名鉄600V線を語ろう4[岐阜市内 揖斐 田神 美濃町]
144 :
国道774号線 :
145 :
国道774号線:04/05/25 19:07 ID:osFxsq2b
これぞまさしく正論。お前らは徳田耕一レベルのアホ
市民運動と困ったマニア達
2004.4.21(水)
最近、どういう訳か市民団体や市民運動に関わる方と会う機会が多い。
市民団体の方々はこういっては失礼だがどちらかというと左よりで、行政や企業をタタキ、市民の
言うことはみな正しいという極めて独善的な方ばかりなのかなぁと思っていたら、意外とそうでは
なく、普通の感性の持ち主が多く、自分の偏見に恥ずかしい思いをすることも少なくない。
もちろん、皆が皆そうではなく、独善的で「お前も賛成しろ」的な言い方で高圧的に独善を押しつ
ける人も珍しくはない。
まちづくりや交通計画の場面ではこういった市民団体の方々との付き合いは大事である。考え方に
相違はあるとしても、「町をよくしたい」という共通理念の下で意見を突き合わせながら議論を進め
ることで、いつかは良案に辿り着く。そこにはお互いの信頼とお互いを平等に見る目線が重要で、
どっちがエライとかどっちがダメという決めつけではなく、互いにきちんと認め合うことで話が進ん
でいくからである。
146 :
国道774号線:04/05/25 19:09 ID:osFxsq2b
市民と行政、企業、様々な団体がそれぞれを認め合い、平等な立場で協働することこそ市民参加の重要なポイントで
あり、日本でもこの視点が広まっていることは好ましいことである。
最近ではこのような方向性をしっかり掲げた市民運動が増え、これまでの「反対」一色から
少しずつ変わってきたのは誠に好ましいことで、今後もこのような形での市民参加が増えていくことを願わずにはいられない。
しかし、これに相反するような動きをする市民団体は当然あるもので、特に困った存在なのが「鉄道マニア」である。
たとえば、環境問題を扱う市民団体は話になる。代替案を含め様々な案を叩いていく中で妥協案は必ず見いだせる。これは
お互いにその認識があるからであり、相手も専門知識が非常に豊富であり、専門家としてお互いにきちんと認め合いながら進めることができる。
ところが、鉄道マニア、いやヲタクという方が正しいかも知れないが、こういう方々の関わ
る市民運動を見ると、嫌になることが多い。
147 :
国道774号線:04/05/25 19:10 ID:osFxsq2b
まず基本的知識の欠如、そして自分は専門知識があるという思い上がり、極めつけは「独善」である。
LRT導入運動などが典型であるが、自分が鉄道が好きであることを正当化するかのごとく、自動車
交通の欠点だけを掲げ、さらに鉄道を敷くことを目的化し、本来交通計画に必要な都市をどうするの
かというマスタープランをも示さない。示しても「車社会からの脱却」あるいは「LRTが走る町」
などという抽象的なものにすぎない。キャッチコピーならまだしも、出てくる提案もそのレベルとい
う痛いものすらある。本来示すべき、「その町に住む市民の生活をどう変え、産業をどう誘導し、そ
のために市街地では○○をし、郊外では〜する」というものが無いケースも珍しくない。
さらに、当然起こりうる批判に対し、真っ当に返答をせず、単に「鉄道嫌い」「町や鉄道に愛着がな
いから」などというよく分からない論理で非難する。さらに酷いものになると「専門家ではないから
批判されても困る」と開き直る輩までいる。たとえ専門家でなくとも、学生でもなんでも、「市民団
体の看板を背負って発言したのなら責任を持て」といいたくもなる。
148 :
国道774号線:04/05/25 19:11 ID:osFxsq2b
知識の欠如も酷いもので、趣味誌(特に鉄道趣味誌)の記述をそのまま専門誌扱いして示す。それ
が専門家からみて間違いと指摘しても「そんなことはない」「著作権に違反するからデータは使え
ないので趣味誌でいいんだ」という訳の分からない言い訳までする人もいる。(無論、データの引
用は出典の明記さえしっかりすれば法律上何の問題もない。問題であれば学会論文などすべて引っ
かかる)
法律や事業制度にも精通していない上にそもそもの基礎知識すら欠如した人間が専門家として発言
しているのを見ると頭が痛くなる。
それを市民運動としてやって、それでなにも影響がなければ「勝手にどうぞ」という世界だが、様
々な形で「賛同しろ」「賛成しろ」と訴え、終いには専門家批判すらいとわない。鉄道を愛するが
ためなのだろうが、自動車利用のメリットも考えず、ひたすら「自動車排除」「ヨーロッパのよう
な都市を!」と言い続ける。(欧米との基本的な都市構造の違いすら考えない)
これでは先に書いたような「認め合う」「協働する」という市民参加の理念を実現することなど
できようか。
岡山のRACDAや高岡など成功している運動のほとんどはまさに行政や企業との連携を実践して
いる。そういうことをせずに、自分たちを一番上に置いたような市民運動が成功するとは思えない。
もし、電車が欲しいのなら電車が欲しいと素直に言えばいい。「まちづくり」を出汁に電車を敷く
ことを目的化した運動など、「まちづくり」を真剣に考えている人にはどう写るのだろうか。
まちづくりを真剣に考えている私はこう思う。
「電車のためにまちづくりをするのではない。居住する人々の豊かで幸せな生活のためにまちづ
くりをするのだ。」
どうですか、おたくらとは全然レベルが違うでしょ。
149 :
名無し野電車区:04/05/25 19:16 ID:+wy1ClgX
143-148
>>148 >>どうですか、おたくらとは全然レベルが違うでしょ。
あっそ。
それが言いたいがためにわざわざ色々と人の意見をコピペしてくれたわけね。
御苦労。
でも、そこに書いてる人と君のレベルも全然違うわけだろ?
書くなら自分自身の言葉で書いてみろよ、そしたら仕方なく読んでやるからさ。