そろそろ22時を回り繁華街の人通りも少なく、終電も迫ってきたので席をはずし東京駅の新幹線乗り場へと向かった
コンコースの照明は薄暗いがホームレスの溜まり場であった通路は昨年に全て閉鎖され
出口は1箇所だけに縮小されたので悲しいほどのだだ広さは感じられない
ホームに上がると22時24分の越後湯沢行き最終を待つ人が数名
沿線住民の急激な高齢化と減少に加え3年前に往復24車線の新関越道が開通してさらにJAノLがシャトル便を始め、
以来当線の利用者も激減し、列車本数も大幅に削減され、利用者がゼロに等しくなった駅は廃止された
やがて5分遅れて電車が入線。16両分あるホームに3連はやはり不釣合いだ
転換クロスシートに身を沈めて窓外に目をやる
首都高を潜りほどなく浮かび上がる不気味なシルエットは完成前に放棄された東北縦貫線の残骸
荒れ果てた上野で乗り降りはゼロで3両で15人余りの乗客を乗せた電車は日暮里から地上に出る
160kmくらいは出してるだろうが並行するバイパスの車は200kmを軽く越える流れでわが列車を追い抜いていく
地上に出ても目に付くのは廃ビル、廃マンションの類ばかり。あれは10年前に無人化した新都心かと思えば頭上を第二東北道の高架が跨ぐ
大宮で客の大半は下車し、残るは私を含めて3人
熊谷の廃駅跡を過ぎて、既に照明を落とした本庄早稲田を通過すれば
左には廃車置場である、たった数年しか使われなかったE5系もある
かつては毎朝始発列車を待つ人で殺気立った雰囲気さえあったと聞く上りホームは崩れかかっている
ここから先の乗客は私一人で列車はまでの48kmを走る
上毛高原で最後の1人を降ろした列車は越後湯沢へと走り去る
この駅も無人化されて久しく、改札口すら跡形もない
ホームから降り、階段の下の自室に向かった