201X年X月X日
福島第一原発4号機が倒壊。前年、途上国の労働者を過酷な環境で廃炉作業に
従事させていたことが明るみに出て国際的な非難を浴びた反省もあり、日本政府は
この非常事態を乗り切る最後の選択として国民を原発労働者として徴用するとともに、
「被曝線量の上限を一律に設けることには科学的根拠が無い」として原発労働の線量管理を廃止、
代わりに「個人個人にきめ細かな管理を提供する」との名目で東電の産業医が認めれば
無制限の原発労働も可能となる新たな方針を打ち出し、即日臨時の閣議で決定した。
のちに事故報告書で明かされた関係者の証言によれば、4号機が倒壊した当時、高線量の
現場に未経験の労働者を送り込んでも事態が収束する目処はまったく無かったが、
昨年の外国人原発労働者問題で過敏になっていた政府首脳が4号機倒壊でさらなる批判を
浴びることを怖れ「とにかく日本が命懸けで取り組んでいる姿勢を海外に示す必要がある」
という総理大臣の一言で、作業内容も白紙のまま国民の徴用と投入だけが決定事項として
進められていくこととなった。
この時、徴用に対する国民の意識向上を図るため、国と東電は事故処理に従事して
命を落とした原発労働者を「英雄」として顕彰する施設を東京九段に作ることを決定する。
同年のうちに小中学校で「英雄」の偉業を讃える副読本が配布され、テレビも連日「英雄」の
感動的な物語を放送した。福島原発の廃炉作業で死ぬことは国を救う名誉とされ、実際に
その空気が国民に浸透。「福島で会おう」「英雄の死を無駄にするな」が国民の合言葉となった。
この顕彰施設は当初、廃炉作業で犠牲になった原発労働者を顕彰する目的で作られたが、
その後なし崩し的に歴代の内閣総理大臣や東京電力の経営幹部まで「英雄」として
祀られていくこととなる。「彼らもまた事故処理に当たった国民の一人である」というのが
表向きの理由であったが、原発事故の責任者を「想定外の原発事故と戦った英雄」と
位置付けることで法的責任のみならず倫理的・道義的責任も免責したいという
原発ムラの意向が陰で働いたと一部では囁かれている。
さらに月日は流れ、206X年。
福島の廃県と会津県の設置から既に20年が経過し、地図上の真っ白な部分が果たして
今どうなっているのか気にかける人もめっきり少なくなった。
今年も3月11日が近づくと2ちゃんねる各板には「英雄」を褒め称えるスレッドが立ち、
福島の顕彰施設参拝を呼びかける書き込みが溢れる。あの福島原発事故に関する最近の
2ちゃんねる住人の最大の関心事は「今年は総理大臣が顕彰施設に参拝するかどうか」である。