>>574 やまびこが廃止されたのは1982年で、新幹線大宮開業と同時ね。
で、「やまびこ=下り一番特急」って誰も書いてない気がするんですけど。。
訂正
×「やまびこ=下り一番特急」って誰も書いてない気がするんですけど。。
じゃなくて、「○○(やまびこ以外)=下り一番特急」って誰も(ry
577 :
名無し野電車区:2005/12/23(金) 20:44:32 ID:rUoySBAF
ここまで全部完璧に見る暇はないのですが、まだ登場していない名前で乗ったことがあるのは
『そうま』『千秋』
そうまは仙台−上野(原ノ町経由)の3往復。
その後2往復はもりおかになったが1往復は残ったがディーゼルのままだった。
そのころ、平⇒仙台のディーゼル4両各停(1両はグリーン)があったが、ある日
急行そうまの脇の小看板をつけたまま走っていて名取でおねえさんが
『これは急行なのですか?』と車掌に確認してから乗ってきた。時間的にそうまの
間合い使用で納得?。
千秋には1回乗っただけ(仙台7時25?分秋田行き=鳴子・湯沢経由)。十文字で
下車しました。もがみ(最上?)が一緒でしたが、新庄で分割されたとき
『最上号は分割後扉を閉めて、陸羽西線のホームへ移動します』と車内放送されていた
記憶があります。到着後まず客を降ろして、別のホームへ移動して客を乗せていたの
だと思います。
そういえば一緒に乗っていた母親が『なんで仙秋じゃないんだべ』と言っていたなあ。
このスレによく登場する速達タイプの急行くりこまに2度乗りました。
1回目は北海道行きの修学旅行の初っ端、仙台7時発。青森まで乗り通しました。指定は
当然のごとく、1号車の1−Aから埋めてありました。
2回目は遠野への個人旅行の帰り、花巻−仙台。
石越かどこかで急行たざわを追い抜いたのだと思います。仙台着が21時20分?。
21時25分発車の福島行(普通)に飛び乗りました。その福島行き電車は、福島から
急行あずまに変身するのでそれで東京(当時某大学生)に帰りました。
幼稚園くらいの時、住んでいた亘理を朝5時すぎの通過する急行(十和田かなあ?)
がたぶん、ダイヤ上すれ違いの停車をしていたのでしょうが、母親が駅長と知り合い
だったおかげか、土浦へ行くのに乗車した記憶があります。『土浦の次は終点の上野です』の
アナウンスのすぐ後に降りるのが子供心にさびしかったです。
今東北路で優等の心が残ってるのはつがるぐらいだからな
白鳥はコヒだからなんか違うし
57年6月までだと、たしかに下りの始発特急は「やまびこ」だったな。
580 :
名無し野電車区:2005/12/23(金) 22:36:15 ID:eTh/ByrN
>>578 今回のダイヤ改正の「やまびこ・つばさ」の東京00分発の臨時
581 :
名無し野電車区:2005/12/24(土) 01:45:00 ID:oKi39eM3
>>577 『そうま』!! 夜11時近くに上野に着くのがあって、
それは折り返し土浦行き普通になっていたときがありました。
そのうち水戸行きになりました(70年代...)。
7両の短編成でした。20番線をガラガラガラ・・ガガァ〜ンって、ディーゼル機関を
うならせて出発していきました。車掌用ガラス窓から身を乗り出す車掌さんの急行用制服が
印象に残っています。
いなわしろ
583 :
名無し野電車区:2005/12/24(土) 02:07:53 ID:X8LwI+3s
20番線、特に先端部はよく清掃しておけよ!
…と言ってもとうの昔に過去帳入り、南無〜。
584 :
八戸→上野 十和田3号:2005/12/26(月) 20:04:41 ID:JR/FPlLX
八戸線鮫駅発青森行急行「なつどまり」号は青森駅に到着した後は、
どんな列車に生まれ変わるでしょうか。正解は「千秋」号でした。
僕は「なつどまり」号に乗って秋田まで行ったことがあります。
青森駅到着車内放送では「この列車は秋田回り仙台行き千秋号に御乗車になれます。
秋田方面の方は青森駅で降車乗り換えしないでこのまま乗れます」というアナンスだった。
これで席がすいて座れましたよ。
585 :
572:2005/12/26(月) 20:23:27 ID:HXf4x74+
573>
説明サンクス。
よくコリ、フクで見ていたが、そこまでは知らなかった。仙セン車は、片ボン
なので、気に入らなかったよ。そういえば仙セン車のベンチレーターが、赤2号
の塗料がうっすらと霧吹きで吹いたみたいについていたのを、よく見かけたが、
そういうことだったか。
>>585 12号車が200番台や300番台の編成が1編成づつだかあった罠。
しかし12号車が300番台の編成は一回も見た記憶がないんだよな。
200番台はたまーにみたけど。
9両編成の9号車が300番台のやつも見た記憶があるんだけど。。。
仙台の12連485は色々変化があって面白かったかもしれない。
1号車の300番台、G車がAU13、サシがAU12搭載が完全固定だったけど、
モハが全車AU12だったり(これが基本)1ユニットや2ユニットだけAU13だったり483系が入ってたりと。
そして12号車が宝クジみたいなもんで200番台が入った編成を見るとその日はラッキーデー。
実際乗車する日にその編成が当たると当然オレは12号車に乗りたがるが(簡リクだし)、
母は改札が遠くなると理由から8号車や9号車に乗るのだった。
587 :
名無し野電車区:2005/12/27(火) 02:34:55 ID:BZGYVfw0
晩年の181系「とき」運用が昼〜午後にかけて上野へやって来たのが懐かすぅい。
当時は初心者だったヤング撮り鉄にとって鶯谷&上野5番線は順光でグーだった。
>>586 仙台にもたった一両だけだけどAU13のサシいたよ。
589 :
名無し野電車区:2005/12/27(火) 20:53:31 ID:UWvIG3eh
20系の「おが」ってどういう編成でしたっけ?
末期は確かナハネフ23が先頭だったのは知っていますが・・・
調べても詳しく出てこないので。
>>589 手持ちの資料に1983年の編成があった。
カヤ21 ナハ21 ナハ21 ナハ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネフ22(ナハネフ23)
>>590 その20系ってあけぼの → 十和田3・4号 → 津軽 → おが
って使われてきたんかな。
592 :
名無し野電車区:2005/12/28(水) 11:41:56 ID:Z4AhLj3x
>>587 「とき」か。
最後の年の一年前ぐらいに乗れた。
非リクライニングの普通車だったがね。
モロ&サシ付きの時代には乗れなかった。
593 :
589:2005/12/28(水) 12:44:28 ID:2ShjonWZ
>>590 情報ありがとうございます。
ナハ21が3両入っていたなんて初めて知りました。
急行ときわの停車駅を知っているお方いらっしゃいますか?
>>594 全列車停車駅は我孫子・土浦・石岡・友部・水戸・常陸多賀・日立・泉・湯本・平
四ツ倉・富岡・浪江・原ノ町・相馬・亘理・岩沼
通過列車もある駅は赤塚・勝田・東海・大甕・高萩・磯原・大津港・勿来・植田・内郷・広野
大野・双葉・大野
596 :
名無し野電車区:2005/12/28(水) 22:42:29 ID:+zN/I3a3
本数、いっぱいあるからねぇ....
では、ひとつ。
ときわ5号 上野⇒相馬
上野19番線9:10 我孫子 土浦 石岡 友部 水戸 勝田 東海 常陸多賀 日立 大津港 植田 泉 湯本 平
四ツ倉 広野 富岡 大野 双葉 浪江 小高 原ノ町 13:45相馬
原ノ町にはその「ときわ」の乗車口案内がホームに残ってるな。
「もりおか」もあったので一括りで急行電車と書いてあるけど。
増結時の11号車用までちゃんとある。
あと「ときわ・もりおか」と編成の違った「そうま」もかすかに残ってるし
「みちのく」もあるし「ひたち12号車」なんかもある。
1番線にある 仙台・青森方面 のホーローの看板と共にノスタルジックな気分にさせてくれる。
どうぞ南相馬駅に改称されませんように。
598 :
名無し野電車区:2006/01/02(月) 00:00:43 ID:861LL2jz
え? 南相馬・・・・
なになに...原町市と鹿島町と小高町が南相馬市だって。
もし原ノ町の名が消えたら、寂しい限り。いわき⇔仙台間が廃止されたような感覚になる。
599 :
名無し野電車区:2006/01/02(月) 10:52:46 ID:EgkiNnMW
煽り目的で書く訳じゃないけど仙台よりも青森の485の方が車体も内部の清掃状態も段違いで上だった実感がある
>>593 改造前だったらロネ4両の超豪華編成でっせ
>>599 仙台と青森では車齢が相当違ったから、ある程度は仕方ないかもね。
青森には485の新製車をどんどん入れていったからね
それだけ東北運用は白鳥含めて過酷だった
青森の485の運用だと
青森→上野→盛岡と盛岡→上野→青森なんつー1300km近いのがあるけど、
仙台や秋田の485だと長くても1000km弱だからね。。
しかし毎日上野青森を往復してた583はすごいな。
昔は夜中でも結構駅弁売ってたね。下り津軽で福島着いた時に駅弁売ってて(しかも立ち売り!)ビックリしたよ。
思わず買ってしまったけど。
ゴハンもオカズも冷え冷えだったのは、真冬だったから無理もないか。
コンビニなんてものがほとんど無かったから、結構売れてたのかもしれない。
604 :
名無し野電車区:2006/01/06(金) 00:10:58 ID:F+WozYF/
保存age
605 :
名無し野気動車区:2006/01/07(土) 12:52:37 ID:YDS+a/UP
私にとっての思い出は、「急行あさひ」です。
盆暮れに米沢の実家に行くのに、指定席が取れないと仙台駅で早くから並んでいました。
新潟にもこれで行きました。米坂線経由5時間半はこれでも仙台〜新潟最速で、結構乗客が乗っていました。
新潟の1/4号は作並で毎晩おねんね、2/3号は急行陸中〜宮古から普通で盛岡のねぐらという広域運用。
急行仙山には速度で負けるが、面白山目指してエンジンがうなるさまは、いまでも耳に残っています。
いまじゃ、かつての急行あがのと同じルートを高速バスが4時間・6往復。
そのバスも、盛況・・・まさに、隔世の感であります。
>>605 仙台で何気に自由席の行列長かったな・・・あさひ3号
たしか16時何分かに6番線発。仙台に行った時は5番線からその行列眺めてました。
5両編成でうち1両だけ指定だっけかな?
607 :
名無し野気動車区:2006/01/08(日) 12:10:11 ID:cwyj+Q13
>>606 16時20分台(26?28?)の発車だったと思います。(その向かいの7番線には16:36発急行
いなわしろ+いわき:喜多方・只見(冬季=会津川口)・会津田島・平行(平から普通水戸
行だったような記憶:田島行だったかはキハ52だった。ひときわにぎわっていた6・7番線)
指定席は5両のうちの1両で、上野方に連結されていたと思います)
急行月山(酒田行・3両)も併結で、山形駅では、急行月山から急行もがみ米沢行と併結
相手を変えるための構内転線があり、17:58〜18:17までの長時間停留でした。
いまから思えば、すごいダイナミックな時代でしたね。このへん、みんな覚えてます。
>>607 仙台発の東北DC急行はみんヤリマン・ヤリチンでしたな。
連結相手を取っ替え引っ替え・・・
終始童貞・処女を守ってたのは「あがの」位かな?
609 :
名無し野電車区:2006/01/09(月) 10:24:32 ID:eoE3Iiab
上野発DC急行
三陸 13番線7:00 青森・盛・久慈行き
第1みちのく 8番線7:40 弘前・宮古・鳴子行き
編成表見るとどちらも11連。すごいですね。
第1みちのくの到着と発車を停車駅の向かいホームで見たことがあります。
風切り音を立てて、通過列車かと思うほどの速度で駅に進入してきます。
停車と同時にけたたましくホームのベルが鳴り、まもなく発車ですのアナウンス。
ベルが鳴りやみ、一瞬の静寂。駅員のホイッスルがピーって響き、やや間があって、
ぷわぁ〜ん、って列車からの発車合図。
そしてガラガラガラン んガら〜んって、11両の機関が一斉にうなり、排気が一気に吹き上がる。
んがー〜ん、んがー〜ん、んがーん、んがー、んがー、がー、がー、がー〜〜〜
んごー〜〜〜って、目の前を通り過ぎていく。次はぁ、みとーっ 次はぁみとーっ、次はぁみとーっ
列車の姿がかなり小さくなっても、まだ排気煙が真っ直ぐに上がっていた。
57.11までは、[いいで|ざおう]、[ときわ|奥久慈]、[出羽]が
12連で上野を出ていたんですね。
610 :
八戸→上野 十和田3号:2006/01/09(月) 12:08:16 ID:T/imCYO0
上野発夜行列車のうち、オシ24やオシ14連結の列車はなかったね。
>>610 運転距離が比較的短かったんで、列車の速度がさほど速くなかった20系時代で食堂車は終了でしたな。
十和田もあったけど、例のアレで。。。
583のサシって結局夜行では営業されたことなかったね
>>613 ゆうづる1号なんかは発車時間が早く、青森到着が異様に早かったんで
寝る時間少ないからオールナイト営業してもそれなりに客がいたかもしれなかった・・・かも?
「はつかり・みちのく」なんかだと2食世話になる人がいたかもね。
615 :
名無し野電車区:2006/01/10(火) 23:24:43 ID:tU4OSMm9
寝台車というものに乗りたくって、仙台の実家帰るのにバイト代で
寝台特急ゆうづる5号のB寝台に乗りました。昭和62年。
確か、上野23:30発→5:14仙台。消費税まだなかったから、寝台料金6,000円。
うれしくて、結局、一睡もできませんでした。
社会人になってから若いころは会社の出張であちこち寝台特急よく乗りました。
ウチの会社、そんなときは宿泊手当の代わりに車船中泊手当3,300が出ました。
仙台の会社なので、寝台急行新星時代の出張手当制度がいまだに残っているのです。
>>613 再初期の「月光仮面」で営業していませんでしたっけ?
617 :
八戸→上野 十和田3号:2006/01/11(水) 19:13:28 ID:9Zm08++V
金帯ブルートレイン「はくつる」に「博多あさかぜ」の編成投入だったら、
レトロのオシ24−700代連結して欲しかったね。
昭和43年かな急行「十和田」食堂車に乗りましたけど、あれはオシ16かな。
生まれ初めて食べたのは、この急行「十和田」。カレーライス180円!
マジレス
はくつるの運転時間帯だと夕食後に乗って朝食前に降りるからね
上りにただ1度乗ったときは利根川渡るあたりからカーテン全開で着替え始めた
通過駅のホームに通勤通学客が並んでたな
619 :
名無し野電車区:2006/01/11(水) 21:32:41 ID:DPb+cJwJ
最初期は食堂営業しているはず
RJの「リバイバル列車追跡」で読んだ
620 :
名無し野電車区:2006/01/11(水) 21:42:57 ID:GbN8pkMw
急行 おが
って、なんで気動車だったのだろう〜
まぁ客車もあったけど、なんで電車ではなかったのですか?
>>620 ああ、架線下DCね。
ホント多かったよ当時は。
長崎・佐世保線とか、紀勢本線も電化当初は気動車急行多かったし。
国鉄は財政難だったので457系電車を新造する金銭的余裕もなく、
他方急行型DCを大挙して転属する路線も見つからなかったってことっつ。
>>621 車両不足で、ってことは無かったのかな<架線下DC
623 :
八戸→上野 十和田3号:2006/01/12(木) 19:57:20 ID:fQemC6/K
秋田らしい車両かも。架線下DCは、秋田地方にとってなくてはならない存在。
「むつ」「しもきた」「おが」「しらゆき」・・・。
冬期でも、車内は熱くて寒い感じはなかった。だから、キハ58は秋田の顔でしょう?
624 :
八戸→上野 十和田3号:
秋田のキハ58を見ると息を飲む。秋田のキハ58のこと「なまはげ」と呼ぶ