驚いてしまう。
「次、その次」「特急」「快特」それぞれの乗車位置に整然と列ができ、前の電車が行くと次の電車に乗る列が「ザ
ッ」と横に移動する。それが実に機敏にサッサと動く。長い通勤で自然と慣らされた乗客の行動パターンだ。慣れな
いと正直何が何だかわからず、右往左往してしまうことになるのだ。京急は電車も機敏だが、乗客もまた機敏(?)
なのである。
>整列乗車
現在では整列位置の案内が充実してきましたが、
2〜4ドア混在時代は一見さんお断り状態でしたね。
京急の駅近くの店といえば
最近ドトールコーヒーが増えた気がする…
金沢文庫も含めてかなりの駅にあるような
233 :
名無し野電車区:2007/01/31(水) 18:27:53 ID:8fi0DX44
>>232 ドトールコーヒーは確かに最近あちこちに進出していますね。京急構内にあるのは横浜駅くらいだと
思いますが、駅前や駅近くには結構できている感じですね。
ただ、京急の駅構内の改札内に限って言えば、意外とコーヒーショップが少ないようです。
構内(改札内)でコーヒーが飲める所と言えば、品川、京急川崎、横浜、浦賀くらいしか知りません。
浦賀は「えきめんや」で飲めますが、ここは立ち食いそばやと言うより「構内食堂」という感じですが。
私は少しでも時間があればコーヒーショップに入る人間なので、駅から出なくて済む構内にお店があると
嬉しいんですが、京急はこういうお店がどちらかと言えば少ないような気がします。
もう少しゆったりできる場所があれば…と思うのですが。
ドトールは意外なところでは、神奈川新町駅の近くにもありますね。
駅周辺は店が少ないのですが。
235 :
名無し野電車区:2007/02/01(木) 20:58:41 ID:9HfPXZ8I
今日のような冬晴れで風の強い日は寒さも身にしみるが、空気も澄んで普段見えないような遠くまで車窓に望むことができる。
その中で、やっぱり富士山が遠くに見えるとホッとするのは何でなんだろう。京急では高架が多くなったので、意外にあちこち
で富士山が望める。夕方は時にシルエットに浮かぶ富士山が、ビルの谷間の遥か向こう、箱根の山々の後ろに美しい稜線が浮か
ぶのは、京急の“1つの風景”だろう。
冬の今の時期の雪を冠った富士山もいい。通勤の朝、富士山が遠くに見えると今日は1日天気がいいのだなと思う時でもある。
上り電車に乗っていて最後のトンネルを抜け、戸部を通過して急なカーブで減速する頃、遠くに富士山が見えて来る。しかし、
最近はこの付近に急激にビルが建ち始めて、ここから富士山がほとんど見えなくなってしまった。ここからの眺めが好きだった
ので、これはとても残念だった。
でも、もう暫くすれば蒲田付近も高架になるから、ここからも富士山がよく見えるだろう。どんな景色に見えるのか、ちょっと
楽しみでもある。
236 :
名無し野電車区:2007/02/02(金) 21:08:37 ID:AQVumYOY
平日の夕方の品川駅。下りホームは始発の快特や都営線からの特急、それに増結する車両を待つ長い列がホーム一杯にできている。そして普段は補
助的にしか使用されない、階段向こうの3番線にも長い列ができている。京急の有料特急「Wing号」を待つ列だ。始発の快特と交互に20分サイク
ルで発車する「Wing号」の人気は高い。
「Wing号」の料金は200円と比較的安い設定だ。一般的には3ケ所にある専用券売機で希望の「Wing号」のチケットを買って乗るが、「前4両」
「後4両」に分かれてその範囲で自由席になっている。券売機の位置によって「前・後」の近い方の車両で優先されるが、片方が満席になると自動
的にもう一方に振り替えらるようになっている。時間帯によっては発車10分前に満席になることも珍しくない。
2100形の4号車、8号車の片側のドアを係員が開け、指定された「前・後」に乗車する。意外に「補助席」を使う人が多い。2人がけの片側が一
通り埋まる頃になると補助席を使う人が増えてくる。隣に人が来るのを嫌うのだろう。座席の横に荷物を置いて隣に来る人を避けるのは女性に多い。
中にはわざと通路側に座って隣に座りにくくさせる“心理作戦”を取る人もいる。しかし、混んでくればそれも無駄な抵抗なのだが。
「Wing号」は品川を出ると上大岡まで停まらない。およそ35分程の時間は静かに過ごせるので、多くの人が1日の疲れを癒すように居眠りをして
いる。停まらなくても先行列車が前を抑えられていることが多いため、比較的ゆったり走っている。そのせいもあって車内は本当に静かだ。寝息さ
え聞こえる車内は“夜行列車”のようだ。
京急では一番乗降客の多い横浜もゆっくりと通過する。横浜を停まらないで通過するのは良い気分だが、同じく横浜を通過するJRの「通勤快速」
は、90km/h前後の高速で一気に走り抜けるので、快感としてはこちらの方が遥かに気持ちが良い。
上大岡からは料金なしで利用できる。この先は一般の快特と同じだ。そしてこの上大岡から結構乗車がある。定員乗車で来た「Wing号」だから、
座れることが多いので、実は「Wing号」でも一番混み合うのはこの上大岡−金沢文庫の間なのだ。気持ちよく居眠りをしていたところに起こされ
てと、せめて金沢文庫までは…と思うのは身勝手な要求ではあるが…。
237 :
名無し野電車区:2007/02/04(日) 00:11:14 ID:Bds1Ua0F
ageましょ〜!
238 :
名無し野電車区:2007/02/05(月) 02:22:37 ID:USdocSGq
横浜を出て次の戸部の間まで、線路が急カーブ、急勾配が連続して、電車は車輪を軋ませながら徐行で通過する。
それは先頭や最後尾の“かぶりつき”で見ていると、さらにその厳しさが実感できる。R=160のSカーブをはじめ
R=200〜300の急カーブが連続し、川を跨ぐ橋に向けてまるで路面電車のように線路が“盛り上がって”いたり、
根岸線の下をくぐれば一気に急勾配で高架に駆け上がる。それも均一の勾配でなく、妙に不自然な勾配とR=3000
なんていう変なカーブを挟んでいたりする。まるで突貫工事で“お座敷レイアウト”を敷いたようなイメージだ。
急勾配を登り切ってレベルに戻る途中にR=200があったりして、まあ“よく脱線しないな”という感じだ。
さらに旧平沼駅の名残りをかすめながら、高架を急カーブでぐんぐん曲がり、そして戸部駅へと入る。この間2分
程であるが、京急の中でも別な面で“注目の車窓”だろう。
何でこんなに窮屈なルートになったのか知らないが、昔の敷設当時の事情なんだろうが、これほどまで厳しいルー
トが続く鉄道もそうあるものではない。
でも、この区間は急カーブの部分は45km/h程の制限を受けるが、その制限が解除されると、僅かな直線区間でも
ノッチを入れて加速するのも京急らしい。ちょっと先にも再び45km/h制限が待っているというのにグーンと加速
して次の瞬間、ノッチオフと同時にブレーキがかかる。乗っていても左右の揺れ、前後の揺れとともに、スッと体
が“落ちる”ような妙な感覚を連続して体感できたりする。ちょっとしたジェットコースター気分だ。
ところで、戸部駅に入る手前に渡る川の両岸は桜並木が美しい。日ノ出町から南太田にかけての大岡川の両岸も桜
並木がしばらく続く名所として、桜の季節は車窓を楽しませてくれる。そんな季節まであと2ヶ月足らずだ。
239 :
名無し野電車区:2007/02/05(月) 07:56:07 ID:NzZPWh/m
新馬場駅にもドトールコーヒー出来ますね
創価学会の勢いはすごいなあ
240 :
名無し野電車区:2007/02/05(月) 11:28:34 ID:4Dx4aVab
241 :
名無し野電車区:2007/02/05(月) 19:57:41 ID:USdocSGq
>>230 ここに書いた金沢文庫駅前のバスの「ターンテーブル」はだいぶ前になくなっていたようだ。
今は大部分が駐車場になっていて、バスは「T字形」のスペースを使って向きを変えていた。
気にして見ていないと、いつの間にか景色が変わっている。
242 :
名無し野電車区:2007/02/06(火) 12:43:03 ID:qB4zh5fJ
あげときますね
243 :
名無し野電車区:2007/02/06(火) 18:14:02 ID:dhlmH96J
日本中どこの都市でもその街の「メインストリート」と呼ばれる通りがある。そこで「横浜市のメインストリート」というと
どこになるのだろうとふと思う。いくつもの区がある中で「横浜市のメインストリート」を挙げろというのも無理な質問だろ
うが、敢えてそれでも挙げるならやっぱり「伊勢佐木町通り」ということになるだろうか。色っぽいため息の歌で知られる
『伊勢佐木町ブルース』で“全国区”になった感があるが、横浜市の昔からの代表的なメインストリートがここである。
この伊勢佐木町の最寄駅は根岸線の関内、そして平行するように市営地下鉄の関内、伊勢佐木長者町駅になる。しかし、根岸
線も市営地下鉄も開通は比較的新しい。それまでの終点の桜木町や京急の最寄駅になる日ノ出町からもそこそこ離れているこ
の場所に、横浜一の繁華街ができたのも面白い。でも、電車の駅から少々遠くても昔はここに来るための市電が多く走ってい
たので、それ程不便を感じなかったのである。
当時、デパートといえばこの伊勢佐木町通りに集中し、今以上に人通りが多かった。今でも横浜周辺の人なら誰でも知ってい
る「有隣堂」本店が、ここ伊勢佐木町通りのランドマークのように健在だ。毎年の港まつりのパレードの時には、両側一帯を
多くの見物客が埋め尽くして盛り上がったものである。
その後、横浜駅西口に「ダイヤモンド地下街」が完成し、「相鉄ジョイナス」「高島屋」などの大型百貨店や有名店が相次い
で進出してから横浜の「メインストリート」はこの横浜駅西口にすっかり移行してしまった。でも、今の伊勢佐木町通りが寂
れてしまったのかといえば、決して寂れてはいない。昔あったデパートの多くが撤退してそういう意味では寂しくなったけれ
ど、個性豊かな店が並び、人通りは多い。横浜駅西口のような狭苦しさもなく、のんびり散歩気分でブラつけるような通りに
なっている。山下公園や官庁街、中華街に横浜スタジアムと、散歩コースとして十分歩ける範囲の中にある。
一般的には「警察ドキュメント」番組にも登場するあまり治安の良くないイメージがあるかもしれないが、昼間の通りは至っ
て長閑な散歩コースだ。たまには歴史のあるこの「伊勢佐木町通り」を中華街を歩いた後の腹ごなしに歩いてみたらいかがだ
ろう。
244 :
名無し野電車区:2007/02/07(水) 21:39:54 ID:AYuoR5h7
もうだいぶ昔の話。横浜駅東口−三崎公園(現在の三崎港)を結ぶ京急の急行バスが走っていた。記憶の上での話なので、
間違えがあるかもしれないが、停車場所は桜木町駅前−本町四丁目−長者町五丁目−磯子駅前(根岸線開業後)−杉田−
金沢八景−横須賀駅裏−大滝町−横須賀中央駅−衣笠十字路−一騎塚−林−長井−宮田−引橋−油壺入口−三崎東岡だっ
たと思う。
当時沿線に住んでいた私は、三崎にいる親戚の家へ行くのにこのバスをよく利用した。バスはいわゆる「観光バス仕様」
の赤と白の京急カラー。リクライニングなどしないけれど、当時は贅沢ともいえるワンランク上の設備のバスに乗れるこ
とも楽しみだったが、まだワンマンカーというものがない時代、この運転席横最前部の「特等席」に座るのが何よりの楽
しみだった。
これで横浜駅から通しで乗ると三崎まで約2時間半〜3時間ほど。それなりに乗りではある。それでも京急電車がまだ三
浦海岸までも届いていない時代、結構利用客が多く、わざわざ始発の横浜駅まで行ってまで乗ったことも珍しくなかった。
本数も1時間に1本、時間帯によっては30分に1本走っていたくらいだから決して利用客は少なくなかった。
ただ、夏の海水浴シーズンは杉田や横須賀中央、衣笠、林、引橋の交差点を中心に渋滞がひどく、1時間以上遅れること
も珍しくなかった。それでも夏場には東京駅八重洲口−城ヶ島という長距離急行バスも走っていたり、当時から乗り物好
きだった私には、三崎で見る「東京駅八重洲口」という方向幕が輝いて見えていたものである。
この路線もいつの間にか廃止され、記憶の遥か彼方になってしまったが、時代は変わって高速道路が充実して来た昨今、
横須賀西部地区を結ぶ高速バスの利用が多いのを見ると、また今の時代に合った直通バスの路線がもっとあってもいいの
かもしれない。
245 :
名無し野電車区:2007/02/08(木) 19:05:13 ID:nfc/7uDN
金沢八景ってほんと変わらないね
バスが中に入ってこなくなったくらいか
246 :
名無し野電車区:2007/02/08(木) 20:35:39 ID:TvBfY53o
金沢文庫と金沢八景の間は京急でも僅かな「複々線」の区間になっている。僅か1.4kmの区間なのだが、この僅かな区間を最大限に
活用しているのも京急の素晴らしいところだ。どういう風に活用しているのかをここで書いても俄に理解ができないだろうから、初
めて訪れる方は、小一時間でも金沢文庫駅のホームに立って様子を眺めてくればいい。
その複々線の海側一帯は、前にも書いたように京急の車両基地になっている。一方、反対の山側に目を向ければ、東急車両の敷地が
続く。ファンとしては、京急の車庫も気になるが、東急車両に入っている車両の方も気になる。もちろん、周囲は塀で囲まれている
ので、その隙間からチラ見をするか、車両の窓から上の部分が見えることしかできないのだが、これから出てくる「新車」にどうし
ても関心が行くから、通る度に目が行ってしまう。
最近はJRのE231系、E531系と同じような車体構造の相鉄や小田急の車両ばかりで余り面白味がなくなったのも事実。でも、JR系
列の2階建てグリーン車は全てここで新製されているから、時にはこの車両が長く連なっていることもある。つい最近は中央線快速
のE233系も姿を現し始めた。今後もこの系統の新製車がしばらく続くのだろう。
東急車両はステンレス車両の技術で歴史を築いて来た会社だ。JR東日本の新津工場にも多大な技術指導をしていることでも知られる。
最近は大量のJR車両の新製ばかりであまり私鉄車両を見ることが少なくなったが、以前は意外なところで南海電鉄の車両もよくここ
で新製されていた。個性的なデザインの空港特急「ラピート」の新製もここ東急車両で、“関東生まれの関西育ち”なのである。JR
車両の新幹線「こまち」用E3系、253系、255系の一部もここで生まれた。
もちろん、京急の車両も昔から手をかけているが、京急は昔から東急車両と川崎重工で折半するのが伝統になっている。京急車両の
半分は“関西生まれの関東育ち”なのだ。意外に思えるが、最近は西武の車両も時々新製している。「東急」と「西武」といえば因
縁の間柄と言われるが、車両の新製に限って言えば、余り関係がないのかも知れない。
今後、E233系の流れを汲む小田急の千代田線乗入用の新しい通勤電車4000系もここで新製されるそうだ。
>>245 あの雰囲気は好きだな
>>246 確かに文庫〜八景は見てても乗っても面白い
複々線、東急車輛、車庫…
浦賀行きと新逗子行きの同時発車〜競争はいつも乗っていますが
飽きませんね
どちらが先に八景に着くかが分からないw
248 :
名無し野電車区:2007/02/09(金) 19:16:42 ID:kUMSgGcB
堀ノ内駅は本線と久里浜線との分岐駅である。浦賀に向かうのが「本線」で、久里浜、三崎口へ向かうのが「久里浜線」という“支線”なのだが、
実態は朝を除いて直通の優等列車は全て久里浜方面へ向かうので、特急や快特でやって来ると「本線」の浦賀へ向かうにはここで乗り換えること
になる。
一般的に分岐駅で乗換駅といえばそこそこ賑やかな駅なのがふつうだけれど、ここ堀ノ内駅は静かな住宅街の中にある“ふつうの駅”という感じ
だ。分岐駅ということがなければ各駅停車しか停まらない駅という感じである。島式が2本あるホームは、海側の下り1番線と上り3番線を浦賀
方面の電車、下り2番線と上り4番線を久里浜方面の電車というように完全に使い分けられている。直進できる2番線から浦賀方面へ行く電車は
常時設定されていないので、直進できるにも関わらずレールは赤錆びている。
階段を降り、こじんまりした佇まいの駅舎を出ると小さな駅前が広がる。そこにはバス停もあり、バスが時々乗り入れて来るが、いずれもコミュ
ニティーサイズの小さなバスばかりだ。それでも駅前で回転できるスペースがないので、一旦路地に突っ込むようにして停まり、係員の誘導でバ
ックして向きを変える。その時には「ピピ〜、ピピ〜…」と誘導員の甲高い笛の音が辺りに響く。そう、この笛の音も昔はよく耳にしたものだが、
最近はすっかり聞くことも少なくなった。でも、ここ堀ノ内駅前では未だに健在だ。
他に意外に目につくのが客待ちのタクシーの列。駅に入る道は狭いのできれいに縦列で待っているけれど、その道に入り切れない車は通りまでは
み出して順番待ちをしているくらいだ。乗降客数は決して多くはないのだが、実際に利用する客は案外多い。観音崎や衣笠方面などに抜ける道沿
いには住宅も多く坂も多いので、それなりに便利な足になっているのには違いない。
駅正面の細い路地を進むと小さな商店がいくつか続き、程なくふつうの住宅地の中の路地を数分歩けば国道16号線に出る。この広い道路沿いにド
ライブスルーのファストフード店やファミレスがいくつも並ぶ郊外の典型的な風景だ。
249 :
名無し野電車区:2007/02/09(金) 19:18:31 ID:kUMSgGcB
三浦海岸方面へ向かう国道134号線との分岐点近くに湘南京急バスの堀内営業所がある。この車庫の前のバス停は「堀内」になっているが、駅名
は「堀ノ内」だ。でも、どちらも「ほりのうち」と読む。現在は「三春町」という町名になっているが、元はこの辺りは「堀内」と呼ばれていた。
だから本来はバス停の方が“正しい”表記という訳である。ただ、駅名で「堀内」と表記しても「ほりのうち」と読んでくれそうになかったから
「ノ」を入れたのだろうか。
ところで、駅前に入るバスのバス停は、車庫前のバス停が「堀内」、駅前は「堀内駅」となっていて、「堀ノ内駅」ではない。駅名とバス停の表
記が異なる妙な関係が残っている。方向幕にも一切「ノ」は入っていない。そういえば、一関、原町、三宮という市や地名の表記には「ノ」を省
いている例がいくつかあるが、駅名には「ノ」が入っている(三宮はJRだけだが)。このあたりと“共通した”理由があるのかも知れない。
それにしても、同じグループ会社でありながら駅名とバス停の表記が違うのも不思議な話ではある。もちろん、それで不便はないのだが。
251 :
名無し野電車区:2007/02/09(金) 23:18:52 ID:H03YNsvc
コインロッカーやトイレのところが昔のバス乗り場
金高・市大行くガードまで進んでバックで方向転換して客を乗せたんだ
このスレ大好きだ。
今年は上大岡〜横浜間のお花見時期が早そうですな。
毎年絶対座らず、通勤お花見してます。
253 :
名無し野電車区:2007/02/10(土) 23:03:23 ID:u/VhPHsK
今年は異常に暖冬で桜の季節も早まりそうな気配だ。我が家でも先日季節外れの「蚊」が現れ、夜中にイライラさせられてしまった。
ところで、京急沿線には桜の美しい場所が結構ある。中でも
>>252にあるように、日ノ出町から南太田にかけての大岡川沿いの桜並木
は素晴らしい。私は長距離乗車なので立ってまで眺めるまではしないが、2100形の快特を待ってこちら側に席を取り、この景色を楽
しむことにしている(ただ、ついウトウトしてしまって見落とすこともよくあるのだが)。ここがこんなに素晴らしい桜並木になった
のはつい最近のような気がするが、いつ頃なのかどうも思い出せない。気が付いたら桜の名所になっていた…という感じなのである。
他にも、先に書いた戸部駅近くの川の両岸に続く桜並木が美しい。また、金沢八景駅裏の茅葺き屋根の家にある「一本桜」も見事だ。
そしてそこから横浜市大周辺にかけての桜並木も美しい。堀ノ内駅の上りホーム端近くにも「一本桜」があってこれも素晴らしい。安
針塚、京急田浦駅近くも一瞬車窓に桜色がかすめる。
更に、京急逗子線の神武寺駅手前の逗子中学校。グラウンドを囲むように、また校門までの道の両側は見事な桜並木になっている。私
はここの卒業生なのだが、校舎はボロかった(当時は)けど、この桜並木だけは自慢だった。丁度入学式の頃が満開だったので、まさ
に“絵に描いたような”桜吹雪の入学式だったのだが、最近は暖冬で入学式の頃は「葉桜」になってしまっている。
私の知っている桜の美しい場所はこんな程度で、余り乗ることのない久里浜以遠とか大師線などはどうなのかわからない。ただ、残念
なことに、品川−横浜の間は車窓に桜を愛でる場所がないように感じる。桜の木も余地がないくらい住宅やビルが建て込んでいるとい
う感じだ。
私は全国各地歩いているが、やっぱり「桜」が一番日本に溶け込んだ美しい風景に感じる。「花見」でどんちゃん騒ぎも嫌いではない
が、やっぱり遠くで近くで、ゆっくりのんびり観る桜が一番いい。
>京急逗子線の神武寺駅手前の逗子中学校
家の祖父がそこの桜の木を植樹したとか前に言ってました…
…いや、今でもピンピンしてますがね
京急は当然のごとく幼い頃から乗ってたそうで、色々思い出話を聞かせてくれますよ
…久しぶりに昔話、聞いてみますかな
byそんな祖父を持つ孫、もちろん京急利用者
255 :
名無し野電車区:2007/02/11(日) 18:12:28 ID:HornjlWP
>>254 そうなんですか。素晴らしいものを残していただけましたね。お祖父様はすると私の大先輩に当るのでしょうね。
私はまだ校舎が木造の時代の卒業生なんですが、暫くして鉄筋に建て直されました。信じられないかもしれませんが、
教室は100Wの裸電球4つ、掃除当番は朝30分以上早く来てそのボロい校舎の雑巾掛けを義務付けられていましたが、
冬場は山峡なので気温が低く水道が凍ってしまうこともありました。もちろん、ストーブは石炭!の時代です。今の
マックなどがない時代、学校近くの「宮島」というパン屋がもっぱらの“買い食い”場所でした。い間でもあるんで
しょうか。昭和40年代半ばの話です。
そばの京急は400形の急行が幅を利かせていた時代です。吊り掛けモーターを響かせて峠道を登って行ったのを今でも
覚えています。
256 :
名無し野電車区:2007/02/12(月) 23:27:39 ID:EMm2wgw9
age
257 :
名無し野電車区:2007/02/13(火) 21:26:47 ID:ohqFPGY6
ほ
258 :
名無し野電車区:2007/02/14(水) 20:06:31 ID:gN04LpzC
回送
259 :
名無し野電車区:2007/02/15(木) 19:02:02 ID:raVNBb5d
どこか旅行に行く時など、始発電車に乗ることがよくある。私の住んでいる横須賀市内からだと上りの始発が5時頃の羽田空港行きになる。
この始発電車には2100形が充当されている。空港線に入る数少ない2100形だけれど、意外に乗っている人が多い。これで羽田空港には6時
過ぎの到着となるので、7時前に出発する飛行機の始発便にも何とか間に合う時間だから私もしばしば使う。飛行機は始発便の運賃が安いの
で、少々の早起きはン千円、場合によっては万単位の得になるからだ。この電車に乗って空港へ向かう人は同じようなことを考えているのだ
と思う。
このように、羽田から飛行機を使う際にはこの始発は便利なのだが、飛行機より使う機会の多い新幹線の始発にはどうも具合が悪い。東海道
新幹線なら新横浜から乗るということもできるが、東北・上越新幹線の始発に間に合わないのが何とも残念だ。しかも京急蒲田で乗換を強い
られるので、以前より品川に着く時間も若干遅くなった。じゃあ横浜から東海道へ…と思っても、朝早い時間の京急との接続は尽く悪く、こ
れも使えない。
一方、横須賀線は京急より30分も早く動き出す。多少時間がかかるが、どうしても東北・上越新幹線の始発に乗りたい時は横須賀線の始発を
使わざるを得ない。JRの駅までは私の家からはタクシーで向かうしかないのも面倒だ。
この始発電車の発車時間は昔からほとんど変わっていない。横須賀線の始発が早いのも国鉄時代からほとんど変わっていない。また、終電が
遅いのもJRの方だ。京急も最近は以前に比べると30分以上遅くなってその差は余りなくなってきたが、それでも首都圏の鉄道の中でも遅い
とはいい難い。
もちろん、保線とかいろいろ問題があるのは分かっているが、せめて始発電車はあと30分くらい早くならないかなと思ってしまうのである。
ところで、冬の時期、始発に近い電車に乗っていると高架線の上から見る日の出も意外に悪くない。乗った時には真っ暗だった空が次第に白
み始めて、やがてビルの向こうから昇ってきたお日さまの、オレンジ色の朝陽が差し込んで来るその一瞬を眺めるのもオツである。それが平
和島の辺りだったのが、次第に鶴見、横浜と南下してくるのも季節を感じる瞬間でもある。
260 :
名無し野電車区:2007/02/16(金) 19:56:02 ID:Rsu8/Hgl
貸切
261 :
名無し野電車区:2007/02/16(金) 20:41:21 ID:qJiypNLf
誰か屏風浦お願いしますお
いちおうくるりの歌にもなってるんだけど・・・
262 :
名無し野電車区:2007/02/17(土) 11:52:40 ID:A6GUyIVj
上大岡駅を発車して丘陵を登り小さなサミットを越え、くねくね曲がった長めのトンネルを出ると快特が一気に加速を始める。
辺りの視界が一気に広がった時、一瞬の間に通過するのが屏風浦駅。各駅停車しか停まらないので存在感は薄いのだけど、個
人的には一時期利用していたこともあったので、それなりに思い出のある駅だ。
駅名は屏風浦と書いて「びょうぶがうら」と読み、「が」が入るが駅名には省かれている。しかし、駅前の市営バスのバス停
は「屏風ヶ浦駅前」と「ヶ」が入っている。先の「堀ノ内」とは逆のケースで面白い。駅そのものはごく平凡な京急の駅で、
構内はそれなりにリニューアルされているが、小じんまりとした駅舎は昔と余り変わっていない。
駅前は脇を走る磯子−野庭方面を結ぶ幹線道路から一段引込んだ所にあり、タクシーが客待ちをするスペースはあっても、バ
スの乗り入れるスペースはなく、バスはその通り沿いのバス停を使う。その小さな駅前スペースのまわりに京急ストアや小さ
なお店がいくつかあるくらいだ。
駅の背後を丘陵が囲んでいて、駅に向かって坂を降りてくる形になる。先のトンネルの上に広がる汐見台団地はこの辺りでも
開発の早かった大規模団地だ。そこからの道が線路に寄り添って降りて来る。バス路線もあるが、ここの住民の流れの多くは
根岸線の磯子駅や上大岡駅で、屏風浦駅を使う人はそれ程多くないようだ。また、脇の道路を野庭方面に登り切った辺りに磯
子工高があって、ここの学生が屏風浦駅の主な利用者になっている。私はここで一時期仕事をしたことがあるのだが(教師で
はない)、当時は一応共学になったのだが、実質男子高でむさ苦しいイメージしか残っていないけれど、開校してあまり歴史
が経っていなかったせいか、設備は整っていた。ただ、高校まで微妙な距離があったので、雨の日には来ないバスをハナから
諦めてタクシーで通う輩もいてよく注意されていたのを思い出す。その道路も当時は対面通行で渋滞がひどく、特に朝方磯子
へ下る道はかなりの時間を要していた。そのため拡幅工事が進められ、今では片側2車線の広い幹線道路に変わっている。ま
た、駅近くの頭上には首都高湾岸線と横浜横須賀道路を結ぶバイパスも架けられて、この辺りの交通事情はずいぶん改善され
たようである。
263 :
名無し野電車区:2007/02/17(土) 11:53:13 ID:A6GUyIVj
一方、駅から海側に下ると歩いて数分で国道16号線に出る。道の両側にはそれなりに商店も並んでいたりするが、特にかたま
っているわけでもない。その付近に市営バス磯子車庫があって、この辺りのバス路線のターミナルになっているが、次の磯子
駅前までは思わずバスを使いたくなる微妙な距離だ。大きなマンションが目立つのもこの辺りの特徴である。
「屏風浦」の名の通り、この辺りは昔は海だったところだ。この国道16号線の辺りが境で、根岸線の線路は埋め立てた上に敷
かれたのである。それ以前、この国道16号線にも杉田まで市電が走っていた。しかし、市電の終点の杉田は京急杉田駅や根岸
線の新杉田駅ともそこそこ離れていて、今の根岸線に沿う国道16号線のバイパスと国道16号線旧道の交差部分だった。京急バ
スもここには営業所が置かれていて、大きな屋根の車庫があったのを思い出す。当時はこの辺りの方が「杉田」の町としての
要だった。
おもしろい。出版したらそこそこ売れると思うよ。
磯子で所用があったときに
屏風浦から磯子駅は以前歩いたことがある
30分ぐらいかかったか
…帰りは疲れたのでバスで帰ったがな>4系統
以前は磯子→屏風浦の道が物凄い渋滞で、追浜行きのバスは
時間によって磯子駅前を抜けるだけで15分くらいかかってたな。
今では屏風浦バイパスが完成して一気に解消された。
このバイパスは京急を新設の高架橋で超えるので電車からも目立つ。
20年来京急乗ってるけど昔を知る人がゆったり語ってくれる面白いスレだ
京急の昭和の面影の本の写真とかとコラボで出版しても読みごたえがありそう
268 :
名無し野電車区:2007/02/18(日) 12:22:58 ID:bkTjBqhn
京急本線の終着駅浦賀。2本の線路に挟まれた島式ホーム1本だけの終着駅だ。朝は始発の直通特急が設定されているものの、日中、夜間は普通電車が
発着するだけのローカル駅という感じだが、その割には乗降客が意外に多い。ラッシュ時の直通特急がある平日の朝は、狭いホーム一杯に通勤客が溢れ
るくらいの列ができる。浦賀駅は今は島式1本のホームだが、昔は対向式ホームで2本あった。また、駅前の県道を跨いで久里浜方に引上線もあったそ
うで、今でも路地を入った所に橋台跡や明らかに線路が敷かれていたと伺わせる築堤が残っている。
馬堀海岸を出て最後のトンネルを抜け、ゆっくりと構内に到着する電車から降り、先頭車寄りの階段を降りると「えきめんや」がある。横須賀市内にあ
る「えきめんや」と同じ業者の経営なので、昔ながらの濃いつけ汁のそばだ。ただ、ここはそば・うどんだけではなく、カレーや定食もの、ビール、コ
ーヒーもメニューにあって、テーブル席も用意されている定食屋スタイルだ。駅構内から利用できるほか、外からも利用できるように配慮されている。
常連の人も多く、世間話に話がはずむようなお店である。浦賀駅に到着して右側の当時ホームがあったと思われる下には京急ストアがあって、駅前が意
外に寂しい中で重宝しているようだ。
浦賀の駅前は思いのほか何もない。道に沿っていくつかのお店や学習塾などが目につく程度だ。コンビニすら駅前には1軒しかない。食事ができるとこ
ろも少ないが、駅階段横の立ち食いそば屋はほぼ始発から24時くらいまで営業をしていてここも定食メニューが揃っている。駅から久里浜方面に向かっ
てしばらく歩くと大きなドラッグストアや大規模回転寿司など新しいスタイルのディスカウントショップが出現した。大きな駐車場も完備されているが、
週末は行列渋滞が起きる程の繁昌ぶりで、やはり今の時代「車」がなくては話にならないのだろう。
改札を出て階段を降りた所がバス乗り場になっていて、ここから観音崎やかもめ団地という大きな団地へ向かうバスの乗り場になっている。ただ、久里
浜方面に行くバスは道を渡って久里浜方面に少し離れたところにある。反対側がタクシー乗り場になっているが、タクシーの数は多く、終バスが出た後
はバスターミナルがタクシーで埋まる。でも、それがほとんどはける程利用客も多い。
269 :
名無し野電車区:2007/02/18(日) 12:23:39 ID:bkTjBqhn
その久里浜方面に向かうバスの乗り場の背後に長く続く塀がある。浦賀の駅前から左に続く入り江の奥を取り囲むように広がる敷地が元住友重工業浦賀
工場跡、通称「浦賀ドック」だ。年輩の方ならこの名前をよくご存じだろう。「浦賀」といえばペリー来航と並んでイメージされる程有名な施設だった。
100年余りの歴史を誇り、「日本丸」や「海洋丸」、青函連絡船など1000隻以上の船舶を建造した由緒ある造船所が浦賀ドックである。しかし、4年
程前に残念ながらその歴史に終止符が打たれて閉鎖された。浦賀駅の主な利用者だったここの従業員の姿も消え、今の浦賀駅はごくふつうのベッドタウ
ンの中にある駅に変わった。
浦賀ドックの詳細はHPにも数多く紹介されているので省くが、それだけ愛着のあった浦賀のシンボルだった施設だったのである。空にそびえるように立
っていた大きなクレーンも今は全て撤去され、急に空が広くなった印象を受ける。跡地は記念ミュージアムにするという話がされているが、未だに結論
が出ていない。その中で敷地内は更地にする工事が進められているようで、道路に面した塀も少しずつ壊されて、今まで見えなかった対岸の景色が見え
るようになってきている。
いつかまとめサイトかなんかが出来そうな予感。
271 :
名無し野電車区:2007/02/19(月) 21:53:13 ID:kccxlHx1
京急本線で川崎市内にある駅は京急川崎と八丁畷の2駅しかない。東西に細長い川崎市のエリアは、京急本線で横切るとあっという間だ。
その1つ、八丁畷駅は京急川崎駅周辺の高架を駆け降りた所にある。もちろん各駅停車しか停まらない。
駅舎は下りホームの品川寄りにあり、上りホームへは跨線橋を渡るのだが、この跨線橋は頭上を直角に交差するJR南武線、通称南武支線
(若しくは浜川崎支線)の八丁畷駅のホームになっていて、JRのホームを通って反対側のホームに行き来をする面白い構造になっている。
南武支線は基本的に無人駅なので、JRのホームを経由するもJRとしての中間改札もなくて双方の行き来はフリーだ。
このように、八丁畷駅は一応「乗換駅」ということなのだが、そういえば、車内放送でも「南武線乗換え」というアナウンスをほとんど聞
いたことがない。駅構内にもほとんどJRの文字やマークが目につかないくらい存在感が薄い感じがする。
駅舎には京急の券売機から少し離れた所にJRの券売機が1台だけ置かれている。その券売機も今時珍しいようなオレカも使えない現金だ
けの券売機だ。その横にパソコンからプリントアウトした運賃表の紙が貼ってあるだけというつつましさだ。そしてその横には「南武線は
本数が少ないので時刻を確かめて御乗車ください」と注意書きもある。その脇の時刻表も昼間は1時間に1本という長閑なものだ。上りホ
ームの端にも小さな無人の改札があるが(こういう無人の改札口も京急には珍しい)、ここにはJRの券売機は用意されていない。見た感
じではSuicaの対応もされていないようだから、下車する時や乗換の時はどうするんだろうと考えてしまう。ここの精算機はJRに対応し
ているのかなとも、いろいろ思考を巡らされるような構造だ。でも、これもPasmo対応になったらそれなりに対応するんだろうかとも思う。
272 :
名無し野電車区:2007/02/19(月) 21:53:45 ID:kccxlHx1
駅前は踏切を渡った道と国道15号線から来た道が合流して川崎方面へ向かう交差点が駅前広場の大部分を占める。右手にちょっとした商店
街がある。ちょっと足を運ぶと更に奥に狭いアーケード(?)があり、薄暗いその両側にいくつかお店や飲み屋が並ぶ。50m程のそんな通
りを抜けてしまえば辺りは住宅街が広がる。どこか昔の香りの漂うこちら側に対し、踏切を渡った西側は小奇麗なマンションと整備された
そのパブリックスペースでどこか今風の感じだが、それでも少し歩けば辺りはやっぱり普通の住宅やマンションが建ち並ぶ。
駅から川崎方面に少し行くと、左手線路脇にレンガ積みの橋台が残っている。見れば緩いカーブを描いて築堤も一部残っているが、これは
昔JR川崎駅から川崎新町駅へ続いていた貨物線の名残りだ。時折DD13が短い貨物を牽いて走っていたのを覚えているが、だいぶ前に廃止
された。しかし、最近の都市計画の中でこの線を旅客線として生かそうというプランもあるようだ。反対側の方は橋台はなくなっているが、
線路に沿って駐輪場として活用されており、その気になればレールは敷けそうである。
南武支線のホームに上がってしばらく佇んでみた。鶴見からの貨物線がここで合流して浜川崎へ向かうが、結構頻繁に貨物列車がやって来る
ものだ。結構単機でやってくる機関車もある。ここに電車が来るのは稀だけれど、眺めもよくて案外飽きないものだ。対照的に下の京急線を
間断なくフルスピードで駆け抜ける電車の多いのに改めて驚いたのだった。
273 :
名無し野電車区:2007/02/19(月) 22:06:50 ID:1rLe2twE
県立大学駅(安浦)付近は昔、兵隊さん相手の色町だったらしいけど、今でも
町並みに面影が残ってるのかなぁ。
京急電車に乗りに行きたいのですが、
京急全線フリー切符は売って無いですよね?
フリー区間が制限されているものはいくつかあるそうですが
275 :
名無し野電車区:2007/02/19(月) 23:24:48 ID:kccxlHx1
>>274 「京急全線フリーきっぷ」は常時だとないですね。今年の正月は「お年玉フリーきっぷ」というのがありましたが。
エリア限定ですが、「三浦半島1DAYきっぷ」「同2DAYきっぷ」というのがあり、金沢文庫以南の京急電車と
鎌倉以南の主な京急バス路線が乗り放題(必ずしも全区間ではない。以前のレスにあり)というものがあり、1日用
と2日用になっています。泉岳寺を除く全駅で発売しています(エリア内でも買えます)。
あとは横浜市内のバス、電車が乗り放題(京急は横浜−上大岡のみ)の「横浜1DAYきっぷ」くらいですね。
広く乗り歩きを楽しみたい向きにはちょっと残念ですが。
あくまで京急の駅を中心に徒歩範囲でのレポなのが(・∀・)イイ!!
277 :
名無し野電車区:2007/02/20(火) 20:23:30 ID:d0BlBaQB
上大岡駅の1つ横浜寄りの弘明寺(ぐみょうじ)駅。私は今までこの弘明寺駅に降りたことはなかったのだが、たまたま今日その
近くを通ったので「途中下車」してみた。といっても、京急ではなく市営地下鉄の弘明寺駅である。市営地下鉄の駅は鎌倉街道沿
いにあり、駅名は同じでも地図で見ると京急弘明寺駅とは500m近く離れているので注意が必要だ。
地下鉄から表に出ると、横浜国大附属中学校の正門がまず目に入る。そして広い鎌倉街道の両側に商店や銀行が並ぶ。この弘明寺
は昔市電の終端でもあった。市電の終端というと、それまで石畳に囲まれて続いていた市電のレールがそこで途切れ、その先の道
幅が急に狭くなるなどどこか哀愁漂う風景だったが、今はそんなこと微塵も感じない程ただの“通り”に変わっていて、どこが終
点だったのか判然としない。
国大付属中正門の道路の反対側には大きなアーケードがあり、このアーケードが京急弘明寺駅に続いている。一歩そのアーケード
に足を踏み入れると、何とも言えぬ活気が早速伝わってくる。歩を進めていくと、両側の商店がびっしりと軒を列ね、シャッター
を降ろしている店がない。通りにはみ出してセールの衣料品や靴、野菜や惣菜が並び、つぶれた声の独特の調子で客寄せをするお
っちゃんなど、どこか昔懐かしい商店街の風景がそこにはあった。見ればお店も衣料品、靴屋、総菜屋、果物屋、弁当屋に食堂、
寿司屋、喫茶店に理容店、化粧品店、宝飾品店まで一通り揃っている、いわば“商店街の原点”というような賑やかな商店街だ。
中にはちょっと入ってみたくなるようなレトロなパーラーなんかもあったりして飽きることがない。人通りも多く、久しぶりに
見た活気のある商店街で実に楽しい。途中の大岡川に架かる橋の欄干も神社風の造りと洒落ている。意外によくありがちなファ
ストフードのお店がこの中にはなかった。そして周囲にも目立つような大規模スーパーや流行りのディスカウントストアもない。
でも、どこか他の繁華街と違う昔ながらのスタイルで人を寄せつける魅力があった。
278 :
名無し野電車区:2007/02/20(火) 20:24:08 ID:d0BlBaQB
そのアーケードに囲まれた商店街が300m程続き、出口(京急側からは入口になる)の角にはこれまた思わずフラフラと足を向
けたくなるようなたこやき・やきそばの本店が…。ここだけ見ているとどこか大阪ミナミの繁華街をイメージさせるようだ。そ
してその先が駅に向かって急な登り坂になり、正面に弘明寺観音の入口がある。弘明寺観音は横浜でも最も歴史の古い名刹だそ
うだ。その急坂を100m程登り切ったところが京急弘明寺駅になる。ここまで地下鉄弘明寺駅からふつうに歩けば6〜7分とい
うところか。
一方、踏切を渡って西側にも両側に商店やスーパーが並んで人通りが多い。坂を下れば戸塚へ続く幹線道路に出る。その両側に
も商店が並び、この辺り一帯はどこもそれなりの人通りがある。ここまで歩いてみて、意外にラーメン屋が多かった印象があっ
た。個性を光らせるこだわりの店から昔ながらの中華食堂までバリエーションが広い。
さて、京急弘明寺駅。昔は駅舎が朱色の神社風の造りで特徴があった。しかし、橋上駅舎に改良工事が行われてこの駅舎はなく
なった。ちょっと残念な気もするが、構内踏切の撤去と増加する利用客の状況からそれもやむを得なかったのだろう。その橋上
駅舎の中には「えきめんや」と1000円カットハウスが入っている。ここの「えきめんや」には入っていないのだが、メニュー
のシステムを見ると品川駅の“えきめんやスタイル”と同じようなので、その系統の業者なんだろうか。
下りホームに降りると裏に弘明寺の境内が広がる。反対の上りホームの背後にはこんもりとした森が覆う。辺りが開発された中
で昔から変わらない緑の森は、後で地図を見たら弘明寺公園と記されていた。今度降りた時には足を向けてみようかと思う。
弘明寺駅は駅の周囲がこのようにどこか庶民的な懐かしい活気に溢れ、それなりに乗降客が多いのだけど、駅は各駅停車しか停
まらない。隣が大きなターミナルの上大岡ということで、ワリを喰わされたという感じがしないでもないのである。
八丁畷駅の地蔵改札はスイカ対応です。
>>259 こどものとも12月号の「しはつでんしゃ」おもいだした。
281 :
名無し野電車区:2007/02/21(水) 11:51:43 ID:nejdWZCK
>>269 古い地図を見ると浦賀駅からちょこっと線路が先へ延びているのがある。
子どものころ(30年位前)それが気になって初めて浦賀まで行ったことがある。
しかしすでに島式ホーム1面の現在と同じスタイルになっていて不思議に思ったものだが、その数年前に駅の改装が行われていたようだ。
この謎の浦賀の引き上げ線はご存知の方も多いと思うが、湘南電鉄が開業時から久里浜方面への延長を計画していた名残である。
戦時中に軍の要請で久里浜への延長が行われたが、この時は浦賀ルートではなく堀の内分岐の現在のルートになったのは地形が険しく難工事が予想されたからだと言われている。
結果、浦賀は本線の終点でありながら一般的イメージとしては久里浜線が本線のようなイメージになってしまった。
同様の理由で横須賀線も久里浜延長が行われた。
横須賀線というと明治開業の由緒ある路線のイメージが強いが横須賀から先は昭和16年開業である。
横須賀を出てやや不自然な急カーブを描いて長いトンネルを抜けて衣笠に至るルートが戦時体制の時代に突貫工事で作られたことを物語っている。
しかしながらあの長いトンネルがその時代に作られたのは京急の浦賀ルートが見送られたこととは対称的だ。やはり貨物輸送の重要性によるものだったのだろうと推測する。
282 :
名無し野電車区:2007/02/21(水) 15:42:28 ID:nejdWZCK
訂正
横須賀線の久里浜延長は1944年4月でした。京急の久里浜延長は1942年12月から1943年9月にかけてです。(ちなみに大東急の時代)
283 :
名無し野電車区:2007/02/21(水) 17:57:11 ID:uC/5McA0
近日三浦半島ぶらり旅の予定だけど京急本線の駅下りて徒歩10分圏内で
お勧めの飲食店などありますか?
284 :
名無し野電車区:2007/02/21(水) 22:22:47 ID:LFFzW1OM
>>283 どういうものがお好みなのか分りませんが、横須賀中央なら
>>27にも書きましたが、定番の「海軍カレー」
と讃岐うどんの店が個人的にはお勧めでしょうか。
横須賀中央は市の中心街ですが、駅周辺は意外に個性のあるお店がないようです。いわゆる外食チェーン店は
そこそこありますが、それ以外は昔からあるような一般的な大衆食堂、アラカルト的な食堂が多いようです。
食事とは違いますが、先の讃岐うどんの店に入る路地と反対側に焼き鳥屋があって、昔ながらに軒先で焼き鳥を
焼いて売っているお店があり、年中“立ち食い”のお客さんが絶えないお店です。通るのがやっとという狭い路
地ですが、この店の先にも個性的な店があります。ただ、昼間はあまりやっていないお店が多いので、それ程期
待しない方が良いかもしれません。また、国道16号線の通りや昔からの安浦商店街の方に行けば、ちょっと気に
なるお店もありますよ。たまにTVでも紹介される“温泉に入った後で鰻を楽しめる”というお店もあります。
でも、徒歩10分圏内では難しいでしょうが。
まぁ、魚類が目当てならやっぱり三崎へ行くべきでしょう。観光客目当てのお店は確かに多いのですが、それな
りの値段でもびっくりする程高くもなく、そして外れもないと思います。別に三浦半島に限らず、日本中何処で
も魚類はやっぱり港のある所で食べるのが外れは少ないでしょう。
いずれにしても、私のポリシーとして、特に食べ物関係は紹介した本人の嗜好や印象に大いに左右されると思っ
ていますので、基本は余り事前知識を詰め込まず、また先入観を持たず、“自分の感覚”でお店を探すようにし
ています。当たり外れもありますが、それはそれで「旅」と思えば良いと思っています。
でも、そうは言ってもおいしいお店は気になりますから、
>>283さんの感覚で構いませんので、良いお店が見つ
かりましたら、是非紹介してください。
285 :
名無し野電車区:2007/02/22(木) 09:05:53 ID:YZBGgJIG
>>284さん感謝です^^
やはり三浦半島に行くなら魚は外せませんが三崎まで足を延ばしたほうが良いですか、うーん・・・
あと海軍カレーも食べたいですし焼き鳥やうどん屋さんもいいですね〜
たぶん横須賀でお昼食べたら三崎では夕食に魚ですね
詳細を調べてみます
横須賀中央から歩いて10分くらいのさいか屋並びにある豊魚寿司がオススメ
中でもちらし寿司に乗ってる三浦産の肉厚で大ぶりな鯵の刺身(半身くらい?)
がなかなか圧巻、値段は700円くらいだったと思う
あとは駅のデッキを突っ切りパチスロ屋の裏手にあるカレーの店ベンガル
ここの自慢はドライカレー
辛味の中に甘酸っぱい干し葡萄のアクセントが食欲をそそる
その他汐入からドブ板を歩くとタコスやピタのテイクアウトの店が数軒、ここで
買った物をヴェルニー公園でコーラと一緒に軍港の軍艦を身ながら食すのも
横須賀らしい
そして16号沿いの米軍基地前のsoda fountainである
元々米兵の憩いの場だったのでメニューが英語、ハンドメイドのハンバーガーや
アメリカンドッグなど本場(?)の味と雰囲気が楽しめる
文才無いけど補完してみた
287 :
名無し野電車区:2007/02/23(金) 19:20:22 ID:xtNmM1rA
品川を出ておよそ50分ほど、目一杯突走ってきた快特は、堀ノ内駅のポイントをゴトゴト渡って久里浜線へと入っていく。どことなく
のどかな車窓になって到着するのが北久里浜駅。対向式のホームは、カーブの途中でカントがきつい他は特にどうということもない途中
駅が北久里浜駅である。以前の快特と特急が交互に走っている時代は特急しか停まらず、昼間や夜間など20分毎にしか電車が停まらない
駅だったが、快特が堀ノ内以遠各駅停車に改められてからは10分毎に停車するようになり、便利さは倍増した。
歴史を紐解けば、当初は「沼南駅」として開業し、後に「湘南井田」と改称し、更に昭和38年に今の「北久里浜」と再び改称されたとい
う。しかし、今の周辺の地域の中にこの昔の駅名の由来になった地名をどちらも見つけることができない。私の記憶の中でも昔の駅名を
聞いたこともなく、調べてみて初めて知ったという具合である。しかし、今の駅名は前に紹介した「北品川」とは違って、「久里浜」の
単に北にあるという位置関係で付けられたのだろう。そして時を同じくして周囲は宅地開発が進むようになった。恐らくベッドタウンと
して売り出すに当って「久里浜」という知名度を利用したかったのだろう。
北久里浜駅の駅舎は上りホーム堀ノ内方にある。階段もなくそのまま改札を抜け、10段ほどの階段を降りると駅前広場に出る。他の駅に
比べれば階段も少なく、ずいぶん利用し易い感じがするのだが、ふと見ると、階段の脇にはエレベーターが設置されている。「あれ?」
と思って改めて階段を上がってみると、やっぱりそこにはエレベーターがある。一瞬、戸惑いは隠せない。でも、それが理解できると思
わず「へぇ〜!」と思ってしまうのだ。つまりこのエレベーターは、この10段の階段を乗り降りするためのエレベーターなのだ。その高
さはおよそ2m前後。短いエスカレーターは稀に見ることがあるが、公共施設の中でこんなに“高低差のない”エレベーターは日本全国
探してもそうあるものではだいだろう。もちろん、車椅子利用者にとってはたった1段の段差でも難渋するのだから、このエレベーター
は決して無駄な設備ではない。
288 :
名無し野電車区:2007/02/23(金) 19:20:58 ID:xtNmM1rA
さて、駅前はそれほど広くはないが、バスが発着できるスペースとそこそこのタクシーが客待ちできるくらいの広さはある。駅の規模の
割にタクシーが多いのは、周辺に大きな住宅や団地が多いことの証だ。その広場を出るとすぐ前を電車に平行して国道134号線が走って
いる。駅を背にして延びる道路沿いが駅前道路という感じだが、この北久里浜駅周辺はいわゆる「商店街」というものがない。でも、周
辺を歩くと意外なほどやたらに食事ができるお店と居酒屋が目につく。駅前にも大手居酒屋チェーン店や酒処の暖簾を下げた店がそこら
中にある。他にも大手ファミレスが並んでいたりする。とんかつ屋や立ち食いそば屋に入れば、昼間から酎ハイを傾けるおっちゃん達が
いたりして、食べ物屋の数だけ見れば京急久里浜駅より遥かに多くていろんなお店がある(京急久里浜駅前には食事ができるお店が少な
い)。また、小奇麗なパチンコ屋やカラオケ店もあったりする。地元に根を張る進学塾の看板も目につき、言ってみれば住宅地を控える
典型的な駅前という感じだ。食事処が多いのは周囲に大きな工場はないものの、会社の多い地域でもあるからだろうか。
でも、よく見ればそのどれもが“コンパクト”だ。ファミレスにしてもパチンコ屋にしても特別大きいものではない。そして比較的新し
い建物に出店しているのが目につく。そういえば、昔からあるような小売店がほとんどないのも、ここが“新しい街”であることを伺わ
せるようだ。大きなスーパーもなく、あってもせいぜいコンビニクラスの規模である。そしてそれら全てが駅を中心に100〜200mの範
囲でコンパクトに収まってしまうのである。数分も歩けば住宅街や企業の広い敷地に変わる。
北久里浜駅の久里浜方のカーブの先は、すぐ京急の久里浜検車区と京急の車両工場の京急ファインテックが線路の両側に広がっている。
下りホームに立つと、その先には本線と構内に入る信号機が並んでいるのを見ることができる。
あと紹介されてない駅はどこだろう
292 :
名無し野電車区:2007/02/24(土) 21:43:56 ID:RDa+Zjdd
京急は今では「通勤路線」「空港アクセス路線」のイメージが強い私鉄だ。実際にそれを前面に押し出して輸送力増強、改善をしている。
しかし、一昔前までは通勤輸送だけではなく、自社の足場になっている三浦半島一帯の「レジャー」の足として広くアピールしてきた。
そのいくつかが「油壺マリンパーク」であり「海水浴場」であり、「いちご・みかん狩り」や「地引き網」「ハイキング」などだった。
しかし、最近は京急の広告にこのようなレジャー色の濃いものがめっきり少なくなったような気がする。レジャーの多様化で昔のような
スタイルがだんだん好まれなくなったことや、周辺道路の整備で必ずしも京急電車に乗って行くということがなくなってきたのだろう。
そんな京急の昔からの「レジャー」として今でも「東京湾フェリー」を使っての南房総周遊というのがある。古くは「南房総号」などと
名前を付けた特急を走らせ、フェリーを介して南房総へ観光客を送り込んでいた。
その南房総への足として今でも利用されている「東京湾フェリー」は、京急久里浜駅からバスで10分程のところにある。ペリーの上陸記
念碑に程近く、大きな煙突がシンボルの横須賀火力発電所の脇にある。京急との結びつきも強く、金谷港の券売機では京急バスを介して
品川駅までの乗車券も買うことができる。また、京急各駅の窓口に東京湾フェリーの運航状況が毎日出されているのを見たこともあるだ
ろう。
対岸の房総半島の金谷港まで、常時3隻態勢で(くりはま丸、しらはま丸、かなや丸)6時台から19時台まで40分間隔でピストン輸送
をしているが、時期により1隻ドック入りの際は便数が削られ、時隔も開くので注意が必要だ。所要時間は35〜40分。運賃は600円
(往復1100円)となっている。
平日には通勤で利用する人はほとんどいないので実に閑散としているが、これが週末になると時間帯によっては「レジャー客」で一気に
利用客が増えるのが特徴だ。マイカーで対岸に渡る家族や仲間連れ、ツーリングのバイクが乗船の列を作る。また、南房総を周遊する団
体の利用も多い。しかし、観光バスごと乗り込むケースは意外に少なく、多くはここまで電車や別会社の観光バスでやって来て、対岸の
金谷港で待ち受ける別の観光バスにリレーするというケースが目につく。車両の航送費を浮かせる苦肉の策なのだろうか。
293 :
名無し野電車区:2007/02/24(土) 21:44:29 ID:RDa+Zjdd
久里浜港のターミナルは新しく広々としている。でも、ちょっとした食堂や雑貨屋があるくらいで何となく閑散としたイメージがある。
しかし、対岸の金谷港のターミナルは実に対照的だ。さほど広くないスペースにはぎっしりと地元の名産・海産物や土産物が所狭しと並
べられ、ターミナルの周囲には大口団体にも対応できるレストランや、最近できたらしい大きな魚市場のような施設、食堂、土産物店な
ど観光一色というような風景である。観光バスが何台もターミナルの駐車場に待ち構えているのも金谷港ならではだ。
更に、金谷港でよく見かけるのはゴルフ場の送迎バスだ。房総半島のゴルフ場の多さは知られる所でこの南房総も数多くあるが、週末の
フェリーの乗客のかなりをこのゴルフ客が占める。フェリーの出入口脇にはゴルフケースを立て掛ける専用置場もちゃんと整備されてい
て、週末はそれが一杯に埋め尽くされてしまう。今やゴルフ宅配便もある時代だけれど結構持ち込みが多い。車を久里浜側に置いてフェ
リーで渡り、クラブバスで送迎してもらうというスタイルが多いようだ。
車や観光バスの利用が大半であるが、僅かな個人客の多くは港から歩いて7〜8分の内房線浜金谷駅に行く。小じんまりとして何もない
駅には東京湾フェリーの大きな案内もあるけれど、相互を乗り換える客は数えるほどだ。他に路線バスがあるが、以前走っていた館山へ
のバスは廃止され、今は最近設定された安房鴨川行きの鴨川日東バスが1日4本ある。本数が限られてしまうが外房へ出るには便利なバ
スだ。あとは1日3本上総湊へ天羽日東バスが路線を持つだけという寂しさで、ここでもあくまで主体は車なのである。
久里浜港を出航して東京湾の入口を35分で横断するこのルート、目前や背後を大きな貨物船やコンテナ船、タンカーが絶え間なく行き交
う。時にはこのフェリーの何倍もあるようなまるで“装甲車”のようなバカでかい貨物船も通る。微妙なバランスで鼻先をかすめる光景
など珍しいことではない。週末にはそれに加えて、その合間に赤旗を立てて遊漁中の漁船がその間に居座っていて、本当に東京湾という
ところは凄いところだと感じる。
35分のしばしの船旅は手頃で丁度良い。たまには鉄道だけに固執することをひとまず休んで、こんな変化のある行程も面白いと思う。
東京湾フェリー、対岸の港に降りずに一往復する遊覧乗船というのも
ちょっとした観光気分でお勧めですよ。割引運賃で860円だし。
夏の夕方の便なんかだと、ビヤガーデンなんかも出てたと思う。
295 :
名無し野電車区:2007/02/25(日) 11:19:00 ID:e/xJ+GO8
「東京湾フェリーで」いくつか補足する。
>>294の方の紹介の遊覧乗船もあるが、期間限定のようなので、事前に確かめた方が良いかと思う。
また、“定期便で「サンセットクルーズ」が楽しめる便”として、その月の日の入り時刻とそれが
楽しめる便の紹介がされている。
それから、一般席とは別に「かなや丸」「しらはま丸」にはサロン風の特別室が設けられていて、
20人まで1室を貸し切れる部屋がある。料金は3000円(部屋代のみ・運賃は別)で、この料金を
払えばグループ、家族連れや1人でもカップルでも貸し切ることができる。最近からドリンクサー
ビスも始まったようだ。予約は当日の電話予約のみになっていて、先着順の利用になる。なお、朝
の3便のみは相互のターミナルの窓口に来ての直接申込み(先着順)となっている。「くりはま丸」
就航便にはその設備がないので注意が必要だ。当日の就航便ダイヤはHPなどで前日夕方から確認で
きる。
>>289 自分の「途中下車」したり知っている駅を書いてきたつもりですが、さすがに全ての駅に降りてい
る訳ではありません。折を見て少しずつ書き足していければと思っています。
また、自分の偏った目線でしか見ることができないと思うので、思い違いや間違えなどあるかも知
れません。その際には遠慮なく御指摘ください。もちろん、ご自分の知っていることを他の方にも
いろいろ書いてもらえればと思っていますので、宜しくお願い致します。
ホント良スレだな
297 :
名無し野電車区:2007/02/26(月) 22:03:00 ID:XTQ8t49u
久里浜線津久井浜駅は横須賀市の一番端にある駅だ。次の三浦海岸駅は三浦市のエリアになる。駅に降りると対向式のホームがある
だけの平凡な中間駅だ。しかし、久里浜線が野比(現在のYRP野比)から延長された時は一時的に終端駅になっていた。しかし、
隣に三浦海岸駅が開業して中間駅になったが、その終端駅だった期間は僅か3ヶ月ちょっとという極めて短い期間だったようだ。
横浜方の端にある階段を降りて改札口を抜ける。駅前はそれなりの広場になってはいるが、その広場の大部分を自転車が埋めつくし
ているのにまず驚く。台数はそんなに多くはないのだが、狭い広場の大半を埋め尽くして歩行にも邪魔なのはいただけない。京急の
駅の周囲には巷で問題になるような駅前自転車の駐輪トラブルというものを余り聞かないが、それはちゃんと周囲に駐輪場が整備さ
れているからなのだが、ここ津久井浜駅はその設備がないようだ。近くの観光農園へのシャトルバスが入るスペースだけロープを張
って、かろうじてそのスペースを確保しているという感じだった。津久井浜駅に降りた第一印象はこんな感じで余り良くはなかった。
駅前の道路は、道路というより“路地”という表現が合うような狭い道が通っているだけだ。もちろん、バスが通るような道ではな
く、客待ちをするようなタクシーすら1台も見当たらない。駅前正面に京急ストアがある以外は小さなお店がいくつかあるだけで、
狭い道は海の方へ向かってだらだらと下って行く。周囲は住宅や小さなマンションばかりだ。ちょっと眺めてみると特別古い家はな
いけれど“それなりに”年月が経っていることを伺わせる感じの家が多い。マンションは古いものと最近建て替えたのか、新しいも
のが混在している。京急がここまで延びたのは昭和41年の話だから、その当時に建てた家が多いのだろう。庭先にミカンの木がふつ
うに植えてあるのがこの辺りらしい。
こんな路地の道を500m程歩くと海沿いに走る国道134号線に出る。その道路の向こうは砂浜のきれいな海水浴場だ。この辺りは東
京湾でも出口付近になるので対岸の房総半島は意外に遠く霞み、望めるのは野島埼方面の先端の方である。そして道路の続く向こう
にも剣崎の突端が望める。今は穏やかな海水浴場で、もっぱら見かけるのは犬を連れた人たちばかりだった。
298 :
名無し野電車区:2007/02/26(月) 22:03:33 ID:XTQ8t49u
さて、今度は反対の山側に歩いてみる。京急の高架線はこの辺りコンクリート脚の連続する近代的な造りで、繁華街を走る京急のイ
メージとは随分違う。その高架の下を抜けると左側に県立津久井浜高校があり、この駅の主な利用客になっている。その先ほどなく
辺りが開け畑が広がる。さらに道なりにしばらく行くと津久井浜観光農園がある。そしてその先も武山などを巡るハイキングコース
に続いている。
最近は大々的に広告をすることがなくなったようだが、それでも時期にはこの農園を利用した「いちご狩り」「みかん狩り」「じゃ
がいも掘り」などの募集イベントや、海岸でも「地引き網」などが行われている。また、三浦半島の山々を巡るハイキングコースも
含め、そんなレジャーの玄関口なっているのがこの津久井浜駅だ。そう思って改めて駅前に立つとそんな看板もいろいろ目に入って
くる。
津久井浜駅の上りホームの背後にこんもりとした森がある。ここは浅間神社と言って富士山の神様を祭ったものだそうだ。その上り
ホームに立って何気に時刻表を見ていたら、概ね10分間隔で走っているものの、時によって20分近くいきなり間が開くケースが散
見される。さらに、一般的には「ラッシュ」と呼ばれる朝の時間帯に本数が減っているのに気がついた。それが15分前後続けて間
が開いていたりと、ずいぶん変わったダイヤだ。この時間は久里浜始発が多く運転されるので、そのあおりを喰ったのだろうか。京
急には便利さの反面、こうしたワリを喰わされるケースも案外多いようである。
299 :
名無し野電車区:2007/02/27(火) 19:01:59 ID:PoP0HB6N
京急が横須賀市内に入ると急にトンネルが多くなる。追浜を発車して小さな峠をトンネルで抜けると、やがて京急田浦に到着する。
周囲を山で囲まれた静かな所にある京急田浦駅のホームに降りると、昔からほとんど変わっていないホームの上屋が妙に懐かしい。
柱も上屋も骨組みは木製だ。こんな駅が昔は京急のどこにもあったけれど、今はもう大半の駅が実情に合った近代化がされていて、
こうして残っている方が珍しい。ホーム中央の階段を降りると上りホームへ続く地下道も、コンクリートの上にペンキを直塗りした
だけというのも昔ながらの体裁である。
下りホーム下にある駅舎の改札を出るとすぐ目の前が国道16号線だ。道路に沿ってアーケードが続き、久里浜方に向かっていくつ
かのお店がある。ちょっとアンティークな風情の喫茶店兼バーみたいのもある。でも、人通りは余りなく、どこかくすんだイメー
ジが拭えない。その先に大きな交差点がある。これを折れて行けば逗子へと続く幹線道路である。
この辺りは「船越」と呼ばれていて、地元の人にとってはその方が通りが良い。“船越にある京急田浦駅”という感覚だ。この辺
りで「田浦」という文字を見るのは駅近くの田浦警察署くらいなものである。横須賀線の田浦駅も国道16号線をここから約1.5km
ほど横須賀方面に行った所にあって、とても近いとは言えない距離だ。田浦で有名な梅林も、どちらかと言えば横須賀線田浦駅の
方が近い。
300 :
名無し野電車区:2007/02/27(火) 19:02:30 ID:PoP0HB6N
しかし、横須賀線田浦駅の周囲にはまともにお店すらないけれど、この船越には国道を1本奥に入れば小さいながらも商店街や居
酒屋もある。船越の交差点を反対側に渡り、少し横須賀方面に歩くと左に「船越仲町通り」の看板を掲げた小さなアーケードの入
口がある。足を向けると、そこはいくつかお店が並んでいて店を開けているが、シャッターを降ろしたままの店も少なくない。歯
抜けのような商店街というのは最近どこでも珍しいことではなく、この商店街も例外ではないようだ。しかし、通り1本横切って
100m程の小さな商店街に加えて、周囲の通りにも食堂や居酒屋、コンビニなどがそこそこにまとまっていて、駅周辺には余り見
かけなかった人の姿もこの辺りではふつうに目にする。
周囲は古くからある住宅がひしめき、大きな近代的なマンションは駅の近くに見るだけだ。そしてこのような場所でも銭湯がまだ
残っていたのにちょっと驚く。一際目につく老舗の製麺所が直営の真新しいそば屋があったりもする。このアーケードを出た所は
国道16号線から分かれて追浜の工場地帯へ続く道になっていて、向いが東芝の工場になっている。それで食堂や居酒屋が多いのか
もしれない。
一時期、私はたまにこの京急田浦駅を利用したことがある。逗子からバスで来て横須賀へ帰るためだったが、その当時と全く変わ
らない駅は、今でも夜は暗く静かなんだろう。夏には虫の音も聞こえるホームの向こうに立つ信号機の灯りが一際明るく輝いてい
たのを思い出した。そんな思いに浸っていると、目の前を日に何本かやって来る都営5300系の成田行きが通過して行った。意外
な電車の出現にちょっと戸惑ったのである。
301 :
名無し野電車区:2007/02/28(水) 22:15:39 ID:GJ7j6AvP
京急蒲田の1つ品川寄りの梅屋敷。「うめやしき」というどこか意味ありげな駅名が印象的だ。謂れは昔この辺りで梅見のついでに
お茶を飲める商家があり、それが「梅屋敷」と呼ばれていたことから付けられたのだという。今その「梅屋敷」がどこなのか、ちょ
っと駅前を探しただけでは分らなかった。
「梅屋敷」といえば京急をよく知っている方なら誰でも承知していることだが、この駅はホームの有効長が4両分しかない。駅の前
後が踏切になっているのでホームが延ばせないのだ。そのため、6両の各駅停車の横浜寄りの2両は踏切を跨いで停車し、その2両
のドアが締切扱いとなっている。下り電車の場合は常時は使わないが、上り電車の場合は最後尾の乗務員室の位置に合わせて数mの
小さな踏台があり、車掌がドア開閉の際にここに立って安全確認、ドア扱いをしている。
駅に降りると改札はそれぞれのホームの品川寄りにあるが、上下のホームを結ぶ跨線橋や踏切がない。どちらも改札を出てから駅前
の一般の踏切で反対側に渡り、逆に乗車する時はそれぞれのホーム側に渡ってから改札を入る形になる。駅舎は下りホーム側にある
が、券売機は双方に備えられているので特に問題はなさそうだ。
駅を挟んで横浜寄りの踏切は一方通行の狭い踏切だ。この辺りは住宅が密集して線路を横切る踏切自体が少なく、そんなこともあっ
てこの踏切も撤去や移設などができなかったのかもしれない。でも、この辺りは極めて電車の密度が高く、加えて京急蒲田の場内信
号による制限がかかることも多い。それに輪をかけているのがこの“ハミ出し停車”による支障時間の増加で、見ていると夕方前の
時間帯ながら、けっこう“開かずの踏切”化していた。
302 :
名無し野電車区:2007/02/28(水) 22:16:14 ID:GJ7j6AvP
一方、品川寄り改札側の踏切を挟んで右に折れるとすぐ国道15号線の広い通りに出るが、左に折れれば『ぷらもーる梅屋敷』という
商店街がここから始まる。夕方の時間は歩行者天国となって買物客で賑わう商店街だ。程よい道幅の両側に並ぶいろいろな昔ながら
のお店は、客寄せの声に思わずフラフラ立ち寄って試食を勧められるまま、ついつい買わされてしまう雰囲気がある。ここにも大規
模スーパーのようなものが見当たらない。先の弘明寺駅近くの商店街もそうだったが、元気のある商店街には大規模スーパーがない
のも1つの特徴のようだ。そしてまたこういう商店街の風景は、昔からある私鉄沿線のごく身近なふつうの駅の近隣に多く、どこと
なく似た雰囲気を持っている。戸越とか中延とか、その辺りにもここと似たような駅と商店街の関係があるようだ。そんな商店街が
東邦大学通りまで約400mほど続いていた。
そんな商店街から道1つ路地に入ればそこはびっしりと住宅が密集している。大きなマンションは国道15号線沿いから海側の方に偏
っていて、反対側はほとんどが昔からの住宅密集地だ。大田区に集中しているといわれる小さな町工場も所々に見かける。「○○工
作所」なんていう小さな看板がなければふつうの住宅と思ってしまうようなものもある。
今、梅屋敷駅も高架化工事が本格化している。隣の京急蒲田駅を中心とした高架化、改良工事の一環でこの梅屋敷駅も高架化される。
もちろん、今のようなドア締切というような特殊形態も解消される訳だ。その時、この梅屋敷駅はどんなふうに変わるのだろう。
303 :
名無し野電車区:2007/03/02(金) 06:50:18 ID:hXau5cQU
回送車
304 :
名無し野電車区:2007/03/02(金) 06:51:35 ID:hXau5cQU
回送車
305 :
名無し野電車区:2007/03/03(土) 19:31:01 ID:iU4yfHnM
あげ
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━品川!!!
307 :
名無し野電車区:2007/03/04(日) 07:21:10 ID:icPuqpX7
京急の横須賀の沿線各駅には地元の進学塾が各駅前にあるな。NO●Aなんかよりずっと多い!
308 :
名無し野電車区:2007/03/04(日) 23:50:47 ID:8Qf9qeYa
私が小さい頃はひと冬数回一面の雪景色になった。小学校〜中学校は逗子だったが、温暖な逗子でも10cm以上積もる雪が
数回必ずあった。多い時には30cm前後積もったこともあり、早朝、車も走っていない銀世界の中、新聞配達をした思い出
は強烈な印象として残る。
首都圏の電車は5cm程積もると影響が出てくる。ポイントが凍らぬようカンテラの火がレールの隙間にゆらぎ、夜はそれ
がまた幻想的な風景にも。まだ方向幕が普及していなかった時代、電車の前後に下げられていた行先板が見えなくならない
ように運転士や駅員が箒などで雪落としをしていた。また、着雪でいくつものパンタからバチバチ青白いスパークの火花を
散らせて電車は走っていた。
私の家は横須賀線と京急逗子線が交差していた近くにあったのだが、雪が積もり始めると比較的早く横須賀線は電車が来な
くなった。京急も次第に電車の間隔が開き始め、やがてその電車もなかなか来なくなる。そうなるともう積雪は10cmを超
えていた。まさに“しんしんと”という例えのように激しく降り続くと、周囲から次第に音が消えていく。
そんな中、不意にやってきた京急の赤い電車。普段なら吊り掛けモーターを響かせてやってくる400形も、雪の日にはやけ
に音が静かだった。暫くしてその電車が逗子海岸から折返して走り去る。でもその後、電車は来ない…。
夜中に降雪があると、終電後に横須賀線は何本か回送電車を走らせて線路や架線の着雪を防いでいた。しかし、京急は夜中
にこのような回送電車を走らせたことがほとんどない。でも、天候が回復すると横須賀線も京急も同じように走り始めた。
この辺の運転扱いの違いはどこにあったのか不思議に思ったものだ。
最近は暖冬がちになって積もるほど雪が降らなくなってきた。いつぞや積雪の多かった冬があったが、その時10cm程積も
ったのが今いる横須賀で経験した最大の積雪だと思う。そしてこのところ、雪を見ることさえなくなった。
雪景色の白一色の景色の中を走る京急の「赤い電車」はずいぶん映えて見えた記憶があり、思いのほか絵になる感じがする。
しかし、ひとたびそうなればダイヤは乱れて混乱するなど、実際に使う立場では雪の日は迷惑なだけだ。雪の日はふだんと
違った姿を見せる「街と京急」だけれど、当事者には迷惑な積雪はやっぱりない方がいいのだろう。
309 :
名無し野電車区:2007/03/06(火) 09:40:39 ID:giDy1m5Z
最近は余り書込みがないのが寂しいです。何か独り善がりになっているような気がして、
ちょっと気になっています。
んなこたーないぞ
新しい書き込みが楽しみにしてるやつがここにいる
ちなみに京急沿線住民になって三年
311 :
名無し野電車区:2007/03/06(火) 16:30:17 ID:fOrGw0TQ
ごめんROMってた
って人が俺を含めたくさんいるはず
雪と京急って絵になる風景ですよね
私は上大岡→京急川崎の通勤です
313 :
名無し野電車区:2007/03/06(火) 18:56:42 ID:qUD4wvex
穴守稲荷と弘明寺の情報をお願いします!
弘明寺に住みたいなあ
南太田と言えばもう斉藤由貴のイメージしかない
僕は十代ですけど
315 :
名無し野電車区:2007/03/06(火) 23:43:27 ID:giDy1m5Z
横須賀中央の1つ横浜寄りにある汐入駅は、横須賀中央駅を「表玄関」として例えるなら「裏玄関」に当るような感じがする駅だ。
実際に中央駅周辺のような賑やかさはないが、駅周辺にはホテルや横須賀芸術劇場、大規模スーパーなどを控えているほか、坂本や
池上などの古くからの住宅地への最寄駅にもなっていて、ここの利用客は決して少なくない。朝夕だけになってしまったが、特急停
車駅にもなっている。
汐入駅は駅の前後をトンネルに挟まれ、久里浜方のトンネルの入口は駅のホームとくっついている。周囲を大きなコンクリートで固
められたその上方には家が迫り出すように建ち並んでいて、僅かなスペースでも住宅にしてしまうというような独特の住宅事情が伺
えるようだ。
階段を降りて改札を抜けると右手海側にバスターミナルが広がる。そしてその先に新しい横須賀のランドマークの「横須賀芸術劇場」
と大きなシティホテルの都会的な高層ビルがド〜ンと聳えている。これができる前は駅前といっても池上へ続く道路が横切るだけの
ごくふつうの途中駅に過ぎなかった。しかし、今はこの汐入駅を始発・終着とする路線がいくつか開設された横須賀のサブターミナ
ルという感じである。逗子市、葉山町、横須賀市の境に展開する湘南国際村へのバスもここから発車する。
その芸術劇場の前の国道16号線を挟んだ向いは大規模スーパーのダイエーがある。昔は紡績工場だった跡地に出現したこのダイエー
は、三浦半島最大のショッピングセンターの規模を誇っていて、このダイエーは周辺の人たちの“買物ができるレジャー施設”みた
いな感覚で人を集めているようだ。
316 :
名無し野電車区:2007/03/06(火) 23:43:58 ID:giDy1m5Z
国道16号線や横浜横須賀道路に続く道が山側にオーバークロスして逃げ、道なりに直進する方が行き止まりのJR横須賀駅に続く。
汐入駅からは歩いても10分弱という感じだ。そしてこの道に沿って横須賀駅まで海沿いにきれいに整備されたヴェルニー公園は、
横須賀の象徴でもある米軍横須賀基地や海上自衛隊の船を一望に眺められる公園だ。天気が良ければ実に長閑で、灰色の自衛艦もそ
れなりに美しい景色に溶け込んでいるように見える。時折海上自衛隊内の伝達放送や、合図のジングルに続けて英語のやはり伝達放
送のようなものが聞こえてくる。日本語と英語の違いはあっても、言葉の口調がよく似て聞こえるのが面白い。
また、このヴェルニー公園になっているところは、昔、その紡績工場に続く引込線が横須賀駅から延びていた。線路跡という痕跡は
ほとんどないけれど、その当時を覚えている私には、道路のカーブに沿って曲がっていたレールのイメージが結構鮮明に蘇る。
一方、汐入駅を出て芸術劇場の裏方の路地を通って中央駅方面に数分歩くと「ドブ板通り」になる。ここへは汐入駅の方が近い。そ
こから表通りの国道16号線に出れば、向いは米軍横須賀基地の正門だ。
汐入駅は開業当初は「横須賀軍港駅」と呼ばれていたそうだ。戦前とはいえずいぶんストレートな駅名を名乗っていたものだ。しか
し、それが余りにも“直接的”で好ましくなかったためか、戦争直前に「横須賀汐留」と改称された。さらに周囲の町名統合ととも
に現在の「汐入駅」となった。「汐入」とは江戸時代に海の水をせき止める堰を「汐留」と呼び、その堰より奥の入江を「汐入」と
呼んだところから付けられたという。「汐留」という地名は統合で消えてしまったが、今でも国道16号線から横須賀駅に入る分岐
点に置かれた停留所には「汐留」という名が残っている。
その入江の奥の山裾には坂本、池上という昔からの町が広がる。道の両側にしばらく商店街が続くが、程なく道路は丘陵に向かって
登り坂をくねくね曲がりながら池上、衣笠へと続く。その道は思いのほか厳しく、意外に山がちな横須賀の典型のような風景だ。基
地と山の街の横須賀をイメージさせるような汐入駅周辺である。
317 :
名無し野電車区:2007/03/06(火) 23:58:17 ID:fOrGw0TQ
東京在住の俺だが、そのダイエーは横須賀行く途中で寄った記憶がある
そこのダイエーの外にある敷地内(?)の洋風レストランがなかなか美味しかった気が・・
駅で言うと汐入なんだな。知らなかった
318 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 00:01:23 ID:e60wYdp5
ダイエーってEMクラブの跡地ではないのですか?
319 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 00:15:53 ID:FHORv4Aq
つたない文章でも楽しみにしていただけるとは嬉しい限りです。私の個人的な目線でしか書くことが
できませんが、少しずつ書き足していきたいと思っています。もちろん、皆さんも気軽に書いて頂き
たいと思っていますのでよろしくお願い致します。
>>313 弘明寺は
>>277>>278に書いてあります。歩いてみると、なかなか面白い所でしたね。穴守稲荷は
羽田空港が工事の時に京急が一時期ここで折返していた時代に何回か降りました。ただ、バスの車
庫に移動して空港まで向かったくらいなので、時間があったら寄り道してきたいと思っています。
>>318 そのEMクラブというのを私は知らないのですが、確かに紡績工場は相当昔になくなりましたから
その跡地の跡地?(もしかしたらそのまた跡地?)がダイエーなのかも知れません。
でも、ダイエーの敷地はその大昔の紡績工場のあったところです。
321 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 10:00:15 ID:5R36dH/G
EMクラブはダイエーの向かいの横須賀芸術劇場の場所でした。
思い違いだったようですいませんでした。
322 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 10:47:23 ID:/bUgtEUy
>>313 弘明寺は風情のある町並みも捨て難いですが
京急と絡めるならやはり
みうら湯(スーパー銭湯)でしょう。
空いてるときは極楽ですよ。
323 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 11:51:19 ID:FHORv4Aq
>>322 そうでしたね。弘明寺にはそれがありました。
線内各駅で割引きっぷも出ているくらいですが、ふと思いついて降りたもので、
全くその存在を忘れていました。
>>321 「EMクラブ」って何だったのですか? 水兵さん相手のお店だったのですか?
324 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 14:53:21 ID:8+FX3lEo
EMクラブって戦前は旧日本軍の施設で米軍が占領したもの。高級将校の社交場みたいなもんじゃなかったっけ?詳しい方よろしく。
あの建物は戦後50年近く経っても独特の風格と威圧感があった。戦前はもっと威厳があり一般人はとても近づけるような代物ではなかったと思われるが、それもまた横須賀ならではの風景だったのだろう。
325 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 16:09:15 ID:FHORv4Aq
>>324 今、ネットで探してみました。写真を見たら、そういえばそんな建物があったなと思い出しました。
大昔の時代、ベースから汐入の辺りはちょっと独特な風情がありましたね。小さい頃なので、はっきりとそれが
何だったのか知らなかったのですが、言われてみて改めて合点がいきました。
ありがとうございました。
326 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 19:02:41 ID:3r3T0gRA
汐入地区は再開発で現在のような姿になった。それ以前は横須賀中央に比べると本当に殺風景な場所だったが、ある意味もっともヨコスカを感じさせるものがあってよかったね。
JR横須賀、逸見、汐入を結んだエリアが特にディープなヨコスカっていう雰囲気だった。
327 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 22:36:20 ID:FHORv4Aq
三崎口駅から城ヶ島行きのバスに乗って15分ほどで三浦市のターミナルなっている「三崎東岡(みさきひがしおか)」に着く。ここは京急バスの
三崎営業所に近く、道から引込んだ崖を削ったスペースがバスの発着場となっている。昔はこのスペース一杯に屋根が付けられていた。昔はちょ
っとした地方にはこんな大きな屋根付きのバスターミナルがよく見られた風情だったが、今はその跡形もない。でも、縦横2台ずつバスが入るス
ペースは当時から変わっていない。また、ここに入るバスはバックで入るのだが、その時の誘導員の笛の音はここでも健在だ。
引橋で国道134号線を分かち、丘陵をアップダウンしてきた道はこの東岡を過ぎると急な下り坂で一気に港へとかけ下る。両側には古くからの家
が時には崖にへばりつくように続く。そして降りて来た所が三崎港のバス停だ。昔は「三崎公園」と言った。小さなデルタ形の公園風のスペース
の周りがバス乗り場になっていて、以前書いた横浜駅東口と三崎を結ぶ急行バスはここが終点、始発になっていた。
このバス停の真ん前はもう三崎の港である。港の両側に港の施設、市場や冷凍倉庫が並び、いかにも漁港の基地というような景色が展開している。
一方、背後には山裾にへばりつくように住宅が密集し、その合間を小さな路地が入り組んでいて、歩き慣れないと迷路のようにグルグル回ってし
まうようだ。そしてその路地に小規模ながらも商店街がある。この辺りは丘陵が港近くまで続く平地の少ない地域なので、どこにでもあるような
大規模スーパーは三崎に向かう県道沿いのほうに次々と現れていて、もっぱら買物などはこちらに移ってしまったような感じがする。
三崎港から更に城ヶ島に向かうバスで先に進むと、程なく車窓にはさほど広くない港の周囲をびっしりと漁船が埋めつくしているのが見れる。岸
壁で漁具の手入れをする漁師がいたりするような漁港の風景のその向こう、港の入口に架かる城ヶ島大橋は、絵になる風景で三崎のシンボルでも
ある。
328 :
名無し野電車区:2007/03/07(水) 22:36:58 ID:FHORv4Aq
ところで、三崎といえば何といっても「マグロ」に代表される海の幸だ。三崎港のバス停の周囲には数多くの料理屋、寿司屋が新鮮なネタで客を
待っている。ただ、特にこの地域に固まっているという訳ではなく、先の迷路のような路地にもあったり、港近くの物産館周辺などあちこちに点
在しているので、潮の香りを楽しんで散歩しながらよさそうな店を探せば良いと思う。まぁ、極端に安いという訳ではないが、驚くほど高い訳で
もない。そこそこの値段だけれどネタの良さではほとんど外れはないだろう。定番のお刺身だけでなく、店によっていろいろ工夫をしたマグロの
創作料理を楽しむのも悪くない。
さて、そんな三崎港の周囲をグルリとバスは回って一気に急坂を登り、やがて城ヶ島大橋を渡る。右下に広がる三崎港を一望できるビューポイン
トは見逃せない。そして着いた城ヶ島。小さなバスターミナルの周囲には食堂がいくつかあり、降りるや呼込みの声がかかる。でも、三崎でたら
ふく楽しんで来たので更に入る気は残念ながら余り起こらない。でも、何回か行って気付いたのだが、島の中の食堂はどこも意外に値段が安い。
三崎で食べるより随分リーズナブルなのである。ただ、内容については実際試してないので何とも言えないが。
土産物屋で焼くイカやサザエの匂いに惑わされながらも燈台へは歩いて5分ほど。目前に広がる大平洋を見た時、都会からはるばるやって来た実
感を感じる一瞬である。
329 :
名無し野電車区:2007/03/08(木) 19:33:06 ID:x2JANXiF
26年前に汐入のダイエーの工事に乗り込んだとき引込み線がちょうど撤去されてるとこ
だった
331 :
名無し野電車区:2007/03/09(金) 22:12:44 ID:0jzPjFHd
子安駅はちょっと面白い駅だ。ホームは上下とも退避線を持つ島式を1本ずつ持っている。隣の神奈川新町駅と僅か700mしか
離れていない。でも、その数値より実際は近寄っている感じがする。というのも、駅舎が子安駅は品川寄り、神奈川新町駅は横
浜寄りというように両端に離れているのでこの距離になっているが、実際は双方のホームの端と端は300m程しかないようだ。
車庫のある神奈川新町駅の引上げ線のレールの端を道路が横切り、その先はもう子安駅の構内なのである。
そして運転上も昔から子安駅は神奈川新町駅の“サブステーション”という感じで使われている。まだ急行が走っていた時代は、
この子安駅が上下とも特急の退避駅だった。下りの場合、子安駅で急行が特急を退避し、次の神奈川新町駅では各駅停車が特急
と子安駅で抜かれた急行を退避していた(上りはこの逆である)。昼間の快特が走っている時間には神奈川新町を通過する快特
は、ダイヤ上の都合なのか神奈川新町駅ではなく、この子安駅で各駅停車を追い越していた。
現在は上り線のみ神奈川新町駅と子安駅の間は複々線になっていて、両駅が“1つの構内”のような感覚で使われている。今の
ダイヤでは子安駅での退避は少なくなったが、朝の上りなどで特急や快特が遅れた場合、神奈川新町駅を「同時発車」や「先行
発車」して子安駅まで退避線を走り、その間に本線を特急や快特が追い越して行くなんてことも臨機応変に行われている。僅か
な複々線ではあるが、これで結構利用価値が高い。
さて、その子安駅であるが、先にも書いたように品川寄りに出口がある。駅舎は上り線側の平地にあるのだが、構内踏切を廃止
したため、連絡は上下とも地下道を通ることになる。なんか面倒臭い! その地下道もそんなに大昔に造られた訳ではないと思
うが、実に素っ気無く、単にコンクリートに直塗りしただけという感じだ。
332 :
名無し野電車区:2007/03/09(金) 22:13:19 ID:0jzPjFHd
子安駅が面白いというのは「駅前」にもある。改札を出てみても、いわゆる「駅前」と呼べるようなスペースがないのだ。すぐ
海側に渡る踏切と、駅のそばに地下道の入口があるだけだ。その道の前に飲み屋が2軒ほどあるにはあるが。
まず踏切を渡って海側に出ると、20mも歩かないうちに第一京浜(国道15号線)の広い道に出る。道沿いにパラパラとコンビニ
や食堂があるが、特に何がある訳でもない。道の向こうは住宅と工場があるだけである。
一方、ポッカリ目の前に口を開けた地下道が、実は子安駅の“メインストリート”への入口になっている。この地下道は、すぐ
脇を走るJR東海道、横須賀、京浜東北線と、それをオーバークロスして子安駅の上をかすめる横浜線を越すための通路である。
その通路を抜けて反対側に出ると、目の前にいきなりお寺の門が目に飛び込む。「浄土宗吉祥寺山相応寺」という立派なお寺で、
門前に並ぶ「子育地蔵」がこの「子安駅」の謂れのようだ。そして道なりに続くのは「大口一番街」という商店街。アーケード
の続く通りを200m程進むと国道1号線に出る。ここを渡り更に商店街を先に歩く。子安駅の近くでは商店街といっても何とな
く閑散としていた通りも歩くにつれて少しずつ店が多くなり、人の流れも増えてくる。
「大口商店街」といえば横浜市内でも名の通った商店街であるが、昔からのお店がそのほとんどを占め、一点だけを集中的に扱
う専門店が目につくのが印象的だ。それでもやっぱりシャッターを降ろした店がいくつか目につくのは時代なのか。その名のつ
いた横浜線の大口駅までこの商店街は続き、子安駅から歩けば10〜15分ほどの距離だ。大口駅前は意外に閑散としているが、
広いロータリーがあり、この点が国鉄と私鉄の生い立ちの過程の違いなんだろうか。
子安駅は今、バリアフリーのためエレベーター工事が行われている。駅舎から跨線橋で上下のホームをつなぐようだが、見てい
るとずいぶん大掛かりな工事のようだ。一般には今まで通り地下道を通るようになるのだろうが、たった1本線路を跨ぐのがこ
んなに大変なのかと思うような工事である。
333 :
名無し野電車区:2007/03/10(土) 10:21:30 ID:8TRtwDL7
>>329 ヤフーで「田浦の引込線」で検索したら同様のサイトがたくさん出てきたので驚きました。
マニアには有名な場所なんですね。ぜひ訪ねてみようと思います。
334 :
名無し野電車区:2007/03/10(土) 10:46:44 ID:P4TIduaH
>>333 京急とは少し離れますが、JR田浦駅からの引込線は「トワイライトゾーン」が好きな方にはたまらないと思いますよ。
いろいろ探究されている方も多いように、未だに遺構も多く残っていますからね。田浦駅には構内にトンネルがあって、
トンネルを挟んで入換えをしていましたが、そんな駅などそうなかったと思いますよ。田浦駅の狭い構内にはタンク車
や日産の車運搬車のク5000がたくさんいましたね。
昔はこの田浦駅の入換えにDD11 1、2とDD12 3が交替であたっていました。小型でそれ程の重い貨物がないので重宝
したんでしょうね。家の前の横須賀線をロッドをせわしなく回転させながら単機で回送されていたのを思い出します。
このDD11などは神武寺駅で東急車両の新製車の引取りにも使われていました。遊び場にしていた池子のトンネルで突然
進入してきたDD11の汽笛に追われるように、あわててトンネルを走ったこともありました。
335 :
名無し野電車区:2007/03/10(土) 19:19:23 ID:P4TIduaH
横浜を出て野毛山のくねくね曲がったトンネルを出ると日ノ出町駅に着く。大きくカーブしたホームは当初の桜木町へ続く計画から
変更された結果の産物ということだ。
それにしても、日ノ出町駅は昔と余り変わっていない。ホームの上屋を支える柱は廃材レールを組み合わせたものだし、一部にはそ
の柱を支える部分がタイルを貼ったままの昔の面影を色濃く残していて、真新しいものといえば、エレベーターの周囲くらいなもの
である。階段を降りたコンコースも薄暗くて、どこか昔の匂いがぷんぷんするようだ。
そのコンコースの奥に「えきめんや」がある。見ると他の「えきめんや」にない穴子天ぷらやカツカレーなどのメニューがあり、こ
こは横浜や品川、横須賀の業者とは違うのかもしれない。丁度昼時、外にテーブルまで用意されているのも珍しいが、そのテーブル
までいっぱいだった。中では威勢のいいおばちゃんが4〜5人で切り盛りしていて、気風の良いかけ声と挨拶でなかなか活気がある。
やっぱり「立ち食いそば」はこうでなくてはいけない。
改札を出てまずは駅前の道を黄金町方面に歩いてみる。「日ノ出町商店会」という名前は付いているものの、そんなに店が多い訳で
はないが、昔ながらの歴史を感じさせるお店が目に付く。その中で一見古臭いような雰囲気でも異彩を放っていた「博多長洲ラーメ
ン」を謳ったお店には行列ができていた。その先は特にどうということもなさそうなので、ここらで再び駅前に戻る。ふと変わった
バス停を見つけたら、この日ノ出町駅前を起点にみなとみらい、赤レンガ倉庫を巡るワンコインバスのものだった。土曜と休日のみ
の運転だが100円で乗車できる。
336 :
名無し野電車区:2007/03/10(土) 19:20:46 ID:P4TIduaH
再び戻った改札の構内正面には「大戸屋」があった。都内に多く展開している飯処チェーンだが、ここにも進出していた。その左側
の方に出ると横に京急ストアがあり、目の前は“少しズレた”スクランブル交差点になっていて、こちらの方がメインの通りである。
周囲を見渡しながらウロウロしていると、電車が到着する度に多くのおっちゃん達が大勢降りてきて、皆一様に交差点を桜木町方向
に渡って行く。その後をついて行けば、程なくありました「JRA」。ここは場外馬券売場があるのだった。
この日ノ出町駅界隈は歩いてみると妙に面白い。場外馬券売場を中心として、周囲には飲み屋や料理屋がたくさんある。「大勝軒」
という“まんま”というような中華屋があったりする。飲み屋は勝った負けたで祝杯やヤケ酒の客で賑わうのだろうか。さらに、交
差点の野毛山寄りの坂の下には「ヌード劇場」と大書きされた建物が。ここまであからさまにどか〜んと書かれているその潔さに苦
笑してしまいそうだ。入口は飲み屋風に暖簾が下がっていて、何も書いてなければそれと全くわからない。道を隔てた反対側にもポ
ルノ映画館がある。どちらも駅から100mも離れていない交差点のすぐ側で人通りの多い所だから、そのインパクトは強烈だ。
その他にも風俗系のお店が表通り、裏通りに限らず点在している。雀荘や個室ビデオのお店も目につく。しかし、そのほとんどの店
先には「競馬中継放送中」なんていう看板があったりするのが面白い。そのポルノ映画館にもその看板があった。ポルノ映画を観な
がら競馬中継って、いったいどうやって両方“観る”のだろう。その姿を想像すると結構笑えてしまう。
そうかと思えば、裏通りの一角にブラックスーツの一団がいたので、場所が場所だったので一瞬たじろいでしまったが、なんとそこ
はセレモニーホールがあり、丁度お葬式が行われている真最中だった。表通りは馬券に一喜一憂したり裸に欲望を満たしている人も
いれば、そのすぐ裏では悲しみに暮れている人もいる。何とも不思議な空間の日ノ出町駅界隈だ。
337 :
名無し野電車区:2007/03/10(土) 19:23:44 ID:P4TIduaH
でも、そんなエリアは駅から100mと離れていない大岡川の橋の手前までで、橋を渡ってしまえばごくふつうの住宅やマンション、
オフィースビルが広がっている。伊勢佐木町もここから歩いて15分程度だ。背後の坂を登れば野毛山公園に続く。駅の利用者を見て
いると、家族連れやカップルに、そして揃ってジャンパーを羽織ったおっちゃん達が入り交じっている不思議な空気が漂う休日の日
ノ出町駅だった。
338 :
名無し野電車区:2007/03/10(土) 23:22:00 ID:RDS7jw9w
日ノ出町・黄金町といえば京急ガードを語らずにはいられない。しかしこの2年間で警察の取締りが厳しくなりいわゆる「ちょんの間」は軒並み閉店してしまった。
まあその手の店の是非は別として、これも京急ならではの風情だった。今後は健全な街に生まれ変わるということだが、先日の神奈川新聞によると特殊な構造の店舗ゆえ、他の業種への転用が難しく、また資産価値が暴落し売るに売れない状況だという。
しばらくは現在の町並みだけは残りそうだ。
伊勢佐木町周辺が横浜の中心だった頃は、よく降りた日ノ出町
しかし、横浜駅西口が発展してくると利用しなくなって
最近は全く降りる機会がなくなった。
…という話を聞いた事がある。
日ノ出町下車で横浜市立中央図書館を利用する俺がイル
340 :
名無し野電車区:2007/03/11(日) 11:41:24 ID:/PBjFjNT
高架化工事が真っ盛りの京急蒲田駅から空港線に入り、首都高横羽線の下をくぐって着く駅が穴守稲荷駅。駅の歴史を紐解けば、
何度か駅の位置が変わっていて、駅名もそれによって変遷しているようだ。この駅には以前、今の羽田空港へ続く新線を建設する
際に、一時的にこの穴守稲荷駅で折返し運転をしていた時に利用したことが何度かある。今回それ以来久しぶりに来てみたが、当
時の旧羽田空港ターミナルへの連絡バスが発着していた駅近くの京急バス(現・羽田京急バス)羽田営業所に面した蒲田寄りの出
口はなくなり、空港寄りの下りホーム側に駅舎ができていた。もっとも、当時はこの蒲田寄りの改札も一時的なものだったと思う。
その駅を出ると踏切を横切る商店街まで若干の空間がある。何となくこの雰囲気がどこか都電荒川線の三ノ輪駅に似た感じがした
のが第一印象。横では稲荷らしく狐がお出迎えをしてくれる。下には「京浜急行電鉄」と彫った字もあり、空港新線を建設した時
に置かれたのだろう。
商店街の通りに出て目に入った住居表示は「羽田4丁目」。既にこの辺りは「羽田」のエリアである。羽田といえばどうしても空
港の広々としたイメージを連想してしまうが、この辺り一帯は住宅が密集したモロに下町風情だ。駅前を右に折れ、踏切を渡って
狭い商店街を暫く歩く。特に商店が密集している訳ではないが、夕方の買物客の往来は多い。途中には昔ながらの風情を残す銭湯
があったりする。最近の銭湯は一見してもそこが銭湯と分らないようなものが意外に多いのだが、ここは建物の造り、煙突、暖簾
と、全てが昔ながらのイメージの銭湯だった。
5分程歩くとバスが通るこの辺りのメインストリートに出る。駅前には見当たらなかった銀行もこの通りに支店を構えている。さ
らに周辺を暫く歩いたのだが、結局どこを歩いても周辺は住宅やマンション、アパートばかりでこれといったものを見つけること
はなかった。
341 :
名無し野電車区:2007/03/11(日) 11:41:56 ID:/PBjFjNT
再び駅に戻り、今度は駅舎に背を向けて左に折れる。100m程歩くと羽田空港から続く広い道路に出る。こちらは先程の生活道路
に対して幹線道路という感じだ。この道を空港方面に少し歩くと穴守稲荷がある。昔は羽田空港の敷地の中にあったのを空港拡張
工事のため今の所に移したということだ。そしてその最寄駅だったことから京急の駅名も「穴守稲荷」と改称された。
蒲田方面に歩けば、程なく首都高の手前に先程の羽田京急バスの車庫がある。各地に路線を延ばす空港リムジンバスの基地になっ
ているので、ふつうの路線バスより圧倒的に高速バスの姿が多い。少し佇んでいる間でも絶え間なくバスが出入りしていた。
その先には首都高横羽線の羽田ランプがある。旧羽田空港のターミナルから横浜駅へ向かうリムジンバスは、この羽田ランプから
東神奈川まで横羽線を通って向かっていた。今は羽田空港に直結する湾岸線を通るので、こんな話も昔語りになってしまったが、
その直角に折れて入るランプを眺めるとちょっと懐かしい。浜川崎のターミナルやいろいろな沿線の工場を眺めて走る車窓も悪く
はなかった。
穴守稲荷駅のホームは昔ながらにずいぶん狭い。快特が通過すると風圧をまともに受ける。空港方は地下線への入口が間近に口を
開け、かなり早くから電車の音が響いて来る。やって来る電車は京急よりも北総、都営、京成の電車がやたら多い。その中に混じ
って「浦賀」というような横須賀方面に直通の電車を見るのは結構違和感がある。でも、それがクロスの650形だったりすると、
そのまま乗って行きたくなるのだった。
342 :
名無し野電車区:2007/03/11(日) 21:45:10 ID:TH7ldx2H
少し上で横須賀線の田浦のことが話題になっていますね。
そういえば、京急田浦も興味深いところです。
京急田浦駅から少し歩くと、旧赤線?の皆ヶ作の街が残っていますね。
当時(戦後)はカフェーとでも言ったのでしょうか、いかにもその手の建物が数棟現存しています。
343 :
KEIKYU電車愛好会室長:2007/03/11(日) 23:50:25 ID:jAJ9aU6j
京急現駅名を答えてね?@谷津坂A軍需部前B横須賀軍港C横須賀公郷D横須賀堀内E鳴神F沼南G稲荷橋H市場I大師
この10問中全て解答出来る人は、意識不明の京急病
全部不正解は、もっと勉強して下さい。
私は、京急ファン歴30年です。
質問等ございましたら聞いて下さいね
344 :
名無し野電車区:2007/03/12(月) 00:44:28 ID:In3EEi4y
↑
ケチつける気はないが、市場駅は場所が変わっているので、現存駅があるとは言い難いのではないでしょうか。
345 :
名無し野電車区:2007/03/12(月) 13:15:40 ID:BpaF1jyq
私もここにいろいろな駅の書込みをするようになって駅の歴史を多少探してみることが多くなりました。
確かに京急は昔「軌道」として出発した区間も多いので、駅名の改変や移設が意外に多いのに驚かされます。
いちいち並べていたらただでさえ長い書込みが益々長くなってしまうくらい出てきます。
京急ファン歴が長いということなので、それなりの知識もお持ちの方だと思います。
できればここではその貴方の知識や経験、エピソードなどを書いていただければと思っています。
雑色駅。
京浜電鉄は本来はここに駅を造る気は無かった。
六郷土手を発車して、そのまま下り坂をころがって蒲田まで走れば電気代の節約になるからだ。
多摩川の堤防は今ほど高くはなかったとはいえ、当時の電鉄にしてみれば電気代はかなり高かった。
しかし、六郷地区の住民代表が高輪の本社まで、70回以上も足を運んで陳情した結果、駅が出来、
そして戦後の駅前の繁栄につながった。
出展:六郷小学校100周年記念誌より。
347 :
名無し野電車区:2007/03/12(月) 21:46:30 ID:BpaF1jyq
神奈川新町駅を出た電車は、一気に勾配を駆け上がり、また、一方の神奈川駅を出た電車も緩い勾配を登って来
る。その頂点の位置にあるのが仲木戸駅。開業当初は「中木戸」と書かれたらしいが、いつの間にか「仲木戸」
に変わったのだという。
仲木戸駅は、ご存じのようにJR線の東神奈川駅と隣接している。今は両駅の100m程の間が歩道橋で結ばれ、
双方の往き来は思った以上に容易い。もちろん連絡駅ではないが、双方の利用駅によっては横浜で乗換えるより
はるかに乗換が簡単にできる位置関係である。歩道橋の建設に伴って増設された仲木戸駅のJR連絡口の改札か
らJR東神奈川駅の改札へは、階段もなく至って便利だ。
しかし、この仲木戸駅の駅舎というか駅事務室は1階に降りた道路脇にある。歩道橋の下に隠れて、どことなく
薄暗い感じがする。「仲木戸駅」という駅名看板そのものも窮屈そうに掲げられていて、そういう訳でもないだ
ろうが、ここの改札を利用する乗客はそれ程多くないようだった。
ガードの下をくぐって海岸方向へ200m程歩くと第一京浜(国道15号線)の大きな交差点に出る。そこを直進す
れば首都高横羽線東神奈川ランプを経て埠頭へと続く。仲木戸駅の周囲は駅前から地下道を通ってJR線の向こ
うの国道1号線へつながる道が走っているが、周囲にはお店は僅かで、週末の午後の時間ではあっても人通りは
少なく、閑散としてまったりとした時間だけが過ぎているという感じだった。
348 :
名無し野電車区:2007/03/12(月) 21:47:00 ID:BpaF1jyq
JR東神奈川駅へつながる歩道橋の周囲を「かなっくシティ」と呼ぶらしいが、目につくのは東西に1棟ずつ聳
え立つ高層ビルが“全て”のような気がする。「リーテンスフォート」と「ザ・ステーションタワー東神奈川」
というのがそのビルで、歩道橋に直結している部分には飲み屋だったり、ラーメン屋だったりと多少の飲食店な
どがあったりする。でも、人通りは気の毒なくらいまばらで、奥で立地が悪そうなラーメン屋など「やっている
の?」と思ってしまうほど暗いビルの奥にあった。また、「ザ・ステーション〜」の方では、ホールとして市民
にも解放されている。丁度この日はピアノの発表会だったようで、小学生前後の子供たちに精一杯の一張羅を着
させて記念写真を撮っている親バカ風景があちこちで展開されていた。
仲木戸駅と東神奈川駅前は、実はこんな程度で実に殺風景なのである。しかし、この駅の表口はJR線を乗り越
えた国道1号線側にあり、仲木戸駅前の歩道橋から東神奈川駅構内の改札の前を抜け、JR線を跨いだ向こう側
にも続いている。さらに道路向こうの「サティ」などにも直結していて、こちら側には人通りも多く、そこそこ
賑わっているように見えた。
でも、仲木戸駅に戻ってみても他に足を向けてみたくなるようなものは見つからなかった。そして何とはなしに
地図を見ていると、この駅の周囲にはやたらとお寺が多いのに気付いた。そういえば、ここを京急電車で通過中
にもいくつかのお寺が見て取れる。案内図にはこれらのお寺や史跡を巡るコースが記されていて、神奈川新町駅
近くから神奈川駅にかけて約4kmの「神奈川宿 歴史の町」として散策コースになっているようだ。そういうこ
とに興味のある方なら歩いてみても面白そうだけれど、生憎私は「花より団子」の性分、腹が減ったということ
で、この周囲でうまそうな“何か”を多少なりとは期待をしていたのだが、結局それは叶わず、フルスピードで
駆け抜けて行く快特に感動しながら(ふだん12両編成がフルスピードで疾走していくのをあまり見たことがない)、
次の各駅停車を待ったのである。
349 :
名無し野電車区:2007/03/13(火) 19:40:26 ID:zVrDtzir
仲木戸が高架なのは、横浜鉄道が開業して、京浜電気鉄道と交差することとなり、軌道<鉄道のため、先に開業していたにもかかわらず軌道である京浜電気鉄道が高架に上がって立体交差したというエピソードは、このスレを見に来る人ならみんなご存知でしょうね。
その仲木戸駅が2面4線だったことも当然知ってるよな
352 :
元神奈川区民:2007/03/13(火) 23:06:07 ID:ps3HHOqj
神奈川駅と仲木戸駅の真ん中ぐらい(昔の京急の反町駅の近く)に第三武田屋という
精肉店があります。ここのコロッケやメンチカツなどは、注文すると揚げたてのを
売ってくれます。とてもおいしいですし、値段も手頃なので近くに来られた際には
ぜひ立ち寄ってみてください。
>>351 俺もノシ
まぁ鉄道ファンならおkだろうがww
>>352 週末、特に日曜は営業…してないよね?やっぱり。食べたいなぁ。
355 :
名無し野電車区:2007/03/14(水) 22:06:22 ID:RPAqAQtz
京急の退避駅の多くは本線と退避線はホームを挟んで乗換ができるようになっている。しかし、南太田駅、逸見駅とともに
鮫洲駅の3駅だけは通過線にホームがない駅だ。その鮫洲駅は品川を出て最初の退避駅になっている。まだこの駅が平地の
頃は退避線が外側でホームも相対式、通過線が内側になっていた。それが高架化を機に外側を通過線、内側が退避線となり、
ホームも島式1本に改められた。
鮫洲駅に降りると、品川寄りの次の青物横丁駅のホームが急なカーブのすぐ先に見える。“目と鼻の先”というくらい間近
に見えるが、それもそのはず、駅間の僅か500mは京急では最短でもある。また、ホームは高架の上で眺めが良いはずなん
だが、通過線の外側は遮蔽板で覆われてほとんど見えない。確かにこれがなければ周囲は“丸見え”状態。今の時代、これ
ではいかにも具合が悪いのだろう。
階段を降りて改札を出ると左右に降り口がある。左に降りれば線路の横を走る第一京浜(国道15号線)に出る。道路も線路
に沿って左に大きく曲がって品川方面へと続いている。高架の下にはファミレスやドライブスルーのマック、そして駐車場
として使われていた。
356 :
名無し野電車区:2007/03/14(水) 22:07:03 ID:RPAqAQtz
ところで、鮫洲駅は一見するとどこにでもあるようなふつうの私鉄の駅だ。各駅停車しか停まらない駅だから、この程度の
駅だとふだん利用していなければ一般的には「その駅、何線?」と聞かれるような駅である。しかし、この「さめず」とい
う駅名を聞いたことがある人は多い。場所は把握していなくても知名度は意外に高い。それというのも、この鮫洲駅はそれ
なりにお世話になった人も多い「自動車運転免許試験場」の最寄駅として知られているからだ。
この試験場へは第一京浜と反対側に降りて5〜6分の所にある。駅や路地の交差点等に案内が出ているのでそれに従って歩
いて行けば良い。見ていると、電車が着く度にそこそこの人が試験場に向かって路地を歩いて行く。
駅の周囲はびっしりと住宅が密集する下町風情で、途中には旧東海道沿いに商店街があるが、それ程店は多くなく昼下がり
の通りはいくつかある食堂だけが賑わっていた。一方、試験場の周囲は対照的に高層マンションが目立つ一帯になっていて
そのギャップが著しいが、この辺りは昔は海だったところで運河も残っている。「鮫洲」という地名も、この辺りの「洲」
が大きく海に張り出していて、そこを「鮫洲崎」と呼んだところから来ているという。
ところで、試験場に向かう路地の両側に「証明写真屋」とか書類の作成を請け負う「代書屋」の看板を掲げた店がいくつも
目につく。中には駅から降りて来る試験場に向かう人を“呼び込み”している人もいたりする。でも、多くの人は既に用意
をして来るようで、ほとんど足を止める人はいないのだが、まあ、これが「鮫洲らしい」といえば、その通りなのだろう。
>>356 ちょうど月曜日に初めての免許更新で鮫洲試験場に行ってきました。
下町風情と高層マンションのギャップ、佃や豊洲など「ウォーターフロント」と呼ばれるようなところで最近よく見られる光景ですね。
あの写真屋や代書屋は誰も利用していないようだったけど、あれで商売成り立ってるんだろうか・・・
358 :
名無し野電車区:2007/03/15(木) 23:17:42 ID:I00Mr9dY
一昔前まで「空港線」といえば、古くは230形、それを引継いだ460形や800形が3両編成で終日線内折返し運転を
しているだけの長閑な線だった。その空港線の分岐駅でもある「京急蒲田駅」。今や重要線区となった空港線の改良
や周辺の高架化工事と相まって、日々刻々と変化しているのが今の京急蒲田駅である。
まだ空港線が線内折返し運転をしている当時、京急蒲田駅は特急が停車するものの快特は通過、都内と横須賀を往復
する私にとっては縁の薄い存在だった。でも、特急が京急蒲田駅に着くと空港線から乗換えて来る乗客は、スーツ姿
より“労働者”というような感じの人々が多く、一種独特のバタくさい雰囲気があったように思う。
京急蒲田駅構内は今や高架化工事のため、見る度に姿を変えている感じがする。昨年空港線と下り線が海側に大きく
移されてから昔ながらの風景が全く消えてしまったようだ。使われなくなった昔の下りホームの所には大きな高架の
柱が建ち始め、構内はまるで“工事現場の中に駅がある”というような雰囲気である。
ホームに降りると、上りホーム側に小さな“裏口”のような改札があるが、こちらの方が商店街のアーケードに近く、
ここを利用する人が少なくない。しかし、メインの改札は跨線橋で結ばれた海側の第一京浜(国道15号線)方になる。
改札を出て左右に降り口があるが、どちらに降りても出たところは第一京浜の歩道脇だ。その横浜寄りの階段を降り
たすぐ前は、空港線が第一京浜を急カーブで横切る有名な踏切で、片側3車線の広い道路を塞ぎ、その前を急カーブ
に車輪を軋ませてゆっくり通り過ぎる電車は、間近で見上げると意外な程迫力がある。沿道には銀行やオフィースビ
ルが多い。反対の線路側は一面に工事用の柵が続き、所々から工事用車両の出入りが多く、その度警備員の笛の音が
鋭く響いていた。
359 :
名無し野電車区:2007/03/15(木) 23:18:49 ID:I00Mr9dY
自転車も通れるようになっている地下道で反対側に出てみる。こちら側(上りホーム側)は第一京浜側とは対照的に
雑然と家やマンションが密集した地域になっている。改札口のすぐ近くにはアーケードの入口があって人通りが多い。
さらに品川方面に歩を進めるとそこは「柳通り」という飲み屋街になっていた。それ程長くない路地の両側にびっし
りと大小様々な居酒屋、スナック、風俗店、ラブホなどがひしめいている独特な雰囲気のエリアだ。時間帯が夜なら
妖しい光がきらびくのだろうが、歩いた時は午前中。この時間はさすがに人通りはほとんどなく、猫が人目を気にし
ながら残飯を漁っていたり、きれいに打ち水をしたラブホの玄関だったりと、夜とは違った風景を見せてくれていた。
さて、戻ってアーケードを進む。昼前なのでまだ準備中の店が多い中で、何やら行列が出来ているお店があった。足
を止めてみればそこは和菓子屋さん。店先で2人の店員さんが忙しそうに並んでいる客に大福だか何だかを売ってい
たのだが、小さな店の前に20人近く並んでいて、覗き込んでそれを確認することはできなかった。まあ、和菓子には
それ程執着がないのでそんなに気にはならなかったのだが。
そば好きの私にはそれよりこの京急蒲田駅周辺には「立ち食いそば」が余りないのが気になる。アーケードの中で唯
一見つけたのは「箱根そば」。小田急沿線の立ち食いそばとして展開している「箱根そば」だけれど、最近は都内の
市中にも進出している。こんなところにもあった!と驚いたが、私は「箱根そば」は素直に好みなので、ちょっと遅
い朝飯代わり。
アーケードは200m程で終わり、辺りは大きな銀行の建物やビルが目立つエリアになった。京急蒲田駅とJR蒲田駅
は約700m程、歩いて10分程の距離がある。JR蒲田駅の周囲は大きなビルが多い都会のターミナルのようだが、ち
ょっと離れた京急蒲田駅の周辺は、こんなどこかバタくさい昔ながらの風景がまだ残っていた。
360 :
名無し野電車区:2007/03/15(木) 23:20:29 ID:I00Mr9dY
先程のメインの改札を出て右側にこの辺り一帯の高架化工事の状況説明を示した展示コーナーが設けられている。パ
ネルや模型、航空写真などでここの工事を紹介してあるスペースとして日曜、祝日以外の10〜17時まで自由に入れ
るようになっている。それによれば、ここの高架化工事は平成4年に決議されてスタートしたのだという。完成予定
は当初より2年早まって平成22年度完成を目指す計画ということだ。あと3年でこの辺りの景色は一変することにな
る。それにしても計画から約20年近く。そのスケールの大きさにも驚いてしまう。
実際そんな大したもんじゃありませんよ
>>361 京急蒲田周辺にとっては、大した事だと思うが
…と、上大岡の変貌が想像できなかった俺が言ってみる
363 :
名無し野電車区:2007/03/17(土) 14:33:20 ID:BxTa41x2
>>358 細かいこと突っ込んでスマソ。文中中ほどの「バタくさい」の意味がちょっと違うように感じるのだが補足頼む。
364 :
名無し野電車区:2007/03/17(土) 17:03:35 ID:V+NXMsJQ
>>363 「バタくさい」の本来の意味は「バターくさい」というところから来ていて、「西洋風」とか「西洋かぶれ」という意味です。
ただ、俗語的な意味合いで「ダサい」とか「垢抜けない」「雑然とした」というような意味の使い方で、関西では割合言うようです。
もちろん、今回はそのつもりで使っいました。
365 :
名無し野電車区:2007/03/17(土) 19:30:32 ID:BxTa41x2
了解サンクス
どうもそういう意味らしいですね。
私も初めて知りました。
なんとなく、垢抜けないみたいなニュアンスで理解していましたので。
勉強になりました。
367 :
名無し野電車区:2007/03/18(日) 18:15:32 ID:yGpoJNrF
今日からPASMOが使えるようになりました。記念PASMOをギリギリで購入できたので、早速試して来ました。
「えきめんや」に始まり、京急電車、自販機、売店、JR、バス、コンビニと一通り体験してきました。
もちろん問題なく使えましたけど、チャージした3000円が程なく消えて、余りに便利過ぎて使い過ぎてしまいそうですね。
明日はSuicaで私鉄を巡ってみるつもりです。
368 :
名無し野電車区:2007/03/19(月) 00:11:08 ID:Tzd1ih0G
自分は横浜の民なのでバタくさいはずっと「欧米か!」の意味だと思っていました。ださい意味合いでも使われるということを知り勉強になりました。
横浜では明治の頃、ラシャメン(西洋人の妾)という言葉もありました。これも一般的にはコールガールのような意味で使われていますが、本来は西洋人の世話をした献身的でちょっと洒落た女性を意味するそうです。スレ違いスマソ。
369 :
名無し野電車区:2007/03/20(火) 19:45:20 ID:qB9qHya4
回送車
370 :
名無し野電車区:2007/03/20(火) 21:35:59 ID:N1aObkpL
371 :
名無し野電車区:2007/03/21(水) 21:46:42 ID:TCe6QvyM
京急のえきめんや、あと戸部駅を残して制覇!
同じえきめんやでも、店によっていろいろ個性があるので楽しい。
個人的には品川駅がいいけど、浦賀とか中央のメチャ濃い汁もいい。
すげえなあ。利き駅そば大会を開いたらチャングムに勝てるかもよ。
374 :
名無し野電車区:2007/03/22(木) 18:44:42 ID:G03KGFDN
>>373 主に頼むのは天ぷらそば。もちろんえきめんや名物肉天そばがあればそれ。
冷しも好きなので、うまいそばなら冷しメニューで。品川駅のはどちらもいけますね。
横浜駅と久里浜駅は同じそばだけど、ザルの汁がやたら辛い。麺が悪くないだけにちょっと残念。
天ぷらも小ぶりで今ひとつだね。
新逗子は比較的あっさり系。えきめんやの暖簾を下げながらも「浪○亭」と店の屋号を名乗っていました。
ここは浦賀駅同様に大衆食堂風で、カツ丼、親子丼もあり。
375 :
371:2007/03/23(金) 04:19:27 ID:b1v4jPZw
>>374 サンクスです。自分も冷し好きですよ。
それにしても、読んでたら食べたくなってきた。
376 :
名無し野電車区:2007/03/23(金) 19:27:41 ID:vcBPCcWb
私事だが、小さい頃から京急沿線で育ち、230形が走っていた時代から親しみのあった京急沿線から来月早々離れる事になった。
今まで当たり前のように使ってきた京急から遠く離れた地に移る事になったが、それはやっぱり寂しい。
今度は栃木でJR宇都宮線の沿線になってしまうが、E231系ばかりの電車では面白味に欠ける。
ただ、まるっきり縁が無くなる訳ではないので、たまには品川から快特で実家のある横須賀へ乗るという楽しみができるだろう。
離れる前に評判は今イチだけれど、新しい1073〜の車両に乗ってみたいものだ。
>>376 異動シーズンですかな。行ってらっしゃい。
たまにと言わずいつでも帰ってきてね。
>>376 いいじゃん、首都圏に居るからいつでも京急沿線に行けて。
俺なんか、自動改札のない國鉄管轄エリアだよどちくしょうorz
379 :
名無し野電車区:2007/03/24(土) 22:32:07 ID:zbe7TMeO
「ぶらり途中下車」止まってしまっています。いくつか“ネタ”はあるのですが、
ご存知の方や実際にとばっちりを受けている方もいらっしゃると思いますが、
先週の金曜日から私の利用している「DION」の回線が突然アク禁にされてしまいました。
そのため書き込みが出来なくなっています。
私ら初心者には事情がわかりかねますが、単にとばっちりを受けているのは確かのようです。
今は仕方がないので携帯で書き込んでいますが、解除の目処が立たないようで、
再開がいつになるか分かりません。
せっかく立てたスレが落ちやしないかちょっと心配なんですが…。
>>379 このスレを落とさせはしない。
…しかし俺にはネタがない。良く利用するのにorz
(チラ裏)
書き込むだけなら、「レス代行」依頼スレが他板にある
京成のスレ立てようと思ってるんだけど、今度は新京成・京成・京急・北総・芝山・浅草共用のスレにするのは・・・
無理かorz
とりあえず、ようやく赤信号が変わったようなので再度出発します。
>>381 別に他で立てるのは御自由ですが、あまり範囲を拡げてしまうとぼやけてしまうので、
京成なら京成だけで紹介して頂いた方がよろしいかと思います。
そういえば、「東急線ぶらり途中下車」は落ちてしまったようですね…。
383 :
名無し野電車区:2007/03/26(月) 01:40:20 ID:/rQO1+kB
再開1駅目は、ふだんは吹っ飛ばして通過してばかりの平和島駅。
品川駅から特急で2つめの停車駅が平和島駅。上下とも退避線を持った駅で、1日中この駅で各駅停車や急行が退避を行っている。
日中夜間は快特が猛スピードで駆け抜けて行く迫力は相当なものだが、そういえばこの駅の構内には「115km/h」なんていう余り
意味のないような制限速度標識があったはずだ。でも、今はそれが見当たらない。
さて、階段を降りて高架の下の改札を出ると、その周囲にごちゃごちゃと京急ストアやマック、立ち食いそば屋が狭いスペースにひ
しめいている。左に出れば第一京浜(国道15号線)の広い道に出る。平和島といえば「平和島競艇」。大井競馬場もそんなに遠くな
い。開催日となればそんなおっちゃんたちで賑わうのだろうが、駅の周囲にはそういうおっちゃんが似合いそうな食堂や飲み屋がい
くつもある。駅前右手の大衆食堂のような立ち食いそば屋は、まさにそのシンボルのような店だ。そして価格が安い! かけ200円、
天ぷら各種も300円前後で、丼ものもめっちゃリーズナブル! ランチのカツカレー&そば&サラダセットが580円なんていう、思
わず食指が延びてしまいそうなメニューがたくさん揃っていた。また、正面、そして右手奥にも立ち食いそば屋があって、狭いエリ
アに3軒も軒を並べるのも意外な発見。そば好きの自分は一通り試したくなったが、生憎と食べてきたばかり…。こんなに安いのな
ら…と後悔しても遅かった!
高架に沿って100m程路地を進むと環七に出る。東京を半周する環七と第一京浜との交差点「大森東」から「馬込まで3km」との案
内を見ると、意外に近いんだなという感じがする。環七はこの先大井の貨物ターミナルの方へ向かうので、大きなコンテナトラック
やトレーラーなど大型車両の目立つ交通量の多い幹線道路だ。
384 :
名無し野電車区:2007/03/26(月) 01:41:05 ID:/rQO1+kB
その環七を渡り、住宅街の路地を少し入ると「太田区立開桜(かいおう)小学校」がある。この小学校は、平和島駅が以前まで「学
校裏駅」と呼ばれていた当時の、その「学校」がこの開桜小学校なのである。
>>89の方にも紹介があるが、この学校は元の「太田区
立大森第二小学校」で、付近の「同 第六小学校」との統合で名称が変わっていた。
再び環七を駅側に戻り、今度は西側の住宅街を歩いてみる。びっしりと住宅が密集した路地といくつも交差し、それを気ままに辿っ
ていくと中学校や小学校が住宅街の僅かな敷地に精一杯広がりを見せている。折から昼前、小学校の前を通りかかるとカレーの匂い。
今日の給食は子供が大好きなカレーのようだ。
駅から延びる路地にはパラパラと何となく「商店街?」というような通りもあるが、ほとんどは住宅地で占められている。でも、そ
の中にチラホラ小さな町工場があったりするのは「東京都大田区」という町の所以か。
ここでも京急や第一京浜を挟んで東側が工場・倉庫地帯、西側は密集した住宅街と景色は一変する。確かに周辺人口はそれなりにい
るだろうが、この程度の街並は「各駅停車」程度の駅に準じているような気がしないでもない。まさかギャンブラーのための駅でも
ないだろうが、開催日にはとても多くのファンが訪れるのだろうな。
結局、駅に戻ってきたら誘惑に負けてその安い「立ち食いそば」の暖簾をくぐった。特に可もなし、不可もなしというところだった
が、安かった分OKとしよう。
385 :
名無し野電車区:2007/03/26(月) 23:15:50 ID:MX1QyyLW
平和島駅と言えば、「平和の森公園」のイメージが強いな・・
初めて平和島で降りたのは、小学校の遠足で「平和の森公園」行ったときだったから・・
確か大田区最大の公園だったはず
386 :
名無し野電車区:2007/03/26(月) 23:42:37 ID:Pb66d8Yg
品川から鈍行で京急大津へ…新大津まで意外に近くてびっくり。
www.geocities.jp/osanpotown/shinagawa.html
横須賀中央駅前は一昔前に比べるとさらににぎやかになっていますね。
名所も満載で海を見ながらのんびりと横須賀駅まで歩くのも楽しいですね。
www.geocities.jp/osanpotown/yokosuka.html
387 :
名無し野電車区:2007/03/26(月) 23:47:55 ID:Nvh9H95q
1月末に荒崎・潮騒のみち(三崎口バス5分)を歩いてきたけど、
東京から一番近い「海」だね。
388 :
名無し野電車区:2007/03/27(火) 01:10:02 ID:fYf1UiYa
青物横丁。昔、野菜の市場が開かれた所から付けられた地名という。字を見ただけでイメージが浮かんで来るようなネーミングだ。
その青物横丁駅は品川を出て初めての特急・急行の停車駅である。12両対応の長いホームの横浜寄りの端からは、隣の鮫洲駅が急
な右カーブを挟んだすぐ向こうに見える。下を走る第一京浜も高架に沿うように急に右にカーブして並行している。そのカーブに
ある第一京浜に直交する交差点の先の仙台坂トンネルは、大井町駅へのバイパスとなっているが、開通は比較的最近だったと思う。
車窓から何か造っているのは分かっていたが、それがトンネルだとは余り思わなかった。このような都心の中にいきなり出現する
「トンネル」というのは意表を突かれるが、都心には青山墓地や六本木ヒルズ周辺など意外にあちこちにあるものだ。
その交差点の品川寄りに「海晏寺」という割合敷地の広いお寺がある。住宅やビルに囲まれている周囲の風景の中で、この一角だ
け緑の多さが目立つ。
その先は青物横丁駅前の交差点。先の鮫洲駅に「途中下車」をして、ひと回りしてからその足でブラブラ歩いて4〜5分で着いて
しまった。
389 :
名無し野電車区:2007/03/27(火) 01:11:02 ID:fYf1UiYa
この交差点を右に折れると駅の改札の前に出る。この通りは「ジュネーブ平和通り」というそうで、大田区がスイスのジュネーブ
と友好関係を結んでいるところから付けられたらしい。この通りを海岸に向かって歩く。両側に商店や食堂が並び人通りも多いが、
商店街というほど密集している訳でもなく、ちょっとした事務所の入ったビルも多い。程なく旧東海道と交差する。北品川から鮫
洲にかけては下町風情の佇まいの住宅や商店が街道の両側に続き、散歩コースにしても手頃だと思う。
さらに先に歩くと「しながわシーサイド」を経て京浜運河を渡る。もうこの辺りはいわゆる「ウオーターフロント」という新しい
エリアだ。
青物横丁駅で電車を待っていると、ホームの端でカメラを構えているレールファンが数人。京急のホームで撮り鉄は珍しいと思っ
ていたら、目当ては間もなく引退する(昨日のサヨナラ運転で運行終了した)北総鉄道の“ゲンコツ”こと7000系だったようだ。
確か登場当時は「吊り革のない電車」と独特の面構えはとてもインパクトが高かったはずだ。まだそう古臭い感じはしないけど、
もう引退とは…。
しかし、やって来たのは元住宅都市整備公団の9000系。7000系だけではなく、この車両も1本しかないはずで、撮影価値がある
と思ったのだが、余りカメラを向ける人はいなかった。その9000系に乗り込み、そのまま三田駅まで珍しい電車の乗車体験を味わ
えたのである。
390 :
名無し野電車区:2007/03/27(火) 17:26:06 ID:fYf1UiYa
>>386 ご自分のHPでしょうか? 品川から各駅停車で京急大津って、さすがに飽きそうですが…。
横須賀中央はそんなに賑やかに変わりましたか? ずっとここで暮らしているとそんなに変わった
ようには見えない気がします。
通りに置かれているベンチのミュージシャン、結構横柄にスペースを占領していて、2人くらいし
か座れません。もっとも、カップルには良いかも知れませんが。
今、中央で気に入っているのが、例の「立ち食い焼き鳥」と「さぬきうどん」の店。
この前、ヴェルニー公園へ行ったら、自衛隊の基地の前に物凄く大きなクレーン船が停泊していました。
それこそ大きな橋桁を吊り上げるような大きなクレーン船でしたが、いったいあれで何を吊り上げようと
していたんでしょう。
そういえば、JR横須賀駅のモダンな駅舎のシンボルだった正面の時計がいつの頃か埋められていますね。
その跡がくっきりと残っていて何か残念です。その横須賀駅前の“気のきいたお店”ってどこですか?
駅前は今にも朽ちそうな古臭いスナックや食堂くらいしか見当たらないのですが…。踏切を渡った国道16
号線側でしょうか?
>>389 大田区でなく、品川区。
元公団9000は2編成あっただろ。
392 :
名無し野電車区:2007/03/28(水) 07:59:08 ID:I/AihIbN
ご指摘の通りです。失礼しました。
393 :
名無し野電車区:2007/03/28(水) 10:01:46 ID:xD4s8r8I
馬堀海岸の情報お願いします
394 :
名無し野電車区:2007/03/28(水) 22:01:38 ID:I/AihIbN
>>393 私のものについては、馬堀海岸は、
>>70に書いてあります。
他に何方か別の目線で何か気になった事、書き込んでいただれけばと思います。
395 :
名無し野電車区:2007/03/29(木) 01:57:53 ID:jydvq7er
>>394 ご丁寧にありがとうございましたm(_ _)m
今度行ってみます!
396 :
名無し野電車区:2007/03/29(木) 20:03:25 ID:vmvf8FXB
良スレage
397 :
名無し野電車区:2007/03/29(木) 21:24:59 ID:vhbwmb4A
京急の歴史は前身の大師電気鉄道が明治32年1月、六郷橋−大師間の開業で始まった。京急では一番歴史の古いこの大師線
川崎大師駅。今は正月の初詣参拝者数全国トップ3に毎年名を列ねるこの川崎大師への文字通りの玄関口になっている。
多くの乗降客にも対応できるようホームは広めだ。通常は上り線側の駅舎へは中程の地下道で結ばれているが、正月には小島
新田方のスロープからふだんは閉鎖している踏切を使って乗客を捌いている。
駅を出ると右側は工場や倉庫、住宅が広がる殺風景な風景だが、反対の左側は道路を隔てて大師への参道の入口があり、いき
なりいろいろなお店が目に入ってきて、それを見るだけで自然と足が向いてしまう。
平日にもかかわらず多くの参拝客が訪れていて、参道の両側に連なるいろいろなお店はどこも人が群がっていた。そんなお店
を冷やかすだけでもワクワクして楽しい。川崎大師名物の「くず餅」を始め、煎餅、駄菓子、カステラ、漬け物などお店はい
ろいろだ。その中の煎餅屋では「濡れ煎」が意外に大きなスペースを占めているように感じる。これは最近の流行りのせいか。
定番の醤油味からゴマなど数種類置いてあり、どれも1枚買いができるので、多くの味を楽しもうという人には嬉しいものだ。
私もそういう趣向の人間なので、その種類のいくつかを1枚ずつ買って試食してみたが、「ソース濡れ煎」だけは個人的に口
に合わなかった。やっぱり煎餅は醤油が一番と改めて思う。
398 :
名無し野電車区:2007/03/29(木) 21:25:33 ID:vhbwmb4A
参道をブラブラ歩いているうちに川崎大師の境内を囲う塀が見えて、回り込むように参道から境内の正面に入る。途端に小気
味よいリズムで名物の飴を切る音が辺りに響き、一気にテンションが上がるようだ。単に「飴を包丁で切る」という動作に踊
るようなアクションを加え、アレグロのリズムで切っていくパフォーマンスは見ていて飽きる事はない。まだ柔らかいそんな
飴をなめながら、おばちゃんやおっちゃん、中には若いお姉ちゃんの威勢の良い呼び込みの声も活気があっていい。
ところで、この参道に意外に多いのが日本蕎麦屋。“そこら中に”という感じで参道や境内正門前などに多く目につく。その
中のいくつかの店の暖簾をくぐってみたが、どこも私好みの濃い口醤油味の汁と腰のあるそばは外れがないという感じだ。そ
れが目当てで数回続けて足を運んだけれど、その全てを試すにはまだ程遠い。また、私の好きな「稲庭うどん」の店もあり、
そのうどんに、これもその中で一番好きな製麺店のものを使っていたのを知って驚いた。咽越し最高の稲庭うどんの最高の店
だと思っているこの店のうどんをここで味わえるとは思わなかった。私のような“麺食い人”にはこの川崎大師はとても魅力
的なエリアと思っている。
でも、お土産はやっぱり川崎大師名物の「くず餅」。鶴見に住んでいた頃、親父がよくこのくず餅をお土産に買って来た。今、
それを食べていた私がそのくず餅を買って帰るようになった。
399 :
名無し野電車区:2007/03/30(金) 20:01:11 ID:qfnO89U4
横浜駅を出て最初の退避設備のある駅が南太田駅。ここに退避設備が出来たのは比較的最近のことで、それまでは神奈川新町−
上大岡に退避設備がなく、運転上のネックになっていた。この南太田駅に退避設備を設けたため、スピードアップと各駅停車の
増発が可能になり、輸送力の増強にずいぶん貢献しているように感じる。
階段を降りると目の前を桜木町−戸塚を結ぶ幹線道路が交差している。駅前というのか、駅舎を出た所の周囲に食堂や喫茶店が
いくつか固まっているくらいで特別何もない。
南太田駅の下をくぐった道を100mほど桜木町寄りに歩くと「ドンドン商店街」の入口がある。電車の窓からも「DONDON」と
いう立派なアーチが建っているのが見えていたので、それなりの“期待”を持って角を曲がった。ところが、一歩その商店街に
足を踏み入れて驚いた。大して広くもない道の両側に賑やかな商店が連なっていると思っていたのが見事に覆され、道の両側に
続くのは、シャッターを閉めて相当日数が経ったような商店、既に看板も取り外されてサビ放題になっている雨戸や軒、商店に
変わって建て替えられた新しい住宅や会社事務所が目につくばかり。その中にポツン、ポツンと青果店、クリーニング、食堂、
花屋が店を開けているだけたった。
「ドンドン商店街」といえば、横浜ではちょとした名の知れた商店街だったはずで、その名の通り賑やかなイメージがあったと
思ったのだが、現実は予想していなかったほど廃れていた。商店街を照らしているはずの洒落た街路灯がやけに空しい。 緩い登
り坂をしばらく登っても、結局それ以上は何もなかった。“ドンドン廃れている”…って、これが現実なんだろうか。
400 :
名無し野電車区:2007/03/30(金) 20:01:50 ID:qfnO89U4
気を取り直して道路を渡り大岡川岸に足を向ける。満開宣言も出た桜は今が満開! これを観ずして帰る訳には行かない。大岡
川沿いに植えられた桜並木は日ノ出町駅から南太田駅まで、しばらくの間車窓を楽しませてくれる。その素晴らしさは誰もが認
める所だ。その桜並木を今日はポカポカ陽気に誘われて歩いてみた。
川に沿って整然と植えられた桜の木はほとんどが満開、でも中には蕾が多い木もあったりして、まだまだ“これから”という感
じだ。平日の今日は、悠々自適の生活をする老夫婦が連れ立ってのんびり散歩を楽しむ風景があちこちで見られ、満開の桜の木
を愛ねでながらにこやかに会話を交わしていたり、自慢のカメラ片手にこの風景を撮影して歩いている人など、それぞれがゆっ
たりとした感じで花見を楽しんでいた。そういえば今日は金曜日、夜桜を楽しみながらの宴会の場所取りがありそうなものだが、
意外にそのような場所取のブルーシートはどこにもなかった。ここでは花見の宴会が禁止されているのかも知れない。まあ、遊
歩道は狭いし、住宅が密集しているからそれも当然か。でも、夜桜を楽しめるように提灯が吊り下げられていて、今夜はそんな
花見を楽しむ人が多くやってくるのだろう。
時間の関係で花見は黄金町で切り上げ、帰りの車窓からその桜並木を改めて眺めた。でも、率直な感想として、川岸を歩きなが
ら観た桜ももちろん素晴らしかったが、京急の車窓から眺めた桜並木の方がなぜかきれいに思えた。なぜなんだかはっきり分ら
ないのだが、電車から観る方がやっぱりきれいだ。その理由があるとすれば、一見見事な桜並木のようであっても、歩いてみる
と意外に木と木の間が開いているような感じがする。電車から観るとその感覚が狭まって、また枝が絡まっているからより美し
く繋がって見えるからなのかも知れない。
いずれにせよ、日本は「桜」の季節が一番美しい感じがする。これからしばらくの間は居眠りなどしないで、外を眺めてみよう。
401 :
名無し野電車区:2007/04/01(日) 08:36:05 ID:7jlyOrfL
沿線は桜満開!
桜の花の色と京急電車の色は景色に良くマッチしますね。
桜の花と京急と、うまく絡めて写真が撮れるところでお奨めはどこでしょうか?
漏れ、京急のことあまり詳しくないけど、京急富岡駅の北側のエリアは有名なようだよ。
トンネルの南側ね。
あと京急田浦駅の周辺もそういう場所があったと思う。
金沢八景の上りホームだと普通が止まるから桜とセットで楽々撮影
404 :
名無し野電車区:2007/04/02(月) 07:38:21 ID:2Ug9PQ9N
堀ノ内の駅の上りホーム品川寄りにも大きな桜があります。
こちらの方が線路にも近いですね。
405 :
名無し野電車区:2007/04/03(火) 21:36:26 ID:Rqeqyaxo
横浜市の南端にあるのが金沢区である。この金沢区を通る鉄道は京急と金沢シーサイドラインしかない。その京急が金沢区に
入って最初の停車駅が京急富岡駅。上り線側のみ退避線が備えられているが、ここを使っているのは主に平日の朝だけのよう
だ。でも、たまに回送列車や試運転列車、時には“デト”が快特を退避していたりすることもあったりする。
階段を降りて改札を出ると東口と西口に分かれているが、東口の方がメインになっていて、京急ストアをはじめとして大して
広くもない道の両側にパラパラとお店や銀行が並んでいる。時間潰しに入った駅前の喫茶店は昔ながらの風情があったが、昨
今はともすればテレビゲームがまだ置いてありそうな、こんな喫茶店が急速に消えているような気がする。
この道を少し歩けば国道16号線に出る。昔は金沢、横須賀方面へ向かう道路は杉田から先この1本の道路しかなかったので、
この富岡付近は金沢文庫を頭に慢性的な渋滞が続く難所でもあった。
更にもっと昔はこの辺りまでが海岸だったというが、さすがに私でもその記憶は残っていない。しかし、この国道から海側は
いかにも埋め立て地に出現したというような新興住宅地が広がり、金沢シーサイドラインの並木中央駅へも歩いて15分程で
行くことができる。ただ、駅周囲は丘陵地帯で、山肌にへばりついたり崖を切り崩して建てられた高層マンションも数多く建
っている。
406 :
名無し野電車区:2007/04/03(火) 21:36:57 ID:Rqeqyaxo
一方、コンクリート剥き出しのような素っ気無い西口側に出ると、背後の丘から下ってくる道に出る。文庫側の坂の途中には
バスの回転場があり、ここから富岡の住宅街を回って氷取沢や金沢文庫駅をつなぐバスが出ている。出口から少し離れている
が、駅前が狭くバスが入れないために急坂の途中で最小限の平地を造って、何とかそのスペースを生み出したという感じだ。
見ていると、ここのバスは大きく車体を揺さぶり、傾かせながら窮屈そうに出入りしているように見えた。
このバスに乗って金沢文庫駅まで向かってみたが、丘陵地の山の中を整地して大きな住宅街を形成したため、そこを巡る道路
は至る所坂ばっかりで、それも結構な急坂が多い。家が階段状に並ぶ景色があちこちで見られる。駅の周辺で見られる以上に
奥が広く、この京急富岡駅の利用客も意外に多い。でも、昼間は乗降客もそれ程多くなく、駅前もバス停にもそれ程人の姿は
多くない。ベッドタウンにあるの典型的な駅というような感じがするのが京急富岡駅である。
407 :
名無し野電車区:2007/04/04(水) 21:42:00 ID:zaeBWZQk
あと残り何駅?
2/3はいったかな。
408 :
名無し野電車区:2007/04/05(木) 16:35:31 ID:5TZUuRPO
横浜?
あと平沼と出村
410 :
名無し野電車区:2007/04/06(金) 00:23:59 ID:C7dYwtLu
昨今の京急の最重要戦略として位置付けられている羽田空港のアクセス輸送。その象徴が立派な羽田空港駅である。
日本を代表する大空港ターミナルのアクセス輸送の要として、都心、そして横浜方面からの利便をテーマに逐次輸送
力増強と便利さを際立たせて来たのが今の空港線だ。長閑な昔の空港線からは及びもつかない風景で、京急蒲田駅付
近の高架化工事とあいまって、著しい変化を今も続けている。
その新しい羽田空港はご存じの通り始めは第1ターミナルのみでの開業になった。この開業初日の三浦海岸発羽田空
港行きの始発電車に乗った事がある。当時横浜側から直通の羽田空港行きは上り特急の始発ともう1本だけだったと
思ったが、京急蒲田に到着後、品川方の渡り線の先まで行って折返して来る特殊な運用をしていた。ホーム上で折返
すのではなく、本線上で停車して折返すというユニークな運転扱いに結構わくわくしたものだ。記念に硬券の記念券
が配られたと記憶している。
当時は第1ターミナルのみの開業だったから着くと出口は後ろだけ、前の方に乗っていれば大きな荷物を持って改札
を抜けるまでが一苦労だった。それを知ってか、乗客は後ろ寄りに偏ってしまうので、編成の前後の利用客に大きく
差が出ていたのがいつものパターンだった。
当時の私は仕事場から東京モノレールの方が近く、また羽田空港でのチェックインカウンターまでもその方が近かっ
たし、割合東京モノレールが便利だったので、個人的にはもっぱらこちらがメインだった。
411 :
名無し野電車区:2007/04/06(金) 00:24:31 ID:C7dYwtLu
一方、第2旅客ターミナルが開港した初日も空港へ“1番乗り”した。当時宇都宮にいて、その始発で羽田空港に着
いたのは明け方6時少し前。電車も高速バスもまだ着いていなかった時間に着いたので、新しい第2旅客ターミナル
の式典を観察してから、無料で配られた絵葉書と記念のパスネットを購入して帰路についた。また、乗客が偏ってい
たのが日が経つにつれ、平均的な感じに見えたのは気のせいか…。この時から横浜方面からの直通が増え、渡り線を
設けての“本線折返し”は消えた。
その朝1番の始発電車は、開業当時から2100形が唯一空港線に入る事ができるダイヤがこの始発電車のダイヤで、
京急蒲田で椅子の転換もせず、仕方なく後ろ向きに去ってゆく景色は異色ではある。
羽田空港駅は特に駅そのものはそれ程特徴的とはあまり言えない。路線図上では終端駅だはあるけれど、この先日本
全国に旅立つ際の、まさに「途中下車」するのが羽田空港駅である。
412 :
名無し野電車区:2007/04/06(金) 00:59:36 ID:VbfkSA/A
今度のちんちんぶらりKQ
413 :
名無し野電車区:2007/04/07(土) 01:54:44 ID:I+se5O/1
良スレage
414 :
名無し野電車区: