八幡市・伏見稲荷・五条・丸太町駅利用者の会

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>>35は京都市電を知らない若い世代の人なのかな?まあ四半世紀前に撤去されたから無理もない

まず明治43年に京阪本線が五条から天満橋まで開通した<当時は普通のみの運転>
次に大正元年には京都市電の四条線が開通<四条大宮〜祇園>
続いて翌大正2年にかけて七条線と東山線が開通<七条大橋で市電と京阪が平面クロス>
<熊野神社前〜東山七条〜烏丸塩小路〜七条大宮の経路が完成>
大正4年には京阪が五条から三条まで延長開通<ここも市電と京阪が平面クロス>
このとき京阪は市電との相互乗り入れという野望を持っていたのだが
とりあえず市電との連絡を最重視するため、この当時までの駅配置は
東福寺、塩小路、大仏前、五条の順だったのを
東福寺、(塩小路)、七条、(大仏前)、五条、四条、三条とした
(塩小路と大仏前は廃止)
更に大正3年には五条〜天満橋ノンストップの急行運転を始め翌4年に三条まで延長したものを
大正5年には今のような途中停車駅を持った急行とした
ここでも市電との連絡のために中書島、伏見桃山、伏見稲荷、七条、四条、三条に停めた
昭和25年に特急が初めて運転を開始したときにも市電との接続を考えて最初から七条に停めた

余談だが五条通りには最後まで市電は入らなかったので特急・急行停車には結びつかなかった

東福寺に市電が来たのはずっと遅れて昭和3年,京阪を跨いで大石橋まで開通したのが昭和12年
このとき九条陸橋も一緒に出来たが京阪との接続は全く考慮されず優等停車には結実しなかった
国鉄東福寺駅が併設されたのは更に遅れて戦後の昭和32年だがまだ1面1線で本数も極少
地域の足として認知されだしたのはJR化後だいぶ経ってつい数年前
だがその時には京阪急行・特急は8両となり踏切に挟まれた7両ホームには停車不能に・・・
よくよく東福寺は運のない駅といえよう
<参考文献>
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9689/05haishi/rosen1.htm