野上に行った1形で阪神の車体にのせ変えられた奴は、
その時点で1形としての生涯?(車歴?)は終了したと見るべきなんだろうか。
下回りは野上入線時に取り替えられてるわけだし。
455 :
名無し野電車区:05/02/27 14:59:56 ID:qTzYj/ew
>>454 そこが車歴の難しいところ。JRでいうと、103-3000の立場だけど
107系が新車 413が中古 って感じ訳わからなさで車歴は引継
>>454 そこで終わらせないでもいいのが近江1形みたいな怪物の産まれる由縁
まぁそれを言っちゃ、
台車振り替え、電動機交換、制御器交換、ブレーキ電気指令化(もっと昔だと手動→空気ブレーキ化)、車体載せ替え
を全て違う時にやったら、どこでも線引きできないが、いつかは明らかに違う車になってる罠
457 :
名無し野電車区:05/02/28 04:43:59 ID:SAsCAMyT
>>456 京阪600や京阪700も、車体乗せ替えされた車体の
それも骨組みだけ再利用の車両だったかと
元々、阪急だった香具師も混ざっていたかも、
車体載せ替え+台車・機器交換すると原形の車両の名残は殆ど全て失われてしまい
ますな。103-3000や123系は一番最初の銘板を付けて走っていますけど(昭和29年
とか37年とかゲタ電や101系での登場時のもの)。ただし彼らは台枠も流用してい
ますな。個人的には車体を丸々載せ替えたものよりもこっちの方が萌える。
前に質問したけど、920系の例の10両は部品なんて名義貸しでしょ?
戦争で焼けた車両とか、成田電軌から来た4輪の路面電車から920系に活用
できる部品なんてないだろうし(ネジとかならあるかも知れんけど)。
↑の2段落目の1行目・・・「部品流用ではなく名義貸し」に書き換え。
>>457 京阪600系、700系は車体は完全に新製でしょ?昔の骨組みなどは活用していないし、
種車も600系は日本で初めて「ロマンスカー」を名乗った600形、700形および2代目
貴賓車の16号、700系は流線型の1000形一族や60形「びわこ」号ですので、阪急や
新京阪の車両は関係していないと思います。
旧600・700形・16号(41両)→車体載せ替え→600系(51両)
1650形 (昭和32年製・10両)・・・・・・・・・↑
旧1000形一族(40両)・・・・・→車体載せ替え→700系(44両)
60形・びわこ号(4両分の台車)・・→車体載せ替え・・↑
で、700系のうち42両の下回りを入れ替えて冷房化の上で1000系化。残りの2両は
600系に編入(53両に)。1000系は平成になってから更に更新工事を受けましたが、
600系は車体が頑丈でなかったことなどを理由に昇圧前に廃車され、うち14両の車体が
1800系の下回りと組みあわされましたが、これも平成元年に廃車され絶滅しています。
短い車両は20年未満のやつもいたかと思います。
結局書類上ならいくらでも延長できるわけで
大正年間に木造車として製造
↓
鋼体化
↓
下回りを大型車のものに振替
↓
車体老朽化により全金属車体に交換
↓
下回りを新性能化
↓
鋼製車体老朽化によりステンレス車体に交換
↓
制御器をVVVF化、誘導電動機に交換
でも形式は1形のままw
461 :
名無し野電車区:05/02/28 20:47:37 ID:mWMimfjG
>>459 スレ違いだが、おけいはん600系、700系は260、350、500の車体を利用。
運転台と逆側の連結面にかすかに面影がある。
462 :
名無し野電車区:05/02/28 21:41:16 ID:pCJH/qE+
本線の車両の話と京津線の車両の話がごっちゃになってるな
463 :
名無し野電車区:05/02/28 22:38:17 ID:3YBYrLDA
>>454 書類上は車体流用扱い(元々居た車両の車体乗替)で、阪急の車籍は
引き継いでいませんでした。車内の製造銘板には、大正3年製造と
書かれていた筈です。
464 :
459:05/03/01 06:23:02 ID:UP8N8TfV
>>462 その通りです。ごっちゃになってすみません。
俺も確認すりゃ良かった。
>>461 大津線の600・700の話をして下さってどうも。
1形や51系のうち5両は足回りがたらい回しの上610系になっていて
(610系は各車両とも旧番号を持っている)、車体については野上や
南海貴志川線に入線してますね。これも「車体流用扱い」なんでしょう。
昨日書いた「京阪600の車体+1800系の足回り=新1800系」の
ように、足回りの方が(性能のことなどもあって)形式の名称に影響する
ようですね。JR415系なんか鋼鉄とステンレスで全然車体が違うのに
同じ形式ですから。
だったらチョッパとVVVFを同一形式にしている東京メトロなんかはどうなるのだと小一時間ry
阪急にも試作ながらC#7310がいるし。
更新後も更新前の形式を名乗る場合は、車体よりも機械の形式が受け継がれることが多い
かもしれないな。もっとも車体と機器類が二手に分かれるケースはあまり多くないと思う
けど、車体更新して後に機器の入れ替えをする場合は、機器の入れ替えの時に形式変更す
る場合が多いと思う。
>>466 チョッパとVVVFは同一形式にしてるのは共通運用が出来るからじゃないのか?
さすがに釣り掛けとカルダンを同一形式にするわけにはいかんだろうな。
結局運用上どこまで許容できるかによるんだと思う。
>>467 機器入れ替えで形式変更するのが多い理由は運用上の問題なんだろうけど、
車体更新の一つの目的は利用者に錯覚させることにあるから、
その時点で形式変更したほうがだましやすいと言うメリットもある。
阪急1200とか名鉄7300とか。(もっとも釣り掛け音ですぐばれるんだが)
ところで、機器流用で新造扱いにした場合と、改造名義で車体更新にした場合とでは
どちらが税法上有利になるんでしょうね?
新造の場合は毎年償却していくんだろうけど、改造名義の場合は単年度で
一括して修繕費として償却したり出来るんだろうか?
阪急の載せ替え車が登場したのは昭和20年代後半から30年代前半に
かけて。戦後復興〜もはや戦後ではないと言われた時代で、農漁村
から大勢の人が押し寄せ、大都市の人口は見る見るうちに増えた時代。
この時代の更新は、木造で車体が小さい車両や余剰の貨車の部品を
活用して、新たなしかも出来るだけ大きな車体を作って、少しでも
輸送力を上げるためのもので、今の更新とは意味合いが違っている
だろう。デザインが新しいとか古いとか言ってる場合じゃなかった
だろう。まだまだ食うのが精一杯の時代だったから。
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| ノ\ ヽ |
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| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
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30年代前半って食うのが精一杯の時期だったんですか?
鉄道車両のデザイン・構造はこの時期ドラスティックに変わってるけど、
そんなものは誰も気にしていなかったと?
>>471 そんなもんまだ貧しい発展途上の時代だよ。考えろよ!
阪急の場合、車体デザインを大きく2つに分けるとするとすれば、
1000系列以前と昭和35年の2000系以降に分けることが出来る。
1000系列の車体は、少し前にも出ているけど、一般人どころかヲタが
見ても(デザインは過去の流れを汲むものだから)、旧型車だと思いがちで、
結局のところ目に見えない構造が変わってもなんとも思われない。
国鉄で101系などが出始めていたけど、通勤電車の多くは茶色いゲタ電で
長距離は多くが蒸機が牽引する茶色い客車。全体から見ればごく一部でのみ
運用されていた車両についてなど、誰も興味の対象にはならんだろう。
ビジネス特急「こだま」の20系(当時)や走るホテルの「あさかぜ」の
20系は花形特急なので別格であるとしても。
そうかねえ。
>>469の認識はちょっと違うと思うけどな。戦争直後と
昭和30年代前半をごっちゃにしてるようだが。
30年代前半って戦後の混乱期から脱して、ようやく貧乏ではあるが
落ち着いてきた時代、と言う感じなんだろうか。
この時期、各私鉄の高性能車第一陣が出そろいますね。しかも派手な塗色と相まって、
ずいぶんと鉄道にも新しい風が吹いてきたな、という印象は強かったのではないでしょうか。
(在来車が全て茶色や濃い色の旧型車の中では)
そんななかで阪急はこの時期、従来車の延長である1010や1100ですから
やや地味な印象を与えており、1200や1600もそういう中で生まれていますが、
あまり新味という点では効果がなかったかも知れません。
ただ、1200や1600は余剰機器の再利用による手っ取り早い輸送力増強という
意味合いが強いので、もう少し後で各社で盛んになる新製車体乗せ変え群
とはやや異なる気もします。
610系(昭和28〜31年製)、210系(昭和31年製)モナー。
あと
>>438に加えるとするならば、半鋼車から全金属車への変化もあるだろう。
半鋼で作られたものは改造で全鋼になり、新車は全鋼で作られるようになった。
昭和26年の桜木町事件で防火対策に本腰が入れられ、特に国電では戦時設計で配線
なども露出した構造で車体の構造もあまり強くはなかった63形に抜本的な工事が
施されていったと思う。押し入れの奥にいれてあるのですぐに出せないのだけど、
主なもので10項目くらい改善点があった。この工事でしっかりした車両になった
ために、富山港線や可部線などで昭和50年代末期まで走ることになったんじゃな
いかと思う(元から72系として作られた車両よりも長く)。
477 :
名無し野電車区:05/03/05 00:43:51 ID:D9mjxLwI
3月3日は、810系のさよなら運転が行われて、阪急から吊り掛け車が
全廃されて丁度20年でした。あの日、園田から十三、高槻市に嵐山
と、820Fを追跡しながら写真を撮った事が、ついこの前の様な気が
します。
しかし、もう20年も経ったんですね・・・
阪急のツリカケ車の最後だったですな。
更新工事などを受けていた関係で1200系
よりも後まで生き延びました。
昭和50年代中頃に嵐山駅で撮った1656の写真があるのだけど
この車両は昭和36年製で、実は2301Fより後輩だったりする。
でも22年ほど前に廃車、2301は今も現役。
古いデザインと古い駆動方式だったから仕方ないか・・。
2000・2300系登場後も製造が続いたツリカケ車は1600系
だけだったかなあ。1600系は台車は新製だからTcは実質的に
完全なる新製車だと思うし、電圧を除けば1017形とほとんど同じ
じゃないかと思うんですが...(モーターなしなのでツリカケも
カルダンも関係ないでしょう)。
>>478 1600が新性能化+冷房化されてれば、京阪1810(>1900)の如く
生き延びてた可能性もあったわけですね。更には、阪急の新車投入が
ストップする1990年代後半を生き延びていれば今なおも……。
以上、妄想でスマソ。
>>479 私もよく妄想しますよ!
810や800.920があと10年ちょい生き延びていれば..と。
しかし、810系は更新後10年経たずに全廃されてますが、
これは7000系増備までの間、急場しのぎの更新であったと
いう解釈でよいのでしょうか?
>>479 まぁ、90年前後に阪急からは1000系列以前の電車が、能勢からは1000系は
残ったものの610系が去り、その時点でデザイン的に古い連中や
>>429が
まとめているような旧電車がいなくなったので、それ以前のように急いで
新車を投入する必要性自体がなくなったとも言えると思うんですけどね。
冷房化の要求が高まりつつあった時代は、冷房を載せると重くなりすぎてし
まう(更に構造もややこしくなる)ので810系辺りは廃車を免れなかったでしょう。
新系列での廃車は、2000・2100系は実質能勢の小型ツリカケ車を置き換
えるための転出だったと言えるし、2800・5200系は冷房その他、悪条件が
重なっての比較的短命での廃車だった。
山陽の3000系列に阪急の1000系列に似た2000系列が編入されているのを
見たことがあるけど、阪急でも1000系列が2000系列以降に編入されたら
目立っただろうか?8両のうち1両だけ、なおかつ窓枠をアルミサッシに
変更したやつであれば、それほど目立たなかったかも知れない。
編成美を乱すので却下されるかも。
とはいえ
P-6に挟まった1550や、700の間に入った1300→750等から考えると
あながち無いとも言えないんだが。
700系と750形の混合は窓のラインが同じだから(共に上昇窓だから)
それほど目立たなかったかもしれない。100系と1550形は窓のラインが
違いすぎた。
P−6と1550型の場合もよく見るとウィンドヘッダーの高さは揃えてあったりするんだよ。
700型と750型は逆にウィンドシルが揃っている。窓の高さは全然違うけどM−T−Mで
バランスよく編成を組んでいたんでそんなに気にならなかった。
P−6も100−1550−155−100というような編成にすればまだ許せたかも。
ただこれらの車両は内装色が違和感を抱かせなかった。
しかし1000系列と2000系列以降じゃ内装が全く異なるから混結はNGでしょう。
書き間違った。
100−1550−1550−100 が正解な。
>>485 クモハ42がサハ87を2両サンドイッチにした、飯田線にありそうでなかった
編成って趣ですねぇ。国電で喩えて申し訳ないです(笑)。
>>481 >阪急でも1000系列が2000系列以降に編入されたら目立っただろうか?
さぞや目立ったことでしょうね(笑)。でも趣味的には楽しそうな?編成に
なるでしょうが。
そういえば、肝心のツリカケ車でも3桁番号組と1000系列ツリカケの混結って
ありそうでなかったように思います。
487 :
名無し野電車区:05/03/06 01:21:59 ID:KHSVZjHr
1200系と810系の混結があった。
1550との混結は>78に出てるね。確かにウインドヘッダーは揃っているようだ。
1200と810の混結は前のほうでも話題になってたが、宝塚線時代にあったようです。
レイルロードの阪急810に写真があります。
旧型車はどこでもそうだが、スタイルが違ってもお構いなしに混結してますね。
610と600、500と300や1など。
>>484 内装に関しては、1000系列最晩年の冷房化及びアルミサッシ化の際は
2000系以降の明るい色調になりましたね。
489 :
名無し野電車区:05/03/06 23:51:26 ID:0fBCh5/8
>461
京阪500自体260の改造
200→260→500→700
となる。
阪急の場合、阪神のようにつりかけとカルダンが断絶しているわけでもなく、
さりとて名鉄のように混合が進んでいるわけでもない(阪急で言えば6300ボディをP-6に乗せたようなのがあった)のだな。
>>461>>489は京津線500と700の話ですね
阪神は確かにこの手の床下釣り掛け、車体新造というのはありませんでしたね
もっともそれを作るとジェットカー+赤胴のダイヤをくめなかったでしょうが・・・
せいぜい7800のT車にボールドウィン台車を再利用したぐらいですかね
492 :
名無し野電車区:05/03/08 05:19:11 ID:g0LZMXYq
>>490 阪神さんも京阪も、初期カルダンの車体流用はやってはりますな。
京阪2600なんて、登場時、新形式?はぁ?って感じだった。
阪神なら7001→2000、
7801→3000ですか。
494 :
名無し野電車区:05/03/08 20:42:29 ID:yp85uFHH
495 :
名無し野電車区:05/03/08 21:16:50 ID:dKn8hDD3
ジェットカーは台車流用のみ。
P−6エキスポ準急
www.asahi-net.or.jp/~PU7T-KMR/aki827.htm
北急の会場線は最初から道路にするつもりのところに線路を敷いていたから
仕方ないと思うけど、阪急の万国博西口は残しておいてくれた方が万博公園
に行くのに便利だったのになあ。今は山田から(公園の)西口まで歩いてい
くけどちょっと遠い。モノレールで1駅乗ってもいいけど。35年前は西口
駅から陸橋が延びていて直線で会場の西口まで行けたからなあ。
会場のモノレール、近鉄が経営参画していた(?)会場ロープウエイはどこかで
再利用たんかなあ。電気自動車は今でも走ってるが(当時のものではないかも
知れんけど)。動く歩道とかもどうなったんやろ。
×再利用たんかなあ
○再利用されたんかなあ
太陽の塔の目玉の中で籠城したオッサン、今どこで何してるんだろw
会場モノレールはけっこう角張ってでかっこうよかったね。あのまま捨てるには惜しい気がした。
>>496こういう晩年の写真を見ると思うけど、あの幌枠をつけるとP−6も完全に
「阪急顔」になってるな。いまの8000や8300の後期形、9300にそっくりだ。
499 :
名無し野電車区:05/03/09 21:43:01 ID:ULzs2WEd
モノレールのCPは東急3000系に流用されている。山電は機器流用の天国だったなあ。
500 :
名無し野電車区:05/03/09 21:45:34 ID:bd+w8AnM
500
しまった貴賓車番号取られたorz
502 :
8167のミッキーマウス ◆k5C.u56rVM :05/03/11 12:17:43 ID:FZ2nlPRS
>>499 東急3000系に流用ってC1000?(3000系の中で一番近代的なCPがC1000)
固定編成(3500形&3650形)のSIVの方がが流用品っぽいけど…
503 :
名無し野電車区:
>502
おっと、そうだった。スマソ。