【原発事故関連】茨城県情報3

このエントリーをはてなブックマークに追加
215名無しに影響はない(やわらか銀行)
続き
******************************
270 : 地震雷火事名無し(やわらか銀行) : 2012/04/29(日) 11:20:07.53 ID:9P5evJzc0 [4/8回発言] >>130 >>242 の続き

主な経過(2001年までの)
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2198/Histry/keika.html

2.1959からの三菱原子炉撤去闘争の経過
1959・4 実験原子炉が三菱金属によって建設計画が発表された。反対運動起こる
1965・12・20 3人の従業員がウラン合金の爆発事故で大やけど(会社はアルミ合金と回答)
1966夏 話題になった商業原子力船「むつ」の動力のための実験原子炉(臨界実験装置)の計画
1967・4 芝川の専用排水溝に大量の放射線物質が検出される
1973(昭和48)年11月19日、 三菱側は、証人尋問を前にして「原子力船むつのために必要な実験は済んだ」とー方的に宣言して、突然「原子炉撤去」を発表しました。

三菱マテリアル総合研究所
三菱原子力工業(株)の原子炉操業
後継会社二ュークリァ・デベロップメント株式会社

3.放射能漏れ報道
1999.3.18読売新聞、19朝日 建屋の老朽化、放射能漏れ報道
1999年7月15日 朝日新聞 内部告発によるマスコミ発表 ここに大量の「放射性廃棄物」があること、一部が地中に埋蔵されていることが、マスコミに大きくとりあげられた。
1999年 三菱が行った説明会「三菱原子力工業(株)時代に発生した放射性廃棄物」と、三菱マテリアル総合研究所は形式上「裁判の対象とされていなかったから、
原子力燃料等に関する研究、実験その他の作業を、その後8年も続け、その結果ドラム缶8000本以上の放射性廃棄物をかかえている」
「その後継会社二ュークリァ・デベロップメント株式会社等の作業で生まれた放射性廃棄物」は、「総計900本以上」と称されている 
それ以後、「放射性廃棄物」は「ドラム缶相当9000本」 にも達し、そればかりではなく、 核燃料も3トンもの大量に保有し、現在なお「放射性廃棄物」が増えつつあるということが明かになってきました。

4.安全と環境を守る会  2000.4.15
1999年4月15日 平成11年3月、突然三菱構内に放射能廃棄物があり、会社は住民に知らせず内密に除去作業をしている。
また建屋は老朽化して放射能が外部に漏れている。このような新聞報道があり、住民の不安が広がっていきました。
1999・7・18 三菱原子炉撤去25周年のつどい、10日の計画・15日の新聞により、放射能廃棄物が大量になる(当初のドラム缶1600本から8000本)事を検討

豊島事件への提言 から 抜粋 2000.4.20
三菱マテリアルと核燃料汚染廃棄物
埼玉県の大宮市に三菱マテリアル総合研究所がある。昨年(1999)3月17日研究所敷地内の土壌が放射能で汚染されていたことが科学技術庁の調べで明らかに上なった。
周辺の土壌の約20倍に当たる1.45マイクロシーベルの放射態が測定された。
同研究所は、科学技術庁の検査までその事実を隠していた。
しかも科学技術庁の記者会見の後、やっと埼玉県へ電話で連絡してきた。
つづく